「メディア…メディア・リターナーです」
王宮と言っても、王宮の中に入ることなどは滅多にない。王宮の中なんて年に一回の、女王陛下が魔女部隊を招いて慰労する時しか足を踏み入れたことがない。
今、私がいる場所は王宮の隣の敷地に建てられた軍の司令部と言った場所だ。
番所で名前を告げると、衛兵がリストをチェックしてくれる。しっかりと私の名前が記載されていたようで、数分も経たぬ内に中へと通された。
「こちらです」
衛兵の少女は私を案内し終えると足早に番所へと戻っていった。
「メディア・リターナー、入ります」
数回のノックと共に名前を扉に向かって名乗り、中へと入る。
部屋の中はシンプルな執務机と、本棚が立ち並んだ質素な部屋だった。余分な物が一切置かれていないこの部屋は、恐らくいつここから異動になっても構わないという配慮なのだろう。
そして、部屋の一番奥に座る人物に、私は見覚えがあった。
「教官殿……」
「あぁ、メディアか。よく来たな……、まあ座れ」
紫煙をくゆらせながら、魔女学校時代の教官――サラ・L・モリスが受け応える。部屋の脇には彼女の使い魔が少しけだるそうに惰眠を貪っている。
「はい。お久しぶりです」
形式的な挨拶をしながら、私はモリス教官に向かい合うように、執務机を挟んで座る。
「ん、すまん。煙たかったか」
こちらの返答を聞く前に、モリス教官は灰皿で咥えていた煙草の火を消す。
「いえ、お煙草吸われたんですね、と思いまして」
「……、まあな。お前らを教えていた時は禁煙していただけだ。未成年を教育する立場でタバコというのもな」
正直、私は魔女学校時代からこの人はあまり得意ではなかった。規律に厳しく、訓練にも一切の妥協は許さない。成績の良くなかった私にとって、彼女は畏怖の対象であるとともに尊敬もしていた。
「早速だが、ここに次の貴様の配属先が書いてある。……先の初陣を体験して、精神的に辛いだろうが、こちらとしても戦力の温存をしている余裕はない」
モリス教官は器用に風の力を操り、こちらの目の前に一枚の書類を漂わせ渡す。
「……それは、戦況が芳しくないということでしょうか?」
「それは貴様が気にすることではない」
「失礼しました」
受け取った紙面には簡単な配属先の情報と、これからのスケジュールが書かれていた。
「それと、ランの戦死は私も聞いている。あいつは素直ないい使い魔だったな……」
「はい、私には勿体なさすぎる使い魔でした……」
「使い魔の話なんだが、貴様の肩にいるそれが新しい使い魔か?」
モリス教官は私の肩にいる名無しに目線を送る。
「はい、偶然先の戦場で遭遇しまして、生き残るためにその場で契約を結びました。その場合は、非常時ということで違法契約にあたらないと考えましたが」
魔法は人の身を超えた力を実現するために、むやみやたらに魔獣と契約することは禁じられている。例外として、命の危険がある場合のような緊急性が高い場合は後日正式な届け出をだすことで、罪には問われなくなる。
「……そうか、では予定にある「新しい使い魔の選別」の項は無視してくれ。担当者にはこちらから連絡をしておく」
「ありがとうございます」
「それじゃあ、この書類も必要だな」
モリス教官は机の中から新しい書類を一枚取り出し、先ほどと同じようにこちらに漂わせ渡す。
「既に一度書いているから説明は不要だろうが、使い魔の登録書だ。すべてに記入して、担当者に渡せ」
「はい」
「話は以上だ。何か質問はあるか?」
こちらから話すことはもうない、と言ったようにモリス教官は新しい煙草を懐から取り出し火をつける。
「いえ、ありません」
「そうか」
しばらく無言のまま向かい合っていたが、もう私にはここに留まる理由もない。
「それでは、失礼いたします」
椅子から立ち上がり、会釈をして別れを告げる。
「メディア」
部屋を出ようと背を向けた時、不意に呼び止められる。
「よく生きて帰ってくれた。貴様はお世辞にも学校での成績は良くなかったからな……」
「…………すべて、教官殿の指導のおかげです」
もう一度会釈をして部屋を出る。
だめだ。顔見知りだからと情を覚えてはいけない。これから先、彼女も等しく私の敵になるのだから……。私が頼っていいのは傍にいる得体の知れない使い魔だけ。そのことをもう一度深く頭に刻み込む。
「もしかして君、今の人に苦手意識持ってる?」
「あら、どうして?」
妙なところで鋭いわね、こいつは。
「だってずっと僕の尻尾をいじってたんだもん。くすぐったいから、吹き出すのを我慢するのが大変だったんだよ」
「……気付かなかったわ。ごめんなさいね」
前言撤回。隙を見せてたのは私自身だったわけね……。
「彼女もいずれは君自身がとどめを刺さなくちゃいけないんだよ。ちゃんとわかってる?」
「それは言われなくとも」
「そう、ならいいんだけどね」
「さ、私たちの上司のところに会いに行きましょうか……、と思ったけどまだ時間があるわね」
モリス教官から貰った紙には、新しい部隊長への挨拶は午後一番と記載されていた。
「きっと、新しい使い魔を見繕う時間を考慮していたんだろうね。どうする? まだ3時間以上もあるけど」
「そうね、先にあなたの登録をしちゃいましょうかね。丁度いい機会だからあなたのことを知っておきたいしね」
●
私たちはモリス教官のいた軍中枢部を離れ、軍の施設の中にある休憩所に移動した。時間が時間であるため、休憩所を利用している者は誰一人いなかった。
「さて、と」
モリス教官から貰った使い魔登録用の用紙を取り出し項目を確認する。私の読む紙を覗き込むように、名無しはテーブルの上に乗っかる。
「……名前、全長、体重、ここら辺はまあいいとして……」
上から空欄になっている箇所を流し読んでいき、内容を確認する。既にランを登録する時に一度記載していたので、深く読む必要はなかった。
「あなたの属性って何かしら?」
「属性、かい? ごめん、それは一体何なんだい?」
「あなた……、使い魔の癖にそんなことも知らないの……。いい、一度しか言わないからよく聞きなさい」
使い魔にはそれぞれ五大元素――「地」、「水」、「火」、「風」、そして「エーテル」の5つに分類わけされた属性を持っていることがわかっている。
先ほどモリス教官が風を操ったのは、彼女の使い魔が「風」の属性を司っているからである。中には2つの属性を司る希少種も存在するが、基本的には一個体に対して一つの属性が基本となっている。
基本的に「地」、「水」、「火」、「風」はそれぞれの力を司るが、「エーテル」だけは少しだけ毛色が違う。「エーテル」とは本来、人間である魔女側に元来備わっている力。言い換えるとするならば『気力』。魔獣から経由する魔力を行使するためにもこの「エーテル」という力を使う。「エーテル」属性を持つ魔獣の魔力は魔女の身体を著しく強化することができる。その代わりに他の属性のような神秘の力を行使することは不可能なため、その使用・運用は難易度が高い。そのため、好き好んで「エーテル」属性を使う魔女は少ない。
使い魔との力のパイプが強くなればなるほど大魔法と呼ばれる戦術レベルの対軍魔法を使いこなせたりもする。良くも悪くも、私はこの得体の知れない使い魔との絆を深めることが肝要になってくる。
「こんなところかしらね。私の勝手な予想だけど「火」属性とかかしら?」
こいつは世界を滅ぼす力を与えると囁いてきたのだ。火力偏重型が多い、「火」属性ではないかと予想を立てる。
「うーん、残念だけど違うと思う」
だが、名無しは歯切れ悪そうに否定をする。
「僕は君たちが思っているような魔法は使えないよ。多分、さっき言った5つのどれにも属さないと思う」
「そんな馬鹿なこと……、これ以外の属性の存在なんて確認もされてないわよ」
「それは使い魔の話だろう?」
と、普段表情の差など読み取れない名無しが笑った気がした。
「僕は君たちが使い魔と呼ぶ種族とはまったく別の生き物だからね。君の知っている使い魔の常識には合致しないと思うよ」
「……、あなたが何者かと聞いてもどうせ教えてくれないのでしょう?」
「そうだね。まだ明かすことはできないね。一生、明かすことはできないかもしれないけど」
「まったく……、フェアじゃないわね」
「後悔しているかい?」
「……いいえ、世界を滅ぼすのだもの。あなたくらい正体のわからない存在の方が、逆に信頼できるかもしれないわ」
「うん、その考え方は嫌いじゃないよ。まあ心配しなくてもいいさ。きっと君が満足するような力を与えてあげることができるよ。そんな力を手に入れられるかは君次第だけれどね」
君次第……? 何かひっかかる言い方だ。まるで、ただでは力を与えないような…何か裏があるような言い方だ。
……まあ既にこの命も拾ったような価値のない物だ。今更命に近い代償を差し出せと言っても後悔はない。
「あなたが何の属性も持ってないことはわかったわ。でもそうなると……、なんと記載したらいいかしらね……」
虚偽の記載をしたところですぐに発覚するわけではないが、属性に見合った役割を与えられた場合……、私はその役割を果たせないことになる……。そうなれば、虚偽申告による軍法会議、果ては残された私の唯一の希望である名無しとも離れ離れになる可能性もある。
「その点については心配しなくても大丈夫だよ。僕の能力は、君をどんな魔女にすることもできる可能性を秘めているんだ」
「へぇ、面白いじゃない……。それじゃあ聞かせて貰おうかしら、あなたの持つ能力とやらを」
「そうしたいのだけれども、お客みたいだよ、メディア」
「え?」
私と向かい合っていた名無しは、私の背後から近づいてくる魔女の姿を捉えていた。その魔女は私たちのところに迷いなく近づいてくる。
内容が内容なだけに、こういう話はひと気のない場所でしたかった。仕方がない、使い魔登録書は今日中に出せばいいのだから後回しにしよう。
「アナタがメディア・リターナーかしら?」
「はい……、えっと、あなたは?」
「ごめんなさい、急なことでビックリしたわよね」
現れた魔女は人懐っこい笑みを浮かべながら自己紹介をする。
「私はセシリア・トリスケイル。アナタが配属される部隊の隊長よ。……まぁ、部隊と言ってもメンバーは私とあなただけだけどね」
セシリアと名乗った魔女は少し自虐風に笑いながら、右手を差し出してくる。
「あ、メディアです。よろしくお願いします」
少し戸惑いながらもセシリアの差し出された右手に握手で返す。
「サラから連絡を貰ってね。予定が少しずれたから、暇だったら顔を見せに行ってやってほしいってね。そしてこの子があなたの使い魔ね、名前はなんていうのかしら?」
この何気ない質問にも答えを窮してしまう。名無しに目線を送ると、名無しは心配ないよと言わんばかりに頷いた。
……それじゃあ、あなたに任せることにするわ、という感じで紹介はすべて名無しに投げる。
「ほら、あなたから自己紹介して」
「僕の名前は「ネームレス」。メディア共々よろしくお願いするよ、セシリア」
……、何の捻りもなく自分のことを名無しと名乗る奴がいるもんだなぁ……。絶対に不審がられるだろうなぁ……。
「名無しということかしら、ね。私には真名を明かせないってことかしら? ……面白い使い魔ねこの子。気に入ったわ、えーとメディアって呼んでいいかしら?」
「はい、トリスケイル隊長のお好きなように」
……思いの外すんなりと受け入れられたわね。私って物事を考えすぎるタイプなのかしら……。
「私のこともセシリアでいいわ。どうせ2人しかいない部隊だもの。気兼ねなく仲良くしましょ?」
「は、はい、わかりました……、セシリア隊長」
「まだまだ固いわねぇ。ま、少しずつ慣れていけばいいわ。改めてよろしくね、メディア」
「あの、セシリア隊長」
先ほどから一つ気になっていたことがあった。
「2人しかいない部隊とは……、どういうことでしょうか……?」
「うふふ、気になる?」
私が不思議がるのを予想していたのか、セシリアは屈託のない笑みを漏らす。
「それは後でちゃーんと教えてあげるわ。詳しく話してあげたいのだけれど、予定があってこれから別のところに行かなきゃいけないの。後でまた会いましょう」
「あ、そうだったのですか」
「それじゃ、ジャマしてごめんなさいね」
と言い残し、セシリアは休憩所を出ていった。
「あれが新しい隊長さん、か。いい人そうで良かったね」
「そうでもないかもしれないわよ」
「どういうこと?」
私はセシリア・トリスケイルという名前に聞き覚えがあった。それは別に私が事情通というわけではなく、魔女であるならばその名を一度は耳にしたことはあるはずだ。
「奔流の魔女、セシリア・トリスケイル。魔女学校を首席で卒業後、初陣から今日に至るまで傷一つなく戦場から帰還した実績。「水」属性を司る魔女の中で最強と謳われているわ。あの人当たりの良さそうな感じは演技かも知れないわよ」
「へぇ、そいつは凄い」
「あなたね……」
名無しは理解しているのだろうか。今は一時的に軍に属してはいるが、彼女も等しく敵であることには変わりないことを。それほど力を持つ魔女が常に傍にいては、私たちは動きづらくなる。更に……、セシリアの部隊には私とセシリアしかいないとまで言っていた。
……名無しのこの能天気な性格はしばらくは慣れそうになさそうだな、と心の中で思う。しかし、この名無しの緊張感のなさは……、逆に大いなる力を秘めていることの裏返しなのかもしれない。
「……それじゃあ聞かせて貰おうかしら、あなたの持つ能力ってやつを」
「いいとも、僕の能力は――」
●
「――――は?」
思わぬことに、恥ずかしながら素っ頓狂な声を漏らしてしまった。周りに誰もいなかったのが幸い言える。
「ん? 聞こえなかったのならもう一度説明しようかい?」
万が一誰かに聞かれぬよう、もう一度周りに誰かいないかを確認する。そして念には念を入れ、名無しと同じ目線まで頭を近づけて会話するようにする。
「その必要はないわ……。私が言いたいのは別のことよ」
咳払いを一つ、一呼吸置いてから確認するように尋ねる。
「アブソープション……、相手の魔力を吸収する能力。あなたは今こう言ったわよね?」
「そうだよ。僕の力は他者の魔力をそのまま自分の物にできる。奪って奪って奪いつくし、奪うほどに強くなれる。
どうだい? 世界を滅ぼそうとする君に相応しい力じゃないかな?」
「そうね、確かに考えようによってはとても魅力的な話だわ。奪う力に打ち止めはないのかしら?」
「僕に関しては心配ないよ。心配した方がいいのは、僕の魔力を使役する君の方だと思うよ」
「そう、頼もしい限りね。……一つ確認しておきたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「なんだい?」
確かにこの能力は上手く使うことができれば想像もつかないような力を手に入れる可能性を秘めている。
魔力を喰えば喰うほどに強くなるということは、使い魔何匹かから力を吸収することができれば……、一匹では成し得なかったより強い力を使いこなせることになる。だから、名無しは部隊にセシリアという最強クラスの魔女がいることを喜んだのかもしれない。
……だがそれは将来的な話であって、今現在の話ではない。
「まだ魔力を吸収していない今、私は何の力を持っていないってことでいいのかしらね?」
名無しは何も答えない。
話を誤魔化そうとしているのか、聞こえなかったふりをしながら自身の毛づくろいを始める始末だ……。
「何か言いなさいよ」
「いや、まあ、うん……、確かに君たちの視点で見ればそういう解釈もできるかもしれないね。だけど長期的、そう超時空的視点で見ればそんなことは些末事に過ぎないさ。
下手に最初から力を持っているとその力に左右されて自由にできないと思ったから、あえて君には無能力者のまま能力を与えるんだよ。ちょっとは僕の気遣いを察してもらいたいけど、仕方ないか。さて一体君はこれからどういう風に自分の力を育てていくんだろうね。僕はそれが楽しみで仕方ないよ。真っ白なキャンバスに君はどんな絵を描くんだい? 業火に焼き尽くされた灰塵の絵か、それとも深青の底からの泡沫の絵かそれとも……」
「もういいわ……、その辺で黙ってちょうだい」
ったく……、つまり図星ってことね……。
そう、現在私たちの力は見習い魔女にも劣る……、いや一般人レベルの力しか持たない序列最下位ということだ。そんな一番下、最底辺の人間がいきなりセシリアに挑んだところで太刀打ちできるはずがない。いやセシリアどころか……、どんな魔女にも敵うはずがない。
「まずはどうにかして魔力を手に入れないといけないわね……。「牧場」……は警備が厳しいから難しいし……。都市部から離れて野良の使い魔を探す、というのが妥当かしらね……」
これからの方策を考えているときに、さらっと名無しが能力の制約について付け足す。
「あ、一つ言い忘れてたけど、人間と未契約の使い魔を襲っても力を得ることはできないからね」
「そういうことは早く言いなさいな! さっきのあのグダグダ話はなんだったの!?」
「まぁまぁ、落ち着きなよメディア。何もそんな難しい制約を言ってるわけじゃないさ。僕たちがいるのは魔法の国だよ? ほら、周りを見渡せばそこら中に僕たちのエサが転がっているんだよ」
「エサとか言わない。品がないわよ」
はぁ……、本当にこいつはさも簡単そうに言ってくれるわね。
最初から戦術兵器並の力を持っていれば、計画遂行までの時間は短く済むが……、名無しの能力を鑑みると計画遂行までそれなり……、いやかなりの時間を要すると推算する。そうなれば、下手に物事を起こして国内で動きづらくなるのは厄介だ……。
「ほら、不意討ちなり薬を盛ったり、色々と汚いことしていこうよ。魔女らしくさ」
「……あなた、すべての魔女に謝りなさい」
だが名無しの言うことももっともだ。正攻法で挑んでは返り討ちにあうのが目に見えている。
あらゆる手段、たとえ非道と罵られようとも大事を成すためには必要経費ということだ。世界を滅ぼそうとしている者が、小さな犯罪を恐れてどうすると自分に言い聞かせる。
でも、そんなことが私に可能なのかしら……。いや、迷ってても仕方ない、か。
とにかく自分に言い聞かせて無理やりにでも奮い立たせる。
「……とりあえず、しばらくは力を蓄える時間が必要ね」
とは言うものの、魔力が何もない状態では軍での行動にも差支えがでてくる。最悪、使い魔不適当として名無しとの契約を解除される可能性さえある。
始まりの一手、最初の魔力を得ることが最低条件となる。それも迅速にだ。
「はぁ……、前途多難ね」
「大丈夫、君ならできるさ。なんたって君は「世界の崩壊を願う魔女」なんだからね」
「……気休め程度に受け取っておくわ、「世界の崩壊を手助けする使い魔」さん」
●
これからのことや、名無しの能力について詳細に聞いているうちにセシリアの部隊に行く時間になった。私たちは素早く休憩所を離れ、集合場所へと向かった。
「時間ぴったしね。お久しぶり、メディア」
軍の施設の中にある一番小さい部屋。少し年季の入った木戸を開けると、既に部屋の中にはセシリアとセシリアの使い魔が待機していた。
「あの先ほど会ったばかりですが、隊長」
「もう、冗談よ冗談。相変わらずお堅いんだからー」
一応は正式な部隊のミーティングであるわけだが、堅苦しい雰囲気は微塵も感じられなかった。言うなれば部活動のミーティングのような、ぬるま湯に浸かっているような雰囲気だった。
……ちゃんと任務になったら、この人も真面目になるはず……よね?
「さて、さっきはいなかったから、まずは私の使い魔を紹介するわね」
と、セシリアは机の上に自分の使い魔を乗せる。
「この子が私のパートナー、ダイダルちゃんでーす。仲良くしてあげてね、2人とも」
サファイアのような青紫色をした外鱗。胴から少し伸びた首に羽、そして三つの尾を持つ小竜。竜族らしく小さいながらもその眼光は鋭く、サイズ差があるにも関わらず威圧感を感じる。
なんか怖い……。多分私苦手だなぁ、この使い魔……、と早々に心の中で白旗を揚げかかる。
「ダイダルだ。よろしくお願いする」
セシリアとは違い、ダイダルと名乗る使い魔は言葉数少な目に挨拶をする。
「それより、セシリア。人に紹介する時にちゃん付けはやめろといつもいつも言っているだろう」
「アハハ、ごめんなさいつい癖でね。えーと、それでこの子がメディア・リターナー。そして使い魔の「ネームレス」よ」
「「ネームレス」? 我らには名前を明かせぬということか?」
名無しの名前――と呼ぶのは正しくないかもしれないが、名前を聞いてダイダルは怪訝そうな顔を浮かべる。
まぁ、それが当然の反応よね……、と心の中で思う。
苦手意識を感じつつも、なんとなくこのダイダルという使い魔は私に近い考えを持ってそうだな、と親近感を覚える。
「我ら」というか、契約者である私自身も知らないのよね……。
「まあまあ、本当にそういう名前かも知れないし、名前なんて些末事よ」
「……確かにそうである、だがな……」
「もうダイダルちゃんは堅苦しいのよー。もっと気楽に行きましょ、気楽に」
「むぅ……」
どうやらこちらが誤魔化さなくても何とかなりそうだなぁ。下手に言葉を挟むより、ここはセシリアに任せておいたほうが良い気がする。
「ハイ! それじゃあ自己紹介は終わりにして、これからのこと、気になっているであろうこの部隊のことについてお話ししたいと思いまーす」
セシリアはもう議論は打ち切り、とばかりに明るい声で話題を変える。
「私たちの部隊、正式名称は、えーと……なんだっけダイダルちゃん?」
「独立第01分隊トリスケイル班、だ。因みにこの質問も6回目だからな、セシリア?」
「そうそう、独立なんちゃらセシリア班って言うんだけど」
あぁ、多分一生自分の使い魔に聞き続けるつもりなんだろうな……。ついでに人の話をあんま聞かない人だな……。
「ま、簡単に言えば裏方のお仕事ね。裏方と言っても活動場所はもっぱら中立地域や敵勢力地域なんだけどね」
それにしても独立第01分隊…とか言ったっけ……?
聞いたことのない名前だった。公には明かされてない特殊部隊か、それとも最近新設された部隊なのかそのどちらかだろうと推測する。まあ、私が軍に入って日が浅いから知らないだけの可能性もあるが、どちらにしろ……、ちょっとキナ臭いわね……。
「えーと、任務の内容は後方攪乱や潜入調査、威力偵察とか色々ね。まあ簡単に言えば戦場の工作屋さんと言ったところかしら?」
セシリアは軽く言っているが……、任務の内容を聞く限りどれもこれも危険が付き纏うように思える……。少人数であるからこそ、闘うにも退却するにも己の実力が物を言う。そんなところに私が入っても大丈夫なのだろうか……?
というかこういうのって精鋭がやるもんじゃないのかなぁ……。
「大丈夫よ、メディア」
「え?」
心の声が漏れていたのか、はたまた顔色に表れていたのか、セシリアがこちらを気遣うように手を重ねてくる。
「サラからアナタのことを頼むと言われているもの。必ず私が守って見せるわ」
私たちがあなたの使い魔の魔力を狙っていることも知らずに、胸を張って私たちを守ると宣言する。そんなセシリアの態度に憐憫の情を感じつつも、頼もしくも感じる。またこの人をだましている自分に後ろめたさも感じる……。
「あの……、モリス教官とは仲がよろしいのですか?」
先ほどからの口ぶりを察するに、モリス教官とセシリアは単純な上司と部下を越えた関係のように思える。
「えぇ、サラは私の魔法の師匠なの。私が魔女学校に入る前からだから、かれこれ十年以上の付き合いかしらね」
「そうだったんですか」
だからモリス教官のことを語っているときのセシリアの顔は、普段以上に穏やかな表情だったのか。
「サラからアナタのことはよく聞いていたわよ。成績は……、その…お世辞にはいいとは言えないけど素質はある。いつかきっといい魔女になるってね」
にわかには信じられない話だった。
「素質…ってなんなんですかね……。私、教官から一度も褒められたことありませんでしたよ?」
「フフフ、サラはああ見えて天邪鬼だからねー、素直にアナタのことを褒められなかったのよ。私だってずっと叱られてばっかりだったわよ?」
確かにそれについては同意できるかもしれない。補習や居残りでの特訓を何度もされた記憶がある。
しかし、セシリア程の魔女でさえ叱るとは、教官の存在がますます大きく見えてきた……。
「だから自信を持ちなさい、メディア。きっとアナタなら上手くやっていけるはずよ」
上手くやっていける、か。
私の目的は「世界の崩壊」……、それが上手くいってしまえば、モリス教官もセシリアも滅ぼすことになる。そんなことに太鼓判を押されるとは、なんとも皮肉な話である。
「ありがとうございます……」
「さて、それじゃあこれからの予定を話すわね。最初の任務は三日後、中立地域であるセントルーゼント地方への潜入調査ね」
セントルーゼント……、中立地域ではあるが、私たちの国の境界線よりも敵国の境界線に近い関係上、私たちの影響力が薄い地域だ。大きな都市国家はなく、数種類の遊牧民族が居を移しながら暮らしている。そんな広大な平原地帯だ。
最近、敵国の大部隊が大きく展開したという情報も聞いたことがある。恐らく今回の任務はそれに関係しているのだろう。
「まあ中立地域ということもあって大規模な戦闘はないと思うけど、一応は準備を怠らないようにね。あなた、まだ名無しちゃんと契約してから日が浅いでしょ? それまでにしっかりとお互いのことをよく知っておくようにね」
「はい、わかりました」
三日後。この長くも短くもない時間に少しだけ安堵する。
とりあえず、三日間あれば、なんとか魔力の獲得も不可能ではない。だが、決して悠長にしていられる時間でもない。
「それじゃあ、今日のミーティングはこんなところかしらね。質問はあるかしら?」
「いえありません、隊長」
考えていることはすっかり、この三日間のうちにどうするかという考えにシフトしていた。
任務に対する不安がないわけではないが、どっちが目先の問題か、どっちを優先して考えるべきかはすぐに答えは出た。
「そ、質問がないくらい理解できたなんて、私は優秀な部下を持ったわ。それじゃあ、解散しましょうか、三日後、水瓶座の出口で会いましょう」
「はい、隊長」
●
思いの外、ミーティングも早く終わり、その後の使い魔登録に関する手続きも無事に終わった。
「さて、これからどうする? 少し早いけど帰り道に一匹やってくかい?」
「そんな一杯酒をひっかけてくか、みたいな言い方やめてもらえるかしら……?」
とは言うものの、名無しの言う通り行動は早め早めにしておいた方がいいとは思う。
三日後、ということは自由に動ける時間は明日と明後日の二日だけ。更に言えば、人の行動が活性化している午前から夕方くらいまでの時間は行動には不向きと考えると、実行する時間はもっと短くなる。
「で、結局どうする? 寝込みを襲う? 通り魔しちゃう? お薬盛っちゃう?」
なんであなたはこんなに楽しそうなのかしらね……。
「さーてね、どうしましょうか。都合よくそこら辺に急病で倒れている魔女がいてくれるとこちらとしてもありがたいのだけれどね」
まあこんなまだ日が落ち切っていない時間帯、それに王都の外れとはいえこんな場所で野垂れ死にそうな人間がいるわけないか。
「ん、丁度いいね。それならそこにいるよ、ほら」
「そうね、確かに今にも死にそうにうずくまってる人影があるわね」
私疲れてるのかしら……?
「って、あなた大丈夫!?」
思わず自分の目的を忘れて倒れている人に駆け寄る。
「う……」
倒れていた人は少しだけうめき声を漏らす。
良かった、まだ息はあるみたいだった。
「大丈夫ですか!」
茂みに覆いかぶさるように倒れていたために、ひとまず身体を起こして座らせようとする。
……男の子…?
年は私と幾ばくも違いはないように思える。少し下か同い年だろう。少し雑に切りそろえられたショートカットの髪をしている。
「残念、はずれか」
「あなたは黙ってて」
「あ……の…」
「どうしたんですか? 誰かにやられたんですか? ケガは?」
「いえ……」
少年は苦悶に満ちた表情でつぶやいた。
「お腹が…空きました……」
ただの行き倒れだった。
●
先ほど助けた少年は一心不乱に並べられた料理に手をつける。私も少し早い夕食だと思い、たまには外食も悪くはないかと思い込み、料理を頼む。
一通り食べ終わった頃、一息ついた少年が口を開く。
「本当にありがとうございました。このご恩は必ずや、いつか果たしたいと思います」
少年は机に頭がつくぐらい頭を下げて感謝の意を示す。
「別にいいわ。そんな高い物じゃないし、お金なら余ってるわ」
自慢ではないが同世代に比べれば貯金は大目にある方だった。軍の給金はそれなりによかったし、別段趣味や嗜好などもない私にとってはお金なんて勝手に溜まっていく物だった。
「あ、申し遅れましたね、自分はヴィットーリオと申します。えーと、よろしければお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「メディアよ。メディア・リターナー。こっちは使い魔の「ネームレス」」
「メディアさんですか、本当にありがとうございました。命の恩人として、その名を自分の胸に深く刻み込んでおきますね」
ご飯を食べさせただけで命の恩人か……。天然なんだか、バカなんだか……。
「はぁ……」
しかし、言葉使い、そして先ほどまでの食事の作法を見る限り……、それなりの家の出自であるのは何となくわかる。
名前だけで家の名前を出さなかったということはいろいろと訳ありって感じね。
「それで、あなたはどうしてあんなところに倒れていたのかしら?」
「…………」
今まで饒舌に語っていた少年――ヴィットーリオの口が止まる。
「あー、別に話したくないなら構わないわ。ただの興味で聞いただけだから」
「いえ、命の恩人に隠し事はできません。お話ししましょう」
やれやれ……、律儀な子ね。
「逃げてきたんです、僕は……」
逃げてきた、か。
「お母様…いえ、母の厳しい教育に耐えられなくなって、僕は逃げたんです。だけど、逃げたまではよかったのですが……、お金や食料など何も持っていなかったので何も食べることができず、あそこで力尽きて倒れてしまったんです……」
なるほど、何のことはないただの家出か。
女が権力を持つこの国では男性の立場は女性より低いと言わざるを得ない。男性でもそれなりな立場に就くことは不可能ではないが、女性に比べて限りなく門戸は狭い。そんな状況の中、息子をちゃんとした職に就けるために、厳しい教育をする親の気持ちもわからんでもなかった。
そしてその息子はそれに耐えられることができなくなり、せめてもの反抗にと家出した、というわけか。
「ふーん、そうだったんだ」
もっと深い事情があったかと思えば、こんなもんか。
「で、どうだった? 一時的とは言え、親の庇護下から離れて世の中に出た気持ちは?」
「…………、自分がいかに小さい存在であるか、親にどれだけ守られていたかわかりました……」
「……直情的に行動した割には結構聡明なようね。そう、この世の中は優しくできてないわ。あなたみたいな力のない者が外に出たってすぐにすり潰されるだけよ。
見つけたのが私でよかったわね。あなた、女の子みたいに可愛い顔してるんだから、何されるかわかったものじゃないわよ」
「可愛い……、僕がですか……?」
ヴィットーリオは急に耳まで真っ赤にして縮こまる。
「ええ、世の中には少年趣味なおっさんもいるからね。
悪いことは言わないわ、すぐに家に帰ってお母様に頭を下げてきなさいな。それがあなたのためになると思うわ」
「……そうですよね。わかっています……、わかっているんですよ」
あー、なんかイジメてるみたいになっちゃってるわね……。別に私が孤児院出身で、親の愛なんて知らずに育ったから八つ当たりしているわけではない、と心の中で言い訳をする。
「ま、あなたの人生はあなたの物だから私がどうこう言う権利はないわね。ただ、後悔しないような選択をしなさい」
偉そうなことを言ってるな、と自嘲する。
後悔しないような選択をしろ、か。これはもしかしたら自分自身に言い聞かせてる言葉かも知れない。
自分の選択が正しいかなんてわかるはずもない。だから正しいのだと信じ込む。だから私は世界を滅ぼす。
……決めたんだから――。
「ありがとうございました!」
ヴィットーリオは席を立ち上がり、大げさすぎるほどこちらに頭を下げてくる。
「僕、家に帰ろうと思います。たくさんたくさん叱られるとは思いますが、もう一度やってみようと思います……」
「そ、月並みだけど頑張ってね。お代は気にしなくていいわ。決心が鈍る前にさっさと店から出たほうが良いんじゃない?」
「はい! また会う時は、必ずこの時のご恩を返させていただきます!」
「一応期待して待ってるわ」
その時まで世界が残ってればいいけどね。
ヴィットーリオは踵を返し、テーブルから離れる。
「あ、その制服、軍の物ですよね?」
「ん、ええそうよ。それが何か?」
「いえ、メディアさんも頑張ってください!」
そう言い残し、ヴィットーリオは騒がしい店内から姿を消した。
「頑張って、か……」
なんだか世界を滅ぼすと決めた日から、かけられる言葉がすべて皮肉のように思えて仕方ない。
「ふぅ」
テーブルに私一人だけになったのを見計らって、名無しがテーブルの下から姿を現す。
「あなたも何か食べる?」
「いや、いいよ。それより、勿体ないことをしたね君は」
「勿体ない? 恩を売ることは別に勿体ないことじゃないわよ」
「いや、そういうことじゃなくて。まあいいか」
名無しはそっぽ向いてまたテーブルの下へと行ってしまう。
「何よ。言いたいことがあるならいつものようにはっきりと言えば?」
何故か歯切れの悪い名無しを追いかけるようにテーブルの下をのぞき込む。
だがそこにはいるはずである獣の姿はなく、綺麗に清掃された床が広がっているだけだった。
「もう、なんなのよ一体……」
●
「ふぅ……」
暮らしなれた家に着いたところでどっと身体に疲労が来た。程よい満腹感と疲労が、急激な眠気を誘ってくる。
風呂に入って汗をさっぱり流したい気持ちと眠気が脳内で対立している。
とりあえず今日は魔力の供給は諦めよう。こんな頭じゃろくな考えもできるはずがない。
名無しは軽食屋で姿を消したっきり戻ってくる様子はない。
一応、ランがいた時にも使っていた使い魔用の小さな通用口を開けておく。これでどんな夜中に帰ってきても入れないということはないだろう。
「はぁー……」
長い溜息と共に枕にうずもれるように顔を押し付ける。身の回りのことはやっぱり明日やろう決めた……。
もう手足が動く気がしない、いや動かそうとする気が起きない。
「帰って来てからずっと家で寝てばっかだったものね……」
寝返りをうって180度回転させて天井を眺める。
生活習慣の乱れで体内の「エーテル」が乱れっぱなしなのだろう。体力というより気力がない。
「あいつ、どこに行ったのかしら……」
勝手にいなくなった使い魔のことを考える。元々、名無しの行動原理は私には予測することができなかった。そもそも、あいつがどうして世界を滅ぼしたい、と私と目的を共有しているのか聞いていなかったな。
まさか、無償で私に力を貸すような聖人君子とも思えないし、何かあいつにも目的があるはずだ。今はまったく尻尾すらつかめていないけど……、いつか掴んでやるわ。
まあ心配せずともどうせ明日の朝になれば呑気な顔して私を無理やり起こしに来るんだわ。
「ランは勝手にいなくなることなんてしなかったのにね……」
一人になるとどうしても昔のことを思い出してしまう。
補習や居残りの多かった私に、嫌な顔せず付き合ってくれたあの子……。私が死なせてしまった私の最愛の友人。
あの子が死ぬより、私が死ねばよかったんだわ……。今からでも遅くはない、今すぐに死ねばいい。だけど自分で死を選ぶ強さを私は持ってなんかいない。きっと「世界を滅ぼす」ということがどういうことかイメージできていないから、私は今を生きていられるのだと思う……。
「後悔なんて……、してないわ」
天井に向かって宣言するようにつぶやく。
ダメだな……。一人でいるとどうしても思考が後ろの方へと行ってしまう……。
普段は煩わしいだけのあいつがいないことが、今は無性に寂しく思える。
「まったく、どこ行ったのよ…本当に……」
目を閉じ、考えることをやめる。このまま眠りに落ちてしまおう。その方が精神的にも身体的にも楽だ。
目を覚ましたら、行動を開始しよう。世界を終わりへと導く、行動を――。
●
「ほら、起きなよ。もうお昼前だよ」
顔にぺちぺちと肉球が当たる感触がある。悔しいが……、これは結構気持ちいいな。
「ほらほらメディア、起きなよ」
私が目を覚まさないとみて、今度は鼻の辺りに柔らかい毛の感触が来る。憎らしいわりには毛並とか綺麗なのよねと悔しさを感じる。
しかしこれは流石に鼻がむず痒くなって……、
「くちゅん!」
くしゃみまでは我慢することができなかった。
目を開くと、私の顔のあったところに向けて尻尾を振りながら、得意げな顔をした名無しがそこにいた。
「やぁおはよう、今日もいい朝…もう昼だね、メディア」
「ええ、最低の朝よ」
まだ目の焦点が定まらない。それに光が眩しい……。ご丁寧にしっかりとカーテンを開けてくれたのね。
とりあえず、眠気覚ましに歯と顔を洗いに行こうと思い洗面所に向かう。
「うわ……」
酷い顔ね……、と鏡に映る自分を見つめて少しだけ引く。やつれた顔に、日々の睡眠不足ゆえの色濃いくま、そしてぼさぼさの髪。いくら軍属だからとはいえ、ここまで見た目に気を使わないのも女としてどうかと思う。
名無しはもう昼って言ってたっけ……。そう考えると自分は結構長い間眠ってしまっていたことになる。
帰って来てからすぐは、仮眠のような睡眠しかとれなかったのに……。たった一週間たらずで身体は元通りになるものなのね。
それにしても……、名無しは何事もなかったかのように家に帰ってきて私を起こした。一回、あんまり心配かけるなと言ってやりたい気もするが、なんか茶化されそうなのであまり言いたくない。
「あなた、昨日の夜は何やってたのよ?」
洗面所から少し大きめの声で、居間にいる名無しに声をかける。
「ん、もしかして心配かけちゃったかい?」
「……私は、「何 を し て い た の か」を聞いたのよ?」
「そんな怒らなくてもいいじゃないか。昨日はちょっと調べ事をね。調べた物は机の上に置いておいたから後で目を通しておいてよ」
調べ事? あなたが? と言いたくもなったが、まずは調べたものに目を通してからにしよう。
洗面所を離れ、くしで髪を梳かしながら名無しの言っていた物を見つける。
「何かしら、これ?」
机の上に置かれていたのは人の名前がリスト化された羊皮紙だった。そこには住所から年齢、家族構成、使い魔の名前、属性などが詳細に書かれていた。
そして共通することは、すべて「一人暮らし」の「年老いた」魔女だということだった。
「あなた、これ……」
「うん、恐らく察しはついていると思うけど」
名無しはリストを眺める私の周りを回りながら、自身の功績を誇るように語る。
「今、国では孤独死が懸念されている老人の対策課が設立されているんだね。おかげで調べやすかったよ。それでも主人と使い魔が両方存命な人物を探すのには一晩かかっちゃったけどね」
「つまり……あなた?」
「そう、そういう老魔女を狙って効率よく魔力を集めていこうよ、メディア」
「ッ……!」
思わず私は手に持った書類を机の上にと叩きつける。
「そんなことッ!!」
名無しはこう言っているのだ。
既に戦争とは程遠い、余生を安らかに暮らしている…更に言えば、頼れる身寄りもない寂しい老人を狙えと。
「そんなこと、許された行いじゃない。そう言いたいんだろう、君は? 僕も少しぐらいは理解できるよ。人間の間では老人を敬う、敬老精神ってものが繁栄しているんだろう?」
私が激昂することを読んでいたのか、名無しは至極冷静に口を開き私を惑わしてくる。
「でもさ、僕の能力は誰かの魔力を吸収しないといけないんだよ? 未だ現役の魔女から魔力を奪えるほど、君たち魔女は甘い存在じゃないだろう? それなら力の弱くなった老魔女を狙うのが得策だと思わないかい?」
「それはそうだけど、こんなの……」
「何が不満なんだい? どうせ老い先短い将来なんだ。僕たちのためにその力を有意義に使ってもらおう、なんて合理的なリサイクルだと思わないかい?」
「短い将来だからこそ、ゆっくりさせてあげたいとは思わないの?」
「考え方の違いだね。僕はそうは思わないさ。人間の寿命なんて僕から見たらそう大差はないからね。まぁ君が世界を滅ぼす日、それがすべての人間の最期の日だと考えれば寿命はみな平等かな?
それならより弱い者から狙う、僕の提案は合理的だと思うんだけどね」
「ッ……」
私は何も言い返せなかった。
私情を抜きにすれば名無しは当然のことを言っているのだから……。
名無しの提案はいつも私の目的のための近道へと導き続けている。目的へと至る上で文句のない最高のパートナーだ。邪魔をしているのはむしろ……、私自身の心だった。
「まあ薄々感じてはいたけど、君はまだ世界を滅ぼすための決心が固まっていないみたいだね」
名無しは優しく囁きかける。
「でも仕方ないよ。メディアが悪いんじゃない。それだけの大望だ、気持ちの整理が簡単にできるもんじゃない」
諭すように、私という存在を認めるように、
「でも僕はそんな君を尊敬するよ。誰からも認められず、否定され、悪魔と罵られる覚悟を背負いながらも目的に到達しようという君の想いに」
恋人の愛の言葉のように心地よく、
「僕はずっと君の隣にいるよ。それがパートナーってものだろう?
辛くなったら僕に八つ当たりすればいい。辛くなったら僕に頼ればいい。辛くなったら僕の隣で泣けばいい。僕は君のすべてを受け入れるよ」
名無しは私を、世紀の大逆人への道へといざなった。
「は……、はははッ……」
ここまで言われたらあなたを拒絶することなんてできないわね。
……私の性格を理解してるのか知らないけど、本当に憎らしいほど優秀なパートナーね……。
「ありがとう。一日だけ……、一日だけ待ってもらえるかしら? 一日経ってもいい方法を考え付かなかったら……、あなたのリストを利用させてもらうわ」
名無しは満足そうな笑みを浮かべる。
「うん、それでいいよ。僕は君の判断に従うさ」
いつも名無しは最後の判断だけは私に任せて来る。「やる」か「やらないか」、その選択肢を常に残し続けている。そして、いつも最後は導かれるままに「やる」ということを選択してしまう。
巧妙に言葉を操り、耳元で囁くように導く。
「ねぇ」
「何だい?」
「いつまでも名無しじゃあ味気ないから、私が名前をつけてもいいかしら? 勿論、あなたに本当の名前があると知った上で……、私の自己満足のために名付けてもいいかしら?」
「別に構わないよ。それで君が何か得るものがあるなら、是非やるといいよ」
「そう、ありがとう。ずっと考えていたのよね、あなたに相応しい名前を。ビスビリオ、なんてどうかしら?」
「「ビスビリオ」……、神代の古語で囁く者…か。うん、皮肉が聞いたいい名前だね」
「あら、博識ね」
名無しの言う通り、古語から参考にさせてもらった。まさか名無しが古語を知っているとは思わなかった。
この現代において、古語を使っているのは限られた北方の少数部族と学者の間に限られる。
「君こそ、よくそんな言葉を知っていたね」
「学校の言語の選択授業でね。まあ実用性は薄かったから選択する子は少なかったけどね」
魔女は前線で戦うだけでなく、トリスケイル班のように諜報を司ることもある。だから、いざという時、北方の少数部族との交渉をする可能性を考慮して未だに古語の授業が開設されている。
これが私がトリスケイル班に配属された理由なのかもしれないな、と今更ながらに思う。
「それじゃあ、僕はこれからビスビリオと名乗ることにするよ。」
「気に入ってくれてありがとう」
●
それから私は一日中、外に出ることなく家の中で過ごした。
ベッドに寝そべりながら、これからの方策を考えた。どうしても……、たとえ合理的だとわかっていても、ビスビリオの案を用いるのは許せなかった。
きっと何か他に、もっといい方法があるはずだと諦めきれないでいた。
だが、考えても考えてもビスビリオの案を超えるような方策は考え出せなかった。
考えている間、ビスビリオは何も言わなかった。その必要がないと判断したのだろう。ずっと自分の身体の毛づくろいに精を出していた。
そのうちに日が陰り、部屋の中も闇が支配し始めてきた。
灯りを点ける気も起きない。その必要がないのだから。
このまま目を閉じてしまうと、闇に飲み込まれそうな錯覚にとらわれる。だがそれも悪くない。心を闇に委ねてしまえば、邪魔な思考が私を邪魔することはない。
「ねえビスビリオ」
ビスビリオの姿は見えないが、ずっと私の周囲にビスビリオの気配はあった。
「何だい?」
暗闇の中、ビスビリオの声ははっきりと返ってきた。
「魔力を奪われた使い魔って、どうなるの?」
使い魔――魔獣とはその名の通り、魔力によってその身を保っている。
魔力とは人間に例えれば血液のような物だ。血液と違う点は、魔力は新たに生成されることはなく、生まれ持った時点での保有量は決められているということだ。
そんな生き物から魔力を奪うということは……。
「うん、残念だけど。魔力を失くした使い魔は、自分の身体を保つ魔力もなくなるから、この世から消滅するね」
「…………」
予想はしていた。だけど一縷の望みを託して私はビスビリオに問いかけた。
だがビスビリオから返ってくる言葉は、私の期待を裏切るものだった。
「君は「世界の崩壊」を願ったのだろう? それならこの世界に住まう人間も使い魔も、同じ命に違いないだろう?」
確かに私は「世界の崩壊」を願った。私はこの世界の戦争を憎んだ。この世界の戦争を引き起こした人間たちを憎んだ。
だが……、使い魔たちはそんな身勝手な人間たちに利用されている哀れな生き物なのではないのか?
「君はこの世界がどうしようもないくらい憎いんだろう?」
「……」
「思い出すんだ、メディア。君が見たあの光景を。この世のものとは思えない、まるで地獄のような光景を」
「そう…ね……」
「じゃあ何を迷うんだい、メディア? このままだと、世界の崩壊より先に君の精神が崩壊すると思うよ」
「わかってる……。わかってるわよ!」
ビスビリオは言葉巧みに私を惑わし導いていく。
思い出せ……。あの戦場の狂った情景を……。
「じゃあ、こう言い換えようか。これ以上、使い魔たちを戦争の道具にするのは可哀想だと思わないかい? 使い魔たちが多くの人間を殺戮する道具に成り下がる前に、救いの手を差し伸べてあげようとは思わないかい?」
ビスビリオの言うことは詭弁だとわかっている。
過ちを犯す前に殺してしまえ。罪を背負って地獄へ落ちるよりは、清き魂のまま天国へ送ってやれ、とこいつは言っている……。
ラン……。あなたの魂は今どこにいるの?
地獄に行ったのか、天国に行ったのか、それは誰にもわからない。私の疑問に答えを出してくれる者などどこにもいない。結局、何が正しいのかなど誰にもわからないのだ。
考えても意味がないのならば、考えることを放棄し流れに身を任せてしまえ……。もう考えることに疲れてしまった。
「どうやら答えが出たようだね」
満足そうなビスビリオの声がする。
「えぇ……。「くだらない」ことを考えすぎていたわ。私の悪い癖よ、ごめんなさいね」
「いや、君のその人間らしい弱いところは本当に好感が持てるよ。きっと君の弱さが、君を最強の魔女に育ててくれると思うよ」
「褒められてるって、解釈していいのかしらね」
「それは君の捉え方次第だよ。もう眠ってしまった方がいいね、メディア」
「そうね、おやすみなさい……」
「安らかな夢を見るといいよ。もう最後の幸せな夢かもしれないからさ」
そうね、とは言葉に出さなかった。きっとビスビリオの言うように、幸せな夢を見るのは最後だろう。
せめて最後は、幸せな夢を見たい――、そんな儚い願いを抱きながら、私は夢幻の世界へと身を投じた……。