間一髪。
コンマレベルのギリギリで、なんとか間に合った私は内心で胸を撫で下ろす。
髪が伸びていたが、彼女が風香だと一瞬でわかった。前は短パンで走り回っていたのが信じられない程に綺麗になっていた。
三年前と比べると、随分女の子らしくなったものだ。
それに比べて……
「貴様、魔力を失ってはいなかったのか……」
何故生きているのか知らないが、こっちは全く変わっていない。
ヴェクサシオン大総統、通称糞ハゲ。
かつて私達が壊滅させた『ダークマター』が、誰に断って呼吸をしているのだろうか。
初戦の相手としては、少々面倒だ。
「由里子……ちゃん? ……来て、くれたんだね……!」
私の背中に、涙ぐんだ声をかける風香。
今となっては、彼女もただの一般人だ。さぞ恐ろしかったことだろう。
もう大丈夫だよ、風香。
そう笑って安心させないといけない。だが、私にはその資格は無い。
私は――
「知らない名前だ」
彼女を見ずに答えた。
意識を前方の敵へと向ける。
手の中のグリップは、既に手甲へと姿を変えていた。
「まあ、いい。蘇った我々を相手に、一人でどこまでできるかな、スワローテイル」
「人違いだと言っているのに、聞かないか……まあいいが別に。ならば」
「その口癖……やっぱり由里子ちゃんじゃない!」
え。口癖?
私そんなに言ってたっけ?
「…………ならば教えてやる。私は」
動揺を隠して名乗り、マフラーをたなびかせて前へと進む。
その私へと、前方から半円状に多数の影が迫った。
息を、すぅと吸い込む。
どっ、と言う炸裂音と共に、交通事故にでもあったかのように影が宙を舞った。
震脚。
私の力(りき)を入れた足踏みによる結界が、悪しき者達を軽く撥ねる。
「戦線の魔人……『曇り無き蒼』《コバルト・ザ・コバルト》」
糞ハゲの陰になっていて見えにくかった所にいた、骨のような顔をした男。私の睨みにたじろいだ。
「その目……その目だ! あの時私を殺した、悪魔のような眼光……!!」
……嫌な奴が、いた。
糞ハゲ以上に、この世に存在してはいけない男……アーベインが立っていた。
まずい。すぐにでも声を出せないように、奴の肺と声帯を抉り取って殺さないと。
反射的に抹殺しようと、手刀を携えて、跳ぶ。
お前は生きてちゃいけない。私の秘密を知るお前は。
かの男の喉に、私と言う名の死が迫る。
が。
「やはりお前は……こっち側に近い」
部下の危機を、非道な悪の大総統が身を呈して救った。
私の手首を、手甲ごとへし折らんとばかりにギリギリと握りしめて。
「ちぃっ」
邪魔だとばかりに、私の左足が彼奴の顔面へと伸びる。
払おうとする、右手。それを避けて、私を掴んだままの左腕を刈り取る。
「ぬっ」
あわよくば千切ろうと思っていたが、完全には入らなかった。
寸前で私の手を離し、ダメージを抑える。
私の足は、止まらない。アーベイン毎蹴り裂く勢いで、右の後ろ回し蹴りを放つ。
肘。
とても老人の姿とは思えない反射速度と硬度で、ヴェクサシオンが打ち落とした。
互いの身体に、衝突のエネルギーが波となって通り抜ける。
「……っ!」
「ぐっ……戦い方を変えおったか」
伊達に大総統をやっているわけではなかった。
格闘戦において最強の型〈フォーム〉に、ここまで食いつくか。
復活怪人はかませと相場が決まっているが、少なくともこいつは明らかに強くなっている。
「アーベイン」
「は、はいっ!」
厳粛に背後の部下の名を呼ぶ。
彼を庇ったのは慈悲でもなんでもなく、奴を真っ先に狙う私への嫌がらせ《ヴェクサシオン》だった。
「こいつとの間に、何かあったのか」
「な、内通のような真似は、とても……」
まずい。
風香がいるこの場所で、こいつをのさばらせるのは、駄目だ。
私は立ち塞がる大総統に両手突きを食わす。
顔はガードされるも、鳩尾に拳が刺さった。
「がァッ!!」
が、浅い。完全に入る前に、気迫で跳ね返され、距離を取られる。
「くっ、効くな……では、お前を執拗に狙う理由は何だ?」
「そ、それはきっと、私が洗脳した人間をあやつが……」
「黙れ」
「ひっ……」
私の殺気が、アーベインの心臓を射止めた。
もう一度殺してやろうか。あの時のように。
言葉にせずとも、私の思念は伝わったようだ。がくがくと震えながら、大総統の陰に隠れる。
次の瞬間、心臓が止まりそうになったのは私の方だった。
「洗脳した人間って……あの時の……? 由里子ちゃん、何かあったの……?」
背後から聞こえる、友の声。
胃のあたりから、何か冷たいものが上がってくる感覚があった。
何もないんだ。
何も。
「おいおい、貴様は津中由里子とは別人なのではなかったのかな?」
白々しく笑う総統に、私は歯軋りして殴りかかった。
「私も興味があるな、アーベインよ。その話、詳しく聞かせてもらおうか」
「黙れッ……黙れッ……!!」
全力のラッシュで畳み掛ける。も。突破することができない。
私は、あの事を、知られる、わけ、には――
「津中由里子は、私が洗脳し、操っていた罪無き人間共を――全て殺したのです」
「う、そ」
背後から。
か細い呟きが、聞こえた。
私の心臓が、脳が、感情が、
爆発、しそうに、なる。
「嘘、だよね。由里子ちゃん。あんなのデタラメだよね。ね……そうだよ! 由里子ちゃんが、そんな事するわけ……」
「ほほう。それなら、貴様は人間らの無事を確認したのだな?」
大総統は、心底楽しそうに揺さぶる。
風香の願望を。私の、精神を。
「そ、それは……」
「津中由里子が、陰でコソコソと何かしていたような記憶は、お前には無いのだな?」
「……」
風香は、答えられなかった。
思い当たる節が、あったのだろう。私も、常にいつも通りに振る舞えていた自信は、なかった。
「津中由里子は、汚れ役を引き受けていたわけだ。綺麗事だけでは何も解決できない。しかし、仲間には綺麗でいて欲しい。泣かせる話じゃあないか」
大袈裟に泣く真似までして、大総統は風香に現実を突きつけた。
「嘘、嘘だよ、そんなの……」
「本人が否定しないのが、何よりの証拠じゃないのかね」
「由里子ちゃん……ねえ、由里子ちゃん……嘘だって……言ってよ……」
泣いている風香に。私は、何も言えなかった。
仮に、『スワローテイル』として、津中由里子として風香を助けに来たとしても。
あんなの嘘に決っているでしょ。風香はすぐに引っかかっちゃうんだから。
笑ってそう否定する事は、絶対にできないだろう。
何もできなかった。
沸騰しそうになるほどの怒りが、急激に芽生えてくるのをただ待つだけだった。
何に対しての怒りなのかはわからぬまま、私はそれに身を焦がした。
「殺す」
誰にも聞こえぬよう、小さく呟いた私のグリップには、杖のマークが光っていた。
光の曲線。
百七本の蒼い軌跡が、私の殺意の奔流が。
アーベインの細い身体を、灼いた。
禁句を発した男は思考する間も無く、無数の穴を開けられて。どちゃりと斃れた。
「ッ!!」
バッと距離を取る大総統の顔に、汗が浮かんだ。
「……どっちが悪役だか、わかったものではないな」
と、私の顔を見てふっと微笑む。
そんなこと、もうどうでもいい。
悪でも、外道でも、魔人でも、化物でも。
友達に、拒絶されても。
彼女等が無事なら、他はどうでもいい。
「『聖導弾』《ピュア・ホーミング・シュート》」
悪を喰らい尽くす汚れた光線が、収束して大総統へ迫る。
ヴェクサシオンは当然のように浮遊し、空へと逃れる。
が。私の憤怒はそれを許さない。
ぐにゃりと蠢いて、殺意の塊はそれを追いかけ続ける。
同時に私は、魔法の杖へ力を込める。
二秒で、一射。
次々に放たれる蒼い光が、獲物を追いかける蛇のようにうねって疾走った。
空を縦横無尽に移動してそれらを引き離そうとするが、どこまでも追い続け、いつまでも増え続けるそれに大総統は痺れを切らして止まった。
「喝ッ!!!!」
全てを引きつけて、気を全方位に放ち、それらを無理矢理にかき消す。
かなりの力技によるゴリ押しだが、効果的であった。
そして、次弾が来るより速く反撃を開始する。
「消ィえよッ!!!!」
バチバチと片手に負のエネルギーを凝縮した黒球を精製し、風香もろとも、いや村もろとも私を消し飛ばそうと投擲した。
それに対し、私は待ったをするように右手を掲げる。
「『聖障壁』《ピュア・リフレクト》――六十五連ッ!」
私の前に、光の壁が幾重にも形成される。
最初と最後だけ、垂直な角度に。
それ以外は、全てバラバラの角度で受けるようにして勢いを抑えて、陣の真ん中で制止するように調節する。
ガラスの割れるような音が乱雑に響き渡り、一枚一枚が割れると同時に黒球の勢いを削いでいく。
そして、全てを飲み込む爆発を、障壁を集中させて殺す。
闇と光がぶつかり反発し喰い合い、相殺を繰り返して、やがてゼロへ至る。
大総統は結果を見ずに急降下し、闇の爪を私の顔面に突き立てんと猛進。
咄嗟に出した光の牙で受ける。
衝撃を地面に返し、周囲の破壊と引き換えに私はノーダメージ。
の、はずだった。
後ろに風香さえいなければ、そうしていた。
「がはっ……」
戦闘機に撥ねられたような衝撃が、私の身体の中で反発を繰り返す。
吐血が、大総統の笑みを赤く染める。
だが。
「由里子ちゃん……死なないで……!」
ここで、私の勝利が確定していた。
「つかまえた」
私は左手で奴の攻撃を受け止めたまま、右手のダイヤルを歯で回した。
ガキン、と言う機械音と共に変形したB.F.Uが、右腕に『接続される』。
故障してるのかと勘違いするほどの大音量によるエンジン音が。
ヴェクサシオンの薄ら笑いを、凍りつかせた。
「まさか……何故、貴様がそれを!」
かつて貴様を屠った、あの一撃が蘇る。
私の技じゃない。こんな愚直で、向こう見ずで、笑っちゃうように真っ直ぐな彼女の技を……
『スワローテイル』は、使えない。
「その技は――!」
「『ブルーム・バンカー』」
別名を『無影無踪』と言う。
ブーストを『バカ吹かし』して、制止状態から最高速度までゼロコンマ3秒で加速し、同時に柄を杭に見立てて炸裂させて打ち込む、『アルバトロス』最強の必殺技。
直撃さえすれば戦艦だろうが要塞だろうが一撃で粉砕する代わりに見事にB.F.Uが大破する、壮絶なそれが。
糞ハゲを、この世から再び消し去った。
土砂で塞がれていた道が開通していた。私が戦っている間に、救助活動が開始していたようだ。
村は酷い有様だが、とりあえずこれ以上の死傷者は出ないだろう。
後ろから、少女の泣き声が聞こえた。
「由里子、ちゃん……どうして……」
「……」
私は、振り向かない。
彼女の目を見ることが、できない。
「どうして……どうして、何も言ってくれなかったの……!
私達は二人でシャインハート・ウィッチだって、言ったの由里子ちゃんじゃない……」
泣きじゃくる風香の声は、あの頃と何も変わっていなかった。
言い訳することも、できない。
何もできなかった。
「クリム」
「あっ、な、何? ゆ……『コバルト・ザ・コバルト』」
律儀にも私の背中にしがみついたまま死にそうになっていたクリムに、私は問いかける。
「今、他で戦っているところは?」
「ちょっと遠い所が、一つあるみたいだけど……行くのかい?」
コクリと頷く私。首を動かすだけで、激痛が走る。
「由里子ちゃん!? ダメだよ、そんな身体で!」
手を握って引きとめようとする風香を、私は払いのけた。
「由里子、ちゃん……」
「そんな奴、忘れろ。私は知らないが……まともな奴じゃあ、無かったんだろうよ」
「違……」
最後まで聞くことなく、私はB.F.Uの故障していない方を出して飛び乗り、次の戦場へと向かった。
絶対に聞こえないくらい遠くまで来た所で、私は小さく呟いた。
「……ごめんね、風香」
晴れ渡る空から、水滴が地へ落ちていった。
◯
『風香! 大丈夫!?』
『由里子ちゃん! この人達、操られているみたいなの……!』
『! ……これは……!』
『きっと、操っているアーベインを倒せば、元に戻るはずだよ!!』
『……ああ、そうだね。風香、ここは私がなんとかするから、先にブモウの方を足止めしてきて』
『え!? あたしも、一緒に……』
『駄目だよ。街が襲われているんだから。すぐに私も向かう、大丈夫だから』
『本当に……?』
『本当だよ。風香と違って、私は無茶したりしないからね』
小さくなる彼女の背中を見ながら、あたしは呟いた。
「あたしは……何の疑問も持たなかった……」
由里子ちゃんがやることなら大丈夫だと、勝手に安心していたのだ。
あの子が大丈夫って言うなら、何でも大丈夫だと思い込んでいた。
暗い顔をしていても、体調が悪いと言われればそうなんだと深く受け止めなかった。
「あの子に……嫌なこと、全部押し付けていたんだ……」
知らなかった、なんて言い訳にならない。
あたしは、世界は全部綺麗だと思っていた。
二人で協力して悪い奴らをやっつければ、みんな幸せになると。そう思い込んでいたのだ。
だから、あの子はあたしに夢を見せたのだ。自分は現実と戦って、傷ついて。それでも笑顔を見せて。
あの子は……一人で戦っていたのだ。
「あたしは、なんて、馬鹿だったんだ……何が、アルバトロスだ……こんなんじゃ、本当にアホウドリじゃない……!」
助けてもらったお礼も、言えなかった。
あんなにボロボロになってまで守ってもらったのに、あたしは何も、言ってあげられなかった……。
「ごめんね、由里子ちゃん……ごめんね……」
ただ、泣くことしかできなかった。