本日未明、東京都八王子市秋川街道付近の路上で、帰宅中の男性会社員が正体不明の生物に襲われる事件が発生した。近隣住民の通報により警察が駆けつけ、生物は抵抗する様子を見せたものの、間も無く確保された。被害者の男性は軽傷。生物の正体は識者の見立てでも正確には判明せず、新種の猿という見解もあるが真偽は不明。
男性は、「道を歩いていたら急に後ろから飛びつかれ、何事かと思った。牙を向いて威嚇してきたので、大声で助けを求めながら持っていた鞄で抵抗した」と話している。また、目撃者の証言によれば、この生物はファンタジー作品によく出てくる「ゴブリン」に良く似ているという。(右は実物の写真)
警察は、広くこの生物に関する情報を集めると共に、この生物の被害に合わないように注意を呼びかけている。
ローソン魔界9丁目店では、魔界新聞社の発行している魔界新聞の他に、一応地上の新聞も3部ほど入荷している。よく「これ誰が買うんだ」という扱いを受けている英字新聞と似たような物で、まあまず買われないのだが、数少ない地上のニュース源なので、俺は毎日愛読している。
ある日偶然目にとまった記事には衝撃的な事が書かれていた。
地上に……ゴブリン……?
俺は再度記事を読み直す。今日はエイプリルフールでもなければ、そこまで信用の置けない新聞ではない。それに何より、記事の横にある写真は、白黒ではあるが確かに普段魔界で見かけるゴブリンと同じだった。
生まれてこの方、ゴブリンが出没したなどというニュースは聞いた事もないし、魔界に実際に来るまではその存在を信じてすらいなかった。おそらく、このニュースを見た人も、ここから「現実に魔界が存在する」という発想に至る人は稀有だろう。記事にある通り、新種の動物として扱われるのが関の山だ。
しかし俺は既に知っている。その生物が本物のゴブリンであるという事。魔界ではそいつらが普通に道を歩いているという事。ローソンのプレミアムロールケーキが大好物であるという事。そして俺がこれから知らなければならないのは、どうしてそのゴブリンが地上に現れたのかという事だ。
俺は頭の中をもやもやと漂う不安と戦いながら、古浪さんか支倉SVの到着を待った。2人ならばこの現象について説明出来るはずだ。今日こそは、俺にしている隠し事を明かしてもらわなければならない。
先についたのは古浪さんだった。
「おはようございます」
と、いつものように制服を着ようとする古浪さんに、例の新聞記事をすっと差し出した。
「詳しく説明お願いできますか?」
口調は柔らかく努めたつもりだったが、その瞬間、緊張感が走ったのに俺は気づいていた。
「地上にゴブリンが現れたそうです。古浪さん、どうしてこんな事が起きたのか、何か知っていますよね?」
確かめるように尋ねると、古浪さんは俺の顔をじっと見て、意を決したように語りだした。
「春日さんにはそろそろ、この魔界が発見された経緯を話さなければならないようですね」
そもそも、この魔界の存在を見つけたのは古浪さんの父親である古浪社長だった。
若い頃、古浪社長は配送トラックの運転手をしていた。その時に偶然、俺も通った魔界に通じるトンネルを見つけ、魔界と地上を行き来する方法を見つけた。古浪社長はしばらく魔界で暮らして経験を積み、地上に出てくるとローソンに入社した。
それからの活躍は今更語るまでもないが、その源にあったのは魔界で得た力だったという。古浪さんも詳細は知らないらしいが、古浪社長には人心を掌握する人間離れした力と、並々ならぬ経営の才能が確かにある。
そしてある日、魔界の存在が拡大している事を古浪社長はいち早く察知した。
「魔界の拡大……? つまり、どういう事ですか?」
と、俺は話の腰を折って尋ねる。
「この魔界は、現実世界と隣り合った異空間に存在しているようです。繋がっているあのトンネルは安定していますが、あそこは人間だけが通れるように出来ています。魔物が出てくる事はありません。そして魔界が拡大するというのは、空間としての概念が広がり、地上世界を圧迫してきているという事です。つまり、魔界による地上の侵食です」
あまりにも概念的な話過ぎて、高校の時物理が2の俺では駄目だった。いや、この場合は大学で哲学の単位を取っておくべきだったと後悔すべきかもしれない。
魔界の侵食を止める術は、今の所存在しないらしい。いかに一流企業のトップといえど、空間を自在に操る事は出来ないという事だろうか。
魔界の拡大は日に日に進行している。ゴブリンの地上出没はその先駆けであり、始まりでもあると古浪さんは言った。これから魔界の侵食が進めば、トンネルの他にも地上と魔界を行き来する手段が新たに現れ、他の魔物も地上に現れる事になるだろう。
なるほどこれでゴブリンが地上に現れた理由は分かった。しかし俺にはもっと大きな疑問が残った。いや、というよりこれは前々からあった疑問だったが、ここに来てそれが放っておけない問題となった。
「なぜ、古浪社長は魔界にローソンを開こうと思ったんですか?」
古浪さんは、無言のまま俺を見つめる。窒息してしまいそうな沈黙の後、口を開いた。
「それは、ローソンが『街のほっとステーション』だからです」
……え? ちょっと意味が分からない。
「あの、すみません。俺に分かりやすく説明していただけると助かるんですが……」
と下から言うと、古浪さんは一瞬恥ずかしそうな表情を見せたが、すぐにいつものクールビューティーに戻った。
「魔界の拡大が止められない以上、残る選択肢は魔界と地上をどういった関係にしていくかという事です。考えられるのは、どちらかがどちらかを統治する形。これにはその前段階として戦争が行われるでしょう」
戦争。現代日本に生きる俺にとっては、魔界と並んで現実味のない響きだが、歴史上確かに存在したはずだ。魔界と地上の全面戦争。その結果は、考えたくもない。
「戦争となった場合、おそらくは地上側が勝つだろうと社長は予測しています。現代兵器の前にはドラゴンもデーモンもひとたまりも無いはずです。しかし当然ながら人間側にも被害は出ます。魔物は神出鬼没ですし、国全体を穴なく防御する手段は存在しません。それに魔物には国際法も関係ないですから、当然民間人から被害が出ます。実際、既に出ていますしね」
ゴブリンに襲われた男性会社員は、命に別状は無いようだが気の毒ではある。
「戦争は……避けられないんですか?」
「その為のローソンです。その為に私たちがいます」
突然知らされた事実に戸惑う俺とは対照的に、古浪さんは至って冷静だった。
「地上と魔界が平和的に暮らすには、お互いの理解が必要です。人間は魔物に対し、魔物は人間に対し、敵ではないという意識をまず作る事から始めなければなりません」
「それでローソンですか……?」
「そうです。コンビニは今の社会に無くてはならない存在であり、消費文化の象徴でもあります。魔物達がローソンに接する事で理解を深めてくれれば、それが戦争を避ける世論を作るきっかけとなるかもしれません」
一理ある、と俺は思う。
ローソン魔界9丁目店も、オープンして半年が経った。売り上げは上々で、静岡DR内での成績も良い。特に新規ポンタ会員登録に関しては、先月ついに月間1位を獲得し、特典として1日だけポンタ君(ポンタカードのマスコットキャラで、平たく言うと下半身丸出しのタヌキ)を呼べる権利を得た。常連客も増えたし、Lチキやおでんなど、何かセールをやる時はクルー一同で力を入れてお客様におすすめしている。
今、魔界9丁目店は上り調子だ。これだけ好調なのは、ローソンが魔界に受け入れてもらっているという証拠であるし、人間と魔物が共存可能である事を示しているとも言える。
「……大体の事情は分かりました。では、最後に1つだけ質問させてください」
「はい。何でしょう」
「何故今までずっと俺に、この事を黙っていたんですか?」
答えによっては信頼関係が根底から揺さぶられる事になる。
「理由の1つは、魔界でローソンをオープンするに際して、あまりにも魔界向けに特化した戦略は良くないと判断された為です。この計画の最終目標は、あくまでも人間と魔物の共存である訳ですから、魔界の拡大がいよいよ大きくなった時には、魔物が地上のローソンで普通に買い物出来なければならない訳です。よって、経営者には普通のローソンを経営しているという感覚が必要だった。それに、自分が世界平和の一端を担う事になると知れば、大抵の人は萎縮して、大胆な事は出来なくなる。何も知らないあなたならば、その懸念はないはずです」
まあ確かに、最初からこの事実を知っていたら、俺のお客様に対する態度は悪い意味で変わっていたはずだ。もしもこのローソン経営に失敗すれば、地上との関係は更に悪化する事になると知った今、かなり大きなプレッシャーがのしかかっている。
「……あの、すいません。最後に1つと言ったんですが、もう1ついいですか?」
「はい」
「何で俺なんですかね……? 他にももっとローソン経営に慣れたベテランさんはいるはずですけど……」
この質問をすると、古浪さんが固まった。
「あの……ですね」
ここまでで1番言い辛そうにしている古浪さん。だが俺として、ここは聞いておかなければならない。
「正直に言いますと……何人かのベテラン経営者さんに話は振ってみたんですが、全員に拒否されまして、となると何も知らない新人を捕まえるしか方法は無いという事になり、それに春日さんは陰陽師の子孫という事もあって、ちょうどいいのではないか、と会議で決まりまして……」
……ん? つまりそれって、俺は捨て駒という事じゃないか。
確かに、結果的に生きているからいいものの、これまで何度か俺はあわや死ぬレベルのピンチに襲われてきた。地上で成功しているローソン経営者なら、こんな役目は御免のはずだ。
あの地黒め……人を良いように使いやがって……。
俺の古浪社長に対する怒りは、170℃に調整され、からあげクンをからっと揚げられるレベルにまで達していた。
反面、もやもやとした不安はどこかに吹き飛んでいた。今は俺に出来る事をやるしかない。そしてそれは、お客様の為に最高のローソンを作り上げる事で間違いない。