ぼっち企画
まちがいさがし/新野辺のべる
AM5時55分。いつも通り6時ちょうどにセットした目覚ましより先回りして起きて、アラームを解除する。目覚ましをセットしなくても起きられるけど、習慣だからしょうがない。長い春休みが終わり、怖いくらい平和な日常の繰り返しが始まる。テレビのリモコンを取ろうと黒いテーブルの上に手を伸ばす。ふと指を止めて考える。寝ぼけているのか。昨日とリモコンの位置が違う気がする。気のせいなんかじゃない。俺はリモコンの定位置は決めている。テーブルの右手前の角を原点としてx座標-10cm、y座標5cmの位置にぴったりリモコンの右手前の角が重なるように。十年間それを続けたからテーブルの黒い色がリモコン置き場だけ色落ちしていない。だからリモコンの場所がx座標-12cm、y座標5cmの位置にずれていたことにすぐに気が付いた。
もしかしたら夜中に地震でもあったのかも知れない。テレビをつけてみたが、地震のニュースはなかった。そうだ。最近は携帯に緊急地震速報のエリアメールが届くようになったから、それで確認できるじゃないか。俺はべッドの奥のタンスの上の携帯の定位置に手を伸ばしたけど、そこにあったのは財布と腕時計と家の鍵だけだった。
結局携帯はべッドの下から出てきたけど、緊急地震速報どころかメールボックスの中身はからっぽだった。おかしいな。昨日来た前田からのメールがあったはずだけど。
さて、余計なことを気にして無駄な時間を過ごしてしまった。気を取り直して朝飯の支度に取り掛かる。支度といってもパンをトースターに入れるだけ。家電を少しずつ買い揃えるまではトーストで我慢しとこう。パンを焼いている間に紅茶を淹れる。カップをテーブルに運んでもまだトースターは鳴らない。
時間がもったいないからゴミを捨ててこよう。今日は資源ゴミの日だから、押入れに集めていたダンボールを出してしまおう。俺は押入れの引き戸を開けた。
無い。引っ越してきたときに、自分の私物を梱包していた大量のダンボールが無くなっている。母さんだな。まったく心配性なんだから。全部自分でやらなきゃ一人暮らしを始める意味がないじゃないか。
トースターはまだ鳴らない。俺は自分の予定が乱されることに耐えられない。予定通りにならないならこうすればいい。トースターがなる前に俺はパンを取り出した。それをくわえてテレビの前に座る。テレビからはニュースの合間の血液型占いのイントロが流れてくる。間に合った。
A型は普段とは違う新しい何かが起こりそうな予感。なかなか良いじゃん。俺は生温かいパンを一口かじった。別に占いを信じているわけじゃないが、これも習慣なんだ。
残りのまずいパンをコーヒーで胃袋に流し込んで、洗面台に向かう。鏡の前には頼りない細身の高校生が写っている。短髪の細面に三白眼、眉尻は細く下がり鼻は低い。への字に結ばれた口に歯ブラシをねじ込み、上下左右300回ずつブラッシング。コップ2杯分口をすすぐ。
男の着替えは誰得なのでここでは省くけど、制服に着替えているときに見つけた謎のあざの話だけはさせてくれ。右ひざのさらの端から内側に向かって指三本分ぐらいの幅の青あざが出来ていた。昨日着替えてるときには気が付かなかったから、昨夜から今朝にかけて出来たことになるけどまったく身に覚えが無い。知らないうちに怪我してるなんて初めてだ。さすがに俺は違和感を感じ始めていた。
ティーカップを洗い終わり、身だしなみを整えて家を出る。鍵を閉めようとしたときにまたおかしなことに気が付いた。鍵穴の周りに小さな細かい傷がたくさんついている。
もしかしたらこの家は空き巣に狙われているのかも知れない。そう考えているとだんだん一人暮らしが心細くなってきた。大家さんに頼んでアパートの鍵を二重に変えてもらおうか。
駅に向かって歩いてる間に、今朝起きた妙なことを整理する。場所の変わっていたテレビのリモコンと携帯電話、無くなったダンボール、覚えのないあざに鍵穴の周りの小さな傷。やはり寝ている間に空き巣に入られたのか。でも財布も通帳も印鑑も無事だった。なくなったものといえばダンボールだけだ。さすがにダンボールを盗む空き巣もいないだろ。
階段を上りホームに入る。くたびれたオッサン達が乗車口の前に並んでいる。そんなところに並んでも目の前にドアが来ないのに。俺はオッサン達が並んでいるところから1.5m程奥に一人立つ。この時間の電車には何回か乗って、運転手の癖まで把握している。減速が遅いのか必ず1.5m程奥にずれる。だがオッサン達を通り過ぎたドアが俺の目の前で停まって、悠々と電車に乗る至福の瞬間は訪れなかった。
電車はオッサン達の列の前に停まった。しょうがなしに最後尾について乗り込み、駅員に押されて満員電車に詰め込まれる。
どうにも腑に落ちない。いつもの運転手が今日に限って休みだったとしか思えない。それでもアナウンスの間延びした声はいつもの運転手の声だった。
電車を降りて学校に向かう。どうも朝から神経が磨り減ることばかりだ。今日から高校生活がスタートするのに浮かない気持ちになってどうする。てっきり反対されると思っていた一人暮らしも意外とすんなり認めてもらったじゃないか。なにも心配することはない。すべてはうまくいっている。
高校は駅から割りと近いので、5分も歩けば着いてしまった。校門をくぐると掲示板にでかでかとクラス割が張られている。ここで俺は今日一番のまちがいを見つける。
クラス割の中に俺の名前がない。1組にも2組にも3組にも4組にも5組にも6組にも。俺は本当に入試に合格できてたのか不安になってきて、校門の前で挨拶していた教頭と思しき人物に聞いてみた。
「長船君? 何いってるんだい。ちゃんと2年のクラス割に書いてあるじゃないか。」
確かに僕の名前は2年4組のほうに書かれている。おまけに同じ中学から受験した前田の奴の名前も入っている。こいつは何かのまちがいだ。
クイズ番組のまちがいさがしなら最も点数が低そうな大きなちがい。
俺は恐る恐る2年のクラスを覗いて見ると、皆何事も無いかのように各々の席に着いたり談笑している。今日がエイプリルフールだからって普通ここまでするか。
俺は疑いながらもの前の椅子に後ろ向きに座って話しかけた。
「よう。また同じクラスだな。一人暮らしはいーぞ。なんつったって誰にも邪魔されないし。今日なんて早速事件が起きたぜ。」
俺は今朝起こったことを面白おかしく脚色して話した。は何も答えないどころか相槌すら打たない。俺はさらに続けて話す。
「どこかの名探偵いわく、ありえない選択肢を消していって最後に残った方法がどんなに奇抜であってもそれが真実なんだって。俺も先人の言に従って、妄想力を遺憾なく発揮して今朝のことを推理してみた。犯人は女。しかもかなりの美人だ。まず道具を使って鍵をこじ開け、室内に侵入。万一俺が起きたとき通報されるとやっかいだから携帯をベッドの下に隠した。そして思う存分俺の体を弄んで肉欲を満たした後、罪悪感からかそっとダンボールを捨てて去っていく。ここで警察官が我が家に突入してくる。俺は彼女をかばって言う。待ってください。あの人は何も盗っていません。すると警官が答えるんだ。奴は一番大切なものを奪っていきました。それはあなたの童貞ですってな。
前田は何も答えないどころか相槌さえ打たない。話を聞いているというよりかはただ付き合ってやっているというように、話が終わるとすぐに何も言わずに席を立ってあてつけのように
後の席の奴と話し始めた。
滑ったからってシカトすることはないだろう。それならこっちだって他の奴と話すさ。ところが何でか誰に話しかけても無視される。初日から俺なんでこんなに嫌われてるんだ。
やっちゃった。完全にスタートダッシュ失敗した。
「こんなはずじゃないんだ。本当なら皆が俺んちに遊びに来て、俺んちはお前らの別荘じゃねーんだよって俺が怒って、別荘じゃねーならエロ本図書館にしようぜって言われて……」
もう自分でも何を言っているのかわからない。そんな俺を見かねて、前田はいてもたってもいられなくなった。皆にどうせ明日には忘れられるんだからほっとけよと止められながらも、俺の病気について話し始めた。
前田の話によると、俺は一年前から長期記憶が更新されなくなる病気にかかってしまったらしい。つまり一年前の4月1日から後の記憶が憶えられないのだそうだ。朝起きれば前の日のことはすべて忘れてしまう。現にこの説明も254回目だと言う。
エイプリルフールだろ。何言ってんだよ。俺は高校一年間の記憶がすっぽり無いって。俺がおかしいのか。違う世界の方が狂ってるんだ。俺は教室を飛び出した。消化不良な事実はとっぴな妄想と結びついた。
何かの本で読んだことがある。もし寝ている内に宇宙のすべてが100倍に膨らんでいても我々は気付くことができないというものだ。世界はあるとき変化してしまって、きっとそれに気付くことができたのは俺だけだったんだ。
例えばここに工事中の看板があるが、この先には何もないはずだ。世界が俺を欺いている。俺は看板を跳ね除け中を突っ切る。
「ほらやっぱり何もな……」
「い」と言うのと同時に俺の右足が空をかく。俺はアスファルトに開いた大きな穴に落ちていた。
思い切り青あざがあるところを穴の側面にぶつけてもんどりうつ。一体俺が何をしたというのだろう。俺はびっこを引きながら家へと帰った。
日常の些細なちがいに気付き、世界を疑った報いなのか。俺は見えない恐怖に手を振るわせる。震えで鍵がなかなか鍵穴に入らず、ドアノブに引っかき傷を増やす。
ようやく鍵を開け、ストレスから携帯を床に叩きつける。携帯はテーブルの足にぶつかり、派手な音をたてる。
俺は精神疲労からくる睡魔に身を委ねた。今日はもう寝てしまおう。
AM5時55分。いつも通り6時ちょうどにセットした目覚ましより先回りして起きて、アラームを解除する。目覚ましをセットしなくても起きられるけど、習慣だからしょうがない。長い春休みが終わり、怖いくらい平和な日常の繰り返しが始まる。テレビのリモコンを取ろうと黒いテーブルの上に手を伸ばす。ふと指を止めて考える。寝ぼけているのか。昨日とリモコンの位置が違う気がする。