Neetel Inside ニートノベル
表紙

魔法の国の少女
第2章 目覚め

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 この日は誰に起こされるわけでもなく、早めに目が覚めた。朝が苦手な私にしては、驚くほど快適な目覚めだった。
「やあおはよう。いい夢は見れたかい?」
「……残念だけど、覚えてないわ」
 本当のことを言えば、少しだけ夢を見た記憶が残っている。だが、それがどんな夢だったかまでは覚えていなかった。ただただ、真っ白な夢だった。
 私が最後に見る幸せな夢にしては味気ない物だったが、どこか落ち着くような心地よさはあった。そのおかげで目覚めがよかったのかもしれない。
「さて、任務に出かけるのは明朝。今日中に魔力をどうにかしないといけないわね」
「そうだね、一応夜のうちにここから近い順にリストを作り直しておいたよ。参考にしてよ」
 ビスビリオは自分の乗っている机の上をぽんぽんと叩く。そこには新しい羊皮紙が用意され、きっかりと家からの距離が近い順に書き直されたリストがあった。
「本当に優秀ね……。優秀すぎて私には不釣り合いね」
「君が至らない点は僕がカバーするよ。僕たちは共犯者だからね、二人で100点を目指せばいいんだよ」
「ありがとう、本当に優等生ね」
 自分の机の引き出しから地図を取り出し、リストと見比べながら見当をつける。
 未だ魔力のない私たちではどうしても移動手段は徒歩ということになる。だが幸いにも、徒歩で行ける範囲内にも結構の老魔女が住んでいることがわかった。
「とりあえず歩きながら考えましょうか」
「戸締りはしっかりね、メディア」

 ●

 私が暮らすここ王都ウェンティモイは王宮を中心に真円に近い形で街が広がっている。中心から東に位置する場所はエウロス区、西をゼピュロス区、南をノトス区、北をボレアス区と名前がつけられている。
 王宮に近づけば近づくほど貴族や商人などの富裕層が住んでおり、私のような一介の魔女に過ぎない物は王宮から離れた場所で暮らしている。その中でも北に位置するボレアス区は貧困層が多く定住している。
 ボレアス区は治安があまり良いとは言えず、よく新聞などを騒がせる凶悪事件は大体がボレアス区での出来事だった。
「それじゃあボレアス区の魔女から力を奪うのかい?」
「最初はそう考えていたのだけれどやめたわ」
 確かにボレアス区ならば、暴漢の仕業という風に勘違いさせることができるかもしれない。だが常日頃からそのような状態であると、当然住民たちの警戒心も他地区に比べて強いものとなっている。
「なるべく治安がいいと言われている東地区、エウロス区にしようかと思うの」
「なるほどなるほど。流石にこの街に住んでいることはあるね。流石に僕はそこまで考えが回らなかったよ」
「あなたの至らないところは私がカバーする、そうでしょ?」
 私が住む南のノトス区とは隣の区だ。なるべく自分と同じ地区ではそのような行為をしたくはなかったからという理由もある。
「とりあえず、東地区に着くまではゆっくり散歩でも楽しみましょうか」
「そうだね、唄でも歌いたくなる朗らかな陽気だね。絶好の散歩日和だ」
「そうね、鼻歌でも歌いましょうかね」
 嘘でもいいから楽しい気分を演じなければ、逃げ出してしまう気がした。
 歩き続けていなければ、足が震えて一歩も動けなくなる気がした。
 強がりを言ってないと、呼吸ができなくなる気がした。
 誰かと話をしていないと、声の出し方を忘れてしまう気がした。
 ビスビリオが隣にいないと、目的を忘れてしまう気がした。
「この唄知ってる?」
 周りに誰もいないことを確認してから、ビスビリオに問いかけながら唄う。

 ♪
 渡り鳥たちが去っていく
 寒くてお日様のないこの場所から
 愛と幸せの家と春の花々を探しに
 私の可愛い渡り鳥たちが去っていった
 さよならの口づけもなく
 さよならの言葉もなしに
 ♪

 あまり唄は得意ではなかったが、自分にしては上手く唄えた方だと思う。むしろこの唄ぐらいしか歌詞を空で唄える曲はなかった。
「……残念だけど、聞いたことはないね。でも悲しい唄に聞こえるよ」
「そうね、とても悲しい唄よ。大事な人と別れてしまった時の唄よ」
 唄っておいて言うのもなんだけど、曲のチョイスを間違えた気もする。
 お互いに言葉を発しない時間ができてしまった。
「ごめんなさいね、こんな悲しい唄を唄う陽気じゃなかったわね」
「いやいや内容はどうあれ、メロディーは素晴らしいと思うよ」
 挙句の果てにビスビリオに気を使われる始末だ。
「唄の話はもうやめましょうか。私音痴だし」
「気にすることないよ。相手が知らない曲なら音を外しててもそれがオリジナルのように聞こえるから大丈夫さ」
「それ、音痴ってこと否定してないわよね」
「音痴かどうかは僕にはわからないってことさ。君が自分で音痴だと思うなら音痴なんじゃないかな。でも自信を持って唄うことも時には重要だと思うよ」
「自信、ね。私には願っても手に届かないものね」
 生まれながらの性格もそうだが、私には他者と違って何かに秀でているというものがなかった。何をやらせても平均点付近、よくて平均点を少し越えるくらいという凡人だ。
 魔女学校時代も、学校という他者と比べながら育つという環境上、私は常に劣等感を感じ続けていた。後ろ向きな性格とが合わさり、自信など持ち合わせることなど今まで一度もなかった。
「不安かい、メディア?」
「え?」
「いつもの君なら、これから先の出来事を考えて気分が暗くなってると思ったからさ。軽口をたたいたり、ましてや唄ったりするなんていつもの君らしくないからさ」
 まるでこちらの心の中を盗み見てるかのように的確な分析だった。勿論それは図星だった。
「……ふっ、あなたに隠し事なんてできないってことかしらね。そうよ、不安で胸が一杯よ」
 声が震えているのがわかる。
 一度恐怖を自覚してしまえば、それは押し寄せる波のように連鎖して襲ってくる。
「これが最初の試練だよ、メディア。人間ってものは恐怖を乗り越えた時、一番成長するものだよ。 君は人一倍臆病だ。だからこそ、君は恐怖を乗り越えるたびに強くなる」
「それが私をパートナーに選んだ理由かしら……?」
「いや、君と出会ったのはまったくの偶然さ。戦場を巡り巡っていた時、君の姿が目に留まった。あの時君は死者を恐れ、死に行く者を恐れ、死そのものを恐れていた。
 そんな君の姿は美しかった。まさに戦場に咲く一輪の徒花。だけど僕の力があれば、たとえ徒花であろうと実をつけさせてあげることができる」
「詩的な言い回しね。勇気づけてるつもりかしら?」
「率直な感想を述べさせてもらっただけだよ。気に障ったのなら謝るよ、ごめん」
「いえ、別にいいわ」
 パートナーとの間に無用な軋轢は産みたくはなかった。これから長い長い付き合いになるのだ。こんな些末事に一々口を突っ込んでいては遅かれ早かれ衝突は避けられなくなる。
 それにこいつはビスビリオ、囁く者だ。そう名付けたのは私だ。それを囁くなと口止めするのは筋が通っていない。
 そうこうしている間に、「ようこそ、エウロスへ。ここから先エウロス区」と書かれた看板と装飾が施された門が見えてきた。
「さて、と……」
 ここをくぐってしまったらもう後戻りはできないわね。さながら冥府の門と言ったところかしら。
 門とは本来、門の外の外界と門の内の内界を区別するための物だ。だが整備された町並みではその意味は希薄となり、今ではただの形骸化されたランドマークとして残っているだけだ。
 私は門を見上げるように立っていた。
 後一歩を踏み出せず、ただただその形骸化された過去の遺物を眺めていた。
「どうしたんだい?」
 そんな私を見かねてビスビリオが囁いてくる。
「何でもないわ…行きましょう」
 本当に憎たらしいほど空気の読める使い魔ね……。

 ●

 東のエウロス区に入ったからと言って、すぐには変化は訪れない。
 今までと同じように、ただただ足を前へと動かし続ける。
「随分と迷いのない足取りだけど、目星でもついているのかい?」
「そんなものはないわ。……ただ、中心部は避けたいなって思ってね」
 エウロス区に入ってから、私は少しだけ進路を変えた。
 今までは王宮のある中心部を右手に眺めるように移動していたが、今度は王宮を背にするように歩き始める。これには勿論理由がある。
「中心部に近いほどアパートメント形式の家が多いのよね。万が一を考えると、あんまり人の多いところは、ね……」
 仮に騒がれでもしたらすぐに誰かが駆けつける恐れがある。それにそこから移動する際に誰かに見られる危険性もある。なるべく、そういう避けることのできる不安要素は避けておきたかった。
「なるほどね」
 ビスビリオも納得したようにそれ以上口を挟まず私についてくる。
 中心部から離れるに従い、徐々に人通りも少なくなっていく。
 通りすがる人たちは誰も私たちに気を留めるようなことはしない。それだけこの街では魔女の存在は当たり前の物になっている。
 今日は軍の制服には身を通しておらず、少し大きめのフード付きの外套を身に纏っている。傍から見れば「師匠から使いを頼まれている魔女」という風にしか見られていないだろう。
 という風に考えはするが、後ろめたいことを胸の内に秘めていると、どうしても視線を集めているのではないかという風に錯覚してしまう。
 だがそんな心配をよそに、誰からも注目されることもなく中心部を抜けることができた。こんなにドキドキするなら、最初から中心部を避けてエウロス区に入るべきだったなと思うが、そこまでは頭が働かなかった。
 高い建物がなくなり、一軒家やちょっとした畑が増え始めてきた。
 ここで道端に置かれた古いベンチに腰掛け、ビスビリオの作ってくれたリストを開く。流石にここまで休憩なしに歩き続けていたので、少しだけ休みたくなった。
 羊皮紙に素早く目を通し、今自分がいるエウロス区郊外の住所を探す。5枚目の羊皮紙に差し掛かったあたりで目当ての住所を見つけた。
「さてさて、この中からどう選んだ物かしらね」
 ざっとこの付近に住んでいる老魔女は百人とまではいかないがかなりの候補がある。
 リストから選ぶ判断材料は、使い魔の属性ぐらいしかないだろう。
「まあ手あたり次第に奪って行けばいいんじゃないかな? 僕が魔力を奪うのには早々時間はかからないし、そこまで迷う必要もないんじゃない?」
「簡単に行ってくれるわね……」
 同じ地域で何件も犯行を重ねたら十中八九、同一犯であるということは察しが付く。時間があるのなら、何日にも渡っていろいろな地域で犯行を重ねたいところだが。
「……やっぱり今日は一人だけにしておくわ」
 隠蔽工作を施しても、何件も繰り返せば必ずボロが出る。現状、私の目的は「人並みの魔女」の力を手に入れることであって、「世界を滅ぼす魔女」になることではない。
 焦るな。今は忍ぶことの方が肝要だと自分に言い聞かせる。
「メディア、あっちから人が来るよ」
 羊皮紙の方に集中していた私はまったく気付いていなかったが、ビスビリオが囁きで知らせてくれた。見れば、老魔女と思しき人物が道の向こうから歩いてきていた。
 この羊皮紙を見られては怪しまれると思い、咄嗟に外套の中にしまう。少し露骨すぎたかと後悔する。
 お願い……。何事もなく通り過ぎて……。
 だが、私の祈りは虚しくも通じなかった。
「あら珍しいわねぇ、こんな田舎に魔法少女ちゃんが何の御用かしら?」

 ●

 どうしてこんなことになっているのかわからなかった。上手くいっているといえば…上手くいっているのかも知れないが、こんなことになるとは思いもしていなかった。
「メディアちゃん、紅茶がいい? それともコーヒーがいいかしら?」
「あ……、紅茶でお願いします」
 今、私たちは偶然道端で出会ったあの老魔女の家に来ている。
 なんでこんなことになったか、それは私が咄嗟についた嘘が原因だった。
「それにしても、メディアちゃんのお師匠様は無理難題を仰るのね。野生化したマンドラゴブリンの根の採取なんて、私も長く生きてきたけど見たことないわよ」
「さぁ、私にもさっぱり……」
 口から出たでまかせなのだ。私にもわかるわけがない。
 因みにマンドラゴブリンとは、植物であるマンドラゴラと土精であるゴブリンを魔法によって掛け合わせた融合生物だ。一から魔女の手によって作られたもので、野生での繁殖は未だ確認されていない。付け加えて言えば、融合生物としての学術的価値はあれど、マンドラゴブリンそのものに実用的価値はない……。
「はい紅茶、お砂糖もどうぞ」
「あっ、ありがとうございます」
 お茶を二人分用意し終わった老魔女はテーブルにつく。
「さてさて、ごめんなさいね。課題の途中だったのにお茶に誘っちゃって。こう年を取ってくるとね、若い子と話す機会がないから……、少しお話ししたくなっちゃうのよ」
「いえ…私の方も……、その課題に行き詰っていて、はい……気にしないでください」
 成行きのままこのルイーザと名乗った老魔女の家へと着いて来てしまったが、本来の目的を考えればこれは僥倖と言えるだろう。一番の問題であった、いかに自然に老魔女に近づくかという問題が解消された。
 あとは、この老魔女の使い魔である……、
「メディア、ビスビリオ! フラニー、オボエタ!」
 インコのような姿をしたこの鳥獣種の使い魔から魔力を奪えばいいだけだ。
「あらあら、フラニーちゃんはお利口さんねぇ。
 騒がしくてごめんなさいね。この子は私の使い魔のフラニー。最近は年のせいか少しボケてきちゃってるけどね」
「いえ、楽しそうな使い魔で羨ましいです」
 横目でビスビリオを見ると、「僕は楽しくない使い魔なのかい?」と言いたげな視線を送っているが気にしないことにする。
「あの、ミセス・ルイーザはここにお一人で?」
 ビスビリオのリストを見ることができれば確認できるのだが、彼女の目の前でリストを開くわけにもいかず、本人に確認を取る。会話の流れ的にもそこまで不自然な流れではないだろう。
「ええ、夫に先立たれてからずっと一人ね。一人娘がいたんだけど……、家出同然に家を飛び出してから、もうほぼ絶縁状態ね……」
「弟子もおとりになっていないですか?」
「……昔の私はそれは岩のように凝り固まった血統主義でね……。自分の血縁以外に魔法を教えるなんてしなかった、したくなかったの……」
 ルイーザは愚かだった自分を懐かしむように渇いた笑みを浮かべながら独白する。
「そのせいで、娘には大きな枷をつけてしまったわ……。いつしか私の娘ではなく、私の身代わりとして娘を見ていたと気付いたときには、もう…娘がいなくなった後だったわ……」
「……すいません。失言でしたね」
「メディアちゃんが気にすることないわよ。プライドの高かった魔女が引き起こしてしまった罪。今の生活はその罪に対する罰みたいなものよ」
 ルイーザは「でもね」と付け加え、嬉しそうな顔で話を続ける。
「つい昨日のことよ。孫娘が会いに来てくれたの。どこから私のことを調べたのかわからないけど……、話してみたら確かに私の孫に間違いなかったわ。今じゃあ一人娘も家庭をもって幸せにやってるみたいよ。
 ……もうこの年だしね、いつ死んでもいいやって思ってたんだけどね……。少しだけ私の中に「わがまま」が生まれちゃって、あの子の成長をもうちょっとだけ見ていたいなって思っちゃったわ」
「そうだったんですか……」
 私の心に何か鋭い刃が突き立てられた気がした。痛い。
 こんな生きる希望に満ち足りた人から未来を奪うのがつらかった。
「世界を滅ぼす」ために生きている私よりも、よっぽどこの老魔女の方が生きている価値があるのではないだろうか。
 と、今までの自分ならそう考えていただろうな。だけど、私は今ひとりじゃない。
「メディア」
 私の心の動揺を素早く察知したビスビリオが囁いてくる。
「大丈夫よ、ビスビリオ」
 そっと小声でパートナーに囁き返す。
 もうこうなった以上、計画の遂行を後回しにすることはできない。こんな転がり込んできた幸運を逃す手はない。
「うん、安心した」
 今私はビスビリオの囁きの魔法に操られているんだ。この魔法が解けてしまう前に、すべてを終わらせる――。
 私はビスビリオに目配せし、事を起こすことを伝える。
「あの、ミセス・ルイーザ」
 私は椅子から立ち上がり、ルイーザとの会話を断ち切る。
 これ以上話を続けていてはきっと私の決心が鈍ってしまう。
「あらどうしたのメディアちゃん?」
「あの、そろそろこの白々しい歓談をやめようと思いまして」
「え? あ、なんか気に障ること言っちゃったかしら? ごめんなさいね」
「ええ、本当に気に障ります。自分という卑しい存在に――」
「メディアちゃん……?」
「ビスビリオ」
「うん、わかった」
 私の呼びかけに応じ、ビスビリオは素早い動きでテーブルの上でさえずっていたルイーザの使い魔に対して動く。
「ナニ? フラニー、ミノキケン!? イヤー!!」
 ビスビリオは上から覆いかぶさるようにしてフラニーの身体の自由を奪う。フラニーはビスビリオの身体の下でもがき暴れるが、くたびれた真紅の羽毛が散るのみで逃れることはできなかった。
「フラニーちゃん!?」
 自身の使い魔の危険に、ルイーザも立ち上がる。
「先に謝っておきます、ミセス・ルイーザ。あなたの「わがまま」ですが、叶いそうにありません」
「メディアちゃん! あなた何をッ!?」
「ミセス・ルイーザ、それにフラニーさん。あなた方は、私の「わがまま」の犠牲になって欲しいんです」
「あなたの、「わがまま」……?」
「はい。私、この世界がどうしようもなく憎いんです。だから私、この世界を滅ぼすって決めたんです。
 ……それが私の「わがまま」です」
「落ち着いて、メディアちゃん! 世界を滅ぼすなんて……」
「できるわけがない、そう仰りたいんですよね。わかってます。
 でもビスビリオが私の耳元で囁くんです……、「君ならできる」と」
「ビスビリオが……?」
 ルイーザは自身の使い魔を抑えつけているビスビリオを睨む。その敵意の眼差しを受け、ビスビリオは微笑んだ気がした。
「考え直すつもりはないということかしら?」
 長い時を生きてきた年の功がそうさせるのか、ルイーザはすぐに落ち着きを取り戻し、私に正面から向き合う。
「はい。もう決めたことですから」
「そう……、一度決めたことをやり通すのは立派よ。でも方向性が間違っているならそれを正すのが年長者の役目よ。
 世界を滅ぼすことと、私たちを襲うことが関係しているかはわからないけど、かかる火の粉は払わなくちゃいけないわね」
 ルイーザの放つ雰囲気が大きく変わる。
 目の前にいる老婆は、茶飲み老人ではなく、魔女として私の前に立ちふさがっていた。
 その風格から、過去にはそれなりの名うての魔女であったことがわかる。
 ピリピリと張りつめた空気が肌を刺激する。
 大丈夫……。言葉とは裏腹に、心の中は不安でいっぱいだったが今はビスビリオの言葉を信じるだけだ。
 魔法を使う術のない私にとってできることはなにもない。強いて言えば、虚勢を張り続けルイーザを本気にさせることだ。
「あなたはまだ若いわ。だからしっかりと更生しなさい。少し痛いだろうけど、我慢してね」
「……学ばせてもらいます、ミセス・ルイーザ」
 ――――。
 勝負が決まるのは一瞬だった。
 いや、そもそも勝負と呼べる物ではなかった。
「何……、をしたの……?」
 ルイーザも、私自身も何が起こったのかはわからなかった。
 この状況を理解していたのはビスビリオだけだった。
「いやはやここまで上手くいくとはね、なかなかの役者ぶりだったよ、メディア」
 ルイーザは自身の使い魔を通して魔法を使った。
 だがフラニーからルイーザへと伝わるはずの魔力は、すべて途中でビスビリオが掠め取った。そして、掠め取った魔力のラインを利用して、ビスビリオの「アブソープション」の力がフラニーの体内を循環する魔力をすべて搾り取ったのだ。
「これが僕の能力。この使い魔の魔力、美味しくいただかせてもらったよ」
「ルイーザ……、ニゲ…テ」
 フラニーは消えゆく身体の力を振り絞って主人の身を案じる。
「フラニーちゃん!」
 ビスビリオに抑えつけられていた使い魔の身体は、初めからそこに何もなかったかのように、この世界から消失した。
「フラニーちゃ…ん……? 嘘でしょ……? 何かの冗談よね…ねぇ……!?」
 自身の使い魔を失った老婆は力を失くしたように地面に膝をつく。
 そして私自身も、自分のしたことの事の大きさを受け入れられずにいた。
「メディア」
 自分を見失い、呆然と立ち尽くしていた私にビスビリオが囁く。その声で私は我を取り戻す。
「後のことは僕に任せて、君はもう家に帰った方がいいよ」
「大…丈夫よ、ビスビリオ……。私は、大丈夫……ッ」
 事態を受け入れたことで、突如身体に震えが襲ってくる。
 奥歯を鳴らし、自分の両腕で身体を抱きしめながら、私も地面に膝をつく。
「とても大丈夫そうには見えないよ。無理しないで、今は帰ろう?」
 私は頷くことしかできなかった。
 目の焦点も定まらない。壊れた人形のように首を縦に振り続ける。
 私は力の入らない身体を必死に動かし、這うようにして玄関の扉を目指す。
「あなたたち……」
 そんな私の背後から、老婆の声がする。
「あなたたちまともな死に方しないわよ……。世界を滅ぼす? そんなこと絶対にできるわけがないわ。覚えておきなさい、何かを成し遂げるなら、何かを犠牲にしなくてはいけない。それが魔女の世界の鉄則。これから先、あなたはどれだけの物を失っていくのかしらね。それを傍で見て嘲笑ってやりたいけど無理みたいね。それだけが心残りだわ……!」
 私は耳を塞いで魔女の呪いの言葉を遮る。だが、私の意志とは無条件に、私の耳は魔女の言葉を拾い続ける。
「待っててね、フラニーちゃん……。今私も同じところに行くからね。寂しい思いはさせないわ。
 ごめんなさいね、ヴィクトリア……。あなたの花嫁姿を見るまでは生きようと思ったけど、それも無理みたい」
「メディア、早く外に出るんだ」
「さぁ、殺しなさい! もう私にできることはないわ、さあ早く!」
「うん、その願い、聞き届けたよ」
 そのビスビリオの言葉が最後に聞こえた言葉だった。
 それから先、どうなったのかを私は知らない。
 救いを求めるように扉へと手を伸ばし、私は外の世界へと脱出した……。

 ●

 目が覚めたのは自分の家のベッドの上だった。自分の足でここまで帰ってこれたのか、はたまた誰かに運んでもらったのかは定かではないが、とにかく私は自分の巣に帰って来れていたようだ。
「私の……家…?」
「やあ、目が覚めたかい?」
 いつもと変わらぬ調子でビスビリオが声をかけてくる。
「…………えぇ」
「あの老魔女のことなら気にしなくていいよ。僕たちがいた証拠になるような物はすべて片づけてきたから」
「あの人を殺したの……?」
 ビスビリオは何も答えない。答える必要がないからだ。
 その方が私にとっても都合がいいと考えたのだろう。
「私が気に病むことはない」……、いやそれ以前に「最初から私たちはルイーザと出会わなかった」、そう記憶を上書きしてしまう方が救われるということだ。
「ごめんなさい。どうでもいいことだったわ」
「……そうだね。それよりもしっかりと魔力が君に届くかどうか実験したいのだけれど、身体の方は大丈夫かな?」
「えぇ、大丈夫よ……、今起きるわ」
 寝起きのせいか多少けだるさは残っていたが、確かに今はビスビリオの言うようにしっかりとラインが繋がっているか試しておいた方がいい。
「いくわよ」
 ベッドの縁に腰掛け、呼吸を整え意識を集中させる。
「うん」
 目を閉じ心の中でビスビリオとの繋がりを頭の中で思い描く。ランと行っていた時の感覚を思い出しながら集中する。
「……来たわ」
 脳内が赤い色で満たされるような錯覚を覚える。
 教科書で読んだことがある通りの光景だった。
「フラニー……あの使い魔の属性は「火」だったようね」
「うん、こっちでも確認したよ。しっかりと繋がっているみたいだね。
 良かったじゃないか、最初に君が予想した通りの属性だったみたいで」
「そうね……」
 やっとのことで手に入れた魔力に喜んでいる暇もなかった。
 唐突に身体に気だるさと吐き気、嫌悪感が襲ってきた。
 こんなにも魔力を身体に入れることに拒絶反応を示すとは思わなかった……。ランとパートナーを組んでいる時は一度もなかったというのに……。
 私とビスビリオの相性が悪いのか、それとも元々は別の使い魔の魔力だからなのかはわからないが、今は魔力を行使することができる状態ではなかった。
「ビスビリオッ! 魔力を断って!」
 あまりの頭痛と悪寒に、思わず大声でビスビリオの名を呼ぶ。ビスビリオは驚いたように、身体を跳ねあがらせながら、魔力の供給を断ってくれた。
「どうしたの、大丈夫かい?」
 魔力の供給を断ったことで、次第に薄れゆく頭痛や悪寒に安堵する……。
「大丈夫、と言いたいところだけど……、ちょっと慣らしていかないとダメみたいね……」
「そうかい。まぁ、とりあえずちゃんと繋がっているようだし、今日はこの辺にしておこうか」
「えぇ、ごめんなさい。もう一回寝かしてもらうわ……」
「わかった。それじゃあ、また明日。明日はもっと忙しい一日になるだろうからね、今はゆっくりとおやすみ。
 時間のことは気にしなくていいよ。また起こしてあげるから」
「ありがとう……。あなたは本当に優秀な使い魔ね……」
 目を閉じ、再び眠りにつく。
 明日目覚めた私は本当の意味で魔女になっている。
 眠りながらも、ルイーザの言葉を忘れられないでいた。
「何かを成し遂げるなら、何かを犠牲にしなくてはいけない。それが魔女の世界の鉄則」
 失うものがなくなった時、魔女は何者になってしまうのか。今の私には知る由もなかった。
 ルイーザが最期に残した物。大きな呪いの言葉は、私の心を縛り続ける枷となった――。

 ●

 天頂に大小二つの月が輝いていた。その二つの月に照らされた丘の上に、同じく大小二つの影があった。一つは人間の物。もう一つは使い魔の物だった。
「あの魔女、やっと魔力を得たみたいだよ」
 最初に口を開いたのは使い魔の方だった。
 その報告を聞いた人間は口の端を緩やかに浮かばせ嗤う。
「ようやく、と言ったところかしらね。ほんっとににどんくさい魔女だわ。魔力一つ奪うのにどんだけ時間かかってるのかしらね、あなたもそう思わない?」
 使い魔の声に応えるように少女の声が丘の上に響く。
「僕と君では時間の感覚が違うからなんとも答え難いけど、君がそう思うならそうなんだろうね」
「何よその言い方。ほんっとにムカつく使い魔ね」
「ごめんよ、悪気はないんだ、わかってよ」
 慌てる使い魔を尻目に、少女の方は鼻歌交じりに丘の上で踊る。
「ま、何はともあれ、これですべてが動き出したわ。さーて、楽しくなるわねこれから「この世界」は」
「どうする、早速挨拶にでも行くかい? 先輩として威厳でも見せに行く? それとも助言の一つでも……」
「まったく、ほんっとにせっかちねあなた……。
 いーい? 私たちが舞台に上がるのはもう少しだけ先。果実が熟す前に刈り取っても誰も食べやしないわ。もっともっと実らせて、美味しくなったところで一気にいただくの。そう思わない?」
「まったく……、君は本当にいい性格をしているね」
「ふふふ、ありがと♪」
 おめでたい性格だなぁと呆れたのか、それ以上使い魔は口を開くことはしなかった。
 だが魔女の方はまったく使い魔の意図に気づかず、機嫌良さそうに踊りを続ける。
「ふふふ……、メディア、メディア・リターナー、「世界の崩壊を願う魔女」。
 さぁもっともっと魔力を奪って奪い尽くすのよ。そして、世界を滅ぼすだけの力を手に入れてね♪
 そうすれば……、そう、すべては私のために、もーっともっと頑張ってちょうだいね!!」
 天頂には怪しく光る二つの月があった。その輝きは等しくこの世界のすべてを照らしていた。
 丘の上に一陣の南風が吹く。その風は丘が見下ろすウェンティモイの街にまで届く風だった。

       

表紙

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Neetsha