電装少女の恋と空。
【4】ヒト・キカイ・セカイ
【Time_Re_CODE】四月六日、午後十三時四十分。
【Place_CODE】伊播磨市、学園上空、五千メートル。
――【Attention!】――
(じこ、しょーかい!
わたし、いかる、が。みんな、やっつけ、ます!)
動きが変わった。
それまでは自由に回遊する軌道を見せていた『鋼の鳥』は、電装少女たちが近づいてくると、途端に鋭く、攻撃に転じる動きに変わる。
(いく、よ!)
――【ENGAGE!】――
尾翼にある超加速用のアフターバーナーが点火。優美に、激烈に奔る。
銀の軌跡は二人の前方でたなびいた。相対するための距離を取ったかと思った時、突如。
「なっ!?」
「え!?」
剣の切っ先を翻すような動きで、斑鳩は〝半回転〟した。形状からして、本来ならば、不可能な機動。
(いかる、とぶの、じょうずでしょ?)
神の息吹に支えられたかの如くに、そっと、向きだけを変えた。
完全に入れ替わった機首が、後ろを追いかけていた、電装少女の二人へ向かう。
(いかるは、だれよりも、そらが、すき)
空中にある物体は、様々な影響を受けながらも常に『滑空』している。
重力に逆らい、推進力を持って移動することは、言いかえれば、その方向に無理やり落下しているに等しく。接触面がない状況で向きを入れ替えると、機体自身が、それを永続して受容することになる。
(だから、いかるは、いちばん! そらを、じょうず、とべる、よ!)
だから。結果として。
そうなってしまった機体は、揚力係数と抗力係数の比率が失われ、失速【Stall】する。鋼の内側から軋みをあげ、空中分解していくか、錐揉み状態に移り、独楽のように回り続けて墜落する〝はず〟だった。
(たーげっと、ろーっく!)
――ピ、ピ。
しかし『鋼の鳥』は、余裕で制御を戻し、嘶いた。
加速していたはずの移動性ベクトルはちょうど半回転で止まり、その余った【力の向き】を〝前面のみに押し返す。〟すると斑鳩自身は、前を向いたまま、〝真後ろに向けて飛ぶ〟。
(ごぉ!)
再炎。またしても【力の向き】が、斑鳩の意思に従うように変化する。
「神風でも呼んでるんですかね」
「言ってる場合か、来るぞ」
――【Over_Boost】――
立ちはだかる重力も、風圧も、音速の壁も、なにもかも。
その存在には【無力】と化す。斑鳩に味方する。
ありとあらゆる要素を蹴散らし、あるいは従え、其れは翔ぶ。
常識と異端を兼ね備えた『鋼の鳥』。
空の果てより、来たる。
――機銃掃射【BLAM!】回避【BREAK!】――
正面に取り付けられた、二門の機銃が吼える。直線の火線が奔り、鳴海と沙夜は、空を踏みつけるように、左右それぞれに大きく飛んだ。一度避け、後ろへ通り抜けたところで、斑鳩は即座に【反転】する故に、油断はならなかった。
「03! 絶対に背面を取られるなよ! 喰われるぞ!!」
『わかってます!!』
三次元の空で、踊り廻る。
縦横斜め無尽に、複雑回帰に軌道して、圧倒的な暴力の豪雨からギリギリ逃れる。
(んー、はやいなー)
物理法則をなかば以上に無視して迫る銀翼。さらに途切れることのない機銃掃射。しかしそれが可能なのは、相手側だけではない。
「黒雅、四式を攻撃形態に電装更新【update】。オペレーターの制御の一部を委任。背面部へと電磁射撃を開始」
【EXEC】
『オペレーターよりプレイヤーへ! えぇと、でも、照準が通常性能なので、当たりませんよ!」
「威嚇程度でいい。とにかく、こちらの背面へ近づけさせないでくれ」
『そういうことでしたら! じゃんじゃか撃ちます!』
「威嚇程度で、と言ったぞ。脳に負荷がかかるのだから、程ほどに」
八の翼の一つが、長銃に変わる。
――【LOCK】――
ほんの一瞬、銀翼機の姿を捕らえた時、ささやかな電磁の閃光が奔った。と言ってもそれは、限りなく光速であり、触れれば大きな損傷を与える威力を誇る。
しかし斑鳩も迅速かった。翼端をほんの少し傾けるだけで、彼女専用の【神風】が吹く。
(おそい、よ!)
変幻自在の立体機動。左へ、右へ。宙返りしながら雷撃を回避し、平然と往復する。
長銃が放つ間隙を縫って元の位置に戻り、弾丸掃射。それを今度は鳴海が先読みし、回避する。
射撃し、回避する。
撃って、避わす。
――【LOGIC】――
超音速で巡る。思考が次を探す。次の次を求める。次の次の次の手を模索して奔る。
コンマ一秒の隙を見逃さんと、電糸の蒼穹を無限に駆け巡る。
――【LORD】――
鳴海は同時に、少しずつ空域を把握した。斑鳩の移動が予測される座標を捕らえ、その範囲に向け、声を挙げる。
「壱式、弐式、碌式、漆式! 攻撃形態に電装更新【update】!」
【!! EXEC.MY・LORD !!】
八翼のうち、四翼の形態が変化する。
最大速度が落ちた代わり、紅蓮の銃へと生まれ変わった翼の内部で、攻撃指数が急上昇。
「オペレーター、捌式と私の『視野情報』を接続してくれ。どうにか【必的】の属性に近いものを付与できないか?」
『EXEC! プレイヤー01の視野情報を参考に、光熱の座標をこちらで再演算することは、現構造でも十分可能です!』
「頼んだ」
『EXEC!』
電装少女の魔法【spell_CODE】は、電糸世界でも特別だった。
赤城鳴海の【必的】は、どんな状況下であっても、その攻撃を絶対に外さない、という、最強の【論理積】属性を備えている。
今回はそれが扱えない代わり、彼女は自らの〝予測〟を『視野(情報)』に入れた。
『攻撃を回避しようとすれば、自ずとその動きは限定されます。
それを、プレイヤーの〝先読み情報〟として取り組み、攻撃指数の座標を〝ねじ曲げちゃいますっ〟!!』
『よし、行くぞ03! こちら第壱波の攻撃発動まで二秒05!』
『EXEC.こちらも演算、開始いたします』
反対側に回った沙夜が、剣と化した一翼の【五月雨】を手に、鯉口を切った。
低く構え、彼女もまた〝予測〟する。
次の瞬間、黒雅の四つの咢が同時に吠えた。
【 !! EXECUTION !! 】
圧縮された紅蓮の超電磁【RailGun】。
神掛りにも等しい追尾性能を得た緋色の雷が、超速度で空を奔り、一瞬で『鋼の鳥』を追いつめた。
対して『鋼の鳥』はどの方向へも逃げず、ただ一直線に進む。あっけなく追いつかれ、素直に被雷する。
「……なに?」
「あら」
鳴海が一瞬、眉をひそめた。沙夜もまた、動き出そうとしていた全身を、思わず止めてしまった。
――しかし、それが狙い。だと理解したのは、一秒たらず。
(〝あたったけど、は ず れ ! 〟)
残雷の先に。斑鳩が翔んでいた。
「っ、無傷だと!?」
視線と探索機構【Radar】の情報は、変わらず万全の速度と、慣性を無視した軌道で蒼穹を駆ける敵を写す。
(あはははははは!! でも、ちょーっと、びりびりした、かなっ!)
「オペレーター」
『わ、わかりませんっ! 〝黒雅の判定〟は、確かに〝攻撃が命中した〟として、通常通りに値を拡散、消失に向けての処理が行われてて、えっとっ!』
「時間差異【Time_lag_CODE】による〝処理落ち〟か」
『ふえっ!?』
(あかいはねの、おねえちゃん、だいせいかい! いかるのばしょ〝みりいちびょうから、にびょう〟ずらしたんだよ!)
『03から01へ! なにか、別の信号が混濁してませんかっ!?』
「オペレーター! 周波数を変更して鍵を掛けろ! こちらの通信域を傍受されてる!』
(むりだよ。このおそらで、いかるにしられず、おはなしするの、むーりー♪)
楽しげな幼女の声が、高度四千五百メートルで風に載る。さらに『鋼の鳥』の両翼上面にあった装甲が勢いよく持ちあがった。
(こんどは、いかるの、ばん!)
――発射音。
空気を重たく吹き飛ばすような、圧縮された質量体が、連続で発射される音。
雨雲よりも上空で、もうもうとした、白い噴煙が、盛大に立ち昇った。
――【!! FOXⅡ・FOXⅡ !!】――
電糸信号が、最大の危険を告げる。熱源反応が超多数。
下層世界の構造を一部則った『電装少女』たちへ向け、冷たい空気を運んでくるそれ。
銀の翼から飛び出した新たな兵装の正体は、空対空榴弾【missile_Air-to-Air】。
八×二、合計十六発をワンセット。さらにオーダーを追加発注。
――【Target_LOCK_ON_BEFORE_LAUNCH×128】――
『にゃ、にゃるみひゃぁーんっ!! ひゃっ、ひゃくっ! みしゃいるが、ひゃくにぢゅっはふ!!」
「そうか。冗談だと言ってくれると実に助かるぞ。オペレーター?」
『は、はわっ……! はわわわわ!? はわわわわわあああああぁぁーっっっ!!?」
「よし。頼むから落ちつけ」
ミリ秒の時間差で、十六発が四セット。さらに四セット。
合計・百二十八発に増大した、現実同様の破壊兵器。
電糸世界では、ある意味「燃料無限」の『永久推進ミサイル』が。
それぞれに音速を伴って迫る。
鳴海と沙夜へそれぞれ、六十四発。
――ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ――
的【Target】。
電装少女の造形上に六十四連。永続的に追尾する証を添える。
『鳴海さんっ! 逃げてくださいッ! 現実側に還元される負傷値が、危険域【Red_Zone】を大幅に超えてますっ!!』
上位世界からの、オペレーターの悲鳴。
それは、現実のゆりかごで眠る、赤城鳴海の『死』を意味した。
*
「あーもう。これは正直、参りましたねぇ。みーちゃん、なんとかしてください。はやく」
『んー、ある意味潔いよなー。沙夜は』
「えぇ、実はホント焦ってるので、はやく」
蒼穹を駆ける。
軌道された選択のすぐ後を、指方向性を持った榴弾六十四発が追いかけた。依然、速度は音速のままだ。
上昇しても、下降しても、水平に移動しても、雲の合間に隠れても、標的【Target】の属性を付与された沙夜の軌道を、極めて正確に追いかけた。
「みーちゃん、提案です」
「言ってみ」
「ミサイルをどうにか一所に集めて、まとめてブッ叩いて誘爆を狙うのは無理でしょうか?」
『ムリダナ(・×・)。ある程度に榴弾間の距離が収束されてくると、一部が自動的に拡散して、遠巻きに周辺を取り囲む仕様になってる。よく出来てるよ』
「感心してないで、なんとかしてください」
『なんだよー。あたしに内緒で、妹と浮気してたくせによー。雄型って勝手だなぁ』
「私だけのせいにしないでくださいっ、赤城さんとキスしてたのは、みーちゃんの方じゃないですかっ」
『いやまぁ、ちょっと勢いで』
「みーちゃんは勢いでちゅーするんですかっ!」
『するよ? つーか大体、沙夜とだって、勢いでやらしーことしたじゃん?』
「そうでしたね。みーちゃんは、脳みそとコネクタが直結してる最低のクズ野郎でした」
『やーめーろーよー、あたしを某虎子みたいな扱いにすーんーなーよー』
「アレは〝ゲス野郎〟です。みーちゃんは女のクズですから違います」
『それ、さぁ、どっちが最下位なん?』
「あえて言うなら、どちらも灰になった方が、世界的に優しいです」
『ふ~ん。今死にそうなの、沙夜だと想うんだけど?』
「えぇ。死んだらみーちゃんを迎えに行きます。毎日枕元に立って。おいでおいで、しますから。二人であの世で仲良く暮らしましょう。腕組んで、永遠に一緒です」
『…………。わかった。死ぬな。生きるんだ沙夜。あたしがなんとかしてやる』
「みーちゃんって、おばけ、嫌いですよね」
『べ、べつにっ! おばけなんて信じてないからなっ! あたし、全然そういう非科学的なモンとか、ほんとこれっぽっちも信じてないし!』
「そうですか。じゃ、生きて帰ったら、ベッドの上で耳たぶ甘噛みして、コネクタを指先で弄りながら、怖い話してイカせてあげますね。……で、敵先制の被弾まで予測が五秒切りました」
『ッ、沙夜のバカ。後で覚えてろよ』
「えぇ。覚えておきます。時間差異【time_lag_CODE】の演算、お願いします』
『EXECっ!』
苛立ったような了承の声。
榴弾の一発が迫る。沙夜は【五月雨】の鯉口を切り、抜刀した。
蒼の軌跡が翻る。〝なにもない蒼穹〟を斬る。
続けてわずかに軌道を変え、二閃、三閃。
高速で移動しながら、沙夜は〝近接特化〟仕様の【五月雨】を振るった。
しかし変化は起きない。
なにもない空域を斬ったところで、変化がおきるはずもない。――だが、
ぴたりと二秒が経過した直後。沙夜が剣を振るった〝座標を通過した〟榴弾の一発に変化が起きた。
――炸裂。
橙色の爆発音。轟音が大気を震わせて、灰色の破片を周囲に撒き散らす。ちょうど側を通っていた別の一発に突き刺さり、誘爆連鎖した。
「あら、運が良かったですね~」
『バーカ。全部あたしの演算の内だっつの。それより角度・速度修正するぞ。指示したタイミングで【五月雨】を振れよ。わかったな?』
「はいはい。EXEC.EXEC」
――しゃらん、しゃりん、しゃきん、と。
何もない蒼穹に鋭い剣閃が舞う。すると遅れて、火花が舞いあがるのだった。
*
そもそも、電糸世界が構築された主な目的は。
実コストのかからない、実世界と同様の「実験」を行うがためだった。
故に、ありとあらゆる「要素」が「数値」となって還元される。
その上で。この世界で、斬る、斬られる、とはどういう状況になるか。
密集した硬度、かつ鋭利性のある固まりが、他の密集した硬度の固まりと、衝突した時の摩擦熱で訪れる「現象」だ。
基本としては、物体の強度と、速度と、鋭さ。その合計値に、被対象の抵抗値が減らされて、斬れるか、斬れないかの真偽が決定される。
それらは、厳密にはすべて〝数値化できる要素〟であり、かつ『現代科学で、数式上において解明された要因』だった。
そして『電糸世界』は、そういった数式の集合体で、現実を再現している。
電装少女たちは、それを演算し、解を出し、操る。
斬撃、を、斬撃値、とみなす。
斬撃値、という【変数】を、【斬撃】と名づけられ、用意された【定数】の中に挿入する。
それを内から実演し、世界に向けて【斬撃】が見舞われたぞよ。と認証させるわけだ。
ただし、その一部をズラすことは〝可能〟だ。
料理で言えば、調味料を変えるように。味付けを、こっそり入れ変えることが出来る。
今回、瑞麗がズラしたのは【発生時間】だった。
【斬撃】の威力はそのままに。発生時間のみを〝遅延〟させる。
すると。どうなるか。
――斬る。肉を切らせて骨を断つ。という言葉さながらに。
世界は正確に〝遅延した【斬撃】〟を実行する。
蒼月沙夜が、剣を振るった「座標」へ、瑞麗が命じた二秒後に、斬撃値を還元する。
ちょうど、そこを通っていた榴弾の内的物質――火薬庫に亀裂が生じる。
高密度に在るエネルギー体はたやすくバラける。外側の余震を受ければ、そもそも爆発物である物体は、なんのためらいもなく、
――爆ぜる。橙色の花が咲く。
上位世界の、極めておだやかな蒼空とは異なる、電糸世界だけの爆発。
その余分で現実には〝ありえなかった〟エネルギー体は、電糸世界では『結晶』と呼ばれるものに置き換わる。
事象、あるいは【属性】の要素を失ったそれは、この場所よりも高い空へ向かい、未知なる空域を形成しに向かうのだった。
多量の火花と『結晶』を散らす剣士の耳に、ダレた声が聞こえた。
『はぁー、やっとこ、減ってきたなー。計算すんのまじダリー』
「残り六発ですね。ほらしっかり」
時間にして三十秒たらずで、しつこい追っ手は、大幅に数を減らしていた。
『あーあ、魔法【spell_CODE】が使えるなら、一瞬で片がつくのによー。めんどくせー』
「あちらの方は大丈夫でしょうか」
『知らね。鳴海なんぞ、適当に一回死んどけばいいし』
「今朝ちゅーしてた癖に……」
『あれは別腹』
「あぁそうですか」
呆れかえった時、さらに追いかけていた榴弾の残りが、一斉に炸裂した。
ひとまず窮地を脱し、沙夜は【五月雨】の鯉口を閉ざした。
「敵は、01の方を追いかけてるみたいですね」
『あっちのが組みしやすいって、判断したっぽいな』
「わっ、みーちゃん、私が01より優秀だって褒めてます?」
『そりゃあ、オペ娘の質が違うかんな』
「ただの自画自賛でしたか」
『いいだろ。べつに。プレイヤーが、この世界で稼働する本体【hardwear】なら、あたしらはそれを助ける脳味噌手足【softwear】だ。本体が多少ぼんくらでも、優秀な脳みそと器用な手先がありゃ、それなりの動きはする。反対に、脳みそが優秀不断で、手先も不器用なら、そりゃ最悪だろ?』
言って見つめる彼方には、いまだに六十四連のミサイルと、斑鳩の機銃掃射に追いかけられる、少女が在った。
【Place_CODE】伊播磨市、学園上空、五千メートル。
――【Attention!】――
(じこ、しょーかい!
わたし、いかる、が。みんな、やっつけ、ます!)
動きが変わった。
それまでは自由に回遊する軌道を見せていた『鋼の鳥』は、電装少女たちが近づいてくると、途端に鋭く、攻撃に転じる動きに変わる。
(いく、よ!)
――【ENGAGE!】――
尾翼にある超加速用のアフターバーナーが点火。優美に、激烈に奔る。
銀の軌跡は二人の前方でたなびいた。相対するための距離を取ったかと思った時、突如。
「なっ!?」
「え!?」
剣の切っ先を翻すような動きで、斑鳩は〝半回転〟した。形状からして、本来ならば、不可能な機動。
(いかる、とぶの、じょうずでしょ?)
神の息吹に支えられたかの如くに、そっと、向きだけを変えた。
完全に入れ替わった機首が、後ろを追いかけていた、電装少女の二人へ向かう。
(いかるは、だれよりも、そらが、すき)
空中にある物体は、様々な影響を受けながらも常に『滑空』している。
重力に逆らい、推進力を持って移動することは、言いかえれば、その方向に無理やり落下しているに等しく。接触面がない状況で向きを入れ替えると、機体自身が、それを永続して受容することになる。
(だから、いかるは、いちばん! そらを、じょうず、とべる、よ!)
だから。結果として。
そうなってしまった機体は、揚力係数と抗力係数の比率が失われ、失速【Stall】する。鋼の内側から軋みをあげ、空中分解していくか、錐揉み状態に移り、独楽のように回り続けて墜落する〝はず〟だった。
(たーげっと、ろーっく!)
――ピ、ピ。
しかし『鋼の鳥』は、余裕で制御を戻し、嘶いた。
加速していたはずの移動性ベクトルはちょうど半回転で止まり、その余った【力の向き】を〝前面のみに押し返す。〟すると斑鳩自身は、前を向いたまま、〝真後ろに向けて飛ぶ〟。
(ごぉ!)
再炎。またしても【力の向き】が、斑鳩の意思に従うように変化する。
「神風でも呼んでるんですかね」
「言ってる場合か、来るぞ」
――【Over_Boost】――
立ちはだかる重力も、風圧も、音速の壁も、なにもかも。
その存在には【無力】と化す。斑鳩に味方する。
ありとあらゆる要素を蹴散らし、あるいは従え、其れは翔ぶ。
常識と異端を兼ね備えた『鋼の鳥』。
空の果てより、来たる。
――機銃掃射【BLAM!】回避【BREAK!】――
正面に取り付けられた、二門の機銃が吼える。直線の火線が奔り、鳴海と沙夜は、空を踏みつけるように、左右それぞれに大きく飛んだ。一度避け、後ろへ通り抜けたところで、斑鳩は即座に【反転】する故に、油断はならなかった。
「03! 絶対に背面を取られるなよ! 喰われるぞ!!」
『わかってます!!』
三次元の空で、踊り廻る。
縦横斜め無尽に、複雑回帰に軌道して、圧倒的な暴力の豪雨からギリギリ逃れる。
(んー、はやいなー)
物理法則をなかば以上に無視して迫る銀翼。さらに途切れることのない機銃掃射。しかしそれが可能なのは、相手側だけではない。
「黒雅、四式を攻撃形態に電装更新【update】。オペレーターの制御の一部を委任。背面部へと電磁射撃を開始」
【EXEC】
『オペレーターよりプレイヤーへ! えぇと、でも、照準が通常性能なので、当たりませんよ!」
「威嚇程度でいい。とにかく、こちらの背面へ近づけさせないでくれ」
『そういうことでしたら! じゃんじゃか撃ちます!』
「威嚇程度で、と言ったぞ。脳に負荷がかかるのだから、程ほどに」
八の翼の一つが、長銃に変わる。
――【LOCK】――
ほんの一瞬、銀翼機の姿を捕らえた時、ささやかな電磁の閃光が奔った。と言ってもそれは、限りなく光速であり、触れれば大きな損傷を与える威力を誇る。
しかし斑鳩も迅速かった。翼端をほんの少し傾けるだけで、彼女専用の【神風】が吹く。
(おそい、よ!)
変幻自在の立体機動。左へ、右へ。宙返りしながら雷撃を回避し、平然と往復する。
長銃が放つ間隙を縫って元の位置に戻り、弾丸掃射。それを今度は鳴海が先読みし、回避する。
射撃し、回避する。
撃って、避わす。
――【LOGIC】――
超音速で巡る。思考が次を探す。次の次を求める。次の次の次の手を模索して奔る。
コンマ一秒の隙を見逃さんと、電糸の蒼穹を無限に駆け巡る。
――【LORD】――
鳴海は同時に、少しずつ空域を把握した。斑鳩の移動が予測される座標を捕らえ、その範囲に向け、声を挙げる。
「壱式、弐式、碌式、漆式! 攻撃形態に電装更新【update】!」
【!! EXEC.MY・LORD !!】
八翼のうち、四翼の形態が変化する。
最大速度が落ちた代わり、紅蓮の銃へと生まれ変わった翼の内部で、攻撃指数が急上昇。
「オペレーター、捌式と私の『視野情報』を接続してくれ。どうにか【必的】の属性に近いものを付与できないか?」
『EXEC! プレイヤー01の視野情報を参考に、光熱の座標をこちらで再演算することは、現構造でも十分可能です!』
「頼んだ」
『EXEC!』
電装少女の魔法【spell_CODE】は、電糸世界でも特別だった。
赤城鳴海の【必的】は、どんな状況下であっても、その攻撃を絶対に外さない、という、最強の【論理積】属性を備えている。
今回はそれが扱えない代わり、彼女は自らの〝予測〟を『視野(情報)』に入れた。
『攻撃を回避しようとすれば、自ずとその動きは限定されます。
それを、プレイヤーの〝先読み情報〟として取り組み、攻撃指数の座標を〝ねじ曲げちゃいますっ〟!!』
『よし、行くぞ03! こちら第壱波の攻撃発動まで二秒05!』
『EXEC.こちらも演算、開始いたします』
反対側に回った沙夜が、剣と化した一翼の【五月雨】を手に、鯉口を切った。
低く構え、彼女もまた〝予測〟する。
次の瞬間、黒雅の四つの咢が同時に吠えた。
【 !! EXECUTION !! 】
圧縮された紅蓮の超電磁【RailGun】。
神掛りにも等しい追尾性能を得た緋色の雷が、超速度で空を奔り、一瞬で『鋼の鳥』を追いつめた。
対して『鋼の鳥』はどの方向へも逃げず、ただ一直線に進む。あっけなく追いつかれ、素直に被雷する。
「……なに?」
「あら」
鳴海が一瞬、眉をひそめた。沙夜もまた、動き出そうとしていた全身を、思わず止めてしまった。
――しかし、それが狙い。だと理解したのは、一秒たらず。
(〝あたったけど、は ず れ ! 〟)
残雷の先に。斑鳩が翔んでいた。
「っ、無傷だと!?」
視線と探索機構【Radar】の情報は、変わらず万全の速度と、慣性を無視した軌道で蒼穹を駆ける敵を写す。
(あはははははは!! でも、ちょーっと、びりびりした、かなっ!)
「オペレーター」
『わ、わかりませんっ! 〝黒雅の判定〟は、確かに〝攻撃が命中した〟として、通常通りに値を拡散、消失に向けての処理が行われてて、えっとっ!』
「時間差異【Time_lag_CODE】による〝処理落ち〟か」
『ふえっ!?』
(あかいはねの、おねえちゃん、だいせいかい! いかるのばしょ〝みりいちびょうから、にびょう〟ずらしたんだよ!)
『03から01へ! なにか、別の信号が混濁してませんかっ!?』
「オペレーター! 周波数を変更して鍵を掛けろ! こちらの通信域を傍受されてる!』
(むりだよ。このおそらで、いかるにしられず、おはなしするの、むーりー♪)
楽しげな幼女の声が、高度四千五百メートルで風に載る。さらに『鋼の鳥』の両翼上面にあった装甲が勢いよく持ちあがった。
(こんどは、いかるの、ばん!)
――発射音。
空気を重たく吹き飛ばすような、圧縮された質量体が、連続で発射される音。
雨雲よりも上空で、もうもうとした、白い噴煙が、盛大に立ち昇った。
――【!! FOXⅡ・FOXⅡ !!】――
電糸信号が、最大の危険を告げる。熱源反応が超多数。
下層世界の構造を一部則った『電装少女』たちへ向け、冷たい空気を運んでくるそれ。
銀の翼から飛び出した新たな兵装の正体は、空対空榴弾【missile_Air-to-Air】。
八×二、合計十六発をワンセット。さらにオーダーを追加発注。
――【Target_LOCK_ON_BEFORE_LAUNCH×128】――
『にゃ、にゃるみひゃぁーんっ!! ひゃっ、ひゃくっ! みしゃいるが、ひゃくにぢゅっはふ!!」
「そうか。冗談だと言ってくれると実に助かるぞ。オペレーター?」
『は、はわっ……! はわわわわ!? はわわわわわあああああぁぁーっっっ!!?」
「よし。頼むから落ちつけ」
ミリ秒の時間差で、十六発が四セット。さらに四セット。
合計・百二十八発に増大した、現実同様の破壊兵器。
電糸世界では、ある意味「燃料無限」の『永久推進ミサイル』が。
それぞれに音速を伴って迫る。
鳴海と沙夜へそれぞれ、六十四発。
――ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ――
的【Target】。
電装少女の造形上に六十四連。永続的に追尾する証を添える。
『鳴海さんっ! 逃げてくださいッ! 現実側に還元される負傷値が、危険域【Red_Zone】を大幅に超えてますっ!!』
上位世界からの、オペレーターの悲鳴。
それは、現実のゆりかごで眠る、赤城鳴海の『死』を意味した。
*
「あーもう。これは正直、参りましたねぇ。みーちゃん、なんとかしてください。はやく」
『んー、ある意味潔いよなー。沙夜は』
「えぇ、実はホント焦ってるので、はやく」
蒼穹を駆ける。
軌道された選択のすぐ後を、指方向性を持った榴弾六十四発が追いかけた。依然、速度は音速のままだ。
上昇しても、下降しても、水平に移動しても、雲の合間に隠れても、標的【Target】の属性を付与された沙夜の軌道を、極めて正確に追いかけた。
「みーちゃん、提案です」
「言ってみ」
「ミサイルをどうにか一所に集めて、まとめてブッ叩いて誘爆を狙うのは無理でしょうか?」
『ムリダナ(・×・)。ある程度に榴弾間の距離が収束されてくると、一部が自動的に拡散して、遠巻きに周辺を取り囲む仕様になってる。よく出来てるよ』
「感心してないで、なんとかしてください」
『なんだよー。あたしに内緒で、妹と浮気してたくせによー。雄型って勝手だなぁ』
「私だけのせいにしないでくださいっ、赤城さんとキスしてたのは、みーちゃんの方じゃないですかっ」
『いやまぁ、ちょっと勢いで』
「みーちゃんは勢いでちゅーするんですかっ!」
『するよ? つーか大体、沙夜とだって、勢いでやらしーことしたじゃん?』
「そうでしたね。みーちゃんは、脳みそとコネクタが直結してる最低のクズ野郎でした」
『やーめーろーよー、あたしを某虎子みたいな扱いにすーんーなーよー』
「アレは〝ゲス野郎〟です。みーちゃんは女のクズですから違います」
『それ、さぁ、どっちが最下位なん?』
「あえて言うなら、どちらも灰になった方が、世界的に優しいです」
『ふ~ん。今死にそうなの、沙夜だと想うんだけど?』
「えぇ。死んだらみーちゃんを迎えに行きます。毎日枕元に立って。おいでおいで、しますから。二人であの世で仲良く暮らしましょう。腕組んで、永遠に一緒です」
『…………。わかった。死ぬな。生きるんだ沙夜。あたしがなんとかしてやる』
「みーちゃんって、おばけ、嫌いですよね」
『べ、べつにっ! おばけなんて信じてないからなっ! あたし、全然そういう非科学的なモンとか、ほんとこれっぽっちも信じてないし!』
「そうですか。じゃ、生きて帰ったら、ベッドの上で耳たぶ甘噛みして、コネクタを指先で弄りながら、怖い話してイカせてあげますね。……で、敵先制の被弾まで予測が五秒切りました」
『ッ、沙夜のバカ。後で覚えてろよ』
「えぇ。覚えておきます。時間差異【time_lag_CODE】の演算、お願いします』
『EXECっ!』
苛立ったような了承の声。
榴弾の一発が迫る。沙夜は【五月雨】の鯉口を切り、抜刀した。
蒼の軌跡が翻る。〝なにもない蒼穹〟を斬る。
続けてわずかに軌道を変え、二閃、三閃。
高速で移動しながら、沙夜は〝近接特化〟仕様の【五月雨】を振るった。
しかし変化は起きない。
なにもない空域を斬ったところで、変化がおきるはずもない。――だが、
ぴたりと二秒が経過した直後。沙夜が剣を振るった〝座標を通過した〟榴弾の一発に変化が起きた。
――炸裂。
橙色の爆発音。轟音が大気を震わせて、灰色の破片を周囲に撒き散らす。ちょうど側を通っていた別の一発に突き刺さり、誘爆連鎖した。
「あら、運が良かったですね~」
『バーカ。全部あたしの演算の内だっつの。それより角度・速度修正するぞ。指示したタイミングで【五月雨】を振れよ。わかったな?』
「はいはい。EXEC.EXEC」
――しゃらん、しゃりん、しゃきん、と。
何もない蒼穹に鋭い剣閃が舞う。すると遅れて、火花が舞いあがるのだった。
*
そもそも、電糸世界が構築された主な目的は。
実コストのかからない、実世界と同様の「実験」を行うがためだった。
故に、ありとあらゆる「要素」が「数値」となって還元される。
その上で。この世界で、斬る、斬られる、とはどういう状況になるか。
密集した硬度、かつ鋭利性のある固まりが、他の密集した硬度の固まりと、衝突した時の摩擦熱で訪れる「現象」だ。
基本としては、物体の強度と、速度と、鋭さ。その合計値に、被対象の抵抗値が減らされて、斬れるか、斬れないかの真偽が決定される。
それらは、厳密にはすべて〝数値化できる要素〟であり、かつ『現代科学で、数式上において解明された要因』だった。
そして『電糸世界』は、そういった数式の集合体で、現実を再現している。
電装少女たちは、それを演算し、解を出し、操る。
斬撃、を、斬撃値、とみなす。
斬撃値、という【変数】を、【斬撃】と名づけられ、用意された【定数】の中に挿入する。
それを内から実演し、世界に向けて【斬撃】が見舞われたぞよ。と認証させるわけだ。
ただし、その一部をズラすことは〝可能〟だ。
料理で言えば、調味料を変えるように。味付けを、こっそり入れ変えることが出来る。
今回、瑞麗がズラしたのは【発生時間】だった。
【斬撃】の威力はそのままに。発生時間のみを〝遅延〟させる。
すると。どうなるか。
――斬る。肉を切らせて骨を断つ。という言葉さながらに。
世界は正確に〝遅延した【斬撃】〟を実行する。
蒼月沙夜が、剣を振るった「座標」へ、瑞麗が命じた二秒後に、斬撃値を還元する。
ちょうど、そこを通っていた榴弾の内的物質――火薬庫に亀裂が生じる。
高密度に在るエネルギー体はたやすくバラける。外側の余震を受ければ、そもそも爆発物である物体は、なんのためらいもなく、
――爆ぜる。橙色の花が咲く。
上位世界の、極めておだやかな蒼空とは異なる、電糸世界だけの爆発。
その余分で現実には〝ありえなかった〟エネルギー体は、電糸世界では『結晶』と呼ばれるものに置き換わる。
事象、あるいは【属性】の要素を失ったそれは、この場所よりも高い空へ向かい、未知なる空域を形成しに向かうのだった。
多量の火花と『結晶』を散らす剣士の耳に、ダレた声が聞こえた。
『はぁー、やっとこ、減ってきたなー。計算すんのまじダリー』
「残り六発ですね。ほらしっかり」
時間にして三十秒たらずで、しつこい追っ手は、大幅に数を減らしていた。
『あーあ、魔法【spell_CODE】が使えるなら、一瞬で片がつくのによー。めんどくせー』
「あちらの方は大丈夫でしょうか」
『知らね。鳴海なんぞ、適当に一回死んどけばいいし』
「今朝ちゅーしてた癖に……」
『あれは別腹』
「あぁそうですか」
呆れかえった時、さらに追いかけていた榴弾の残りが、一斉に炸裂した。
ひとまず窮地を脱し、沙夜は【五月雨】の鯉口を閉ざした。
「敵は、01の方を追いかけてるみたいですね」
『あっちのが組みしやすいって、判断したっぽいな』
「わっ、みーちゃん、私が01より優秀だって褒めてます?」
『そりゃあ、オペ娘の質が違うかんな』
「ただの自画自賛でしたか」
『いいだろ。べつに。プレイヤーが、この世界で稼働する本体【hardwear】なら、あたしらはそれを助ける脳味噌手足【softwear】だ。本体が多少ぼんくらでも、優秀な脳みそと器用な手先がありゃ、それなりの動きはする。反対に、脳みそが優秀不断で、手先も不器用なら、そりゃ最悪だろ?』
言って見つめる彼方には、いまだに六十四連のミサイルと、斑鳩の機銃掃射に追いかけられる、少女が在った。
『らめっ、らめですぅ……! なるみひゃん……! ひんじゃうぅっ!』
「勝手に殺すな。それと泣いてる暇があったら、状況打開の方法を提示してくれると助かるぞ」
状況は最悪だった。
六十四連のミサイルに加え、さらに斑鳩も追いかけてくる。時折に火線が疾り、その度に上位世界から悲鳴があがる。対して鳴海は、驚くほどに落ちついていた。
「オペレーター、なにか策は浮かんだか?」
「な、なんでそんなに落ち着いてるんですか!? はやく逃げなくちゃ……っ!」
「むしろ慌てる方が損だろう。第一、私たちはこの敵を食い止めるよう命じられているんだ。ここで退くわけにはいかない」
あくまでも、淡々と。蒼穹の中を音速の数倍で飛び周りながら、静かに言った。
「安心しろ。たやすくは、墜ちんさ」
赤城鳴海の飛行は、優美で滑らかだった。斑鳩のように、大気や重力を無理やりにねじ伏せるのではなく、ごく自然に、風の勢いに身を任せ、あえて逆らわないように翔んでいた。
無論、あらゆる演算は精密に行われている。
自らの一部と化した、黒雅の操作をミリ秒/mm単位で正確にこなし、大気の変化を予測にいれた上で、追ってくるミサイルと斑鳩の軌道を先読みする。
さらには風の流れ、力の向き。オペレーターの演算速度と、へっぽこ精神状況も考慮におきつつ、極めつけに時間差異【time_Re_CODE.lag】を発生させ、ゆらぐ。
捉えられそうで、捉えられない。
その姿は、陽炎の様。
*
どんな世界であろうとも。一流の「プレイヤー」と呼ばれる者たちは、現在の状況を意識して、自らを「理想的な状態」へと昇華させる。
さらに周辺の状況を俯瞰的に判断し、対応する。瞬間的な場面で十分に生かす。
(――あたん、ないっ!)
斑鳩の機銃の届く範囲に、ほんの一瞬、敵影が映る。
(もう、すこし、なのにっ!)
しかし、機銃が火を噴くのと同時に、赤城鳴海の姿はほんの少し、ゆらぐのだ。すると、かろうじて範囲の外に逃れてしまう。今度こそと追いつめると、また、ふわりと避けられる。
(こ、のおっ!)
最高速度、および旋回力――機体性能【performance】――は、斑鳩のほうが上だった。しかし赤城鳴海の「飛び方」は、単純な数値以上のものを算出し、斑鳩を凌駕した。
非常に老獪で、実践的で、実に巧みだった。
(ずるい……とぶの……じょーず……)
何も知らぬ者がみれば、なんら普遍的な「飛翔」であるが、限りなく同じ境地に立ち、理解あるものが視れば、それは圧倒的な「才能」に満ちた動きだと理解ができる。
(いかるの、が、はやいの! まわるのも、のぼるのも、いかるの、はやいのに……!)
捉えきれない。
撃っても、撃っても、回避される。絶対的に届かない。
立ちはだかる、圧倒的な壁。
碧天の玉座。
【王】たる称号があるなれば。
ひとつが、そこに在った。
(みとめ、ない……っ!)
単純な一直線を合図とともに走り抜ければ、斑鳩は何者にも勝利しただろう。しかし現状、圧倒的なまでの攻撃手数と、自らが勝っているはずの速度と旋回力を以てしても、赤城鳴海には「あと一歩」及ばないのだ。
そのことを、斑鳩は正しく理解した。
(こんなの、や、だっ!)
正しく怒り、正しく焦っていた。
自らが対峙した、この敵は。
己よりも、迅速い。
この蒼穹を翔ぶのが、はるかに、巧い。
(やだ、やだ、やだっ、いや、いや、いやだっっ!!)
電糸の生命体が、高らかに吼え猛る。
その怒りが。少女の鋼を。
〝冷たく冷静に〟
研ぎ、澄ます。
【Time_Re_CODE】??????
【Place_CODE】??????
「いやー、やっぱ、すっげぇわぁ。この虎子さんもびっくりだわぁ。ぐぅれいとな逃げ足の迅速さだわぁ!」
もっくもっく。
そこいらのスーパーで買ったらしいパック寿司。エピとマグロとイカを三つ同時に頬ばりながら、黒鋼虎子は得意げにうなずいた。
「ほーんと、なるみんとだけは、ガチでケンカしたくないよね! 敵に回ったらもう最悪。つーか幼馴染だから仲良しなんだけど! 幼馴染を売った金で、スシウマ。なんて言わないよ!」
「うふふ。とらこちゃんって、本当に外道よねぇ」
「うん! あたしってばホント、最高の外道!」
親指を立てて「そんな自分GJ【Gedo_job】!」と褒めたたえる。
「あー、スシウマ」
口端を歪め、邪悪に笑った。
「でもさぁ、ひかりんも、相当に腹黒いよねぇ」
モニターとなった、正面硝子の窓より目を外し、後ろに振りかえる。
「あらあら。そんなことないわよ。うふふ」
視線が向かうのは、広々とした、高級車内の後部座席だ。虎子の他に二つ、人間の形をした物がある。
「私は、ただの平和の使者よ」
「そういうこと言うのって、大抵、悪の親玉なんだよねー」
「まぁまぁ、それはたいへんだわ。じゃあ私、今日から悪の親玉を名乗るわね」
一人は、天然だった。
着物姿の若い女性で、とても美人だ。十代学生の虎子とは一回りほども違うはずだが、ひかりん、と気軽に呼ばれたことにも、さして気にしていない様子だった。
「それにしても。あの子は、とても上手に翔ぶわねぇ。やっぱり、時期尚早だったかしら?」
細長い睫が降りる。
そっと、視線を下に。指先がたゆたい、膝枕をして眠る、少女の銀髪を撫でた。
「ひかりん。そろそろ、いかちゃんを強制離脱【LOGOUT】させた方がいいんじゃないの?」
「あら、どうして? この子はまだまだ、がんばるつもりみたいよ?」
「それは別にいいんだけどね。むしろ、ここ。虎子さん達の場所が、そろそろヤバイ」
ひとさし指で「ちょいちょい」と。電糸世界のモニターを指す。
元々は高級車の硝子窓であったものは、今はすべて、何らかの電糸機器と繋がり、数多の情報を表示させていた。
「地上にいる牛も、やっぱ、なんだかんだで優秀だわ」
「牛?」
「そう。乳のでけぇ、空気よめない牛」
「あらあら。牛はおっぱいが大きいのは当然よ? それに動物だから、空気なんて読まないでしょ?」
「いや、それが人なんだわ。たぶん、空気の読める程度は、経済動物の牛のが上」
「まぁたいへん。それって、人間失格じゃないの」
「そうだなー。とりあえず話戻すけど。この牛の探査機【Rader_bit】が、この辺りの場所に目星つけて、逆探はじめやがったワケ」
「たいへんねぇ。防壁の突破まであとどれぐらい?」
「半時間もたないね。あんまり抵抗しても、結局は怪しいつって、統合企業の筋から、この建物に連絡来るっしょ」
「牛さんは、人間失格でも、ランカーなのねぇ」
「そゆこと。ひかりん。確か〝この上のホテル〟って、企業の所有物件だったっしょ? 地下まで警備降りて来ると、さすがに面倒だよ。つか、虎子さんはその前に逃げるよ。全力で逃げるよ」
「やん、とらこちゃんったら、ひどい。見捨てないで~」
「ククク。虎子さんは自分の身が一番カワイイのだ! いざとなったら、ひかりんといかちゃんすら、人質にするねっ!」
「ホントりっぱな外道だわ。とらこちゃん」
「私GJ!【Gedou_JOB!】……で、真面目な話、どうすんのさ。いかちゃん起こさなくていいの?」
「えぇ、大丈夫よ」
女性は変わらず、たいして慌てた様子もなく頷いた。ただ、幼い少女の銀髪を撫でる。そっと、耳に吐息を吹きかける。
「さぁ、斑鳩、どうしようかしら? このまま負けっぱなしでお家に帰る? それとも……」
ぴくん、と。
斑鳩の身体が揺れた。痙攣したように戦慄する。
【OVERRIDE・MY・PROGRAM】
ヒトの形をした容れ物が。
機械の言葉で、音をあげた。
【ARTIFICIAL・INOVATE・UNIT.
GET READY.
I’M THINKER,HELL SINKER.
GO.
KILL THEM ALL.】
*
「オペレーター、どうだ、だいぶ落ちついてきたか?」
『はひ……まだ、心臓ばっくん、ばっくん、言ってますけども……』
状況は変わらない。相変わらず六十四機のミサイルと、斑鳩に追われ続けている。それでも鳴海は耐えず、平素の調子でオペレーターに声をかけ続けた。
「次元演算はできそうか。黒雅の一つを防御に特化して、時間差で『壁』を作るんだ」
『……ど、どういう意味ですか?』
「基本は、相手が私の攻撃を回避したのと同じだ。空間座標の時間をずらし、そこに【盾】型の黒雅を設置する。盾の〝耐久値〟のみを設置し、飛来する榴弾にぶつけて、自壊させてやる寸法だ」
『む、難しいですよそれ……っ!』
「難しいだろうな。だが、03のオペレーターならおそらく――」
伝えかけた時。ちょうど、離れた場所で爆発が生じていた。
蒼穹の中、一際に鋭い煌めきが奔り、それを受けた榴弾が直後に自壊していく。中には誘爆連鎖する物もあり、瞬き一つの時間で、その数を大きく減らしていた。
「見えたか? 向こうもおそらく、時間差異を利用して、追尾してくる榴弾を〝斬り落としている〟」
『……す、すごい……』
「どうする。我々は『学園』から、応援要請を頼むか?」
『い、いいえっ! やりますっ! 鳴海さんなら、できますっ!!』
「あぁ。お前の力と頭脳が必要だがな」
ほんの少し、口元が微笑む。
仮にも命のやりとりを行っている現状で、赤城鳴海は〝ながら作業〟を平然とこなしていた。
八翼の推進方向を、並列で同時に操作し、
へっぽこオペレーターを、それとなく、アメとムチで焚きつけ、
ミリ秒単位で、情報が更新される空域を把握し、そこに迷わず飛び込んで、回避行動を実行し続ける。
――赤城鳴海が定ずる戦闘の信条は、二つ。
一つ。焦って死ぬぐらいなら、焦らない方がマシ。
二つ。緊張して思考が回らないならば、〝緊張するのをやめればいい〟。
けっして、冗談ではない。
自分の命を蔑にしているわけでもなかった。ただ、純粋に、赤城鳴海は悟っていた。電糸世界の戦いにおいて、冷静さは、勝利の鍵であると。
情熱や気合は、現実では己の基本値を大きく過剰化させるが、この電糸世界では〝熱意は、意味を成さない〟。
電装少女の中でも長年『ランカー』として存在する彼女の強さは、その理解にこそあった。
――電糸世界は、すべて、数値化された状況で稼働している。
現実では〝極限の状況下〟におかれると、脳細胞が著しく活性化し、相対的に世界の時間がゆっくりと感じられる。これはいわゆる〝主観現象〟であり、「根性」や「気合」などの〝熱意〟にも大きく作用される。
しかし、電糸世界ではそれが〝ない〟。この世界を支配するのは、明確な【世界に類する数値】のみであり、赤城鳴海の〝主観意識〟は、これに作用しない。
むしろそういったものは、オペレーター側より条件を与えることで〝意図的に〟〝いつでも〟再現させられるのが、この世界の強みだった。
故に、最速のプレイヤーたらんとすれば。
電糸世界では常に〝冷静〟であることが一番だった。
「黒雅全式に告ぐ。防御形態に特化した、九翼を生成――電装更新【update】!」
【!!!! EXEC・MY・LORD !!!!】
八翼が応える。ぱきん、と乾いた音を立てて、それぞれ二つに分離する。半身が一つに組み合わさると、鳴海の正面を保護する、正八角形の盾が誕生した。
超電磁の膜で自らをコーティングし、離れた場所に不可侵の『層』を作る。
そして、目まぐるしく、上下左右斜めに飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ。
新しく召喚された九番目の『盾』は、一定の時間差で、高度五千メートル前後の空域座標に『浮遊機雷』を設置した。
そして、何も知れず追いかけてくる榴弾はその上を通り――爆ぜ飛んだ。
*
蒼穹を駆ける『鋼の鳥』は、自らの種としての優位性に、絶対の自信があった。
折れない鋼。
永遠の白銀。
支配の翼。
加速度と移動ベクトル、空気抵抗すら自在に操作する。
さらには実質量を〝伴っていない〟が故に、この下層の空では、どんな軌道ですら演じることができた。
しかし今、鋼の少女は初めて、遅れを取っていた。胸に宿った〝なにか〟を言葉で表すならば。
それはひどく、あってはいけない、苛立ちだった。
故に。ごく当たり前に。自らの頭脳、あるいは心臓を〝冷却すること〟を選択した。
(……しょうきょ、する……しょきょ、す……る…………)
斑鳩は、機械だ。
不必要な〝感情〟は、いつでも斬り捨てることのできる〝生き物〟だ。
この蒼穹で初めて感じた【焦り?】や【不安?】などは、戦闘行為には不必要だ。
――不要、だから、捨てた。
(I’M THINKER,HELL SINKER)
不要なものを、少女は、二度と手に入れない。
(GO)
冷ややかに、往くのみ。
凍える意思が〝進化〟する。【望まれるもの】に生まれ変わる。
(KILL THEM ALL)
尾翼から、銀河を一閃するかの如く。光の粒子が伸びた。
鋭く。
これまで以上に鋭く、加速する。
全身全霊、鋼の一片に至るまで、加速。
比類なき銀の霊鳥が。
【空の王】を、墜としにかかる。
【Place_CODE】??????
「いやー、やっぱ、すっげぇわぁ。この虎子さんもびっくりだわぁ。ぐぅれいとな逃げ足の迅速さだわぁ!」
もっくもっく。
そこいらのスーパーで買ったらしいパック寿司。エピとマグロとイカを三つ同時に頬ばりながら、黒鋼虎子は得意げにうなずいた。
「ほーんと、なるみんとだけは、ガチでケンカしたくないよね! 敵に回ったらもう最悪。つーか幼馴染だから仲良しなんだけど! 幼馴染を売った金で、スシウマ。なんて言わないよ!」
「うふふ。とらこちゃんって、本当に外道よねぇ」
「うん! あたしってばホント、最高の外道!」
親指を立てて「そんな自分GJ【Gedo_job】!」と褒めたたえる。
「あー、スシウマ」
口端を歪め、邪悪に笑った。
「でもさぁ、ひかりんも、相当に腹黒いよねぇ」
モニターとなった、正面硝子の窓より目を外し、後ろに振りかえる。
「あらあら。そんなことないわよ。うふふ」
視線が向かうのは、広々とした、高級車内の後部座席だ。虎子の他に二つ、人間の形をした物がある。
「私は、ただの平和の使者よ」
「そういうこと言うのって、大抵、悪の親玉なんだよねー」
「まぁまぁ、それはたいへんだわ。じゃあ私、今日から悪の親玉を名乗るわね」
一人は、天然だった。
着物姿の若い女性で、とても美人だ。十代学生の虎子とは一回りほども違うはずだが、ひかりん、と気軽に呼ばれたことにも、さして気にしていない様子だった。
「それにしても。あの子は、とても上手に翔ぶわねぇ。やっぱり、時期尚早だったかしら?」
細長い睫が降りる。
そっと、視線を下に。指先がたゆたい、膝枕をして眠る、少女の銀髪を撫でた。
「ひかりん。そろそろ、いかちゃんを強制離脱【LOGOUT】させた方がいいんじゃないの?」
「あら、どうして? この子はまだまだ、がんばるつもりみたいよ?」
「それは別にいいんだけどね。むしろ、ここ。虎子さん達の場所が、そろそろヤバイ」
ひとさし指で「ちょいちょい」と。電糸世界のモニターを指す。
元々は高級車の硝子窓であったものは、今はすべて、何らかの電糸機器と繋がり、数多の情報を表示させていた。
「地上にいる牛も、やっぱ、なんだかんだで優秀だわ」
「牛?」
「そう。乳のでけぇ、空気よめない牛」
「あらあら。牛はおっぱいが大きいのは当然よ? それに動物だから、空気なんて読まないでしょ?」
「いや、それが人なんだわ。たぶん、空気の読める程度は、経済動物の牛のが上」
「まぁたいへん。それって、人間失格じゃないの」
「そうだなー。とりあえず話戻すけど。この牛の探査機【Rader_bit】が、この辺りの場所に目星つけて、逆探はじめやがったワケ」
「たいへんねぇ。防壁の突破まであとどれぐらい?」
「半時間もたないね。あんまり抵抗しても、結局は怪しいつって、統合企業の筋から、この建物に連絡来るっしょ」
「牛さんは、人間失格でも、ランカーなのねぇ」
「そゆこと。ひかりん。確か〝この上のホテル〟って、企業の所有物件だったっしょ? 地下まで警備降りて来ると、さすがに面倒だよ。つか、虎子さんはその前に逃げるよ。全力で逃げるよ」
「やん、とらこちゃんったら、ひどい。見捨てないで~」
「ククク。虎子さんは自分の身が一番カワイイのだ! いざとなったら、ひかりんといかちゃんすら、人質にするねっ!」
「ホントりっぱな外道だわ。とらこちゃん」
「私GJ!【Gedou_JOB!】……で、真面目な話、どうすんのさ。いかちゃん起こさなくていいの?」
「えぇ、大丈夫よ」
女性は変わらず、たいして慌てた様子もなく頷いた。ただ、幼い少女の銀髪を撫でる。そっと、耳に吐息を吹きかける。
「さぁ、斑鳩、どうしようかしら? このまま負けっぱなしでお家に帰る? それとも……」
ぴくん、と。
斑鳩の身体が揺れた。痙攣したように戦慄する。
【OVERRIDE・MY・PROGRAM】
ヒトの形をした容れ物が。
機械の言葉で、音をあげた。
【ARTIFICIAL・INOVATE・UNIT.
GET READY.
I’M THINKER,HELL SINKER.
GO.
KILL THEM ALL.】
*
「オペレーター、どうだ、だいぶ落ちついてきたか?」
『はひ……まだ、心臓ばっくん、ばっくん、言ってますけども……』
状況は変わらない。相変わらず六十四機のミサイルと、斑鳩に追われ続けている。それでも鳴海は耐えず、平素の調子でオペレーターに声をかけ続けた。
「次元演算はできそうか。黒雅の一つを防御に特化して、時間差で『壁』を作るんだ」
『……ど、どういう意味ですか?』
「基本は、相手が私の攻撃を回避したのと同じだ。空間座標の時間をずらし、そこに【盾】型の黒雅を設置する。盾の〝耐久値〟のみを設置し、飛来する榴弾にぶつけて、自壊させてやる寸法だ」
『む、難しいですよそれ……っ!』
「難しいだろうな。だが、03のオペレーターならおそらく――」
伝えかけた時。ちょうど、離れた場所で爆発が生じていた。
蒼穹の中、一際に鋭い煌めきが奔り、それを受けた榴弾が直後に自壊していく。中には誘爆連鎖する物もあり、瞬き一つの時間で、その数を大きく減らしていた。
「見えたか? 向こうもおそらく、時間差異を利用して、追尾してくる榴弾を〝斬り落としている〟」
『……す、すごい……』
「どうする。我々は『学園』から、応援要請を頼むか?」
『い、いいえっ! やりますっ! 鳴海さんなら、できますっ!!』
「あぁ。お前の力と頭脳が必要だがな」
ほんの少し、口元が微笑む。
仮にも命のやりとりを行っている現状で、赤城鳴海は〝ながら作業〟を平然とこなしていた。
八翼の推進方向を、並列で同時に操作し、
へっぽこオペレーターを、それとなく、アメとムチで焚きつけ、
ミリ秒単位で、情報が更新される空域を把握し、そこに迷わず飛び込んで、回避行動を実行し続ける。
――赤城鳴海が定ずる戦闘の信条は、二つ。
一つ。焦って死ぬぐらいなら、焦らない方がマシ。
二つ。緊張して思考が回らないならば、〝緊張するのをやめればいい〟。
けっして、冗談ではない。
自分の命を蔑にしているわけでもなかった。ただ、純粋に、赤城鳴海は悟っていた。電糸世界の戦いにおいて、冷静さは、勝利の鍵であると。
情熱や気合は、現実では己の基本値を大きく過剰化させるが、この電糸世界では〝熱意は、意味を成さない〟。
電装少女の中でも長年『ランカー』として存在する彼女の強さは、その理解にこそあった。
――電糸世界は、すべて、数値化された状況で稼働している。
現実では〝極限の状況下〟におかれると、脳細胞が著しく活性化し、相対的に世界の時間がゆっくりと感じられる。これはいわゆる〝主観現象〟であり、「根性」や「気合」などの〝熱意〟にも大きく作用される。
しかし、電糸世界ではそれが〝ない〟。この世界を支配するのは、明確な【世界に類する数値】のみであり、赤城鳴海の〝主観意識〟は、これに作用しない。
むしろそういったものは、オペレーター側より条件を与えることで〝意図的に〟〝いつでも〟再現させられるのが、この世界の強みだった。
故に、最速のプレイヤーたらんとすれば。
電糸世界では常に〝冷静〟であることが一番だった。
「黒雅全式に告ぐ。防御形態に特化した、九翼を生成――電装更新【update】!」
【!!!! EXEC・MY・LORD !!!!】
八翼が応える。ぱきん、と乾いた音を立てて、それぞれ二つに分離する。半身が一つに組み合わさると、鳴海の正面を保護する、正八角形の盾が誕生した。
超電磁の膜で自らをコーティングし、離れた場所に不可侵の『層』を作る。
そして、目まぐるしく、上下左右斜めに飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ。
新しく召喚された九番目の『盾』は、一定の時間差で、高度五千メートル前後の空域座標に『浮遊機雷』を設置した。
そして、何も知れず追いかけてくる榴弾はその上を通り――爆ぜ飛んだ。
*
蒼穹を駆ける『鋼の鳥』は、自らの種としての優位性に、絶対の自信があった。
折れない鋼。
永遠の白銀。
支配の翼。
加速度と移動ベクトル、空気抵抗すら自在に操作する。
さらには実質量を〝伴っていない〟が故に、この下層の空では、どんな軌道ですら演じることができた。
しかし今、鋼の少女は初めて、遅れを取っていた。胸に宿った〝なにか〟を言葉で表すならば。
それはひどく、あってはいけない、苛立ちだった。
故に。ごく当たり前に。自らの頭脳、あるいは心臓を〝冷却すること〟を選択した。
(……しょうきょ、する……しょきょ、す……る…………)
斑鳩は、機械だ。
不必要な〝感情〟は、いつでも斬り捨てることのできる〝生き物〟だ。
この蒼穹で初めて感じた【焦り?】や【不安?】などは、戦闘行為には不必要だ。
――不要、だから、捨てた。
(I’M THINKER,HELL SINKER)
不要なものを、少女は、二度と手に入れない。
(GO)
冷ややかに、往くのみ。
凍える意思が〝進化〟する。【望まれるもの】に生まれ変わる。
(KILL THEM ALL)
尾翼から、銀河を一閃するかの如く。光の粒子が伸びた。
鋭く。
これまで以上に鋭く、加速する。
全身全霊、鋼の一片に至るまで、加速。
比類なき銀の霊鳥が。
【空の王】を、墜としにかかる。
「マズイ」
『え?』
飛翔しながら、鳴海は、空に漂う微細な変化を感じ取った。
回避軌道を取る最中、追いかけてくる榴弾のそれぞれに、変化が生じる。
「オペレーター、気をつけろ。敵の速度が変化した」
『えっ! もしかして、また迅速く!?』
「いや、逆だ。ゆるやかに、無駄がなくなった」
『ふぇ? ……えぇと、遅くなったら、避けやすくていいんじゃないですか?』
「では質問しよう。我々は、時間差異を利用して『盾』を設置していたな? 相手の速度がズレると、どうなると想う」
『あ』
――不発。
時間差異で発動した電磁波の値。
なにもない蒼穹で空しく拡散した直後、火薬をたっぷり詰め込んだミサイルが、まるで意思を持ったように加速した。
「っ、回避する!」
『EXEC!』
心が一瞬、平静でなくなる。
鳴海は、地上と水平方向に向けて軌道をずらした。すると、自動追尾のミサイルは、これまではそのまま直進し、大きく円を描いたあと、上空から迫ってきたが、
「迅速い」
またしてもその途中で減速し、最少の輪を描いて翻り、斜めから追尾する形に変わる。
ミサイルの総数は減っていたが、一発一発の性能が、明らかに別物だった。結果、包囲網は小さく、密接に連携し、網の目を潜り抜ける隙間すら、与えない。
そして中には、一層輝く機影を持つ、斑鳩がいた。
「まさか……すべての攻撃を同時に操っているのか?」
『そ、それはさすがに無理ですよっ! ハッカーさんだって、おつむがパンクしちゃいますっ!』
「しかし、相手は、お前の予測を超えているみたいだぞ」
『へにょ!?』
他の数発が〝突然加速〟し、まだ余裕があったと想った場所から飛び込んできた。
『十二時と四時! 接触までコンマ8ッ!!!」
「くそ!」
さすがに悪態が飛び出す。危ういところで緊急回避に成功、したと想った次の瞬間だった。
――【Break_Out!】――
「なっ!?」
ミサイルが今度こそ間違いなく、自爆した。
直撃はしなかったものの、間近で爆ぜた鋼鉄製の破片と、高熱と、空気圧を歪ませる衝撃波が飛び出してくる。
『直撃の損傷予測・中破です!! 鳴海さん避けてっっ!!」
「っ! 黒雅ッ!」
自らの翼に命じる。機動力を捨てて強引に守備へと回す。
変換した防御値が、攻撃数値を防ぎきる。すぐに翼を移動形式に戻し、周囲を探査するも、
「……ち」
唯一に、この世界で有用な〝主勘〟が告げていた。
世界に対してではなく、彼女自身へ、告げていた。
「終わりだ。逃げ場がない」
『えっ!?』
「もって六秒だ、オペレーター」
これまで、幾多もの戦闘を繰りかえし、見えざる経験値を積み重ねてきた勘、感覚が告げていた。
「可能であれば策をくれ。でなければ、六秒後に〝私は死んでいる〟」
*
追い詰めた。今度こそ、獲物を捕らえた。
斑鳩は確信する。
――【check_mate】――
逃げ場は、すべて、ことごとく、虱潰した
下層の三次元空間を演算し、残った数少ない榴弾を、ありえない軌道でねじ曲げ、自らもまた超加速と超減速を繰り返し。そして、真後ろへの反転にも等しい旋回を伴い、追い詰めた。
斑鳩の前方には、どこへも行けなくなった。電装少女が見える。
(TARGET_LOCK)
狙い通り、相手はその場所に来た。来ざるを得なかった。
斑鳩が用意した、逃げ場のない局面。版面の上。
九もの緋翼を持つ敵種の【王】は、この時点で間違いなく〝詰んでいた〟。
(BYE-BYE。PLAYER)
全方位から榴弾をくれてやる。半数以上を、中心点に辿り着く前に自爆させる。
敵の王は、すべての方角から、破片と炎を飛び散らされ、完全に逃げ場を塞がれた。それでも無理やりに突っ切って来るなれば、その一点を狙い、機銃掃射で撃ち落せば確実だった。
「ッ!」
そして、相手は動いた。自らを守護せし翼の形状を変化させ、上空へ飛ぶ。
(GO!)
一秒に満たない余命。最後の仕上げ。斑鳩に忠実な破壊兵器が、一点を目指した。
最後に残った榴弾の数は、奇しくも敵の翼と同じ、計九体。
灼熱の煤煙を切り開き、盛大な花火を打ち上げんと、全方位より【的】を目指す。
「 黒雅ッ! 翼広げ、生まれ変われッ!! 」
【!!!! EXEC・MY・LORD !!!!】
――【RE_CODE!】――
九翼すべて。正八角形の『盾』に姿を変えた。全包囲へ対し、特別な電磁の層を産みだした。
半透明の論理盾が、塵に至るまで、皆等しく『結晶』へと還元する。
王に危害を加えるもの、あらゆる要素を跳ね退けるも、しかし、
――【Explosion!】――
盛大な死の喝采。榴弾がすべて、爆ぜわたる。
地獄の業火さながらに。灼熱の火花が真っ赤に広がり、酸素を喰らい尽くす。
すべての翼を防御に回さねば、被害【damage】は現実世界に還元され、赤城鳴海の肉体もまた、致命的な損傷を得ただろう。
――【Cybernetics_Machine_CODE.IKARUGA】――
あとは機銃を撃つのみ、というところで、自らの意識を「ヒト」に戻した。
暴力的な、力を解放した歓喜を得られるのは、その形式が最適だった。
(け し と 、 べ ぇ !)
すべてが数値で支配されている、電糸世界。
この世界のあらゆる原理は、相対性の【属性】にて破られる。
すなわち、【攻撃】と【防御】。
校舎の一角を吹き飛ばした、斑鳩の前面機銃が乱舞する。
(ほ え 、 ろ っ !)
――【!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!】――
徹底的に、撃つ。
もはや動けない【的】たる一点に向かい、容赦の一欠片もない、徹底的な弾幕を見舞った。
見舞って、見舞って、見舞って、見舞って、見舞って、見舞って、吹き荒れる。
超余過剰と化したエネルギーが、暴風を生んだ。
高度五千メートルの一点より、それは臨界点を超え、滅茶苦茶に吹き荒れた。
(あははは! あはははは!!)
逆巻きの流星群のように。最少の『結晶』が大気圏外を目指し上昇する。
拡散する。拡散する。拡散する。
拡散する。拡散する。拡散する。
(は、あはっ! あははっ! あははははははっ!!)
斑鳩は、天真爛漫に笑った。
台風の日に。大雨の中で。傘をさして。無邪気に笑う子供の様に。
(みた? みた? ひかる! おーとーして! ねぇ! ひかる! ひかるっ!)
『――はいはい。見てたわよ」
(ひかる!)
斑鳩は無邪気に言った。
(いかる、やったよ! かったよ!)
『派手にやったわね』
(えへへ! いかる! てき! げきつい! げきつい! えらい? えらい?)
『ご苦労様。でも、まだ、残ってるみたいよ?』
(うん! まっててね! あそこのも、すぐにやっつけて、おうちかえるね!)
ぐるん、と翼を翻す。
もう一人の、剣を手にした電装少女の下へ向かおうとした。相手は、やや驚いた顔を浮かべ、こちらに振り返っていた。
(よーし!)と、斑鳩は元気いっぱいに、飛び込んでいこうとした。
――ピ。
電糸音が鳴った。
(…………?)
斑鳩は、ほんの一瞬、加速しかけて、停止した。
なんだろう、と意識を回した。
正体は、すぐに知れた。
―― 標 的 認 証 【Target_LOCK!】 。
(…………え)
『鋼の鳥』の全身が、必要以上に、冷えきった。
気持ち良くて、快適で、たまらないはずの蒼穹なのに。
初めて、ぞっと。した。
鋼の一欠片に至るまで、身震いした。
(………………え?)
これは、なんだろう。
わからない。でもわかる。
これはいけない。これは、さいこうに、よくない。
今まで斬り捨ててきた【感情】の中でも、とびきりに、いけない。
もっとも、戦いにあってはならないものだ。
(しょ、う)
「 遅 い ッ ! ! 」
激烈な、九つの光がやってきた。
――【EXCUTION】――
幾重にも重なった爆炎を、内側から消し飛ばす閃光。
咆哮轟く、灼光色の超電磁【Railgun!!】
追いつめる。喉元へ食らいつく。一瞬で。
(!!!)
斑鳩は、ミリ一秒に満たぬ時間で考察し、結論を出した。
解答:時間差異【Time_CODE.lag】による、空間と時間の〝ねじれ〟。
補足:敵は、最初から逃げようとは思っていなかった。
補足2:敵は、黒雅の形状を変化させてもいなかった。
補足3:否、その行動は確かに〝実行させた〟が――
『――時間差異の生成に成功しました。電糸世界の構造変化の限界、ジャスト三秒です!
〝未来に対するプレイヤー01の先読み行動〟そのものを
次元演算で〝ねじ曲げてやりましたっ〟!!』
補足4:そう。彼女は。
これから先の【行動】を〝仮数(X)とみなし、無効化【cancel】〟し、自らの【行動(あるいは時間と呼ぶ一次元上の点)】を、三秒前の〝座標〟に巻き戻した。
しかし、たったの三秒だ。
仮に直撃はせずとも、盛大に吹き荒れ、持続的な効果を持つ【爆炎】の衝撃波が、たったの三秒で収まったはずはない。敵も無傷であろうはずがなかった。
(…………なんで……?)
その証拠に、爆風の中から現れた赤城鳴海の顔、両手、両足には、燻る火傷の跡が広がっていた。ただ制服だけは〝鳴海の一部〟ではないので、即座に真新しい物に再生していたが、それ故に、彼女の傷跡は目立った。
もし、斑鳩が、鳴海の取った『巻き戻し』の行動すら予測し、弾幕を広範囲に散らしていれば、彼女は間違いなく致命的損傷を得て、現実へと強制帰還しただろう。
(……ねぇ、なんで。なの……?)
しかし、結果として斑鳩は読み違えた。
詰んだぞと思って、勝利を確信して、身を翻してしまった。そして、
(……いかる、まけた、の……?)
相手に、魔法【spell_CODE】を唱える時間を、与えてしまっていた。
「――世界を知る我、命ず。此処に、新たな【式】を顕現する。
【真】なるは【真】。
【偽】なるも【真】。
――属性付与【Enchant】――
「我が銃口より放たれる雷は、光に等しく蒼穹を駆ける。
電糸世界の、ありとあらゆる概念要素へ至り、全構造に【必的】する!」
――魔法【spell_CODE】――
「さぁ、奔れ! 穿って貫けッ!
何者よりも迅速くッ!! ただ、迅速くッ!!!
ありとあらゆる構造体、世界のすべてを飲み干し喰らい尽くせッ!!」
――【!!!! NO ! REFUGE !!!!】――
〝【逃げ場なし】〟〝【災厄より逃れる術はなし】〟
緋色の閃光が散華する。
『鋼の鳥』の頭部に二筋。
『鋼の鳥』の左翼に二筋。
『鋼の鳥』の右翼に二筋。
『鋼の鳥』の尾翼に一筋。
『鋼の鳥』のすべてを穿ち。
超光速で貫き、消し、飛ばした。
【Time_Re_CODE】????????
【place_CODE】????????
少女の口から、水銀色の血塊が飛び出した。
「ぁ・・ッ!」
細い体躯が跳ね、全身が痙攣する。
「あっ、う、ア、やああああああああああぁっ!!?」
色白い、不健康にも近い両手足の一部に穴が開く。そこからあふれ出したの血液もまた、同じ色だった。
「いぅっ!? い、いア、い、ぅっ、いッッ!?」
「限界ね、とらこちゃん」
「あいあい」
運転席に座っていた虎子が身を乗り出す。車内の扉の前に屈み、設置されていた接続口より、斑鳩の尻尾【plag_CODE】を取り外した。
「あ、あぅ、うぁあうううぅっ!!」
深紅の瞳が開かれる。ぽろぽろと、水銀色の涙をこぼす。
「いたいっ、いぅいっ、! いたいいだいだあい!!」
「斑鳩、じっとして。痛いのすぐに消しますからね」
女性が上体を落とす。膝に乗せた斑鳩をすこし抱え、口付けた。
『………………』
とくん、とくん、とくん。
心臓が音を奏でる。口付けている間、斑鳩の傷はゆっくりと再生していった。両手足に穿たれた傷を閉じ、痙攣は次第に収まっていく。
唇を離すと、斑鳩の喉にはりついていた血痕が最後に垂れる。それは、車内の柔らかい座席に広がりかけたが、淡く発光し、消えてしまった。
「ひかう……」
「斑鳩、大丈夫?」
「うん……も、っか、い」
「あら?」
「もっかい、いく、の! いかる、おそら、いく!」
斑鳩が起きあがった。自分の尻尾【plag_CODE】を乱暴につかんで、虎子の側に近寄った。
「とら! どいて!」
「退かないよ。虎子お姉さんからの忠告。いかちゃん、それじゃまた、命【LIFE】を無駄にするよ?」
「う、るさい! つぎ、まけな、い! いかる、まけない!」
斑鳩が両手を突き出して、虎子を押しのけようとする。しかし虎子はそんな細腕ではまったく動じず、むしろ「ククク」と笑って、胸に下げた写真機で一枚、撮った。
「いいねいいねぇ~! ほぉら、そのお顔をもっと、この虎子さんに見せてごらぁん!!」
「あらあらうふふ。とらこちゃんったら、マジ外道」
「とら、じゃま! じゃまぁっ!!」
「そうですとも! 虎子さんは皆の邪魔をするのが生きがいなのさぁ!! フーハハハハハ!!」
「ばかぁー! とらのばかあぁー!」
ぶんぶん(暴)。
斑鳩が両手をぐるぐる振り回す。遠心力を伴ったそれは中々の威力を発揮する。が、いかんせん幼女の細腕だ。ぱしっ、と、
「ククク、幼女生け捕ったりぃ~!」
あっさりと手首を掴まれ、そのままぐるりと半回転。ぎゅむ(抱)。
「ほら、いかちゃん。今日のところはあきらめな。そろそろ防壁が突破されて、こっちの人認識も撮られちゃうしね。潮時、逃げ時の大チャンスだよ」
「でも、まだ、やれる、もんっ! いかる、まだ、たたか、え……」
言いかけた時、斑鳩がまた呻いた。うえ……、と。またしても血を吐きこぼす。消失せず、ソファーの上に沁みとして広がった。
「う、、う、ぁ、う……」
「斑鳩、暴れちゃダメよ」
その様子を見て、女性が近づく。後ろから抱きしめられている斑鳩の頭を、優しくなでた。
「吹き込んだ命【LIFE】が、まだ上手に定着してないんだから。おとなしくしてないと、また〝死んでしまう〟わよ」
「う、ぅぅぅぅ!」
「今回は、貴女の負け。認めないとダメよね」
「つぎ……! つぎ、やった、ら、いかる、かつ、よ!」
「ふふ。悔しい?」
艶やかな笑みが広がる。両手が斑鳩の頬にかかり、ほんの少し上向けさせた。視線が交差する。斑鳩は、女性の瞳の中に写った自らに対して問いかけた。
「く、やし、って、なに?」
「それはね。貴女が絶対の自信を持っていた、蒼穹で敗北したという事実。それを認めたくないと感じている想い。そういうのを、ヒトは、悔しいと呼ぶのよ」
「……ひかる!」
涙を零しながら、斑鳩は問いかける。
「いかる、ね! くやし、い! すごい、すごい、くやしいっ!! どう、すれば、もっと、はやく、なれる、の!? どう、すれば、かてる、の!?」
「忘れないことよ」
「え?」
「正しく、怒りにとらわれず、届かなかったという想いを忘れないこと。忘れずに、純粋に昇華させるの。わかる?」
「わかん、ない! むずかし!」
「敵を知り己を知れば、またなんとやら。だよねぇ♪」
「うふふ。とらこちゃんのは、ものすごく方向性が捻じ曲がってるから、参考にしないほうがいいわよ」
「うん! しない! いかる、とら、キライ、もん!」
「おぉ、素晴らしい! 虎子さんはっ! 自分を絶好調に嫌ってくれるいかちゃんの事が、大好きだあぁぁーっ!!」
ぎゅーっとして、すりすり(頬摺り)。
斑鳩が苦しげに「ぐげ」と鳴いた。
【place_CODE】????????
少女の口から、水銀色の血塊が飛び出した。
「ぁ・・ッ!」
細い体躯が跳ね、全身が痙攣する。
「あっ、う、ア、やああああああああああぁっ!!?」
色白い、不健康にも近い両手足の一部に穴が開く。そこからあふれ出したの血液もまた、同じ色だった。
「いぅっ!? い、いア、い、ぅっ、いッッ!?」
「限界ね、とらこちゃん」
「あいあい」
運転席に座っていた虎子が身を乗り出す。車内の扉の前に屈み、設置されていた接続口より、斑鳩の尻尾【plag_CODE】を取り外した。
「あ、あぅ、うぁあうううぅっ!!」
深紅の瞳が開かれる。ぽろぽろと、水銀色の涙をこぼす。
「いたいっ、いぅいっ、! いたいいだいだあい!!」
「斑鳩、じっとして。痛いのすぐに消しますからね」
女性が上体を落とす。膝に乗せた斑鳩をすこし抱え、口付けた。
『………………』
とくん、とくん、とくん。
心臓が音を奏でる。口付けている間、斑鳩の傷はゆっくりと再生していった。両手足に穿たれた傷を閉じ、痙攣は次第に収まっていく。
唇を離すと、斑鳩の喉にはりついていた血痕が最後に垂れる。それは、車内の柔らかい座席に広がりかけたが、淡く発光し、消えてしまった。
「ひかう……」
「斑鳩、大丈夫?」
「うん……も、っか、い」
「あら?」
「もっかい、いく、の! いかる、おそら、いく!」
斑鳩が起きあがった。自分の尻尾【plag_CODE】を乱暴につかんで、虎子の側に近寄った。
「とら! どいて!」
「退かないよ。虎子お姉さんからの忠告。いかちゃん、それじゃまた、命【LIFE】を無駄にするよ?」
「う、るさい! つぎ、まけな、い! いかる、まけない!」
斑鳩が両手を突き出して、虎子を押しのけようとする。しかし虎子はそんな細腕ではまったく動じず、むしろ「ククク」と笑って、胸に下げた写真機で一枚、撮った。
「いいねいいねぇ~! ほぉら、そのお顔をもっと、この虎子さんに見せてごらぁん!!」
「あらあらうふふ。とらこちゃんったら、マジ外道」
「とら、じゃま! じゃまぁっ!!」
「そうですとも! 虎子さんは皆の邪魔をするのが生きがいなのさぁ!! フーハハハハハ!!」
「ばかぁー! とらのばかあぁー!」
ぶんぶん(暴)。
斑鳩が両手をぐるぐる振り回す。遠心力を伴ったそれは中々の威力を発揮する。が、いかんせん幼女の細腕だ。ぱしっ、と、
「ククク、幼女生け捕ったりぃ~!」
あっさりと手首を掴まれ、そのままぐるりと半回転。ぎゅむ(抱)。
「ほら、いかちゃん。今日のところはあきらめな。そろそろ防壁が突破されて、こっちの人認識も撮られちゃうしね。潮時、逃げ時の大チャンスだよ」
「でも、まだ、やれる、もんっ! いかる、まだ、たたか、え……」
言いかけた時、斑鳩がまた呻いた。うえ……、と。またしても血を吐きこぼす。消失せず、ソファーの上に沁みとして広がった。
「う、、う、ぁ、う……」
「斑鳩、暴れちゃダメよ」
その様子を見て、女性が近づく。後ろから抱きしめられている斑鳩の頭を、優しくなでた。
「吹き込んだ命【LIFE】が、まだ上手に定着してないんだから。おとなしくしてないと、また〝死んでしまう〟わよ」
「う、ぅぅぅぅ!」
「今回は、貴女の負け。認めないとダメよね」
「つぎ……! つぎ、やった、ら、いかる、かつ、よ!」
「ふふ。悔しい?」
艶やかな笑みが広がる。両手が斑鳩の頬にかかり、ほんの少し上向けさせた。視線が交差する。斑鳩は、女性の瞳の中に写った自らに対して問いかけた。
「く、やし、って、なに?」
「それはね。貴女が絶対の自信を持っていた、蒼穹で敗北したという事実。それを認めたくないと感じている想い。そういうのを、ヒトは、悔しいと呼ぶのよ」
「……ひかる!」
涙を零しながら、斑鳩は問いかける。
「いかる、ね! くやし、い! すごい、すごい、くやしいっ!! どう、すれば、もっと、はやく、なれる、の!? どう、すれば、かてる、の!?」
「忘れないことよ」
「え?」
「正しく、怒りにとらわれず、届かなかったという想いを忘れないこと。忘れずに、純粋に昇華させるの。わかる?」
「わかん、ない! むずかし!」
「敵を知り己を知れば、またなんとやら。だよねぇ♪」
「うふふ。とらこちゃんのは、ものすごく方向性が捻じ曲がってるから、参考にしないほうがいいわよ」
「うん! しない! いかる、とら、キライ、もん!」
「おぉ、素晴らしい! 虎子さんはっ! 自分を絶好調に嫌ってくれるいかちゃんの事が、大好きだあぁぁーっ!!」
ぎゅーっとして、すりすり(頬摺り)。
斑鳩が苦しげに「ぐげ」と鳴いた。
【Time_Re_CODE】四月六日、午後十三時五十六分。
【Place_CODE】伊播磨市、学園上空五千メートル。
『オペレーターより、プレイヤーへ。敵構造体、電糸世界より完全に消滅した模様です。あの……お怪我のほうは、大丈夫ですか』
「この程度なら問題ない。ゆりかごの再生機構で修復可能だ」
さして気にせず言ったあと、鳴海は空域の向こうから飛んでくる沙夜を見た。
「悪かったな02.手柄を譲ると言っておきながら、こちらで撃墜してしまった」
「……構いませんよ」
ひゅん、と風を切って、青い翼を持つ彼女は佇んだ。
「それよりも、如何されるおつもりですかね?」
言葉の意図するところに気づき、鳴海は平然と応えた。
「地上に降りて、決闘【Duel】の再開といくか」
「どうせなら、この場でやりません?」
「【武装】したままでか?」
「無論です」
沙夜もまた、相手が傷を負ったからといって、容赦する気などないらしい。にこりと笑って【五月雨】に手を置いた。
「正直、先ほどの戦闘は見事でした」
「それはどうも」
「私の目では、捉えることすら適わない勢いでした。……ですが」
上体低く。空中でぴたりと静止する。眼差し鋭く、構えを取った。
居合い抜刀の構え。
「……赤城さんの【黒雅】に、常識外の能力がある様に。私の【五月雨】にも魔法があります。それが――」
沙夜が両目を閉じた。
「――世界を知る我、命じます。此処に、新たな【式】を顕現します」
【真】は【虚】。
【偽】は【ゆらぎ】。
――属性付与【Enchant】――
「我が剣閃より放たれる斬撃は、実感覚を伴わぬ故、蒼穹を駆ける。
電糸世界の、ありとあらゆる概念要素へ至り、全構造に【到達】する!」
――距離不透明【distance_CODE.ERROR】――
刀の鯉口を勢いよく、翻した。すると瞬間、風が舞った。
鳴海の前髪が数本だけ揺れる。そして途切れ、泡沫のような結晶になって消えていく。
「如何です?」
沙夜が眼を開き、にっこり笑った。
「ご覧のとおり。私たちの主観がこの世界に影響しないのであれば。元から〝目を閉ざし、主観を消してしまえばいい〟。
そうすれば、命題的に私の【五月雨】の刀身は不透明だと定義されます。同時に【斬撃】の範囲もまた、一メートルだろうが、一万キロメールだろうが。剣の水平軌道上であれば、それは事実上【真】なのです」
「たいした魔法【spell_CODE】だ。どこぞの毒ガスの箱に入った、猫の生死を問うような謎かけだな」
「えぇ、常識的に考えれば、これは【偽】です。しかし、現実の文脈(text)を構造化【CODE】されている以上、この世界は〝屁理屈〟が効きます。なにより私は〝見えない感覚〟を知っていますし、そちらの方が〝馴染み深い〟ので」
もう一度、刀を鞘に戻し、居合い抜刀の構え。
「よって、私に従来概念での間合いや、迅速さなど、あまり関係ありませんので」
目を閉ざす。
空気がひりつく。
「この一刀、射抜けば、終わりです」
「……試してみたいのか? 私の【必的】と、どちらが迅速いかを」
「えぇ。ついでに赤城さんの矜持とか大切な物も、すべて貰っていきますので。ご容赦を」
「その言葉、そっくり返してやる」
「ふふ。それでは、推して参りますね」
「こい」
――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ(震え声)。
電糸世界の空気が、電装少女たちの剣呑な雰囲気に畏れ慄いた。「こりゃ邪魔しちゃいかんよね」と、そそくさと撤退を考えたその時である。
「もぉ~! ちょっとぉ、なにやってんのよ! 二人ともっ!!」
――パッリーン☆(空気崩壊)
半透明の窓が開く。地上の屋上から、ぷんすか、もーもー、牛の怒った声がやってきた。
『はーい! こちら頼れるお姉さんよ~、二人ともちょっといいかげんに、』
「黒雅、強制切断しろ」【NOT_EXEC】
「五月雨、音量消して」【不可】
『ちょっとこぉらああぁ!! いきなり通信切断しようとするなぁっ!! っていうか、武装化したままで、模擬戦なんて認められるわけないでしょ!!』
「模擬戦じゃない、真剣勝負だ。牛は黙っていてくれ」
「そうです。ちょっとは空気を見習ってください」
『私、正論言ってるのにこの扱い!? っていうか、空気を見習えってすごくひどくない!? ほんと対象ハッカーの逆探知に成功した頼れるお姉さんを褒めなさいよぉ~~!!」
「そうか。どこにいたんだ」
「軽っ!! うっうっ、ナルミのバカァ……伊播磨市の北方面【Aria12】にある天帝ホテル。たぶん、発信源は地下の駐車場から」
「またずいぶんと豪勢な場所から侵入されたものだな」
「一流ホテルですね。統合企業・序列第一位『天宮』の名義でしたか」
『そーそー、たった今、エリスから学園の上に連絡を入れてもらったから。すぐに警備部隊も動くわ。
犯人は、電糸世界の領域不法侵入を含めて。いろいろ刑罰を受けるんでしょうけど。ともかく、過去に侵入なんてされたことのない『学園』側の指令室の方は、もう大慌てみたいよ。そんなわけで、お祭り騒ぎはおしまい。二人とも、素直に回断【EXIT】してよね。出ないと本気で止めにいくわよ』
フィノの言葉に、二人はお互いの顔を見合わせた。
「仕方ない。決着はまた日を改めて、だな」
「そうですね。では今しばらく、姫君はそちらに預けておきましょうか」
「元から、彼女は私の大切な相手【partner】だ。誰にも譲る気はない」
鳴海がひとつ嘆息して、左手を振って、黒雅を通常の形式に戻した。
「オペレーター、帰還用の扉【gateway】を構築してくれ。プレイヤー01、これより浮上する」
『は、はいっ、あっ、あの、えと、そのぅ……』
「なんだ、どうした?」
『……その、これは私事で恐縮なんですが~……』
「うん?」
『さっきまでの通信、聞こえてたわけなんですが……次はちゃんと、そゆこと面と向かって言ってくれると。とっても嬉しいなって、安心しますので……』
「……なにを」
『あのっ! 私もっ、鳴海さんがが一番大切な……! あっ、すいませんっ! 先生が怒ってますので、扉を開きますねっ!』
通信が一時、途絶える。
鳴海はそれからしばし待ち、次第にはらはらと。最小の『結晶』素体へうつろいゆく。最中で。
「赤城さん、顔まっかですよ」
「うるさいな」
その顔を隠すように手で覆い。
ふい、と視線を逸らし、元の世界へと浮上した。
*
【Time_Re_CODE】四月六日、午後十六時二十一分。
【Place_CODE】伊播磨市・北区・天帝ホテル上層部・室内
「ねぇ、ひかる」
「なぁに?」
「いかる、まだ、くやしい、の」
「大丈夫よ。今日はゆっくり、休みなさい」
「ん……。でも、まけたら、はいき、だよね?」
「……いいえ」
「あのね。この、もやもや、したの、すてた、ほうが、つよく、なれると、おもうの」
「そう思う?」
「うん。こっち、のがね、こうりつ、いい」
斑鳩が問う。
効率良く、最大限に強く在るべきかと。彼女に問いかけて。
「いいえ」
両腕が伸びた。小さな身体を強く抱きしめる。
「ひかる?」
「ごめんね。斑鳩」
「ん? なんで? ぎゅって、するの?」
「こうしたかったから」
振ってくる声は優しく、虚飾のない慈愛に満ちていた。
ただ、それを受け取る少女の側は、その意味がわからないとばかりに、緋色の瞳を瞬きし、こほっ、けほっ、軽く咳き込んだあと。
「……えへ……」
間の抜けた笑みを浮かべて。
眠りに落ちた。
【closing chapter 2】
【Place_CODE】伊播磨市、学園上空五千メートル。
『オペレーターより、プレイヤーへ。敵構造体、電糸世界より完全に消滅した模様です。あの……お怪我のほうは、大丈夫ですか』
「この程度なら問題ない。ゆりかごの再生機構で修復可能だ」
さして気にせず言ったあと、鳴海は空域の向こうから飛んでくる沙夜を見た。
「悪かったな02.手柄を譲ると言っておきながら、こちらで撃墜してしまった」
「……構いませんよ」
ひゅん、と風を切って、青い翼を持つ彼女は佇んだ。
「それよりも、如何されるおつもりですかね?」
言葉の意図するところに気づき、鳴海は平然と応えた。
「地上に降りて、決闘【Duel】の再開といくか」
「どうせなら、この場でやりません?」
「【武装】したままでか?」
「無論です」
沙夜もまた、相手が傷を負ったからといって、容赦する気などないらしい。にこりと笑って【五月雨】に手を置いた。
「正直、先ほどの戦闘は見事でした」
「それはどうも」
「私の目では、捉えることすら適わない勢いでした。……ですが」
上体低く。空中でぴたりと静止する。眼差し鋭く、構えを取った。
居合い抜刀の構え。
「……赤城さんの【黒雅】に、常識外の能力がある様に。私の【五月雨】にも魔法があります。それが――」
沙夜が両目を閉じた。
「――世界を知る我、命じます。此処に、新たな【式】を顕現します」
【真】は【虚】。
【偽】は【ゆらぎ】。
――属性付与【Enchant】――
「我が剣閃より放たれる斬撃は、実感覚を伴わぬ故、蒼穹を駆ける。
電糸世界の、ありとあらゆる概念要素へ至り、全構造に【到達】する!」
――距離不透明【distance_CODE.ERROR】――
刀の鯉口を勢いよく、翻した。すると瞬間、風が舞った。
鳴海の前髪が数本だけ揺れる。そして途切れ、泡沫のような結晶になって消えていく。
「如何です?」
沙夜が眼を開き、にっこり笑った。
「ご覧のとおり。私たちの主観がこの世界に影響しないのであれば。元から〝目を閉ざし、主観を消してしまえばいい〟。
そうすれば、命題的に私の【五月雨】の刀身は不透明だと定義されます。同時に【斬撃】の範囲もまた、一メートルだろうが、一万キロメールだろうが。剣の水平軌道上であれば、それは事実上【真】なのです」
「たいした魔法【spell_CODE】だ。どこぞの毒ガスの箱に入った、猫の生死を問うような謎かけだな」
「えぇ、常識的に考えれば、これは【偽】です。しかし、現実の文脈(text)を構造化【CODE】されている以上、この世界は〝屁理屈〟が効きます。なにより私は〝見えない感覚〟を知っていますし、そちらの方が〝馴染み深い〟ので」
もう一度、刀を鞘に戻し、居合い抜刀の構え。
「よって、私に従来概念での間合いや、迅速さなど、あまり関係ありませんので」
目を閉ざす。
空気がひりつく。
「この一刀、射抜けば、終わりです」
「……試してみたいのか? 私の【必的】と、どちらが迅速いかを」
「えぇ。ついでに赤城さんの矜持とか大切な物も、すべて貰っていきますので。ご容赦を」
「その言葉、そっくり返してやる」
「ふふ。それでは、推して参りますね」
「こい」
――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ(震え声)。
電糸世界の空気が、電装少女たちの剣呑な雰囲気に畏れ慄いた。「こりゃ邪魔しちゃいかんよね」と、そそくさと撤退を考えたその時である。
「もぉ~! ちょっとぉ、なにやってんのよ! 二人ともっ!!」
――パッリーン☆(空気崩壊)
半透明の窓が開く。地上の屋上から、ぷんすか、もーもー、牛の怒った声がやってきた。
『はーい! こちら頼れるお姉さんよ~、二人ともちょっといいかげんに、』
「黒雅、強制切断しろ」【NOT_EXEC】
「五月雨、音量消して」【不可】
『ちょっとこぉらああぁ!! いきなり通信切断しようとするなぁっ!! っていうか、武装化したままで、模擬戦なんて認められるわけないでしょ!!』
「模擬戦じゃない、真剣勝負だ。牛は黙っていてくれ」
「そうです。ちょっとは空気を見習ってください」
『私、正論言ってるのにこの扱い!? っていうか、空気を見習えってすごくひどくない!? ほんと対象ハッカーの逆探知に成功した頼れるお姉さんを褒めなさいよぉ~~!!」
「そうか。どこにいたんだ」
「軽っ!! うっうっ、ナルミのバカァ……伊播磨市の北方面【Aria12】にある天帝ホテル。たぶん、発信源は地下の駐車場から」
「またずいぶんと豪勢な場所から侵入されたものだな」
「一流ホテルですね。統合企業・序列第一位『天宮』の名義でしたか」
『そーそー、たった今、エリスから学園の上に連絡を入れてもらったから。すぐに警備部隊も動くわ。
犯人は、電糸世界の領域不法侵入を含めて。いろいろ刑罰を受けるんでしょうけど。ともかく、過去に侵入なんてされたことのない『学園』側の指令室の方は、もう大慌てみたいよ。そんなわけで、お祭り騒ぎはおしまい。二人とも、素直に回断【EXIT】してよね。出ないと本気で止めにいくわよ』
フィノの言葉に、二人はお互いの顔を見合わせた。
「仕方ない。決着はまた日を改めて、だな」
「そうですね。では今しばらく、姫君はそちらに預けておきましょうか」
「元から、彼女は私の大切な相手【partner】だ。誰にも譲る気はない」
鳴海がひとつ嘆息して、左手を振って、黒雅を通常の形式に戻した。
「オペレーター、帰還用の扉【gateway】を構築してくれ。プレイヤー01、これより浮上する」
『は、はいっ、あっ、あの、えと、そのぅ……』
「なんだ、どうした?」
『……その、これは私事で恐縮なんですが~……』
「うん?」
『さっきまでの通信、聞こえてたわけなんですが……次はちゃんと、そゆこと面と向かって言ってくれると。とっても嬉しいなって、安心しますので……』
「……なにを」
『あのっ! 私もっ、鳴海さんがが一番大切な……! あっ、すいませんっ! 先生が怒ってますので、扉を開きますねっ!』
通信が一時、途絶える。
鳴海はそれからしばし待ち、次第にはらはらと。最小の『結晶』素体へうつろいゆく。最中で。
「赤城さん、顔まっかですよ」
「うるさいな」
その顔を隠すように手で覆い。
ふい、と視線を逸らし、元の世界へと浮上した。
*
【Time_Re_CODE】四月六日、午後十六時二十一分。
【Place_CODE】伊播磨市・北区・天帝ホテル上層部・室内
「ねぇ、ひかる」
「なぁに?」
「いかる、まだ、くやしい、の」
「大丈夫よ。今日はゆっくり、休みなさい」
「ん……。でも、まけたら、はいき、だよね?」
「……いいえ」
「あのね。この、もやもや、したの、すてた、ほうが、つよく、なれると、おもうの」
「そう思う?」
「うん。こっち、のがね、こうりつ、いい」
斑鳩が問う。
効率良く、最大限に強く在るべきかと。彼女に問いかけて。
「いいえ」
両腕が伸びた。小さな身体を強く抱きしめる。
「ひかる?」
「ごめんね。斑鳩」
「ん? なんで? ぎゅって、するの?」
「こうしたかったから」
振ってくる声は優しく、虚飾のない慈愛に満ちていた。
ただ、それを受け取る少女の側は、その意味がわからないとばかりに、緋色の瞳を瞬きし、こほっ、けほっ、軽く咳き込んだあと。
「……えへ……」
間の抜けた笑みを浮かべて。
眠りに落ちた。
【closing chapter 2】