二重螺旋が語りかけて来る。この俺様に向かって、無遠慮に、運命などという高説を叩き、それはあたかも逃れられないカルマであるように、もっともらしく、それらしく。
にわかに神性を帯び始めた実験体が、曇ったビーカーの中で窮屈に蠢いていた。一体どれほどの失敗の上に自身が成り立っているのかを知らないらしく、その潰れたカエルのような面は至ってのんきで、うらやましくすらある。
この研究所では、この世界の「法」となる生物を生み出す事を目的に運営されている。俺は研究員の1人であり、ただの使われる身だ。雇用主が誰かは知らないが、報酬は究極の知、それと便利な施設の利用権に、法生物への関与その物。それだけあれば十分だが、この所実験は失敗が続いていて、いつ首が切られるとも分からない身はそれなりに不安だ。
実験体の生成は常に1人によって行われる。誰かと協力する事はない。何故なら2人になれば意見が分かれるし、3人になれば1人の意見が無視される。4人では合わせた力が分散されて、5人目は存在が希薄になる。この神の如き創造の所業は、つまり1人の天才によって行使されなければならないというのが雇用主の意見であり、俺もそれに同意している。
ああ、また失敗だ。
金切り声を上げてビーカーの底へと沈んでいく小さな肉片。まだ形成しきってもいない手足がぽろぽろと千切れ、その糸のような目は光を得る前に閉じてしまった。
もう1度だ。
俺は新たなビーカーを用意して、棚からいくつかの素材を選び始めた。一角鳥の羽、熱砂の積もり雪、人格膜、炭人間の煤、数学者の涙、黄金の心臓。どれも希少で、この世界に矛盾をもたらす元素。これに雇い主が俺から剥離させた生命の源を加えて、じっくりと熱を加えていく。ここからが腕の見せ所だ。
「今から始める所かい?」
「ああ、そうだ」と、俺は答える。
「隣で見せてもらっていいかな?」
「構わんが、邪魔するなよ」
「もちろんさ。1度見てみたかったんだ」
「何をだ?」
「マッドサイエンティストの悪巧みって奴をさ」
「ところでお前は誰だ?」
そいつは自分を「説法屋だ」と称し、それ以上は語らなかった。
俺はビーカーに両手を当てて、海馬から順番に情報を引き出す。まずは成功のイメージ、それから13桁までの素数全てと、俺が最も美しいと思う女性の肉体。次にそこに感情を足していく。怒り、虚無、興奮、怒り、驚き、怒り、笑い。光の速度で脳髄を駆け巡ったそれらは、血管と皮膚を経由して全てビーカーに注がれる。そして今度は何も無い時間が流れる。宇宙が誕生するちょっと前のような、無限に等しいが決してそうではない気まぐれに近い滞留。
もしも、だ。
もしもこの実験が成功し、法生物が誕生すれば、そいつはおそらくこの世界を丸ごと喰らうだろう。そして消化し、自身の遺伝子と混ぜ合わせて、全く新しい何かを創る。世界ではない、しかしそれに良く似た何かだ。説法屋は俺と雇用主のこの行動を悪巧みだとか抜かしたが、決してそんな単純な物ではない確信が俺にはある。これはいわば次のステップだ。新たな事を始める前準備だ。善悪などという概念では測られない自信がある。
「かわいそうだと思わないか?」
説法屋が、再び俺に話しかけてきた。
「この世界がか?」
俺の問いに、説法屋は首を横に振る。
「違う。君自身が、だ」
「思わんね。俺はただ命じられた仕事をしているだけだ。罪はない」
「彼に対しても同じか?」
説法屋の手には、先ほど俺が失敗したビーカーが入っていた。薄汚い血で満たされた、肉片の集まり。
「実験に失敗はつき物だ。雇い主にも許容されている」
説法屋は頭をぽりぽりと掻きながら、ビーカーを揺らした。
「その『雇い主』ってのが問題なんだよなぁ……」
俺は途端に心臓の根っこを掴まれたような気分になる。こいつ、どこまで知っているのか。
「珍品を高値で集めている輩がいたから、そいつに黄金の心臓を売ってみたんだ。で、後をつけた。どうやって使うのか知りたくてね。するとそいつは歩いている内に全くの別人の姿になった。そしてまた商人から珍品を買い漁って、その度にどんどん別人になっていく。女になったり爺になったり子供になったり人じゃなくなったり。尾行には苦労したよ」
説法屋はじっと俺を見つめながら話をしているが、その視線の先は俺ではない。
「で、いよいよ素材を集め終わったのか、そいつは墓場を経由してこの研究所にやってきた。最初からこの世の者じゃなかったんだな。間接的に関与するのに他人の姿を借りられなけりゃならなかったんだ。何故ならそいつは概念でしかなく、肉体を持ってはいなかったから」
説法屋、この男は、危険だというのになんて心地の良い話し方をするんだろうか。
「ところであんた、最後に見た奴に似ているな」
俺は姿を保っていられなくなる。みしみしと音を立てて口を大きく開く。丸ごと頭から、説法屋の肉を喰らって、この茶番を終わらせてやる。列挙された欲望、その全ては単純で清々しい破壊を求めている。
「おめでとう。あんたの実験は成功した」
その時、説法屋の手に持ったビーカーから小さな肉塊が飛び出した。俺の失敗作。何にもなれなかった屑。そして愛しい俺自身の欠片。
「最初の失敗作はあんただったって訳だ」
その名もない肉は俺の体内に侵入し、たちまち脳へと侵入した。一度切り離した命が戻ってきただけならば当然何の影響もないが、これには多分に不純物が混ざっている。それは毒として働き、俺の機能を停止させるのに十分な働きを見せる。雇用主は、他でもない俺だった。俺は罪を捨てる為に、俺自身を捨てていたのだ。
「説法屋、お前、世界を救った気でいるんじゃないだろうな?」
消えていく命の輝きを傍目に抱えつつ、俺は問う。この怖いもの知らずの無頼に、人を分かった気でいる馬鹿者に。
「いや、こっちの失敗作は有効に使わせてもらうよ」
説法屋は俺の作ったもう1つのビーカーを手にしていた。生まれつつある実験体をその液体ごと試験管に詰めなおし、大事に仕舞う。
「そうしてもらえるとありがたい」
「どういたしまして」
「俺の最後の失敗作は、お前ごときに扱える代物ではないとだけ言っておくがな」
「そいつは恐ろしい」
俺という概念が消えていくのが分かる。罪を突きつけられ、毒を盛られ、実験体を奪われ、もうぼろぼろで、成す術が無い。
「ではまた、再び会う時まで」
説法屋の憎らしい笑顔に、俺は別れを告げる。
「ああ、しばらく死んでおこう」