「明子、よくお聞き」
両親は写真でしか顔を知らない。
祖父母に育てられた少女は小さく頷いて、深く皺の刻まれた顔をまじまじと見つめた。
「うちの一族では、十になると式と契約する」
「おばあちゃん、式って?」
「この世から消えた、神様の欠片だよ」
**
「暮菊、何か解ったか?」
日の沈もうかというビルの屋上。
凡そその場所に不釣り合いのセーラー服の少女が問うた。
暮菊と呼ばれた、おそらく同い年くらいであろう。
時代錯誤な十二単を纏った菊のような、長く白い色の髪を揺らして少女は首を横に振る。
「そう、か。中々会えぬものなのだなあ」
がっくりと肩を落として、セーラー服の少女は黄金色の空に向かって伸びをする。
「今日は、帰ろう」
何処か嬉しそうに微笑むと暮菊は小さく是と頷いた。
樋村明子は高校1年生である。
樋村家は代々神守の一族とされてきたが、
守るべき存在を失った今日では、神還りの一族と呼ばれてきた。
その為に必要だとされる『式』という力。
精霊や聖獣と契約し、使役するというもの。
明子はあまり勉学は得意ではなかった為、
祖父母の教えをきちんと理解はできていない。
それでも、何故か身体が覚えている。
はじめて得た式が暮菊という少女の形をとる精霊だった。
十歳になろうという年、祖母の見守る中で契約した。
菊の精霊とあって言葉は持たないが、他の植物の精霊と連携し
その際得た情報を映像として明子に与えてくれる。
契約と同時に左太ももの外側に刻まれた 暮 という字。
幸いスカートで見えないが、念には念をと短いレギンスを履くようにした。
あれから五年。祖父は《あやかし》なるものに殺され、祖母と暮らすようになって二年がすぎた。
祖父が亡くなってから明子に課せられた使命は神の手掛かりを掴むこと。
しかしそれは途方もない作業で、『かみさま』という言葉の意味を知る者すらひと握りほどになったこの時代に
如何にしてその在り処を知ることができようか。
「私では力不足なのやもしれぬな」
詮索の帰り道、前向き加減だけが取り柄の明子がぽつりと呟いた。
「暮菊、私は神様をしらない。どんな形で、どんな力を持っていて、どんな存在なのか」
答えはないと知りながら独り言のように呟く。
「本当に、探せるのかな」
地面に向けて落とした言葉はアスファルトに散った。
「探し物か?」
心地よいテノールに顔を上げれば、半分ほど沈んだ太陽を背に大きな影が揺らめいた。
「あ、すまないっ!独り言なのだ」
がばりと勢いよく頭を下げて、頬を掻く。
人の気配を感じなかった。それほどまでに落胆していたのか。
ちらりと目線を投げれば、大きな男が無骨な表情で此方を見ている。
「神様、といったな」
その言葉に、思わず目を見張った。
「俺なら、少しは手伝えるかも知れない」
無表情のまま、微動だにせずに男はまっすぐ明子を見ていた。
照想
零、世界の話
私は樋村明子。
高校一年生。
好きな教科は体育と古典、嫌いな教科は数学と…歴史。
クラブ活動は剣道部。これでも勝率は高いほうだ。
家族は祖母が一人。両親とは会ったことがない。
生死すら解らないらしい。
何故なら、樋村家は一風変わった一族だからだ。
『カミサマ』という得体の知れない存在の復興を願い、行動する。
それが樋村に課せられた使命なのだ。
そう、この国にはカミサマが居ない。
その存在についても知っている人はごく僅かだそうだ。
陽の国と呼ばれる宗教国家において
宗主様は絶対であり、人々に恩恵を齎してくれる。
つまりは宗主様がカミサマであり…と、頭はよくない私なので上手く説明できるかは解らないが
とにかく、そんな感じらしい。うん。
私は、この樋村の血縁者であるということの他に『鬼眼』という力を持っている。
これは見る力。人ならざるものを認識できる力だ。
目に見えるもの、科学的に証明できるものが全てであるこの国で
私はかなりの変わり者であるらしい。
友人にもよく、喋り方が変だの、変わった一族だのと言われていた。
それでも、私は自分が自分であることが楽しくて
両親のことは心配ではあるけれど、此処まで育ててくれた祖父母にめいっぱいの感謝を込めて
私は、私らしく、私なりに、楽しく前を向いて歩こうと決めたのだ。
課せられた使命の重さに潰されそうになるけれど
情報の少なさに何度も途方にくれたけど
それでも、やるしかないのだ。
私が私であるために。
**
「神様、といったな」
私は目の前の男の、逆光で飴色に輝く髪に目を奪われていた。
「俺なら、少しは手伝えるかも知れない」
「本当か?!!」
勢いに任せて大きな声が出てしまった。
「あ、ああ」
少し驚いたのか男は控えめに頷いた。
「有難い!本当に情報がなさすぎて困っていたのだ。
私が不甲斐ないばかりに…学生という立場上どうしようもないこともあって何度か補導もされかけたのだ」
あの時は本当に驚いた。
夜、暮菊を連れて散歩をしているとお巡りさんに呼び止められてしまった。
暮菊は普通の人には見えないから、たしかに虚空に向かって笑いながら歩く私はさぞ滑稽だっただろう。
厚意で精神病院まで教えてもらったのだ。
「真面目そうに見えるのにな」
男の片眉が上がった。笑っているのだろうか。
「そうなのか…?それははじめて言われた!嬉しいぞ!」
変わっているとはよく言われるが、真面目だと言われたことはない。
「すまない、すっかり申し遅れた。私は樋村明子だ。」
ぺこりと今更ながらに頭を下げる。見た感じ私より随分と年上のようだ。
思ったままを喋ってしまったせいで礼に欠いてしまっていたことを今更ながらに後悔した。
「明子、か。」
「貴殿の名を伺いたい」
「俺は、名無しの権兵衛とでも言いたいが…そうだな」
男は顎に手を添えた。考えているようだ。
「名前が、ないのか?」
そんな不思議なことがあるものなのだろうか。
「あれ、明子じゃん!」
名を呼ばれて振り返ると、中学からの友人の優がこちらに向けて手を振っていた。
「優、どうしたのだ?こんな時間に」
「あたしは塾だよ。明子こそどうしたの、こんな時間に一人で」
「…一人?」
その言葉に納得が行かずにゆっくりと振り返る。
私の頭3つ分は抜きん出ているであろう大男は、確かにそこに佇んでいた。
「うん、一人じゃん。最近行方不明者が出てるらしいから、早く帰んなよ?」
ぽん、と肩に手を置かれて彼女は颯爽と去っていった。
呆然とその背中を見送って、私は恐る恐る後ろの男を見た。
男は、口の端を上げて小さく笑っていた。
高校一年生。
好きな教科は体育と古典、嫌いな教科は数学と…歴史。
クラブ活動は剣道部。これでも勝率は高いほうだ。
家族は祖母が一人。両親とは会ったことがない。
生死すら解らないらしい。
何故なら、樋村家は一風変わった一族だからだ。
『カミサマ』という得体の知れない存在の復興を願い、行動する。
それが樋村に課せられた使命なのだ。
そう、この国にはカミサマが居ない。
その存在についても知っている人はごく僅かだそうだ。
陽の国と呼ばれる宗教国家において
宗主様は絶対であり、人々に恩恵を齎してくれる。
つまりは宗主様がカミサマであり…と、頭はよくない私なので上手く説明できるかは解らないが
とにかく、そんな感じらしい。うん。
私は、この樋村の血縁者であるということの他に『鬼眼』という力を持っている。
これは見る力。人ならざるものを認識できる力だ。
目に見えるもの、科学的に証明できるものが全てであるこの国で
私はかなりの変わり者であるらしい。
友人にもよく、喋り方が変だの、変わった一族だのと言われていた。
それでも、私は自分が自分であることが楽しくて
両親のことは心配ではあるけれど、此処まで育ててくれた祖父母にめいっぱいの感謝を込めて
私は、私らしく、私なりに、楽しく前を向いて歩こうと決めたのだ。
課せられた使命の重さに潰されそうになるけれど
情報の少なさに何度も途方にくれたけど
それでも、やるしかないのだ。
私が私であるために。
**
「神様、といったな」
私は目の前の男の、逆光で飴色に輝く髪に目を奪われていた。
「俺なら、少しは手伝えるかも知れない」
「本当か?!!」
勢いに任せて大きな声が出てしまった。
「あ、ああ」
少し驚いたのか男は控えめに頷いた。
「有難い!本当に情報がなさすぎて困っていたのだ。
私が不甲斐ないばかりに…学生という立場上どうしようもないこともあって何度か補導もされかけたのだ」
あの時は本当に驚いた。
夜、暮菊を連れて散歩をしているとお巡りさんに呼び止められてしまった。
暮菊は普通の人には見えないから、たしかに虚空に向かって笑いながら歩く私はさぞ滑稽だっただろう。
厚意で精神病院まで教えてもらったのだ。
「真面目そうに見えるのにな」
男の片眉が上がった。笑っているのだろうか。
「そうなのか…?それははじめて言われた!嬉しいぞ!」
変わっているとはよく言われるが、真面目だと言われたことはない。
「すまない、すっかり申し遅れた。私は樋村明子だ。」
ぺこりと今更ながらに頭を下げる。見た感じ私より随分と年上のようだ。
思ったままを喋ってしまったせいで礼に欠いてしまっていたことを今更ながらに後悔した。
「明子、か。」
「貴殿の名を伺いたい」
「俺は、名無しの権兵衛とでも言いたいが…そうだな」
男は顎に手を添えた。考えているようだ。
「名前が、ないのか?」
そんな不思議なことがあるものなのだろうか。
「あれ、明子じゃん!」
名を呼ばれて振り返ると、中学からの友人の優がこちらに向けて手を振っていた。
「優、どうしたのだ?こんな時間に」
「あたしは塾だよ。明子こそどうしたの、こんな時間に一人で」
「…一人?」
その言葉に納得が行かずにゆっくりと振り返る。
私の頭3つ分は抜きん出ているであろう大男は、確かにそこに佇んでいた。
「うん、一人じゃん。最近行方不明者が出てるらしいから、早く帰んなよ?」
ぽん、と肩に手を置かれて彼女は颯爽と去っていった。
呆然とその背中を見送って、私は恐る恐る後ろの男を見た。
男は、口の端を上げて小さく笑っていた。