Neetel Inside 文芸新都
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江口眼鏡のバクハツとヒョウロン
江口眼鏡が贈る「大人のためのNHK教育テレビのみかた」

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 「朝寝してエヌエッチケーの囲碁講座」という有名な句があるように、小市民である私たちは当然、土曜の夜は遅くまで起きて、その結果、日曜日は日が高くのぼるまで眠っているのである。小市民は概してそうであるから、もっとも先の句だって詠み人知らずのものとして名高い。
 そんな気怠い朝、私たち小市民は決まってテレビをつける。それもベッドで寝ながら、ベッドサイドに置いてあったリモコンで、である。「ねむたいよ、あと五分」という言い回しがあるが、これと構造自体は変わらない。「ねむたいよ、」と言いながら、私たちは「あと五分」眠りに落ちたいとは必ずしも思っていない。この五分はいわば、モラトリアムである。この五分は、就眠から起床への架け橋のようなものであり、朝の身支度に費やす時間を五分間削ることにより、みずからを追い込み、この焦燥感をはずみにして、起き上がる精神的エネルギーとするのである。同様にしてわれわれは、ベッドに寝て、いわゆる就眠状態を確保しつつも、テレビをつけるという行為によって、家人に、もしくは自分自身に対して、私は起きているのだぞ、という意思表示を行なうのである。起床を留保する代わりに、われわれはこうして、意思表示だけ先立たせるのである。しかしながら大半の小市民は、そのようにしてから眠ってしまうのであるが、これは精神の状態に身体が追いついてこない、現代ではままある事態であるから、取り立てて事を荒立てること無く、家人も、自分自身も、そのまま看過してしまう。
 よしんば起床することができたとして、私たち小市民の見るテレビ画面に映っているのは、大概はNHK教育テレビ、現在のEテレである。昨日の晩にEテレを視聴していた憶えが無いのにもかかわらず、だ。これは未だ夢うつつの状態でテレビをつけた時に、われわれができるだけ眠りやすいような番組を無意識的に欲しているからであり、精神の状態に身体が追いつけないことを、精神みずからが察知して、仕方が無く身体に寄り添ってやっている、ということになる。つまり、意思表示はするけれども、できるだけ否定的に、眠ってしまう可能性が高そうな番組をつけて妥協しておくのである。
 ここで間違っても、TBSなどを見ようと思ってはいけない。昼近い時間帯、あの局は小うるさい芸人たちを集めて、ニュースにしては甚だ内容の薄い、しかしバラエティにしてはつまらない、いたって中途半端な番組をがやがやと放映しているからである。

 「間の悪きふたりを見てはボタン押し」これも詠み人知らずではあるが、やはり名句と名高い。ベッドで横になっている時はまだモラトリアムであり、無意識と意識の中間とでも言えるような状態であるから、どの番組を見ていようと、うるさいかうるさくないか、その程度しか気にならず、番組内容にまではほとんど気を配る余裕は無い。しかしながら、いったん起床してしまえば話は別である。午前中(時には正午過ぎ)のゆったりとした空気の中で、その静寂を破っているのはテレビの光と音だけなのだから。
 ここでわれわれは当然テレビ画面に視線をやることになる。画面にはやはり、Eテレである。Eテレの午前中は将棋フォーカスからNHK杯将棋トーナメント、囲碁フォーカスからNHK杯囲碁、とつづく。出演者はその都度変われど、関係自体はまさに「間の悪きふたり」が、午前中ずっと出ていることになるのだ。
 そして、ここが本題である。ともすれば私たち小市民は、視ているこちら側が恥ずかしくなるような、「間の悪きふたり」を目の前にして、しばしばチャンネルを変えようとする。しかしそれではいけないのだ。ここで「ボタン押し」をしてチャンネルを変えてしまえば、それこそわれわれはEテレをただモラトリアム期間のはずみとしてしか使わないことになる。これではわれわれは正しいNHK Eテレの視聴者となり得ないのである。それでは国営放送としてあまりにも悲しいではないか。受信料を払っている身として――払っていない向きはともかくとして――悲しいではないか。
 確かに四月の間の悪さ、これは大変厄介である。解説盤に先の局面を予想して打っていくだけでも一苦労である。これは、「おそらくこうなるでしょうね」という一つの予想局面に対して、解説者とアシスタントの二人掛かりで駒もしくは石を並べていくことに起因する。つまりこれらは共同作業の賜物なのであり、さらにNHK、生放送、といった条件である以上、必ず結果を出さなければならないため、下手な新婚生活よりもずっと難しく、それだけに充実したものなのである。われわれ小市民はその点に充分留意し、解説者とアシスタントとの間に芽生える感情をつぶさに観察し、その水面下にある、ともすれば本人たちさえ気がついていないその兆しを皮膚感覚で感じとること、それが肝要であろう。
 そうして、その楽しみを覚えはじめたわれわれが次にすべきことといえば、毎週欠かさず見続けることであろう。毎週、ふたりの関係性の発展を見守るのである。将棋フォーカス、囲碁フォーカスなどを視てみると良い。四月には講師のプロ棋士を困らせていたタレントが、みるみるうちに講師の組み立てやすいように質問に答えているのが分かる。
「なるほど。それでは、こういう時には、どうしますか?」
「えーと……ここ……ですかねえ」
「ここ……ここに置くと、さっきも言ったように、ここに置かれると……」
「ここですかね」
「そうするとここに置かれて、全部獲られてしまいますよね……」
「ああ、そっか……」
と、四月には「ですかねえ」なんて気の抜けた返事をしていたタレントが、八月に入る頃にはすっかりと
「では、この考え方でいくと、この時には……」
「ここですかね」
「本当にここで良いんですか?」
「うーん……ここですね」
「わかりました。…………正解です!」
「わ! やったあ!」
こんな芸達者に成長するのである。講師との息もピッタリ合ってきたことがおわかりだろうか。さらに、物わかりの良いペアならば、ここで番組全体の流れを計算したり、アドリブで見せ場をつくるようなことまでやりおおせるのである。これには見事だとしかいいようが無い。

 考えてもみたまえ。NHK Eテレは、書き出しで述べた通り、もともとNHK教育テレビという名称だったのだ。「教育」されるのは果たして視聴者たる私たち小市民だけであろうか? この局で1クール番組を持てば、出演者の側だって真人間にひとつ近づいた、成長した姿になって巣立っていくのである。

       

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