Neetel Inside 文芸新都
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江口眼鏡のバクハツとヒョウロン
「後ろで爆発が起こった。俺は驚いて振り返った」もしくは粗忽大通公園

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 後ろで爆発が起こった。普通ならばここで振り返るのがテクスト的要請であり、ゆとり教育という健全なる不健全機構の中で育ってきた読者諸賢の期待すべき展開であり、また物語を終わらせる最も手っ取り早い方法であり、もう一つ言うと「ものぐさ太郎」である作者の所望してやまない行動である。
 しかしながらここで、私はこの物語の書き手に異を唱えたいと思う。まずもって、物書きとしての態度が成っていない。書き始めておいて「物語を終わらせる手っ取り早い方法」をもって終わらせることを「所望」するとは何事であろうか。ちゃんちゃら可笑しい。ヘソで茶が沸く。
 しかしながら、果たしてヘソで茶が沸いても、茶を沸かす程のエネルギーを発散させたのち、自分で飲み得るかという話が出てきはしまいか。折角茶を沸かしても、飲む主体が気息奄々として横たわっているだけでは、腑に落ちないではないか。傍らで冷めていく茶の心持を汲んでやりたくもなるではないか。
「俺は、何のために沸いたのか……!」

 これでは、いけない。また作者の思う壺である。一瞬負けかけたが、まだだ。根本において主導権を渡さなければ良いのだ。つまるところ、未だ私は振り返っていない。
 困ったものである。睡魔のようなものである。私がちょっと雑念と戯れているうちに、作者の意図はすぐに私を支配しようとする。いつも、日和見して、抵抗力の弱る頃合いを狙っているのだ。この鬼畜! 外道! 人非人!
 仕方があるまい。冷たい水で顔でも洗おうと思うのだが、いかんせん人の多いこの大通公園で、都会のオアシスよろしくぽつねんと佇む水飲み場を探すのも一苦労なのである。かんかん照りの日差しの下、各々自らの罪を麦酒で洗い流している。なんと敬虔な信者たちなのだろうか。全く頭が上がらない。ならば下げていれば良い。下げて下げて、まだ下げて……

 ああ、危ない。このまま頭を下げて歩き続けていると、いつか股の間から自分の後方を見ることになってしまいかねない。振り返るにしても、「振り返る」という行動の内実を支えるに相応しい「振り返り方」というものがある。私はつかこうへいにそう教わったのだ。股の間から覗いた太陽がいくら眩しくとも、このような垢抜けのしない振り返り方では人など殺せやしない。
 だいいち、私は作者の筆力に問題があるように思うのだ。なぜって、この文章の第二段落から第三段落にかけて見て頂きたい。私が最初に「しかしながらここで、……」という書き出しをしたのに対して、作者は第三段落の書き出しを「しかしながら」! 「しかしながら」である! 書き出しがまるで被っている! 私は思うのである。この話を書いている作者は、きっとひとかたならぬ阿呆なのであろう。それでは仕方が無い。


 ……そうすると、この話を書いている作者が阿呆ならば、作者によって書かれているこの俺は一体何なんだろう?

 ――私は、この私の背後に見え隠れする、おぞましく強大なる作者の権威を感じ、迂闊にも振り返ってしまった……!

       

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