6.
面接の翌日、杉村は夜勤で本来ならば22:00からの勤務なのだが、一時間早めにやって来て、野上修司の妻、曜子から色々と仕事内容を教えてもらっていた。曜子の外見は3年前と変わり、ガリガリにやせ細って白髪も目立ち、目が大きく窪んで年齢の割に老けた姿になっていた。
「それで、アルコールのお客様には、画面タッチしてもらってね。」
「はい。」
「大丈夫?ちゃんとついてこれてる?」
「明らかに20歳以上の外見でも、画面タッチを要求するところが、客を舐めてますよね。」
「いい?そういう決まりなんだから仕方ないでしょ?ちゃんとやってちょうだいね。」
「ええわかっていますよ。」
「たまには、乱暴なお客様も来られるけど、こらえてちょうだいね?」
「ええ。…でも人間の尊厳を踏みにじられた場合には当然、俺は戦いますよ。」
「ここは普通のコンビニなのよ?志高く持ちたいなら海外で傭兵にでもなったらどうかしら。」
「奥さん。意外と過激ですね。」
「ほら、お客様」
会計をそつなくこなす様子をみて曜子は言う。
「大体の流れは、こんな感じだから、あとはもう少しで夜勤の玉田君が来ると思うからわからないことがあったら聞いてちょうだいね。」
それから、10分ほどして童顔の大学生、玉田はやって来て杉村との挨拶も終わったので、陽子は引き継ぎをするとバックヤードへと向かった。
バックヤード内では修司が一人伝票をチェックしている。曜子はその様子を確認すると、そのまま無言で後ろ姿を見つめている。
「どう彼?」修司は伝票に目を通しながら、背後にいる曜子に問いかけた。
「うん。少しムラがありそうだけど、悪い人ではないみたい。」
「ふざけた奴だと思ったけど、採用しない訳にはいかないしな…。」
曜子は突然立ちくらみがおき、積み上がっていたジュースの空き箱に肩をぶつけた。その衝撃でいくつか空き箱が落ちてきた。
「おいおい大丈夫か?」
「ごめんなさい、ちょっと頭が痛くて。」
「顔色悪いじゃないか。発注終わったら今日こそは日付変更前に帰れるから、先に帰って休んでなさい。」
「あなたもすごいクマよ。」
「ここの所、夜勤もでずっぱりだったからね…そう考えると彼の応募は本当助かるよ。」
「ええ…長く続いてくれるといいけど。じゃあなた、先に帰ってるわね。」
「ああ、気をつけて。」
そのころ、店内では、玉田が杉村に他の仕事の説明を行っていた。
「それで、肉まんの準備が終わったら次におでんの具減らしをお願いします。」
「うん。結構やること多いね。」
「まだこんなもんじゃないですよ。」
「まじで?…ところでここのオーナー、目、死んでない?」
「ああ…疲れているんですよ。オーナー始めて3年間一日も休んだことないらしいですよ。」
「まじで?すっげえ野蛮だな。」
「えっ?なんでですか?」
「いやだって、一日も仕事を休まず働くって野蛮人だろ。」
「なんでそうなるんです?働き者っていいことじゃないですか。」
「俺も別に前までその辺のこと考えたことなかったんだけどよ、昔は冬に食糧貯め込んでゆっくりしてたんだよ。ご先祖様の時代はさ。」
「まあ、そんな暮らし出来るにこしたことはないですけどね。…でもオーナーの場合望んで働いている訳でもなさそうですよ。」
「えっ?じゃあなんで働くんだよ。」
「なんでも人が集まらないっていうのと、人件費負担が大き過ぎて夫婦で働かないと赤字らしいんです。」
「まじで?結構な売上ありそうなのによ。」
「まあ、利益は本部が全部もっていくってことなんじゃないですかね?」
「そもそも24時間営業を認めてるのも野蛮なんだよなー。」
「えっ?便利でいいじゃないですか?」
「お前さ~。便利の追及する為だったら人殺してもいいと思ってんの?」
「別に人殺しなんてしてないじゃないですか!」
「いや、自由競争で生き残れなかった小さい売店の店主とか借金抱えて、首くくって死んでるんだぜ?だから野蛮なんだよ。それもよ、加盟店オーナー自身も人間らしく生きることを放棄させられるんだから、残酷なシステムだよな~。百歩譲ってだ、他人をぶっ殺して自分の懐が暖まるんなら、俺はまだ納得できるよ?それが、血塗られた人類の歴史っつーもんだからよ。だがよ、最前線で他人殺す指揮とって身入りがないんじゃ、俺がオーナーの立場なら現実に絶望して自殺するね。」
「ま、まあとりあえず、目の前の仕事片づけましょうよ。」
「で、次は何をすればいいんだよ。」
陽子が帰宅して、玉田が杉村に続けて仕事を教えていると、店舗担当の崎谷がやって来た。崎谷は自宅が店の近所にある為、自分の担当する20店舗の最後に千川3丁目店へ来ることが恒例となっている。
「よーーーー。玉ちゃん元気~!?」一日中働いて最後の担当店舗ということもあり少し高めのおかしなテンションで玉田に絡む崎谷。
「あれっ?新人さん?初めまして!PACの崎谷です。あ、パックって知ってる?プロエリアカウンセラーの略ね。」
崎谷が自己紹介を終えると、来客があり、「いらっしゃいませー。」と軽薄な声色で崎谷は言った。杉村はまだ接客に馴れていないこともあって、いらっしゃいませと言うタイミングを逸してしまった。
「あれ?君?言って!ほら!元気ないぞ!はい!」
「いらっしゃいませ。」
「うん。全然ダメ。もう一回!」
「いらっしゃいませ。」
「やる気ないなら帰っていいぞ!」
「いらっしゃいませ!」
「うーん。なんか違うな、ここ、ここにもっと力入れなきゃ。」と崎谷は杉村のみぞおちを強く叩いた。急所への不意打ちの強打に痛みでかがみ込む杉村。自分の足元にかがむ杉村を見て崎谷の表情はほころんだ。
「玉ちゃーん。ちゃんと挨拶教えといてー。で、オーナーは?」
「は、はい。あ、えと。バックヤードにいると思います。」
それを聞くと崎谷はバックヤードへと入っていった。
「大丈夫ですか?」
「ああ…。クソが。」
その時、レジに客がやって来て、弁当の会計を求めてきた。求めると言っても、無言で弁当をレジ横に置くだけの行為である。
杉村は弁当を受け取り、玉田は不安な面持ちでそれを見ている。
「480円です。温めはいかが致しますか?」
「いい。」
「はい。」といってレンジで温めようとする杉村、怒りでまだ頭が良く回っていない。
「いや、温めなくていいって!」
「はい。」
「はい。じゃねーんだよ!なんなんだよその態度はよ!」
「はい。」
「だから、はいじゃねーんだよ!ふざけてんのか!?この野郎!?」
「じゃーこれでどうっすかね?」
「ああん?」
杉村は突然、客を殴りつけると、「玉ちゃん。ちょっと店頼むわ。」と言って客の髪の毛をつかんだまま店を出ていった。玉田は呆気にとられて、その光景を黙って見過ごす他なかった。
その頃バックヤードでは崎谷が、修司に質問を浴びせていた。
「今日の数字どう?」
「…前年比90%割れです。」
「ええ~。全然駄目じゃーん。…どうすんの、こんな数字で。」
「が、頑張ってるんです。」
「んなこと聞いてないんだよ~。頑張るのはあたり前だろ?馬鹿が。おうそうだ。ファイブ君ケーキの予約はどんな?達成したんか?今日最終日だけど目標いってるよな。」
「予約数が今のところ20です。」
「20!?全然じゃん!目標50だよね?30足んないじゃん。あの子らにはいくつくらいいかせてんの?」
「あっ玉田君は2つ予約してくれて、杉村君はまだ今日入ったばかりの新人さんなのでお願いはしてないです。」
「よし、じゃあ玉ちゃん5の、杉やん3でいこう。残りの24をオーナーのマネーパワー発動してブチ込んじゃおう。」
「勘弁してくださいよ、既にある予約のうち、10は私なんですから。」
「いやーでも売上いってないわ、予約も未達だわじゃどうしようもないの分かんだろう?今日の所はマネーゲームで押し切ろう。な?」
少しの間、沈黙があった後「あんまりだよ。」と修司は口を開いた。
「あん?何か言ったか?」
「…話が違うじゃないか。」
「何?どうしたの?話って売上について以外に何か話したっけ?…ああ!近所のアジアンエステ行ったの?」
「違う!ファイブマートは砂漠のオアシスじゃなかったのかよ!」修司は叫んだ。
「何々、急に声荒げちゃって~。お客様の耳に入ったらびっくりなさるだろ~?」
「私も妻も!この3年間必死に働いてきました。1日だって!いや夫婦で12時間以上お店を離れた事すらないんだ!」
「うん、それで?」
「なのに、お金は底をついて、月の微々たる収入は時給換算すれば、300円にも満たない…」
「わかった!わかったよ!でもさー。ウチだってできればオーナーさんにより豊かな暮らしが出来るようにって全力でサポートしている訳じゃん。それにさ、それがPACたる俺の働くモティベーションなのは理解してよ~。」
修司は不満を言えば崎谷に言いくるめられる事は理解していたが、それでも我慢出来なかった。修司は、頭を地面に擦りつけて土下座を始めた。
「お願いします!」
「どうしたのオーナー!顔上げて!」
「辞めさせて下さい!」
「頑張ろうよ~?」
「お願いします!もう限界なんです。辞めさせて下さい!」
「駄目、駄目、駄目~。前にも言ったろ~。今辞めたら違約金発生するって!その金払えんだったら今すぐに辞めてもらって結構なんだ!でもね…オーナー…。」
土下座を覗き込む崎谷は続けて、「それが出来なきゃ駄目~~~!!!」
「ちくしょう…。ちくしょう…。」泣き崩れる修司。
「じゃあ、ちょっと落ち着いたら売上達成するまで接客よろしくね。」
そう言うとバックヤードから出ようとする崎谷。
「待てよ!」声を荒げて、崎谷の袖をつかむ修司。
「おい!!!」急に先ほどまでの軽薄な声色から変わり、重低音の効いた相手の心臓をわし掴むような声になった崎谷は続けて、「高えんだよ!」と言った。
「えっえっ。」突然の変化に怯え修司はそう聞き返すしかなかった。
「服!高いんだよ!」
「あ…すみません…。」
「クソ虫が!」と言って蹴りを入れる崎谷。修司の体は吹き飛ばされ、積み上げていた商品の山に当たった。商品は崩れ落ちそうになったが、修司は必死に抱えて落ちないように踏ん張った。
「そうそれだ!その必死さで頑張れや!」崎谷は笑いながら店内に戻っていく。
修司は、反抗的な態度をとったすぐ後に崩れ落ちないよう商品を反射的に守った自分の奴隷精神の染み付きっぷりを身をもって体験して、頭の中は情けなさで満たされ。悲鳴にも似た声を混じらせながら、咽び泣いた。
一方、杉村は店から連れ出した客を、路地裏に連れ込んでいた。
「お前ふざけてんじゃねーぞ、クソ野郎。ブチ殺すぞ!」と杉村。
「すみません!すみません!」と客の男が謝ると、杉村は客のスーツから名刺入れを奪い、中から名刺を一枚抜き取った。
「ふーん。蜜友商事の村上さんですか。なかなかご高名な所にお勤めじゃないの。」
「勘弁してください!」と土下座する客。
「いいか、変な真似しやがったらブチ殺しに行くから覚悟しとけよ。」
「はい!はい!」そういうと村上は財布の中身を取り出して、「こ、これ全部あげますんで、許して下さい!」と言った。
不機嫌な顔になった杉村は、「なんでも、金で解決しようとしてんじゃねえ!」と言うと、再度顔面を殴りつけた。