勇者に選出されて王様に呼び出されるのはこれで五度目である。
「アラン、早く起きなさい。私の可愛い息子、アランや」
素晴らしい快晴だった。窓から差し込む日差しは強く、街を柔らかく彩る。僕はそんな風景を、コーヒーを飲んで静かに眺めていた。振り返れば痴呆の母がベッドに向かってなにやら独り言を唱えている。ちなみにアランとは近所の猫の名前である。もはや息子の名前すらまともに把握していない。
「お城、行くかな」
僕は立ち上がるとぐっと伸びをし、身支度を整えた。
「じゃあ母さん、行ってくるから」
「アラン、いつまで寝ているの、アランや」
「……」
歩く街はいつもと変わりない。平穏そのもの。
「勇者じゃないか。なんだ、また魔王でも倒しに行くのか」
歩いていると近所のおじさんが声をかけてきた。こやつ、いつもこの辺りを無意味に往復している気がするが他にやることはないのだろうか。
「ええ、なんか魔王復活したみたいですよ。テレビで報道してました」
「そりゃあ本当かい」
「割とマジですね」
「そうか、今度ツーリングする予定なんだけどなぁ。まずいなぁ」
結構深刻な話なのにシリアス性が一切付随しないのはどういう事か。
街の中央道路をずっと進むと深い川堀に囲まれて大きな城がある。城へは渡橋を通る。いざとなったら引き上げられるようになっているこの橋は何人乗っても耐えられると評判の頑丈な造りであり、重すぎて城の兵士を総動員しても引き上げる事はおよそ不可能である。
橋を渡りきるとそこが城。ヨーロッパ時代の古城を思わせる閑静な雰囲気があり、この城の存在一つで街の景観はぐっと良くなっている。門に近づくと、警備服を着た門番が僕に挨拶をした。
「これはこれは勇者様、よくおいでなさいました」
「一ヶ月ぶりぐらいですね」
多少嫌味を込めたつもりではあったが門番は「王様がお待ちです」と華麗に流した。
「扉を開きますゆえ、しばしお待ちを」
言うやいなや、巨大な門が音を立てて開きだす。この門は非常に強固で、開くのに五分はかかる。しかも騒音が物凄いため以前近所から苦情が来たこともあるくらいだ。ちなみにその苦情は和解金と言う形でもみ消された。
待つのも面倒なので僕は門の横に作られている従業員用の通用口から中に入った。無用の長物とは正にこの事を言う。
中に入ってだだっ広い階段をひたすら上っていくと、大広間へと出た。レッドカーペットが長く続く部屋の一番奥、ふかふかの椅子に座るヒゲもじゃの赤いガウンを羽織った男性が一人。
王様である。
「勇者よ、よくぞ参った」
「毎度言うけど急に呼ぶのやめてくださいよ」
「ごめん」しょぼくれるおっさん。
「魔王退治ですか」
「うむ。平和は長くは続かんかったのだ。有望な若者を何人もやったが皆帰ってくることはなかった。もはや我々が頼れるのはお前しかいないのだ。勇者よ」
「そりゃあ勇者は僕だけなんだから他の若者にはきついでしょう。何で行かせちゃったんですか」
「止めたのに勝手に行ってしまったのだ。野心がそうさせたのだろう。世界を救ったヒーローとして名を上げたいと考えた者達が次々とここに集ってパンク寸前だったのだ。皆武器を持っていたから街の治安とかもやばかった。たぶん無理だろうとか思いながら『魔王を倒した者には消えることのない名誉を与える』とか言ったらみんな張り切って行っちゃった」
てへへへと王様は頭をかく。五十過ぎたオッサンの照れた顔はたいそう醜かったそうな。ヒゲをむしりたい。
「今回も僕が魔王を倒せば良いわけですね」
「うむ。お前なら余裕だろう。ヒットポイントはいくらだ」
「九万です。ちなみに防御力は布の服を装備して九億です」強くなりすぎた。
「うむ、余裕だな。どうだ、たまには勇者だけでなくほかの職業、そうだな……戦士や魔法使いなどもたしなんでみては」
「もう一通りこなしました。大体マスターしてます」
「さすがだな」
「四回も世界救ってますから。とにかく、今回も母の介護をお願いします」
旅に出ている間、母の面倒は城で見てくれる。勇者の特権である。この程度の特権である。
僕の言葉を聞いた王様は深く頷いた。
「うむ、私に任せておけ。それと部屋の外に旅の道具を用意しておいた。もっていくが良い」
「ありがとうございます」
僕は一礼すると部屋を後にした。王様に初めて会った時は緊張してまともに言葉も出なかったが、現在においては緊張など存在しない。親戚のおじさんくらいの扱いである。
広間を出るとこれ見よがしに豪華な造りの宝箱が置かれていた。王様の言っていた道具とはこの中にあるのだろう。
「勇者様、どうぞお持ちください」
宝箱の番をしていたらしい兵が言う。どうやら見送りは彼一人らしい。最初の討伐の時など、王様はもちろん大臣や街の人々まで多くの人たちが募ったものだが。五度目となるとこんなもんか。
僕はそっと溜息をつくと、兵士に向かって頭を下げた。
「母をお願いします」
「ええ。安心してください。勇者様の母君、きっと王様が大切に扱ってくれるでしょう。二人とも仲がよろしいので」
「仲が良い? うちの母、痴呆で息子と猫の名前すら間違えるくらいなのに」
すると彼は困惑した表情を浮かべた。
「そうは見えませんでしたが……。いつもお城に来てからは王様とおしゃべりしたり、本を読んだり、家事をこなしたり、およそ我々より溌剌とされていますので」
「……」
僕はこの瞬間、母が城に行きたいが為にボケたフリをしている事を悟った。そして着実に王様をモノにしようとしていると言う事も。
「世界が滅びるのもありだな……」
呟きながら宝箱を開く。中には二ゴールド入っていた。目が点になる。隣にいる兵士も。
「これだけですか」
「みたいですね」
「前回持って帰ってきた装備とかはどうなったんですか」
「国の財政が苦しかったので王様が質に入れられまして。国家崩壊は免れました」
「マジか……」どんな国政してんだ。
まさか素手と布の服と二ゴールドで旅に出る羽目になるとは。
ちなみに布の服と書かれていると貧乏臭いが、今僕が来ている服はパーカーにジーンズ、そしてスニーカーである。旅の鞄には小さめのリュックを使っている。最近流行のやつだ。ちなみにこの城にいる兵士は基本的に警備服を着ており、王様の部屋を守っている側近だけは黒スーツを着ている。SPと言う奴だろう。
「勇者様、その格好で旅に出られるのですか?」
「以前鎧着て戦ったら重過ぎてボコボコにされた事があるんですよ……」
関節が曲がらないのには苦労した。サイズって重要である。