戯曲『機械』
戯曲 機械
戯曲 機械
【登場人物】
私
主人
軽部
主婦
婦人
【登場人物】
私
主人
軽部
主婦
婦人
天の声 初めに言(ことば)があった。言は私と共にあった。言は私であった。(ヨハネによる福音書1:1を参考に)
幕上がる。
暗闇の中、少しずつ明るくなってくると、私が真ん中でひとりぽつねんと立っているのが浮かび上がってくる。
私 今、「私」が浮かび上がって来たのが見えたでしょう。言葉によって存在が与えられたのです、私に。……そして私は汽車の中で……
と、私が下手へと歩いていくと、明かりも私についてきて、下手が照らし出される。向かい合わせに並ぶ二人掛けの席。上手側の奥の席に小綺麗な婦人が座っている。
婦人 ときに、あなたあてはあるのかしら?
私 あて、ですか?
婦人 あて、よ。
私 あて、もなく……
婦人 あいててててて
私 どうなされました? 大丈夫ですか?(と言いながら婦人のもとへ駆け寄る)
婦人 あなた、だからあては?
私 ご自愛下さい(と婦人の斜向いに腰掛ける)。
婦人 だから、あてはあるのときいているの。
私 はあ……
婦人 あてもなく東京に来るなんて格好のいいこと、造船所上がりのあなたがやっても良いなんて思っていらっしゃるの?
私 いえ……しかしねえ、私もあてと決別して生きている訳では無いんです。それは、見つかるなら欲しいと思っているんですがね。
婦人 ああら、そうなの。
私 ええ。隙あらば、こう……ガブッと……
婦人 まあ、野蛮。
私 人間、なる時には野蛮にだってなります。
婦人 まあ(と笑う)。
私 おかしいでしょうか?
婦人 いいえ。
私 では、あなたも、なる時には?
婦人 野蛮に?
私 ええ。
婦人 とんでもない(とまた笑う)。私はもう、野蛮なんかじゃ居られませんから。
私 夢見る少女じゃいられないですって?
婦人 (受け流すように)そんなこと言ってませんわ。野蛮じゃ居られないわって。
私 なぜです?
婦人 なぜって……あたしはもう、主人にも先立たれて、家も子供も無いもんだから。
私 それです! それでこその野蛮! 万人の万人に対する闘争ですよ、ほら、シャー! シャーッ! (と、蛇のような声を出しながら、威嚇する真似をする)
婦人 なりませんよ。(嘆息して)この先どうするかも考えるんだか考えないんだか、とりあえずは親戚のお家にしばらくご厄介になるんです。
私 いつまでです?
婦人 わかりません。わかりませんが、じき何か、下宿屋でもやって暮していくのです。
私 ほう。
婦人 はい?
私 ほう。
婦人 はい。
私 ほう。仕事が好き。テテッテ、テテ、テテテ、ハイホー、ハイホーハイホー……
ハイホーがフェードアウトして、間。
私 (咳払いをひとつして)そうですか、下宿屋ですか。
婦人 ええ。そのくらいでしょう。
私 うーむ、あてのない私としましては、なにかすうっと職でも見つけて、ぱあっとあなたの下宿にご厄介になりたいものですなあ。
婦人 あら、あなた職もないの? あてもないのに。
私 逆です。職がないからあてもないのです。
婦人 ああ、それもそうねえ。……それじゃあねえ?
私 なんです?
婦人 あなた、あたしがこれから行く人のところで仕事手伝ったらどうでしょう。
私 私に出来る仕事であれば……
婦人 なあに、そこまで大した仕事ではありませんのよ。
私 どんな仕事ですか?
婦人 さあ。何の仕事なのかしらねえ?(と立ち上がる)
私 (つられて立ち上がって)…………
汽車が行く音。明かりはまたゆっくりと上手側へ動いていく。上手には舞台奥から手前へとテーブルが三つほど並べられている。どうやら工場の作業台のようだ。
婦人はそのまま上手へと退場していく。私はひとり舞台にのこって、懐から本を取り出して読み始める。
私 機械 横光利一
初めの間私は私の家の主人が狂人ではないのかとときどき思った。観察しているとまだ三つにもならない彼の子供が彼をいやがるからといって親父をいやがる法があるかといって怒っている。畳の上をよちよち歩いているその子供がばったり倒れるといきなり自分の細君を殴りつけながらお前が番をしていて子供を倒すということがあるかという。見ているとまるで喜劇だが本人がそれで正気だから反対にこれは狂人ではないかと思うのだ。
幕上がる。
暗闇の中、少しずつ明るくなってくると、私が真ん中でひとりぽつねんと立っているのが浮かび上がってくる。
私 今、「私」が浮かび上がって来たのが見えたでしょう。言葉によって存在が与えられたのです、私に。……そして私は汽車の中で……
と、私が下手へと歩いていくと、明かりも私についてきて、下手が照らし出される。向かい合わせに並ぶ二人掛けの席。上手側の奥の席に小綺麗な婦人が座っている。
婦人 ときに、あなたあてはあるのかしら?
私 あて、ですか?
婦人 あて、よ。
私 あて、もなく……
婦人 あいててててて
私 どうなされました? 大丈夫ですか?(と言いながら婦人のもとへ駆け寄る)
婦人 あなた、だからあては?
私 ご自愛下さい(と婦人の斜向いに腰掛ける)。
婦人 だから、あてはあるのときいているの。
私 はあ……
婦人 あてもなく東京に来るなんて格好のいいこと、造船所上がりのあなたがやっても良いなんて思っていらっしゃるの?
私 いえ……しかしねえ、私もあてと決別して生きている訳では無いんです。それは、見つかるなら欲しいと思っているんですがね。
婦人 ああら、そうなの。
私 ええ。隙あらば、こう……ガブッと……
婦人 まあ、野蛮。
私 人間、なる時には野蛮にだってなります。
婦人 まあ(と笑う)。
私 おかしいでしょうか?
婦人 いいえ。
私 では、あなたも、なる時には?
婦人 野蛮に?
私 ええ。
婦人 とんでもない(とまた笑う)。私はもう、野蛮なんかじゃ居られませんから。
私 夢見る少女じゃいられないですって?
婦人 (受け流すように)そんなこと言ってませんわ。野蛮じゃ居られないわって。
私 なぜです?
婦人 なぜって……あたしはもう、主人にも先立たれて、家も子供も無いもんだから。
私 それです! それでこその野蛮! 万人の万人に対する闘争ですよ、ほら、シャー! シャーッ! (と、蛇のような声を出しながら、威嚇する真似をする)
婦人 なりませんよ。(嘆息して)この先どうするかも考えるんだか考えないんだか、とりあえずは親戚のお家にしばらくご厄介になるんです。
私 いつまでです?
婦人 わかりません。わかりませんが、じき何か、下宿屋でもやって暮していくのです。
私 ほう。
婦人 はい?
私 ほう。
婦人 はい。
私 ほう。仕事が好き。テテッテ、テテ、テテテ、ハイホー、ハイホーハイホー……
ハイホーがフェードアウトして、間。
私 (咳払いをひとつして)そうですか、下宿屋ですか。
婦人 ええ。そのくらいでしょう。
私 うーむ、あてのない私としましては、なにかすうっと職でも見つけて、ぱあっとあなたの下宿にご厄介になりたいものですなあ。
婦人 あら、あなた職もないの? あてもないのに。
私 逆です。職がないからあてもないのです。
婦人 ああ、それもそうねえ。……それじゃあねえ?
私 なんです?
婦人 あなた、あたしがこれから行く人のところで仕事手伝ったらどうでしょう。
私 私に出来る仕事であれば……
婦人 なあに、そこまで大した仕事ではありませんのよ。
私 どんな仕事ですか?
婦人 さあ。何の仕事なのかしらねえ?(と立ち上がる)
私 (つられて立ち上がって)…………
汽車が行く音。明かりはまたゆっくりと上手側へ動いていく。上手には舞台奥から手前へとテーブルが三つほど並べられている。どうやら工場の作業台のようだ。
婦人はそのまま上手へと退場していく。私はひとり舞台にのこって、懐から本を取り出して読み始める。
私 機械 横光利一
初めの間私は私の家の主人が狂人ではないのかとときどき思った。観察しているとまだ三つにもならない彼の子供が彼をいやがるからといって親父をいやがる法があるかといって怒っている。畳の上をよちよち歩いているその子供がばったり倒れるといきなり自分の細君を殴りつけながらお前が番をしていて子供を倒すということがあるかという。見ているとまるで喜劇だが本人がそれで正気だから反対にこれは狂人ではないかと思うのだ。
何かガサガサしていた上手の袖から、主人が登場する。
主人 狂人かあ。面白いなあ。誰が言ったんだ?
私 (どぎまぎしながら)はい! ええと、はい、横光利一が……
主人 よこみつりいち? そりゃどっからが名字で、どっからが名前だい?
私 はあ、名字が横光で、名前が……
主人 (話を遮って)まあ、そんなこと良いから、ちょっと来なさい。
私 はい!
主人と私、下手へと退場する。
軽部、『探偵物語』の松田優作の格好で上手から登場し、二人の後ろ姿を数歩追うが、立ち止まる。
懐から玩具の拳銃を出して何度か狙いを定めてみる。しかし、どこか上手く決まってこない。撃った振りをして拳銃を口元に持っていき、「ふうっ」と煙を吹くしぐさ。(このとき軽部は息を吹くたびに口から粉を出して煙のように見せている。)
これも決まらぬと見えて、軽部、上手へ戻って退場。
主人と私、下手から戻ってくる。
主人 そうなんだ。だからまあ、そこで赤を上手く出そうってんだなあ。
私 ……なるほど。そこであの工夫がいる、と。
主人 そうそう。(と、そのまま上手へ歩いていき、退場。)
私 (主人が歩いていくのを見て後ろから)あ、ありがとうございます!
主人 うん。
私が主人の話を反芻していると、突然一発の銃声がする。思わず周囲を見回していると、すぐ横に金槌が落ちてくる。
私 な、なんじゃこりゃあ!
暗転
明転。私は作業台でいくつかの薬液を見比べている。軽部は帽子とカツラとサングラスだけ付けたまま、作業着になって私と背中合わせでバットを揺すっている。傍らには黄色い薬液が置いてある。
お互いに無言で作業を続けている中、主婦が上手から登場。
主婦 (私に向かって)あの……ちょっと、いいかしら?
私 何です?
主婦 ……(手招き)
私 (主婦の傍に行き)何事です?
主婦 他でもないのよ。
私 他に何があるっていうんです?
主婦 ?
私 ああ、いえ……どうぞ。
主婦 それがね、他でもないのよ……
私 (話を遮って)他に何があるって……
主婦 (これでは天丼だとばかり、私の口を人差し指で塞ぐ。無駄に艶かしい。)あの人の買い物について行って欲しいのよ。
私 何です、素行調査でもなさるんですか? それなら軽部君の方が適任だと思いますがね。
主婦 あら、どうして?
私 ええ、それが(と軽部の方を向いて)……何だか私にもよくわかりませんが、何となく、探偵役には、適任ではないかと。
主婦 (私につられて軽部の方を向いている)そうかしら?
私 ええ。
主婦 まあそうね。
私 ええ、それなら……
※以下の1と2は同時進行で行なう。
【同時進行1】
主婦 (話を遮って)違うのよ。あの人の素行なんか調べたって仕方が無いわ。地金を買いに行くのについて行って欲しいのよ。
私 地金ですか……
主婦 そうよ。それで、これを(と封筒を渡す)。
私 (封筒の中を見て)これ、は……
【同時進行2】
軽部、後ろを向いて私の水筒の茶を飲み干し、代わりに傍らの黄色い薬液を入れる。そして何事もなかったかのように作業に戻る。
主婦 あの人に持たすと十中八九道すがら落っことして来ちゃうんだから。
私 ああ、わかります。
主婦 わかるでしょう?
私 わかります。
主婦 わかって欲しいの……(私に近づく。やはりどこか艶かしい。)
私 ええ、わかります。わかりますよ……
主婦 そお?(私の首筋に柔らかく触れる)
私 はい……
主婦 じゃあ、頼むわよ。
私 は……はい。
主婦 お願いよ(と、私ののどぼとけの周りを指でくるくるしてその指で胸を突く。)。
私 はいい。
胸を突かれた瞬間に全照が消え、私にスポットライトが当たる。その間私は恍惚としている。しばらくしてスポットライトが消え、全照が点くと、主婦は消えている。
主人、上手から登場。
主人 ああん、お前か?
私 はい? ああ、そうです。僕です。
主人 外で待ってるぞ。
私 はい。
主人、また上手へ退場。
私はやりかけていた作業を終わらせて、伸びをする。そして水筒に手をつけかけて、ふと何かに気がつく。
主人 狂人かあ。面白いなあ。誰が言ったんだ?
私 (どぎまぎしながら)はい! ええと、はい、横光利一が……
主人 よこみつりいち? そりゃどっからが名字で、どっからが名前だい?
私 はあ、名字が横光で、名前が……
主人 (話を遮って)まあ、そんなこと良いから、ちょっと来なさい。
私 はい!
主人と私、下手へと退場する。
軽部、『探偵物語』の松田優作の格好で上手から登場し、二人の後ろ姿を数歩追うが、立ち止まる。
懐から玩具の拳銃を出して何度か狙いを定めてみる。しかし、どこか上手く決まってこない。撃った振りをして拳銃を口元に持っていき、「ふうっ」と煙を吹くしぐさ。(このとき軽部は息を吹くたびに口から粉を出して煙のように見せている。)
これも決まらぬと見えて、軽部、上手へ戻って退場。
主人と私、下手から戻ってくる。
主人 そうなんだ。だからまあ、そこで赤を上手く出そうってんだなあ。
私 ……なるほど。そこであの工夫がいる、と。
主人 そうそう。(と、そのまま上手へ歩いていき、退場。)
私 (主人が歩いていくのを見て後ろから)あ、ありがとうございます!
主人 うん。
私が主人の話を反芻していると、突然一発の銃声がする。思わず周囲を見回していると、すぐ横に金槌が落ちてくる。
私 な、なんじゃこりゃあ!
暗転
明転。私は作業台でいくつかの薬液を見比べている。軽部は帽子とカツラとサングラスだけ付けたまま、作業着になって私と背中合わせでバットを揺すっている。傍らには黄色い薬液が置いてある。
お互いに無言で作業を続けている中、主婦が上手から登場。
主婦 (私に向かって)あの……ちょっと、いいかしら?
私 何です?
主婦 ……(手招き)
私 (主婦の傍に行き)何事です?
主婦 他でもないのよ。
私 他に何があるっていうんです?
主婦 ?
私 ああ、いえ……どうぞ。
主婦 それがね、他でもないのよ……
私 (話を遮って)他に何があるって……
主婦 (これでは天丼だとばかり、私の口を人差し指で塞ぐ。無駄に艶かしい。)あの人の買い物について行って欲しいのよ。
私 何です、素行調査でもなさるんですか? それなら軽部君の方が適任だと思いますがね。
主婦 あら、どうして?
私 ええ、それが(と軽部の方を向いて)……何だか私にもよくわかりませんが、何となく、探偵役には、適任ではないかと。
主婦 (私につられて軽部の方を向いている)そうかしら?
私 ええ。
主婦 まあそうね。
私 ええ、それなら……
※以下の1と2は同時進行で行なう。
【同時進行1】
主婦 (話を遮って)違うのよ。あの人の素行なんか調べたって仕方が無いわ。地金を買いに行くのについて行って欲しいのよ。
私 地金ですか……
主婦 そうよ。それで、これを(と封筒を渡す)。
私 (封筒の中を見て)これ、は……
【同時進行2】
軽部、後ろを向いて私の水筒の茶を飲み干し、代わりに傍らの黄色い薬液を入れる。そして何事もなかったかのように作業に戻る。
主婦 あの人に持たすと十中八九道すがら落っことして来ちゃうんだから。
私 ああ、わかります。
主婦 わかるでしょう?
私 わかります。
主婦 わかって欲しいの……(私に近づく。やはりどこか艶かしい。)
私 ええ、わかります。わかりますよ……
主婦 そお?(私の首筋に柔らかく触れる)
私 はい……
主婦 じゃあ、頼むわよ。
私 は……はい。
主婦 お願いよ(と、私ののどぼとけの周りを指でくるくるしてその指で胸を突く。)。
私 はいい。
胸を突かれた瞬間に全照が消え、私にスポットライトが当たる。その間私は恍惚としている。しばらくしてスポットライトが消え、全照が点くと、主婦は消えている。
主人、上手から登場。
主人 ああん、お前か?
私 はい? ああ、そうです。僕です。
主人 外で待ってるぞ。
私 はい。
主人、また上手へ退場。
私はやりかけていた作業を終わらせて、伸びをする。そして水筒に手をつけかけて、ふと何かに気がつく。