迷惑メール、というものがあります。
携帯電話、スマートフォン、もしくはパソコンのアドレスを持ったことがある人なら、一度は経験したことがあるはずです。いろんなサイトに登録していると、一日何十件、ひどい人は何百件とメールが送られてきます。その中の大半は、虚偽の当選通知であったり、登録した覚えのないサイトからの通知です。興味本位で中を見てしまうと、ウイルスやスパイウェアに感染する恐れがあります。
『あなたは当選しました!』
『あなたが百万人目の登録者です!』
毎日のように似通ったメールが送られてきて、あなたは気が滅入ったり、最終的にはメールアドレスを変更せざるを得なくなるでしょう。それくらいこれらの迷惑メールというものは、人を困らせ、時には間違った方向に導くこともあります。
あなたがこの迷惑メールたちになす行為は一つ、削除すること。
なぜならそれが、一番効果的で、簡単な方法だからです。
こうして、毎日何千何万という迷惑メールが消去されていきます。
そう。
これは、日常的に消されていくはずの迷惑メールの中に紛れた、小さなようで、ちょっとだけ大きな話。
ジーンズのポケットに突っ込んでいた携帯電話が、かすかに震える。
「おっ、メールだ」
普段から電話をそこまでするわけではないので、私に何か連絡があるとすればだいたいメールだ。時代の後端を行く折りたたみ式携帯電話を取り出し、パカッと中を開く。
「でも、迷惑メールかなあ」
と、頭を掻きながらため息を一つ。友達に勧められて携帯ゲームやオンラインゲームを始めてから、やけに私に関係のないメールが来るようになった。よくわからないけど、そういうところに登録するといろんなところが私のアドレスを見つけて、メールを送りまくるらしい。みたいなことを友達が言っていたけど、実際のところよくわかってない。とりあえず、迷惑メールにはほとほと困っている。
新着メール1件。
受信ボックスを開く。
『おめでとうございます! あたなは1,000,000円を受け取れます!』
はい、出たー。本当にありがとうございましたー。
「あーやっぱり迷惑メールかー、削除削除」
ていうかあたなって。あなたでしょ。迷惑かけるならせめて誤字脱字キチンとなおしてからにした方がいいんじゃないかな。
メールをゴミ箱に放り投げ、再び携帯をポケットにしまう。
平日の街中、それも昼間は人通りが少ない。時折すれ違う人はいるけど、みんなどこか重い空気を纏っていた。さっきすれ違った若いサラリーマン、――たぶん営業マンだろうけど、彼の目からは光が失われていた。そうそう、朝家を出たときには、キャデラックとでも言うのかな、長くて大きい車からお召し物を着せられたステレオタイプお嬢様が出てくるのも見かけたけど、すごく陰鬱な表情をしていた。昼前に立ち寄った書店からは、入った瞬間入れ違いでものすごい勢いで青年が一人駆けていった。何だったんだろう。それと、カフェから出たときには病院の前に人だかりが出来てたっけ。野次馬は嫌いだから何となく近寄らなかったけど、今になって気になってきた。
そんな、昼下がりの金曜日。
小腹が空いた私は、手頃な定食屋を見つけて暖簾をくぐる。愛想のよいおばちゃんの案内を受けて席に座り、メニューを開く。おいしそうな写真がたくさん並んでいるけれども、うん、やっぱりこれに限る。
「からあげ定食、一人前!」
あいよ、とおばちゃんはニコニコ笑う。
メニューを閉じてポケットに入れた携帯を取り出す。メールは来ていない。朝から迷惑メールはたくさん見てきたが、肝心のメールはいつまで経ってもその姿を見せない。私の心は磨り減り過ぎてサラサラである。
ため息一つ、携帯を閉じる。
こうして私はまた、据膳の完成を待っている。
◎
ある日、いろんな人の携帯に、あるメールが送られました。
そのメールには件名はありますが、本文はありません。件名に書かれてあるのは、
たった一行の質問文でした。
『明日生まれ変われるとしたら、あなたはどうなりたいですか?』
メールの送信元は分かりません。誰に対して送ったのかもまったくもって分かりません。メールを開くと前の質問が、空白の本文とともに携帯の画面に広がります。
普通の人から見れば、ちょっと不思議だとは思っても、他の迷惑メールと同じように消してしまうでしょう。自分と関係のないメールに興味を持つなんてことは、そうそうあるものではありません。
でも、そういう人ばかりではないというのも、また事実。
ここでは奇人とでも呼ぶべきなのでしょうか。こんな目的も分からない奇天烈なメールに、返信した人々がいるのです。
本当に、色んな人がいます。
『窮屈な暮らしから抜け出したい』と書いた人がいます。
『別に何も変わらなくていい』と書いた人がいます。
『生きたい』と書いた人がいます。
『空白に戻して、全てをやり直したい』と書いた人がいます。
『彼女と同い年になりたい』と書いた人がいます。
もちろん、これら全ての人々が希望的観測をもって書いたわけではないでしょう。暇つぶし、愚痴、備忘録、はたまた悪戯という可能性もあります。
しかしこの人たちは、自分の元に訪れた謎のメールに対して律儀に返信しました。
それはつまり、どういうことなのでしょう?
そして、そのメールを送った彼らはどうするのでしょう?
これは、偶然と必然の交じり合った、いくつかのおはなし。