みなそこにいる
シングルベッド
息が熱い、と彼は私の後頭部を撫でながら言った。
彼の胸元に顔を埋めたまま、私は押し付けるように頭を振ってみせたが、これだけ密着していると、彼には、私の言葉が嘘がどうか、すぐに分かってしまうらしくて、彼は何も言わず、愉快そうに笑った。
頭頂から後頭部のラインに沿って下り、やがて指先は項を通り抜けていく。それを彼は何度も繰り返す。
彼の指先に、すっかり安心してしまっていることを知られたくなくて、より一層、彼の胸元に顔を埋める。そうして、苦しくなった私はまた、深くて、熱い吐息を吐いてしまった。
彼の汗の匂いを嗅ぐ度に、すう、と胸の辺りがほどけていって、じわじわと暖かくて、むず痒くなっていく。少し息苦しい。でも、嫌いじゃない。
そんな私の、ほぐれきった心を見透かすみたいに、彼は、手を私の背に回して、少し強く抱き締める。ぐう、と変な声が出た。それくらい、彼の力は強かった。
私は、彼から、大切にしてもらっている証拠を貰った気がした。
「ごめん、苦しい?」
「大丈夫、だいじょうぶだよ」
取り繕った声で、私は彼に言う。背中に置かれた彼の手は、火傷してしまいそうなくらい熱くて、気持ちが良い。
厚い胸の先の、強く脈動。とても熱くて、緊張しているのが分かる。彼は、私なんかよりも、ずっとどきどきしている。
でも、背を抱く以外、彼は何もしない。しないでいてくれる。
彼が、もっと触れたくなっていることを、私はちゃんと知っている。
制服を脱いで、私の下着を見たり、彼と私の間で潰れた胸に触れたり、今、お腹の辺りに当たっているソレで、したいとも、思っているに違いない。
でも、彼は何もしない。ただこうして、彼の部屋のベッドで、二人寝転がって、抱き合うだけ。キスだって、まだしたことがない。
彼は、自分の我慢の、ギリギリのラインで、一生懸命踏みとどまってくれている。今頃、彼の頭の中で、私はとんでもないことになっていると思う。そんな、彼の想像通りにされてみたいと、実は思っている。でも、やっぱり怖いし、知りたくない、とも思う。
でも、彼が、一言でもしたいって言ったら、きっと私は、許してしまうと思う。
彼が嬉しいと思うことは、してあげたかった。
「家の人、もうすぐ帰ってくるの?」
「まだ、かな。今日は遅いって言ってた」
私は、髪に触れているほうの彼の指に、自分の指を絡ませる。
「そっか」
とても、単純な返事。
絡ませた指先に、力が入るのが、分かった。
彼は、私の頬を、もう一方の手で触り、そっと力を込めた。されるがまま、私は顔を上げた。
視界いっぱいに、彼の顔が広がる。
溶けてしまいそうなくらい、潤んだ瞳と、熟しきった林檎みたいな、真っ赤な頬が見えた。ちらりと盗み見た彼の首筋は汗ばんでいて、胸が高鳴った。
彼は、何か言おうとして、止める、を何度も繰り返していた。
私は、微睡みの中にいるみたいな感覚のまあま、頬に添えられた手に自分の手を重ねて、彼の言葉を待つ。
「あのね、私は、いいよ」
言わせるのは悪いなって、少しだけ、思ったのだ。
「好き」
だから、いいよ。
でも、続きの言葉は言わせてもらえなかった。
彼が、口を塞いでしまったから。
彼の吐息は熱くて、苦しくて、幸せだった。
しばらくして、彼は離れると、私の額に手をあてて、いつもの穏やかで安心する目を、私に向けていた。
「それは、俺に言わせてよ」
「ごめん」私が笑うと、彼も釣られて笑う。
「でも、怖くないの?」
「怖いよ」もちろん。だって貴方と私は、他人だもの。
でも、それ以上に、切ないから。
「怖いけど、いいよ」
怖いことよりも、切ないことのほうが、嫌だから。
彼は起き上がると、私の身体に跨った。私は仰向けのまま、彼の顔を見上げて、目を細めると、頷いた。
シングルベッドが、がたり、と揺れた。