Neetel Inside 文芸新都
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ショートストーリー
夢と空想の境界にある

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「夢と空想の境界にある」

アラベスクみたいな派手な色合いの川を、スカールという名前の小型ボートで世界のあちこちを巡っていると、村が見えてきた。山に囲まれた、谷間にある村。山には杉の木が植林されて、のどか。聞こえてくるのは鳥の声、雀ではない他の鳥、たぶん、熱帯雨林なんかに住んでいるヨタカかなにか。頬をなでるのは大気の微流、穏やかで、陽射しは人よりずっと暖かい。眩しいのなら帽子を被れば? と誰かに言われたことを不意に思いだす、小学校のとき行った林間学校で、広原散策で同じグループになった女の子に言われたのだったか、それとも大人になって初めてドイツ旅行に行ったとき、アウグスブルグ駅を降りて広場を過ぎて民家に挟まれた灰色の石畳を三ブロックほど行ったところにあった、ロココ様式の建築を見あげたとき同行していた女性が言った言葉だったろうか。

いやそれはわからない。

というより、林間学校に行ったことがあっただろうか、アウグスブルグなんて聞いたことがあったろうか、行ったような気はするが、よくは覚えていない。いやこれは、行ったことの記憶が不確かなのではなくて、行ってもないのに覚えているような、アウグスブルグに、林間学校に、行こうとしたことを思い出にしているような。



やめよう。

考えてみれば、そればかりだ。



新緑芽吹く静かな気配。足下から伝わってくる地面の大きさ。こんなに長い時間同じ場所で立っていたのは初めてだ。

夢のような不確かな情景が目の前にある。

おぼろげ。コップが割れて、液体が漏れだすように、そのもの本来の性質が、垂れ流れているような。なにかとても大切なものを、目の前にさらけだされているという漠然とした感覚、自分がなにかを受容しなければいけないと誰かに圧力を加えられているようで、怖い。

全てが嘘っぱちに見える。

でもそれは、おそらく自分のせいで、他の誰のせいでもない。寝汗のような、不快な汗をかく。不安を知る。

だけどここは静かで。

頭上で鳥が鳴いた。見あげると、一羽のトビが大きな弧を描いて旋回している。川のように透き通った色の空には雲ひとつなく、トビはせせらぐ川に泳ぐ小さな魚影のようで、大きな空間のなかでこその自分の在り方を、しっかりと見出しているようだった。



目が開く。

半分眠っていたらしい。

寝る前にはいつも考え事をする、悪い癖だ。いろいろなことを考えるが、それらは全部どうってことないことだし、考えたってどうすることもできないような、自己に降りやぐ雨のような困難のことだったりする。

マウスウォッシュのCFに出ていた女とのセックスシーン、目が見えなくなってしまったらどうしよう、窓から見える自分の姿、とまぁこんなことを考える。そうやって一時間ほどすると、頭の前のほう、前頭葉の辺りが針で刺されたように痛み始める。そうなると明け方まではもうなにがあっても眠れない。いわゆる睡眠薬は、非合法のも入れると三十四種試したが、どれも自分には合わないらしく、不眠は続き、そして続く。

寝返って布団を頭まで被りなおす。胎児のように両膝を抱え、必死になって眠れと祈る。それでも頭は考えることをやめようとしない。ベッドに入って、かれこれ何時間になるだろう。例によって前頭葉はズキズキと痛む、大きなフォークを手にしたマンガのばい菌が、脳味噌をフォークで突っついているようだ。

だが、痛みも時間が経てば徐々に和らぐ、そんなことは当たり前のことで、誰でも知っていることだ。時間が経てば、時間が経てば、痛みも思いもなにもかも、線香の煙のように、音もなく薄らいでゆく。



いつの間にか村には人の活気が満ちていた。

村と調和する地味な服を着て、農耕具を手にした老人たちが畑の畝を歩いたり鍬を振りあげている、あぜ道や用水路に渡された板橋を駆けまわり竹トンボを飛ばしたりして遊んでいる髪を短く刈った男の子たち、褪せた色のスカートや洗いざらしのブラウスを着て、髪を三つ編みにしたり蝶の形のピンで前髪を留めたりしている少女たちは、民家の庭先にゴザを敷いておままごとをしている。その他に、ハイヒールを履いてドレスを着た女やスーツを着てノートパソコンを脇に抱えた男、トランクスを履いてキックボクシングの練習をする半裸の男、船外宇宙服を着てヘルメットで顔の見えない人など、あまり村には似合わない職に就いている人間も大勢いた。

だが村に住む人々は、職業も服装もそれぞれ違うが、やっていることはみんなほとんど一緒に思えた。朝になると彼らは起きて身支度を済ませ、綺麗な空気を吸いながら、誰に課せられたともない仕事に従事する、それが彼らのほぼ全てだったからだ。

老人たちは田や畑を耕し、子供たちはへとへとになるまで遊び、スーツの男は起きている時間のほとんどをパソコンのディスプレイを見つめてマウスを操作したりキーボードを叩いたりしている、ドレスの女は日中寝ているが、それは夜になると村の男たちに酒を注いで話し相手となったり、たまに体を売るからで、キックボクサーは木に吊るしたサンドバッグに蹴りを入れ、お昼の休憩時には子供たちに自慢の筋肉を披露する、宇宙飛行士は畑の隅で鈍重とした動きで目的不明の作業をし、たまに月面ジャンプで空高く飛んだりしている。他にも多くの人が生活している。大学生は集団で大学に行く、タクシードライバーは車内無線で誰かと連絡を取っている、占い師は自分のことを占って顔色を悪くし、塀職人はバケツのなかのセメントを混ぜている。

村人の行動範囲は村のなかだけで、外に世界は存在しないかのようだった。彼らは江戸時代に流通していたような、真ん中に穴の空いたコインを使っていた。その貨幣も村の内のなかだけで巡り、外に出ていくことはなかった。

村人はほぼ同じ過程で毎日繰り返される一日を過ごす。だが、村人たちは満足そうだった。綺麗な空気を吸い、自分がなすべき仕事を果たすことに、幸せを感じているようだった。



彼らを羨ましく思う。



自分の運命が不遇に思われる、だから頭のなかでこんなことを考えているのだろう。日々幸せを感じる人々、自分は彼らとはまったく逆で、一日いちにちに悲しみと絶望を感じている。

自分を殺したくなる。

誰かに殺してほしくなる。

君は弱いねぇ、度胸がねぇ、ないんだよ度胸がさぁ、と酒の席で言われたことがある。言ってきたのは心理療法士として働いている男で、ぼくはその男に次回作のため、発達心理学についての取材を申し込んでいた。男とはこれまで取材のために何度か会ったことがあり、その夜には担当の人が心理療法士との懇親会ということで居酒屋を予約してくれていた。社交的なことは不得意だし苦手なぼくなのだけれど、ただでご飯とお酒が飲めることだし、先方にも既に伝えてしまったということだったので、行くことになった。心理療法士の男は隣に座り、ビール、焼酎、ミルクで割る変わった趣向のウィスキーを飲み、自身の来歴や出版している心理学要素を取り入れた自己啓発書やビジネス書が今の時代どれほど大きく社会的利益に寄与しているかを喋ったあと、ぼくの本についての批評を始めた。男は、つまらないと言った。悔しいが、それについては納得した。だがそれがいけなかった。批判を受け入れたことによって勢いづいた男は、ぼく自身の人格までも心理学的見地から評価し始めたのだ。

最初は我慢していたけれど、とうとう頭にきて、三発殴った。

勇ましくは決してない。だが、こんなぼくだって怒るときはある。人を殴りたいと強く思い、実際に殴るときだって、このような経緯を経れば、行動に移すことだってあるのだ。

勇ましくは決してない。だが、勇ましさはほしい。そんな人に憧れる。肉体的に強い男ではなく、精神の面で強い人間になりたい。ポジティブに生きようなんていうのは、もの凄くチャチでチンケな標語に思われたりするが、普段気付かない意識の下層でそうなりたいと強く願っている。ポジティブに生きてゆけたらどんなにいいだろう、と窓框に両肘を乗せ、夜空に浮かぶ月や星に、将来はケーキ屋さんかお花屋さんになりたいなんて願い事をしている五才の少女みたいに、切に思うときだってあるのだ。

しかし願いは叶わない。それが本当に悲しい。願いが叶う時代ではないのだ。願いを叶えるには、自分が欲するものをしっかりと手にするには、慎重にして実利的なコスト計算が必要なのだ。

だが、そういった算段に不可欠である欲求抑制技術をぼくは持っていない。だから、悲しい。だけど勇ましくなりたい、だけど願いは叶わない。悪しきサーキュレーション、迷宮のように入り組む下水道を彷徨うように、またぼくは、自問自答を繰り返す。



空想の村へ行きたくなった、これは、必然のように思われる。



だが、意気地のないぼくは、自分の空想のなかへどっぷりと没入するのでさえ躊躇ってしまった。どうしてあなたは、なんでお前はいつもいつも、今までたくさんの人に迷惑をかけ、多くの人の呆れかえる表情を見た。酷い自己嫌悪に陥り、一時は精神療養施設に入所したこともある。

頭のいかれた連中との二か月間の生活は、意外だがとても充実した生活だった。

そんなぼくだったから、自分の頭の内部で盛んな発展を遂げている村へと旅立つという、そんな簡単なことでさえ一週間も悩んだのだ。その一週間のうち、三日目には妻が去り、四日目に母親が死んだ。

妻が出て行く前の晩、隣で眠っている妻に、セックスをしないかと聞いた。妻は眠っているとき誰かに喋りかけられると、無意識にうんと返事をするのだ。最初妻はなにも答えなかったが、二度目にセックスをしようと言うと、うん、うん、と気だるそうに返事をした。

ぼくはパンツを脱ぎ、寝ている妻にすり寄って、オナニーをした。オナニーがセックスよりも好きだったからだ。

内緒にしている。

朝、妻が旅行鞄に荷物を詰めて部屋を出て行くとき、内緒にしていることを言ってやった。ほんとはぼくは、セックスなんか好きじゃなかったんだ、ほんとだぞ、ほんとにほんとなんだ。妻は振り返り、花柄のワンピースのスカートをめくりあげ、ぼくに黄色いナイロンのパンツを見せて言った。

わたしだって、好きじゃなかった。



みんな隠していることがあるのだな、とつくづく思った。

午後の太陽は強く眩しい。狭いベランダにゴザを敷いて、その上に横になった。陽に浴びて乾燥した青草のような、いいにおいがした。一時間ほど日向ぼっこをしていると、脇に汗をかいた。

汗を吸ったシャツを脱ぎ、替えのシャツを着る。ひんやりとして、くしゃみが二度出た。少しするとまたくしゃみが出て、今度は三度出た。風邪かな? と思ったが、たぶん違うだろう。



葬式には出ない、と長男に電話で言った。長男は酷く怒っているようで、さんざん喚いたあと乱暴に電話を切った。母親の死なんて、ぼくにはどうでもいいことだったのだ。親しくなったばかりの友だちに、自分はうつ病かもしれないと喫茶店で相談されるほど、どうでもいいことだった。

子供はいない。妻が出て行ったから、今ではもう、一人ぼっちだ。だが、初めからそうだったのかもしれない。自分のことを、よく寂しがる性格だと決めつけて人生をなにもなく過ごしてきたが、すぐ傍にいた人と完全に離れたことで、寂しがるという思いは消滅したような気がする。

本当は初めから、一人だったのだ。

そのことを皆が隠していた。そして自分も、そのことに対して目を背けていた、だから、気付かなかったのだ。



五日目、食べ物がないことに気付いた。冷蔵庫を開けてみても、マヨネーズやミルクやマーガリンがあるだけだった。

近所のスーパーまで自転車で行くことにする。自転車はアパート横の、トタンのルーフがかかった駐輪場に停めてある。自転車にはあまり乗らないたちなのだが、最近では出かけるときはいつも自転車を利用することにしている。それはサイクリングすることが体にどれだけ良いことかを、A出版後援の作家勉強会に出席したとき聞いたことがあったからだ。

サイクリングはね、ほんとに素晴らしいものだよ、君、と推理小説を書いているその男は言った。なんでも最近出版した本のために、自転車に関連することをよく調べたそうで、男自身は自転車には乗っていない。なぜなら食用豚のランドレース種並みに肥えた男で、男の体重を支えきれる自転車がないからだった。膨張しきった唇と肉の垂れ下がった顎のせいで口を動かしにくいのか、とてつもなく滑舌が悪く、ほとんどなにを言っているのか聞きとれなかった。最初声をかけられたときも、ヒ、ヒザジブリ、と聞こえて自分の耳を疑ったほどだった。

自転車にまたがり、ペダルをこぎ出す。次々に曲がりくねる道路を走り抜ける。颯爽、とまではいかなくとも、いい気分だ。

結局、スーパーには行かず、川沿いを五百メートルほど走って、帰ることにした。



六日目に薬を飲んだ。

精神を安定させる作用のある薬で、長期服用すると脱毛や抑制反動による慢性的な倦怠が生じるなどの副作用がある。

朝、水道の蛇口から水を直接飲んで、一錠服用した。薬は食べ物ではないが、腹のなかに入れると空腹感が呼び覚まされた。妻が出て行ってから、なにも食べていないのだ。

ピザ屋に電話をかけた。

混んでいるらしく、一時間ほどかかるがいいかと聞くので、悩んだ。ちょっと待ってくれ、考えたいんだ、と言うと、ピザ屋の店員は素直にわかりましたと答えた。互いが黙ると、受話器からピザ屋の厨房の音が聞こえた。男女の話し声、ステンレスの料理台に食器が置かれる音、フライパンがなにかを炒める音、男女の話し声が気になって、聞き耳をたてたが、なにを言っているのかは聞きとれなかった。と、不意に盗み聞きをしているような気分になって、申し訳なくなり、さっさとピザを頼むことにした。

一番安いピザはどれかと聞くと、コーンだと言うので、それだと言った。



ピザは一時を少し過ぎて来た。ピザ屋の男がバイクで運んで持って来た。

ピザはとてもおいしかった。

それで、妻も母も忘れた。



七日目、いよいよ村へ行く決心がついた。楽しければいいが、と少し不安があることも事実だが、それを乗り越える意志の力はまだわずかに残っている気がする。

それに、旅立つということは不安がつきものではないだろうか、いやきっとそうだ。間違ってやいやしない。間違ってや、いやしないのだ。

頭はキリキリと痛む。空想と眠りの、境界へ入りこむ。恐怖も全部、混じりあう。

あの人さぁ、ホクロから毛が生えてたんだぜぇ、なんていう電車のなかでカップルがしているくだらない話しも、今はなんてことなく聞いていられそうだ。

夢と空想の境界にある村、もう、着地しそうだ、ほら、つま先が着いてる。

       

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