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表紙

文芸夏の思い出企画
夏の日差しは死の冷たさに勝てない/七瀬楓

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 夏は理性が飛ぶ。
 ビーチでナンパして一発キメようとしている若者も、絵日記のネタを仕入れるのに必死な小学生も、大人になれば少なくなってしまう夏休みを必死に楽しもうとしているサラリーマンも。
 そして、何か恨みを持って、復讐の機会を狙っている復讐者も。
 殺し屋にとって、夏は書き入れ時だ。復讐の機会を待っている人間が、暑さにやられたのか、たくさんやってくる。
 五年程前に僕の元へやってきた彼女も、そういう話だった。
 陽炎が揺れるアスファルトが覗く、横浜にあるオープンカフェ。僕はそこで、依頼者から殺しの依頼を聞いていた。
 桧森と名乗った彼女は、綺麗な人だった。幻のようで、儚げで。髪も肌も、来ている服さえも白く。その髪は、ストレスでそうなったのだという。けれど、僕が綺麗ですねと言えば、彼女は微笑んで「ありがとう」と気を悪くせずに礼まで言ってくれた。
「もう三年も前になるかしら」
 彼女の過去は、そんなありきたりな語り口から始まった。

 三年前の夏。彼女はただ道を歩いていた。何もせず、目的も持たず、何の負い目もなく、堂々と道を歩いていた。
 そこへ、頭の茹だったガキ三人が、黒のハイエースに乗ってやってきた。そうして彼女を車の中へ詰め込み、後はお決まりの地獄絵図。それ以来、彼女は夏がダメになったのだという。
 道を歩けば、後ろから魔の手が、夏の熱波に乗ってやってくるのではないかと。
 毎年そんな事を思って生活していく内に、彼女の髪は白くなってしまったのだという。だから――
「なんでもするから、あの連中を殺して」
 彼女の、決意に満ちた瞳。
 いや。殺意に満ちた瞳。
 僕はそれを見て、なんでもするという言葉に偽りが無いことを悟った。
「……一人頭一〇〇万。計、三〇〇万ですよ」
「お金ならある。私を殺せば、保険金が降りるから。それを使って。――殺し屋はそういう事できるでしょ?」
 頷く。
 僕の仲介業者なら、それくらいは楽勝のはずだった。ならば、問題はない。動機と、それを持った依頼人。そして、殺しをするには充分な金。それだけあれば、殺し屋は動く。




 他の殺し屋はどうだか知らないけれど、僕はできるだけ殺害する相手の事を調べるようにしている。行動パターン。一番殺しやすい場所。そして、生い立ちまで。
 生い立ちまで調べる殺し屋はそういないだろうが、僕はそういうのが好きだった。
 殺す三人は、どうやら幼なじみだったようだ。小学生から一緒のクラスで、最初はただのちょっと悪いだけの問題児。中学に入ると、頭を目立つ色に染めるアホというカテゴライズになり、高校に上がれば、いつ退学してもおかしくない鼻つまみ者。
 そして、彼らが人生をおもいっきり踏み外したのは、その高校からだった。
 高校一年生の夏休み。学校で一番の悪、という先輩から、悪い遊びを教わったのだ。車に乗り、女を拉致して、好き勝手にぐちゃぐちゃと弄ぶ。飽きたら山奥に捨てる。そんなサイクル。
 どうやらこの手の遊びは、一度覚えるとやめられないらしい。もう何十件も彼らはやらかしているようだったし、一人死人も出しているようだった。それも、被害はすべて夏に集中している。
 ここまでわかっていながら彼らが捕まっていないのは、どうやら彼らの親の一人が、警察のお偉いさんだからとのことだった。本当にあるんだ、そんな話。間の抜けた感心をするほど、陳腐な話だった。
 けれど、暑さで理性のヒューズが飛んだ彼らの、悪い遊びがこれ以上続くことはない。
 さらに運の悪い事に、彼らは悪事を働くには、知性が足りなかった。
 僕は、とある山奥で待っていた。もう何年もバスがやってこない寂れたバス停に座り、ターゲットを待っていた。
 星空が綺麗で、熱気がむせ返るように、僕の肌を撫でる。
 天体観測気分で待っていると、彼らはやってきた。車も滅多に通らない道だから、わかる。黒のハイエースが、闇夜を切り裂き現れた。
 僕がバス停のベンチの影に隠れると、彼らはバス停の前に車を止め、スライドドアを開いて、まるで遊び飽きた人形みたいに拉致してきた女性をバス停の前に転がす。
「今日はついてるよな。レベルの高い女がいてよ」
 車から女性を捨てた一人の男が笑う。それに釣られて、車内の二人も笑った。
「夏といえばこれやんねーとな。夏って感じしねーからさ」
 その言葉に、まるで納得という空気が車内を包む。僕は、それを気が緩んだと判断し、飛び出した。ベンチを飛び越え、蹴り、一足飛びで車内に飛び込んだ。
「うわああッ!?」
 女性を捨てたと思わしき男が、僕の体当たりで突き飛ばされる。どうやら後部座席の椅子はすべて倒し、広いスペースが確保されているらしい。僕にとっては、好都合。
「おいっ、どうした!?」
 運転席の男が振り返る前に、僕は先ほど、女性を捨てた男を突き刺したナイフを首から引き抜き、さらに呆然と隣に座っていた男の首を掻き切った。そうして素早く助手席へと転がり込み、運転席に座っていた男へナイフを突きつける。
「どうも。殺し屋です」
「……はっ? 哲、弥人!?」
 運転席の男は、後ろにいた二人へと振り返った。しかし、彼らはすでに死んでいる。僕が心臓と喉を切り裂いたから。
「殺し屋、って。ふざけんなよ……! なんだお前は!」
「だから、殺し屋だってば。キミらが遊んで捨てた女性の一人から、キミらを殺せって依頼があったんだよ。一人頭一〇〇万円。よかったね。キミらの一生で、一度でも自分に一〇〇万なんて価値がついてさ」
「どっ、どの女――」
 さくり。
 僕の手に、そんな手応えがやってきた。
 彼の首を刺したからだ。
「おっ――が、ああ……?」
「首刺されると苦しいんだってね。だから僕は、復讐を請け負った時、できるだけ首を刺すようにしてるんだ。それが本当かは知らないけど」
 彼は、しばらく僕を苦しげな目で眺めた後、白目をむいて、事切れた。
 それを確認してから、僕は自分の痕跡を車内から消し、車を降りる。バス停の前には、先ほど捨てられた女性が居て、彼女は僕を呆然と見ていた。
「今見たことだけど、忘れてくれないかな?」
 頷く彼女。「いい気味よ。今ここで殺されなかったら、私があいつらを殺してた」そう言った彼女の目には、確かな殺意が篭っていた。
「それがいい。逃げたりはしない方がいい。気絶して、気づいたらあいつらが死んでたってことにして、警察に連絡しな」
 それだけ言って、僕はとっとと現場を後にした。
 人が死ぬのに大した理由はないし、殺されるとなれば、大体の場合その理由はわかろうという物だ。
 殺される瞬間にもそれを気づけないアホだからこそ、殺し屋に依頼されるのかもしれないけれど。




「ありがとう」
 翌日。あのカフェテラスで、僕と白い女性はまた顔を付きあわせていた。
「……こんなに速く依頼を完遂してくれるなんて、思わなかったわ」
「相手がバカだっただけですよ」
 僕はそう言って、目の前に置かれたコーラを飲んだ。ちょっとしか放ってないにもかかわらず、もうコップは汗をかき、氷で薄まっていた。
「これ、約束の三〇〇万」
 膨らんだ茶封筒を机の上に置く。僕はそれを人目につかない内、持っていた鞄の中に押し込んだ。
「それじゃ、私はこれで。――ねえ、殺し屋さん」
「はい?」
 彼女は立ち上がると、僕を見下ろしながら、
「殺し屋も、天国に行けるのかしら?」
 と言った。
 質問の意図はわからなかったけれど、僕は
「行けるんじゃないですか? お仕事でお金もらってるだけですよ。殺し屋は。肉体労働者ってやつです」
「そう」
 短い返事で、彼女はカフェから出て行った。
 僕は見えなくなるまで、その背中を見つめていたけれど、その背中は陽炎に揺られ、予想よりも速く消えていった。
 ちょうど、そんな時だ。僕のケータイが着信を告げる。取り出すと、そこには情報屋の文字が。
「はい、巻です」
『あー。どうもぉ巻くん。若葉ですー』
 角砂糖にガムシロップをぶっかけたような声。僕は会ったことがないけれど、彼女は若葉と名乗っていた。それが本名かは知らない。彼女が、今回ターゲットの情報を集めてくれたのだ。
「どうしました? 情報料なら、今から振り込みに行きますよ」
『いえー……そうじゃなくて……。えっと、巻くん、依頼人はなんて名前でしたっけー』
「桧森、って名乗ってましたね」

『そのー。情報には、一人死人が出てる、って書いたと思うんですけどー……。その、死人っていうのが、桧森佳苗って名前なんですよねえ……』

 ……え?
 頭が、一瞬何を言っているのか追いつかなかった。
「ちょ、待って。待ってください。姉妹とかじゃないんですか?」
『調べてみましたけどー。姉妹も、歳の近い親戚もいませんー……。というか、表向きに桧森佳苗は、事故死になっているので、復讐を企んだ人間がいるとは思えませんしー……』
 僕は、その後に続く若葉さんの言葉に耳を貸す気にはなれず、電話を切ってしまった。そして、鞄から先ほどの三〇〇万を取り出す。その重みは確かにある。が、なんだか冷たい。
 まるで冬が僕だけを狙い撃ちするかのように、周囲が冷たかった。


 これが、僕の忘れられない夏の思い出だ。
 ちなみにあの三百万は、未だに使うことができないでいる。だってそうだろ? 死人から受け取った金なんて、なんとも不気味。
 死体は大丈夫だけど、幽霊は苦手だ。
 だってあの人達、ナイフとか効かないでしょ?
 

       

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