Neetel Inside 文芸新都
表紙

トゥモロー@メール
それぞれの選んだ道で

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 本格的な梅雨の季節が到来したが、本日の金池は晴天に包まれている。
 こんな貴重な日には、河川敷かどこかでのんびり昼寝なんかするのもいいだろう。春と夏のまじった少し暑い空気を風がかき回して、少し涼しくなるのを楽しんだり、季節外れの川遊びをするのも一興だ。
「待てよ! なんで俺がケーキ選びに付き合わされなきゃならないんだ」
「いいから早く! バイトの面接までそんなに時間ないんだから、行くよマリオ!」
 そして、甲斐田由紀という人間はとても自分勝手だ。
 俺はバイトも何もない平日の昼下がり、ニュース番組を流しながらチャコと一緒に昼ごはんのフルーツグラノーラを食べていたというのに、近所の小学生のようにチャイムを鳴らしまくって登場した由紀は、突然俺を連れ出した。なんでも、弟の見舞いにケーキを買って行くということだが、それならばどうして俺が選出されたのだろうか。
「ひとつ言っておくが、俺はケーキを見る目なんてないぞ」
「大丈夫。最初から期待してないから」
 ならばどうして俺を連れてきたんだろうか。別に移動用の車を持っているわけでもないぞ。
「あ、ちゃんと財布持ってきてるよね? まあそんなに高くないとは思うけど」
「甲斐田さん一つお尋ねするけどもしかして俺がケーキ購入のために出費するってことでFA?」
「よく分かってるじゃない。マリオだからコインたくさん持ってるでしょ」
「あーなるほど」恐れていた事案が発生した。何と俺はただの財布だったらしい。なるほど確かに財布だけ持っていくと窃盗罪で捕まってしまうが、財布の持ち主である俺を連れて行けば犯罪にはならず、合法的にケーキを買える。よく考えたもんだ。
「納得すると思ったかバカめ! 俺もそこまでアホじゃないぞ!」
「え、それじゃあ払ってくれないの?」
 振り向く由紀の眉尻が下がる。もう嫌な予感しかしないぜ。
「いや、そういうわけじゃなくてだな。ホラあれだ、一方的に押し付けるのはどうかと思うという議論だ。割り勘とかならまだ理解もできるかなーみたいな。なんて言うんだろうな」
「……あの時、マリオ、言ってたよね。『俺がオマエを守る。金も出す』って」
「いや確かにそんな感じのこと言っ……ちょっと待て。なんか尾ひれがくっついてないか」
「それに、」
 由紀は俺より少し前に歩くと、振り返った。
「智志は、私と一緒に、生きてくれるんでしょ?」
「お…………おぅ」
 これ以上あの時のことを掘り返されるのはただの辱めなので、俺は諦めて財布としての人生を歩むことに決めた。
 平日の昼間とはいえ、金池の駅前中央町は人通りが多い。歩行者天国とまでは行かないが、少しでもぼーっと歩いてれば誰かしらにぶつかってしまいそうだ。そんな中を、由紀に手を引かれながら俺は歩く。
「んで? ケーキ買うのはいいとしてどこで買うんだ」
「そうそう、その話をしようと思ってたの」
 由紀は両目を輝かせながら言う。
「この近くにグラッチェっていう隠れ家的なお店があってね。そこのなごみロールっていうロールケーキがすごく美味しいらしいんだー。それでね、一度食べてみたいと思って」
「なんだろう。本当に今から、弟の見舞いを買いに行くんだよな?」
「当たり前じゃん。マリオは何を言ってるんだか」
 呆れたように由紀は手をひらひらさせる。
「あ、ホラホラあそこのお店!」


「いらっしゃいませー」
「なんで店員じゃないお前が挨拶してるんだ。というか何しに来た」
「いやー、暇だったもんでつい」
 たはーと頭を掻きながら瀬戸は笑う。
 俺のバイト先がバレてしまってからというものの、瀬戸は毎日のようにグラッチェに来ている。毎回何かしらお菓子を買って帰るから外へ放り出すわけには行かず、かと言ってさながらカフェにいるかのようにくつろぐ瀬戸を放置するわけにも行かなかった。平日で客が少ないからまだいいものの、これが休日の混んでいる時間だったら商売上がったりだ。
 特に俺がレジ担当の時間帯は、瀬戸がほぼ一方的なマシンガントークを繰り広げている。ほとんど営業妨害。
「それにしても、加奈子ちんの式は素晴らしかったねー! 飛び入りゲストのリューマくんもやって来たし」
「もうその話はいいだろ……どれだけ俺を辱めれば気が済むんだ」
「えー? かっこよかったよー? 式の最中に会場に乗り込んできて、肩で息をしながら『俺はお前のことが好きだった! だからお前の幸せを祈る!』だなんて、なかなか言えないからねー。みんな笑ってたよ」
「だから人の心の中に土足で上がり込んでくるんじゃねえよ」
 思い出しただけで赤面しそうになる。どうかしていたのかな、俺は。
「でも、加奈子ちん言ってたよ。小泉くん、変わってない。面白い小泉くんのままだ、って」
「へえ……」それは初耳だ。あのあと俺は警備員につまみ出されたから、式場の扉にもたれかかってタバコを吸うくらいのことしか出来なかった。成宮が面白がってくれたのなら、まあ、良しとするか。
 チリン、とベルの音がなる。来客だ。
「ホラホラ、お前は隅でおとなしくしてろ」
「はいはーい」俺は子どもをあやすように瀬戸を誘導し、即座に接客スマイルを浮かべる。
「いらっしゃいませ、ご注文はいかがなさいますか……」
「なごみロール! なごみロール三つください! 美味しそうなやつ!」
「なんで三つも買うんだよ。せめて二つでいいだろ。見舞い用と個人用」
「それだとおやつがないじゃん」
「個人用はおやつじゃなかったのか……」
「なごみロール三つですね、かしこまりましたー」
 男女のカップルのようだ。なんか、どこかで見かけたことがあるような気がする。はて、どこだっただろうか。この間瀬戸と行った映画館か? それとも、喫茶店だったか? うーん、最近物忘れが激しくてよく覚えてない。それにしても騒々しいカップルだ。閑古鳥が鳴く時間帯には珍しいな。
「なごみロール三つで、三二四〇円ですねー」
「ん!? ああそうか、消費税って八パーセントに上がったんだったな」
「コンビニ店員のくせにそんなことも覚えてないの? マリオってバカなの?」
「いやいや、消費税忘れてたくらいじゃバカ認定はされないだろ。ホラ、三二四〇円ちょうどだ」
 口には出さないが、少なくとも俺はバカだと思う。
「ちょうどいただきましたので、レシートとお品物でございます。ありがとうございました~」
「やった、なごみロール! よし食べよう」
「もう食べちゃうのかーそうかー」
 あーだこーだ言い合いながら、カップルは騒々しく退店していった。一体何だったんだ。嵐のような客だった。
 菓子屋グラッチェに、元通りの靜寂が戻る。ただ、一人を除いて。
「いやー、いいですなー、羨ましいですなーカップルは」
 どのタイミングで移動したのか、店の隅に座らせておいたはずの瀬戸が、いつの間にかカウンターにもたれかかっていた。油断も隙もあったもんじゃない。
「お前でも羨ましいなんて思うことがあるんだな」
「そりゃあそーだよー。私だってイチャコラこきたいヨー」
 うへへー、と瀬戸は気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「そんなことより、バイト終わったらごはんでも食べに行かないー? また美味しい店見つけたんだー」
「またかよ。何もすることねえからいいけどよ」
 やったー、と瀬戸は無邪気に喜んでいる。
 そんなに美味しい店なのか。それなら、少しは楽しみだ。
「ねえ、リューマくん」
「ん? まだ何か用か?」
「……ふふ、なんでもない」
 

「えーっと、六〇二号室だったかな」
「自分の弟の病室も覚えてないのかよ。というかさっき受付で教えてもらっただろ」
 道すがら見事一人でロールケーキを一本平らげた由紀は、俺と病院へやって来た。
 目的はもちろん、由紀の弟、圭太の見舞いのためだ。それにしても、圭太とは大昔に一度会ったきりなので、果たして俺のことは覚えているだろうか。
「俺、不審者だと思われたらどうすればいい?」
「逃げればいいんじゃない?」
 もっと不審だと思うな、それ。
「……あれ? 六〇二号室、扉が開いてる」
 由紀がそういうので見てみると、確かに扉が開きっぱなしになっている。患者リストには「甲斐田圭太」「橘博人」と書かれてあった。この部屋で間違いはないみたいだ。
「圭太ー?」
 手を引かれ、由紀と俺は恐る恐る病室に入る。あの、独特のシーツの香りが鼻を突く。
 中には誰もいない。見渡してみても圭太はおろか、相部屋の患者もいない。スリッパがないので、どうやらどこかに出ているようだ。由紀は残念そうに屈み込んだ。
「えー、せっかくケーキ買ってきたのにー。まあ、いいか。冷蔵庫に入れとこ」
「買ったのは俺だけどな」
「圭太、喜んでくれるかなー。お姉ちゃんの持ってきたロールケーキ」
「買ったのは俺だけどな」


 梅雨入りしたっていうニュースが、バカバカしく思える。
 それくらい、今日の金池町は青空が広がっていた。
 ビル風が吹くところは上昇気流も強いのか、トンビが気持ちよさそうに翼を広げている。怪我して入院するまではこうやってのんびり空を眺めるなんてことはしてこなかったが、今こうして見上げてみると、改めてその大きさに驚かされる。同時に自分の小ささにも気付かされて、なんだか、胸にぽっかりと穴が開いたような気分になった。
「どうだヒロト、身体の調子は」
「まあ、ぼちぼちってところだな。幸いそこまで重症じゃねえから、一ヶ月もありゃあ退院できる。そうしたら……」
 遥か上空で、鳥の鳴き声が響き渡る。
「めでたく俺は逮捕ってわけだ。窃盗罪、不法侵入、子どもの誘拐。さて、一体どうなることやら」
「……まあ、れっきとした犯罪だからな。懲役一〇年くらいは免れんだろう。ただ、優子ちゃんの一件次第では、執行猶予付きになる可能性もある」
「優子の件?」俺が反芻すると、マサチカは微笑みを浮かべた。
「優子ちゃんを連れて行こうとしていた叔父さんがいただろ。奴がある犯罪組織の幹部だってことが、事情聴取の中で明るみになったんだ。それで、組織まとめて御用になったそうだ。良かったな、お前の手柄だそうだ」
「はあ……」何となく、あの“叔父さん”から犯罪臭がするとは思ったが、まさか本当にそうだったとは。
「でも、俺が罪を犯したってことに変わりはないからな。執行猶予が付いても付かなくても、罪は償うさ」
 俺がしてきたことは、少なくとも誰かを不幸にしてきた。
 ならば俺は、そのツケを払う必要がある。
 そうしなければ、俺に明日を夢見る資格なんてない。
「……優子ちゃんは説得した結果、俺が預かることになった。だから、心配はするな」
「そうか。それは良かった。本当に、良かった」
 トンビか、鷲か。
 甲高い鳥の声が、鼓膜を震わせる。
 昼下がりののんきな陽気に、少しあくびが出そうになる。
「さて、俺はちょっくら出向いてくるかね」
「出向く?」マサチカが怪訝そうに言った。「入院してるのに、どこに行くんだ?」
「なあに、今少し絵画教室の講師をしていてね」
 目線の先では、車椅子に座った少年が、色鉛筆片手にスケッチブックと睨み合っていた。
「マサチカ」
「何だ?」
「俺、真っ当な人間になれるかな」
 そう言うとマサチカは、短く笑って答えた。
「なれるかな、じゃねえよ。なるんだろ」
「……ああ、そうだ」
 真っ当な人間に。
 明日は、今日を越えた自分に、俺は。



「んじゃ、面接頑張れよ」
「うん。面接終わったら、また連絡入れるね」
「おう」
 由紀を面接会場まで見送り、俺はなごみロールが一本入った箱を提げて、金池の街を歩く。
 不思議な気分だった。由紀と一緒に街を歩いて、由紀が食べるために俺が金を出した。少し違う点もあるけど、“あの時”と同じ状況だ。
 それなのに、今はとても清々しい思いに溢れている。街のいたるところからエネルギーが湧き出ているような、妙に高揚した気分だった。すれ違う人の顔も、全てが嬉しさというか、名状しがたい、でもとにかく前向きに生きていけそうな、そんな感じだった。味わったことのない感覚だからうまく表現できないけど、こういう状態を本当の脳天気だとか、楽天的っていうんだなとうわの空で考えた。意識がふわふわと、いったんもめんのように浮かんでいるようだった。
 あの時の俺は一人街を歩きながら、自分は神に見捨てられた、値踏みされたと皮肉げに語っていた。
 今は、その考えが根本から間違っているということが良く分かった。
 由紀みたいな人間だって、失敗するときは失敗する。俺みたいな人間だって、必要としてくれる人がいたりする。結局過去の俺が言っていた神ってのは前を向いて生きていこうとしていなかった俺の逃げ道で、全て神のせいにしてしまえば何とかなると考えこんでいたに違いない。
 己を俯瞰してみるというのは少し気恥ずかしいものがあったけど、見つめなおすことでしか得られないものもあった。
 こんなことを俺みたいな人間が考えたところで何が変わるかなんて分かったもんじゃない。
 だけど考えなければ、変わるものも変わらない。蓋を開けなければ、何があるかは分からない。いくら推測を立てても逃げ道を拵えても、猫が生きているのか死んでいるのかなんて分からないように。こういうの、なんて言うんだったか。哲学的なことには疎いので、よく覚えてない。
 だから、小難しく考えるのはやめだ。
「結局は、今より早いスタート地点なんてねーってことだな」
 笑いたいなら、変われ。
 変わりたいなら、まず動け。
 あの日から今日までの間で俺が学んだことは、つまりはそこに収束する。
 たとえ見当違いだったとしても、構うもんか。
 こうして俺は自堕落な生活から抜け出し、明日を夢見る人間のひとりとして生きていくことを決意したのであ『You got a mail.』なんだ。携帯にメールが届いた。人がせっかく決意を新たにしていた時に、一体誰だ。
 俺はダメダメだーとため息を吐きながら、携帯の画面を開いた。

 それはある、蒸し暑い六月のこと。



 件名:ご回答ありがとうございました

 本分:
 みなさん、様々な回答をありがとうございます。私としても嬉しく思います
 結論から言わせていただきますと、人は生まれ変わることなどできません。
 ですが、それでも人は生まれ変わりたいと願います。なぜか?
 それは、生まれ変わってでも、成し遂げたいこと――夢があるからです。
 その夢がどんなことであろうと、その人が生きていくための道標になることは、みんな分かっているはずです。
 それでも生まれ変わりたいと願うのは、今の自分が嫌いだから。
 今の自分は嫌っていただいて結構です。
 だから、明日の自分を、好きになってください。
 明日は、今日の自分を越えた自分になる。生まれ変わるというのは全く違う人物になって人生をやり直すということではなく、今の自分を脱却し、生物が脱皮するように、少しずつ変わっていく事です。
 明日なんていうのは所詮ただの概念で、今日の延長線上にあるというのは分かりきったことです。
 だから私たちは、いつ死んでも後悔しないように、今を一生懸命生きていくしかないのです。
 明日、生まれ変われたら、何になりたいか。
 それはすなわち、「今を生きるために、何をするべきか」ということと同じなのです――――


     ▽

 こうして彼らの、偶然と必然とが交りあった物語は終わりました。
 ……おや? これで終わり?
 そういえば、あの人はどうなったのでしょう?


「と~~り食~べに行こう~~」
 聞く人が聞けばなんて古い選曲だと思うかもしれない。私も古いと思う。
 強いてタイトルをつけるなら『鶏にまつわるエトセトラ』とでもなりそうな歌を歌いながら、私は五〇〇円玉を握りしめていつもの定食屋に入った。来客を告げるチャイムが鳴り、店員が案内する前に渡しは定位置に着席する。さすがに店内ではこんな変な歌は歌うまいと思って閉口した。
 もう何度もとり天定食を頼んでいる所為で、店員は私のもとに駆け寄って「とり天定食でよろしいですか?」と確認するだけにとどまった。私は大袈裟にオーケーオーケーアイライクトリテンと答えた。周囲の客の目線が少し冷たく思えたけど、すぐに出てくるだろうあつあつのとり天で中和すればいいやとか、そういう適当な事を考えた。
 それにしても、この待ち時間が私は嫌いだ。
 私はとり天を食べるためにここに来ている。だからとり天がなければ私がここに来た意味は無い。
 つまりこうして据え膳の完成を待っている時間は、私史上最も無駄な時間だと考察する。
 どうしよう。よし歌でも歌おう。
「あ~つ~いと~~り天をどれでも全部並べ~て~」
 どこからか、古っという声が聞こえた。どこのどいつだ。とっちめてやろうか。
 私が怒りを露わにして立ち上がったその時、ジーンズのポケットに入れていた携帯がかすかに震えた。
「なーに? まーた迷惑メールかなんかー?」
 自分でもよくわからないテンションで、ヘラヘラしながら私は携帯の画面を開いた。
 私はすぐに、それが迷惑メールだとしても、ただの迷惑メールではないことに気がついた。
 本分が完全に空白で満たされているのだ。
 そして、件名にはたった一文、こう記されている。




 
『明日生まれ変われるとしたら、あなたはどうなりたいですか?』


(了)

       

表紙

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Neetsha