Neetel Inside 文芸新都
表紙

Roundabout
彼女と僕

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 行き場を失った彼女への愛しさは僕の心をイタズラに傷めつけ、唯一許された友人としての短すぎる細やかな抱擁だけが僕の支えとなった。もう少し、もう少し先へと僕を急かす気持ちばかりが先行するが、やるせなさが蓄積していく。
 彼女を自分だけの女にしたい、抱擁のなか胸の中から届かない手が伸びる。僕は自問する、果たして言葉がどれだけ役に立つのだろうかと。そして自身の気持ちが本物なのかを疑う、これがただの若い、女に飢えた男の淋しさを誤魔化す為だけに生まれた感情では無いのかと。
 「あぁ、綺麗な人だなぁ。」
 僕は他の女性を見て言う。どんな卑屈で自虐的な性格をしていても減らず口が治ることは無かった。彼女を想いながら別の女を讚美する。しかしこれは無責任な称賛なのだ。その女が自分のモノになりえないと分かっているからこそそんな下らないことを思えるのだ。そんなことを言う僕には決して目の前の女を受け止めることは出来ない。
 それは覚悟が無いからだ。それは自身の犬を飼うことを拒む愛犬家を自称する者の様な感情に似ているのかもしれない。好きという気持ちがありながら、先に待ち受ける様々な困難や面倒事を許容しようとはしない。どうしようもないエゴだ。ただ待つだけでは事態は好転することがないことを分かっているつもりでも、臆病な自身を克服し傷に立ち向かおうとはしないのだ。僕は救いようの無い馬鹿であると自嘲する。片思いは辛い、生まれて初めてそんなことを考えた。本当に救いようの無い馬鹿だと再び実感する。僕は行き場の失ったエネルギーをそのまま拳に向ける。強く拳を握りしめると手汗が滲み出るのを実感する。彼女の隣にいたい。そんな純粋で利己的な感情が体を締め付ける。胸の痛みは外的なモノではなく内的なモノであることを再確認する。
 恋愛は難しい。それは、その本質が一方的なモノだけでは成り立たないからであろう。片側の一方的な気持ちだけではそれが構築されることも、ましてや崩壊することも儘ならない。先の見えない片思いというものはその感情だけが矛先を失い、胸に熱く燃える愛情が鎮火するのをじっと待つしかないのだろう。本当に僕はまた誰か別の女性と恋に落ちるのだろうか。そしてまた、それが終わると共に本当に好きだったのは彼女一人だけだと自身を納得させ、細やかな抱擁に苦悩することになるのか。これはいつまで続くのであろう。彼女が結婚するまでか、それとも僕の方の結婚であろうか。数年前、昔の知り合いが学生の身分で結婚をし、一児をもうけた。きっと彼は家族の為、これからは今以上に必死に働き、彼らを養っていくのであろう。僕はそんな者達が羨ましいのか。時折僕は同世代の者達が青春を謳歌し、日々を楽しんでいるように見える様が眩しく見えて仕方がない時がある。どうして僕は孤独に食事をし、一人狭いアパートに住み無機質な日々を送るのか。友人がいないと言えばそれは嘘になる。信用に値すると感じられる友人もいれば、僕がいなければ寂しいと言ってくれる者も確かにいると感じる。よくしてくれる年上の者もいるし、これと言って不自由があるわけではないのに、この気持ちは一体何であるのか。虚無感にも似たこのやるせなさは。
 彼女を僕の個人的感傷に巻き込むわけにもいかないと、頭の中で囁く自分がいる。己の問題は自身で解決せよと。他人は僕が期待する程、僕に興味を持っているとは考えられない。だが、性懲りも無く友人と思っている者にはそんな期待をしてしまう。案外、僕は愛されているのかもしれないと思うことがある。しかし、本当だろうか。僕の様な変わり者を本当は嘲笑っているだけではないのかと疑問に思う。何故ここまで卑屈に考えるのか。そもそも、自分が卑屈であるなどと知人に言われるまでは気付きもしなかった。
 畜生、畜生と音無き声が耳に響く。泣いているのだ。また別の僕は淋しさからなのか、泣いている。もう、やめようと。他人に興味が無い振りをし、一線を置きながら傍観者を気取り冷たい態度を装うのはやめろと懇願する。自分でも分かっているつもりだった。分かってはいるつもりでも同世代の者達と話をすればまた厭世的な考えが頭をよぎってしまう。なんて下らないんだ。なんて小さなことで悩んでいるのか。笑顔で応対する中僕は思う。だから僕は人とは違う。本当だろうか。些細なことで苦悩しているのはこの僕自身ではないのか。
 僕はただ、様々な機会を逃しただけであった。様々な、後悔の種となる様な選択をたくさんしてきたのであろう。きっと彼女もあの時は僕を想ってくれていただろう。そんな懇願にも近い希望だけが支えなのだ。それが無ければきっと僕はもうとっくの昔に今以上に壊れてしまっていたに違いない。自責の念に苛まれる度に思い出す、何故あの時彼女を一人行かせたのか。何故僕が一緒に行ってやらなかったのか。やり直しは果たしてきくのだろうか。後悔が波の様に押し寄せ息が詰まる。僕は溺れているのだ。これが彼女の胸の中であればどれだけよかったか。薄暗い明りの中で彼女が僕に身も心も晒けだし僕のものとなってくれる日は来るのだろうか。彼女は僕の告白をどう受け取ったのであろう。「まだ好きだ」と素直に言ったあの二度目の告白、彼女は満面の笑みを浮かべ少女のように僕から立ち去った。そんな彼女を悪女であるなどと蔑むことは僕には決してすることが出来なかった。彼女のあの笑みもまた、演技であったのか。僕は彼女の巧みな演技によって弄ばれているだけなのか。喉から見えない手が出る程に愛おしさを感じ、彼女の些細な言動一つ一つに一喜一憂した僕の感情は今、どこへ向ければいいのだろう。他の誰でも無い、彼女だけが欲しい。そう思えば思うほどに傷は広がり、息は詰まる。いっそのこと突き放してくれれば楽であったろう。否、それは嘘だ。突き放されれば僕はたちまちその事実を受け止めることが出来ずに今以上に、更に苦しんでいたであろう。
 冷たい、アルコール度の高い液体を飲み込む。喉の奥の方で引っ掛かるそれを勢いに任せて飲み込むと口の中にウイスキー独特の甘さが広がる。その味が消えない内に僕はとっさに煙草を肺の奥深くに向けて吸い込む。肺に重みを感じつつ、それをゆっくりと吐き出すと説明し難いほどの充足感と共に満腹感とはまた一味違った味が口にただよう。ああ、美味しい。きっとこれも幸せの一つなのだろう。
 息を吐き出す。喫煙の為ではない、きっとこれがため息と呼ばれるものなのだろう。僕は肘をつき、彼女を想った。それが只の徒労に終わることも分かっているつもりだった。彼女の笑顔は他の誰のよりも癒しを、安心感を与えてくれる。だが今夜、僕がこうして腐っているなか彼女は今誰にその笑顔を振りまいているのだろう。その先には誰がいるのだろう。きっと僕の知らない人だろう。きっと今までも彼女が最高の笑顔と共にその美しい体と心をどこかの美青年に与えている傍らで、何kmも離れた土地で僕は独り、寂しい酒を呑んでいたのだろう。煙草と酒によってのみ得られる充足感だけが確かに僕の中に存在していた。だが、これも永続的なモノではない。沈む気持ちに蓋をする。蓋はいい。少なくとも見えなくはなるのだ。今はそれでいい。そう思うとまた胸の別の部位にちくりとした痛みを覚える。その余韻は大きく、それはきっと僕の涙腺にも届いて一筋の涙を僕の頬に押し出すことになるのだろう。そうなる前に僕はまた一杯のウイスキーと、一本の煙草を煽るのであった。

       

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