味の無いマテリア
「3mgの軽蔑」
何気なく買った煙草に一本、火を点けた。
吸い込んだ瞬間に思い切り咽て、喉に残る粘ついた感触に顔を顰めてしまう私は、傍から見れば滑稽なのだろう。
そんな事を思いながらまた一喫み。誰も見ていない中で、誰も見ていないから吸い続ける。
橙色の光と微かなファンの音に吸い込まれていく煙を眺めながら、煙草が嫌いだった貴方が脳裏を横切っては煙と共に消えた。
煙が一つ立ち上るだけで眉根を寄せて。
臭いに苛立つ貴方の顔を、私はとても良く覚えている。
冷や汗と共に、地面がぐらりと揺れる感覚を覚えた。
知らない味に、知らない煙を、身体が否定している。
「君は軽蔑が欲しいだけなのさ」
まるで縮む様子の無い君が、煙を揺らして笑った。
ただ単に吸いたかっただけなんだよ。そういう時があってもいいだろう、と私が言うと、彼は鼻で笑って、煙を吐いた。
「嫌われたいなんて理由だけなんて、吸われた煙草の方が可哀想だね」
吹き出るような嘔吐感としみる煙に目を細めていると、灰がほろり、と落ちた。
「こんな灰のように、切り落とせたら、と君は思うっているだろう。切り落として、自分とは別の何かにしてしまえたらなんてね。だがどうだ、君は未だ【貴方】の匂いのする物を身につけて、なんてことない、と口にしてみせている。全く滑稽な事だね」
煙草如きに何が分かる。
分からないよ、と彼は言った。たった一本に満たない程度で君が青い顔になっているように、君の事も煙草は受け入れていないのさ。
タールに身を沈められたなら。
ニコチンで心を満たせたなら。
貴方を好きだった君でなくなるとでも思っていたのかい。
私は、吸いきれずに縮んでいく煙草を水に濡れたシンクに押し付けて、上から水をかけた。
一瞬だけ煌煌と赤く燃えた火が、身を焼くような音と共に鎮火する。
折れ曲がった煙草は、まだ半分も残っていた。
決別すらしきれない私は、どこまでも臆病で、貧弱だ。
胃の奥から迫り上がる吐き気に身をよろけさせて私はぐらつく。
ほんの、ほんの3mmでも離れることが出来たなら、私はもう貴方を忘れられるかもしれない。
そんな3mgを吸い切れない、滑稽で馬鹿みたいな男が一人。
笑い話にもならない、そんな深夜のお話。