父の心3
まとめて読む
私の父親は自衛官だった。
階級は2等海曹。高校の頃からの叩き上げで入って、
まずまずの昇任具合といったところだ。
彼は極めて真面目な父親であった。
躾が厳しいとかそういうものではなく、
あくまでも自律心というものが人一倍強いという感じだった。
自衛官であれば、必ずやってしまう酒・タバコ・パチンコ・風俗。
父は酒も飲まず、タバコも吸わず、パチンコもしなかった。
父の同僚からの話では風俗にも行っていなかったらしい。
ソープやデリヘルは勿論のこと、ガールズバーやお触りパブにすら行っているのを
見たことがないとのことだ。
かといって父親に性欲がなかったわけではなく、
たまに母親と会った日の晩は毎回7~8回は昇天したらしい。
だからか・・・・やたらと弟妹が多いのは・・・・
まあ、そんなことはともかく
そんな余りある性欲を日頃からどのようにして発散していたかというと
どうやら体力錬成とサウナに費やしていたようだ
父はあまり外出をしたがらなかった。
まあ、陸についたところで週末外出は金土日のたった3日しかなく、
停泊先の駐屯地から
私たち子供と母が暮らしている家までは丸一日かかってしまうので
ゆっくりと羽を伸ばそうと思うのなら
実質 長期休暇あたりぐらいでしか家には帰れなかった。
酒もタバコもパチンコも風俗も趣味に無い父にとって
家以外に外出する用事などなく、決まって父は残留予定者や
週末の当直勤務に就いていた。
父は所用を片付けるとすぐさま体力錬成に励んでいたらしい。
甲板で駆け足し、腕立て伏せや腹筋、背筋、縄跳びをそれぞれ百回ずつ行った後、
ベンチプレスで徹底的に各箇所を追い詰める。
一緒に付き合った同僚たちが たちまち根を上げる程の
凄まじい追い詰めようだったらしい。
その後、父はサウナに3時間入ってくつろいでいたそうだ。
当直勤務の時は流石に仕事もあるので、そんなことは出来なかったが
少なくとも常人よりもかなりサウナに入っていたらしい。
そういった生活を続けていると、当然のように
父の代休は溜まっていった。当直勤務では2日代休がつくのだが、
多い時で2ヶ月分は溜まっていたという伝説もあるらしい。
というのも、病気や出産が重なって人手が足りないせいで
連続で当直についていたらしい。
当直勤務の2日分の代休だけでも
普通に計算しても60日の代休をためるのに、30回は当直勤務につかねばならない。
ということは、1ヶ月間まるまる当直についても4回×2日で8日しか休暇がたまらないのだ。
まあ、代休がつくのは当直勤務だけではないし
休みの時に訓練があれば代休もストックされるシステムになってるから、
若干の誤差はあるだろうし、1ヶ月まるまる当直につくような傍から見れば
嫌がらせに思えてしまうようなそんな勤務体制が許されてるわけでもなかったようだから
私の計算にもかなりの誤解と偏見が入り混じっているとは思うが、
ともかく父は職場でもかなりイレギュラーな人物であった。
体格もイレギュラーであった。
あれは私が12歳の時だった・・・・
父が1年ぶりに帰ってくるということで楽しみにして
待っていたら 突然 巨大な丸太のような四肢を持った大男が
バイクから降りてきた。胸板が厚すぎるのか、ポロシャツはもはや
悲鳴をあげているのが子供心に丸分かりな程、パッツンパッツンだった。
バイクよりも、もはや黒王号や松風に乗っている方がお似合いの体格のせいか、
その体格から醸し出される肉のオーラのせいか、
幼かった当時4歳の妹と3歳の弟は喉がアフリカの大地のように枯れ果てるほど号泣し、
母もそんなになるまで鍛える暇があるなら、家に帰ってきて家族サービスする暇を
作ってちょうだいと激怒するほどだった。
体格に似合わず、温厚で優しかった父は
久しぶりに帰ってきたら 子供に泣かれ、妻に激怒されて
散々な想いだったろう。怒られた直後はしょげていた。
だが、私はそんな父が好きだった。
丸太のように太い腕にぶら下がるのが好きだったし、
そんな父に抱きかかえられるのも好きだった。
父は見かけだけの筋肉ではなく、運動神経も良かったので
よく父とは公園で野球をしたり、一緒に木登りや、駆け足をしたりとかして
最近の家庭では あんまり体験出来ないようなことも味わえた。
よく父にリンゴや割り箸を何十本も束ねたやつを握り潰してと
せがんだこともあった。そんな父は文句も言わずに目の前でやってみせてくれた。
どこの家庭にもこんな父はいやしなかった。
普通の父親じゃ出来ないことをやっているのが自慢だった。
同年代の男の子がシュワちゃんやスタローンに憧れていたような感覚を
私は父に対して持っていたのだ。
父の体格はおそらくコナン・ザ・グレートに出演していた頃の
シュワちゃんぐらいはあったのではないだろうか。
そんな父が辞職した
27年間勤めてきた職場を何故辞めたのか
依願退職か それとも退職に追い込まれたのか事情を尋ねても父は経緯を
語りたがろうとしなかった
退職休暇の時も父は帰って来ず、
しっかりと退官してから父は帰ってきた
父のことだから退職休暇で帰ってきた面を家族に見せたくなかったのだろう
おそらく休暇中、一人で寂しく慣れない酒を飲んだのだろう。
たくましく健康的な体格とは不釣り合いに父の顔は不健康気味で、落ち込んでいるように見えた。
そんな父を見て母や弟妹たちも誰一人として父を責めようとしなかった。
何年も帰ってこなかった父に久々に会えた喜びのせいか
母や弟妹たちは口々に辞めてよかったんだよと言った。
「・・・・せやな・・・・これからは・・・前よりも
お前らと一緒の時間過ごせるんやな」
そう返す父の顔は微笑んではいたものの、どこか目は寂しそうに青く輝いていた。
幸い、父も自衛官以外に整体師の夢があったため 専門学校に通って
無事に 再就職することが出来た。
収入は前よりも下がり、不安定にはなってしまったものの、
社会的にも 立派な父親として復活は出来た。
だが、それ以来父は筋トレをしなくなり、
日に日に 父の身体は萎んでいった
自衛隊という時間に追われる仕事をしていた時よりも
ゆったりとした時間を過ごせている父の顔は
以前よりもやや穏やかにはなってはいたものの、
時折見せる寂しそうな顔からは やはり父には未練があるのだなと感じられた。
そんなある日だった。
父の財布が台所に落ちていた。
あの日は父も休みで、母は近所のママさんたちと旅行でいなかったのを覚えている。
ふと中身を見たところ、そこから風俗店のカードが出てきた。
・・・・・ショックだった
別に風俗に行っていたことは 許せる。
私も女性ではあるが
自分は彼氏の下衆い趣味も許容出来るぐらいの広い心の持ち主であるし、
父に男性としての本能がある日 突如として芽生えてしまい、
不可抗力で風俗に行く・・・・ということぐらいは理解出来る。
むしろ 可愛らしい。
・・・・・・・・・・このまま行くと話が脱線して私が
淫乱ヤリマン肉便器ビッチ女だと勘違いされかねないのでこの辺にしておこう。
私が何よりも辛かったのは
父が かつての父に負けたように思えたからだ
あの頃の父は 自分自身と戦って戦って勝ち抜いた顔をしていた
激務と筋トレを両立させ、酒・タバコ・パチンコ・風俗といった誘惑に打ち勝っていた。
そんな父と過ごした時間は 今と比べて本当に短かったけど
それでも そんな父と過ごした時間は 今の父と過ごしている時間よりも遥かに輝いていた
風俗のカードを見つけたその日、
帰ってきた父に私は己の胸の内をぶつけた。
父は最初の内は痛いところを突かれたという表情をしていて
気まずそうな顔をしていたが 次第に私の言葉に目と耳を傾けて聞いてくれるようになった。
父は私の言葉をしっかりと胸に受け止め、
よく考えてから自分の言葉を丁寧に紡いでいくかのように父は語った・・・・
「・・・・実はお父さんなぁ・・・
後輩をこき使こうて威張っている海士長が居ってなあ・・・・
ムカついて殴ってもうてん。ほいだら
思ってたより殴る力が強すぎてもうて
顎ぶっ壊してもうてな・・・処分くらってもうてん・・・・」
退職に至るまでの理由を初めて父が語ってくれた嬉しさがあって
私は思わず 微笑んだ
「あははは! なんだぁ! そうだったの。どうして言ってくれなかったのよ?」
「こんなん言えるかいな・・・・後輩ぶん殴って処分食ろて
あまりに理不尽でムカついて辞めましたなんて
言えるかいな」
「あっはっはっはっ!!
お父さんがムカつくなんて相当な人だったんだね!
どんな後輩だったの? その人?」
「あー もうこの際やから洗いざらいぶちまけたるわ!
めっさムカつく奴やで!!
後輩にゴミ捨てさすわ 酒飲めへん後輩に一気させるわ
後輩に無理やり 冗談言わせて滑らせて 嘲笑ったりとか・・・
一人や二人やないで!! そんな目に合わされた奴!
挙句の果てに 後輩の保険証隠して 返す見返りに
アホみたいに たっかい風俗店奢らせようとしおってん!」
それまで萎んでいた父の身体がどこかしら膨らんでいくように感じた
事の経緯を語る父の顔はどこか安堵に満ちているように思えた
辞めた経緯をしばらく語った後、父は少しヒートダウンし、
冷静に今の自分に至った理由を語りだした
「・・・・あれからやな。
なんか今まで自分の欲望とか本能とか必死に抑え込んでたのが・・・・
何やったんやろって思ってな。そしたら、筋トレはやらんようやってまうわ
酒はやってまうし・・・・ふ・・・」
「風俗には行ってしまうし・・・」
「・・・・ごめんて」
父は顔から火が出て 終いには煙でも噴き出すんじゃあないかと思うぐらい
顔を真っ赤にして 俯いて顔を右手で覆った。
「あはは!いいって!娘の前だからってそんな申し訳無さそうにしなくて!」
「・・・・すまんて」
かつての真面目な父からは考えられない表情だ
まるで超絶巨乳の美女で童貞を卒業する少年みたい・・・・
・・・・可愛らしい
まさか親父萌え属性に目覚めるとは思わなかった。
おおっと またまた話が脱線しそうだった
「でもさ、パチンコとタバコはやってないよね?」
「あー そこまで堕ちたら流石にアカンやろ!!
さすがに!」
「・・・よかった。まだお父さん 自分と戦えてるじゃん」
「・・・・!」
「・・・・よかったよ お父さん
まだまだ自分に負けてないじゃん」
話しててふと気付いた。
私はまだ父は自分に負けてないっていうことを知りたかったのかもしれない。
自分の欲望や本能を抑え込んで必死に自分と戦っていた父は
自分に負けてしまったとずーっと負い目を感じていたのかもしれない。
だけど、私と話した後の父の表情はまだ自分が自分に負けていないということに
気付けて安堵したと同時に焔のついた表情をしていた。
それから翌日のことだった
ゴミ箱を見ると 風俗店のカードがビリビリに破いて捨ててあった
庭を見ると そこにはうめき声をあげながら腕立て伏せをするお父さんの姿が・・・・
「121・・・122・・・くそぉ~・・・・落ちてるなぁ・・・・くそぉ・・・・」
そう言いながらも父は決して腕を休めはしなかった。
「ぬぅぐぁああああ~~~・・・・125、126・・・
まだや・・・・あと5回はイケる!!」
父はそう言いながら 最終的にあと36回はやった。
その後も父はスクワットを300回やった
「300・・・!でも、あと5回はイケる!!
ぐぅぁあああ・・・・301ッ!!」
そう・・・・それでいいんだ。
呻いて 汗だくになって 時に 涙を流して ヨダレや鼻水を垂らして
何だ みっともない いい年して情けない 無様だという人もいるだろう。
でも 私は そうやって自分を追い込める人を
自分と戦って 頑張ってる人をカッコイイと思う。単純にすごいと思う。
単純に大好きだ。
だって そういう人たちって常に自分の好きな自分を追い求めているって思うから。
私もお父さんみたいに自分と戦ってみようかな・・・・
そう思いながら 私は大好きなお菓子屋のケーキをショーウィンドー越しに
お腹を空かしながら眺めているのだった。
~終~