Neetel Inside ニートノベル
表紙

ヒトデ
第一話

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━━━━━ 風に揺られる度に囁き合う木々達によって、『彼』は目を覚ました。


『彼』は仰向けに倒れていた。

頭や腕、体のあちこちが焼けるような痛みに侵され全身は鈍痛を訴えており、指一本はおろか顔すら動かせない。

辺りを撫でるように吹く風以外に聴こえるのも、自身が吐く ヒュー…ヒュー… という掠れた音だけだ。


何とか目だけを動かし、辺りを見回す。


自分が倒れているのは林…いや、森の中だろうか。

自分が倒れている場所を中心に円形の芝生となっており、
周囲の樹木は法則を持って見える範囲全てを木々に日光を隠された薄気味悪い森にしている。

……唯一、日光に照らされた『彼』のいる場所を除いて。


「……っ、ぅあ…」


腕を何とか動かそうとするが、凄まじい激痛によって動けない。

指先に感じるぬめりが『彼』の体に何が起きているのかを悟らせようとする。
思えば倒れている地面…正確には背中が焼けつくような痛みと共に、ぐっしょりと濡れているような不快感があった。

そう、大量に出血しているのだ。


「・・・」


呼吸を浅くして、冷静になろうとする。

確かそうする事によって出血が少しは止まり、ショック状態を回避出来た筈だ。

……それが、止められる傷だったならばの話だが。
『彼』は自身の負っている傷が深いことを知る、出血が止まる気配がない。

指先に力が入らなくなり、足先が麻痺し始める。



━━━━━ そこで『彼』の頭上から芝生を規則的に踏む音が聴こえてきた。


「…………っ」

声を出そうとするが、既に強く息を吐く力すら残っていない。

喉の奥に溜まった血を乾いた咳で吐きながら、『彼』は助けを乞おうとした。

すると。


「……動かないで」


驚いた事に、声の主は女のものだった。

澄んだ声音は辺りに吹く風に等しく、耳に残らない…静かに消えていくのだ。


『彼』は閉じかけていた瞼を開く。


「間に合って良かった…これならば、私の風で治せます」

「楽にして……? 風を全身で感じて、私の声を聴いて下さい、意識を保って…」


涼風にも似た彼女の声を聴いているうち、『彼』はいつの間にか自分の頭が彼女の膝に乗せられている事に気がついた。

感覚が麻痺している訳でないのならば、自身の頭はかなりの出血を起こしている筈だが、大丈夫なのだろうか?

等という少しずれた考えが脳内で浮かんだ時。


水など無いはずの芝生を、森を、そして『彼』の体を冷たくも清流の如き軟らかさを持った水が通り抜けた。

否、それは水ではなかった。

風だ、絶え間なく流水のような風が体を包み込んでいるのだ。


「……ぅ、あ…?」


数秒を後にして、途端に喉の奥に溜まっていた血の塊が消失したように感じて、声を出そうとする。


「呼吸しやすいように、器官から修復、洗浄しました」
「…後はお体の傷を治していきます、待ってて下さい」

「・・・ぁ、ああ…」


霞がかっていた思考が、この『傷を癒す風』によって活動を取り戻してくる。
優しい声をした彼女は……『魔法』を使っているのだ。
生まれながらにそれを扱える者を…確か……

と、そこまで考えているとこめかみに鈍痛が走り、思わず『彼』は呻き声を上げてしまった。
風にサラサラと美しいブラウンの長髪を撫でられながら、頭上の彼女は心配そうに視線を『彼』に落とす。


「大丈夫ですか…? ごめんなさい、こんな怪我を治すのは久しぶりだからどこかおかしかったかも…」

「いや、違うんだ……ッ、その…きみは…?」

「私? えっと、私は…」


思わず彼女の不安げな表情を見て、話を逸らしたつもりが逆効果だったか。
そう思った『彼』だったが、暫く言い淀んでから彼女は静かに口を開いた。


「『エリア・シルフィード』と申します、助けて頂いて本当に感謝しています」

「助けて頂いて? いや、それはこっちの‥」

「貴方のお名前も訊いて宜しいでしょうか? 義賊様」


エリアと名乗った彼女は、周囲の癒しの風を操りながら『彼』を見つめる。
その髪色と同じブラウンの優しげな瞳を見た『彼』は彼女の言った、『義賊』や『助けた』等の気になる事を一瞬忘れてしまう。

聞きたいことは山程ある、記憶障害を起こしているのだろうが自分がこうなった原因を知らないのだ。

数瞬の間を置いて、彼はまるで名乗らなければ何もかも始まらないような気がして…口を開いた。



「俺は…キリヤ、キリヤ・マコトだ……」



癒しの風によって血の塊がキリヤの髪から削り取られ、赤黒く塗り潰されていた髪が本来の髪色である『黒』を取り戻す。

キリヤは、東洋人だった。

     



━━━━━ 「……団員の捜索ですくぁあああああああ!?」


猛烈に汚い発音で叫び声が豪奢な一室に響き渡る。

その部屋を豪奢に彩る家具はどれも古そうな一品にも関わらず、
どういうわけか錆び付いた…埃を被ってそうなイメージは何処にもない。

この部屋の主たる『彼女』が言うには、『かつての世界』に存在したアンティーク・インテリアと呼ぶものらしい。

残念ながらその良さは余り『彼』には理解できなかったが…


幼女「そうなのです、君に頼んでいた任務中に数人の『ギア』所有者を捜査に出していたのですが……」


僅かに言葉を濁す『彼女』は、その小さな体躯をロッキングチェアーに揺らしながらサラサラと金髪を掻き上げる。


幼女「……一人だけ未だ帰還していないのです、本来ならば既に魔法石によって連絡があるのですよ」

「サボってんじゃないですかね…道に生えた草食ってるとか」

幼女「それなら良いのですけどね」

「良かねえでしょう!?」


幼い容姿にか細い声音は幼女そのものである『彼女』だが、自分より遥かに年上にも背丈的にも上な『彼』に物怖じする様子はない。

そしてそれは『彼』にとっても普通の…普段通りの光景だった。

視界にチラつく硬い、自身の金色の髪を掻き上げながら、『彼』はアンティークな木製のテーブルに置かれた資料に目を通す。

そこには特殊なインクによって描かれた一人の男があった。

自画像の下には名前が赤字で表記されており、『彼』はそれを思い出したように読み上げた。


「あー…こいつ、知ってますよ…『切也 真(キリヤ マコト)』、東洋人の団員だったから一番頭に残ってるわ 」

幼女「東洋人なのです? なら尚更君に彼を見つけてきて欲しいのですよ」

幼女「……彼を見つけられれば後の判断は任せるのです、私達組織が危惧しているのは『ギア』を何者かに奪われているかどうかであって、団員の生死までは問わないのです」


その言葉を聞いた『彼』は不敵に笑う。
幼女の姿をした『彼女』もまた、多少照れ臭そうに微笑んでいる。


「あんた個人としては?」

幼女「生きて帰ってきて貰いたいのが本音なのです」

「りょーかい、任せてくれ」


それだけの会話を済ませた『彼』は部屋の端にある扉へと近づき、その傍の棚の上に置いていた僅かにボロボロになった白いコートを羽織る。

一見するとそれだけなのだが、

それまでは肌にびったりと張り付くようなゴム質のスーツを着ていただけにも関わらず、足首まであるコートの裾からフワリと黒い羽根が一枚床に落ちた。

それを見た幼女の姿をした『彼女』は、どこから落ちたのかと一瞬探しかけたが、すぐにそれは無駄だと悟る。


幼女「『ヒトデ』君、落としましたよ?」



ヒトデ「……ぁあ、すんません」



『ヒトデ』と呼ばれた彼は足元の羽根を爪先でポスッと叩くと、黒い煙が僅かに散る。
その黒煙が散った直後、ヒトデの足下にあった羽根はずりっと足をどけると何事もなかったかのように消失していた。

仕組みは分からないが、少なくともそれを見ていた『彼女』は驚きもせず「今度からは気を付けるのですよ?」等と笑っている。


ヒトデ(慣れないな、2年もここにいるってのに)

小さく微笑みながらそう考えて、ヒトデは扉を潜る。




━━━━━ ヒトデが部屋を出て数分後。


暫くの間物思いに耽るようにチェアーを揺らしていた『彼女』だったが、ふとした時に何気なく机の上にあったペンを取った。

材質は限りなく鉄に近いのだが、異常に軽いその白いペンを指先でトントンッと叩く。

その姿だけを見るのならば『彼女』は誰よりも幼く、そして愛らしく、儚い存在に見えたのだろうか。

しかしその姿は本来の姿ではないともしも誰かが見ていたなら思えるような、そんな光景が次の瞬間に広がる事となる。


アリス「……魔法か」

幼女「何がだ?」

アリス「以前に私の城にいる騎士の一人が見せてくれた、姿を変える魔法を思い出していた」

アリス「種類は別かもしれないが、貴公の身にかかっているのも同じく姿を変えるものなのではないか?」

幼女「……ほう」


突如として『彼女』の横にある影からずるっと黒い水から顔を出したように、王女アリスが床にペタンとお尻をつけたままの姿で現れた。

訝しげに表情を曇らせながらも、しかしその様子と気配からは怯えや狼狽えの類いは無く。

王女アリスは間違いなく、囚われの身でありながらその黒幕である幼女の姿をした『彼女』と対等だった。

『彼女』は王女アリスが視線を向けている位置を見る。

そこには、『彼女』の影しかないのだが…目を凝らすとその形状が明らかに異なる事が分かる。


幼女「…もうじき満月なのでな、鏡やこういった影を通すと私の本来の姿が映されてしまう」

アリス「それは駄目なのか」

幼女「さぁな? 悪いが本題に入らせて貰おうか」


トン、と机にペンを置く。
チェアーからその幼い体躯を降ろすと、ゆっくりアリスに近づいて目の前で囁いた。


幼女「一週間後の仮面舞踏会、殺されるぞお前」

     



━━━━━ 数十分の間を歩き続け、『彼女』がいた部屋から伸びる暗闇に満ちた回廊を進む。


平坦な通路に思えるが、実際は緩やかな坂になっており、常人ならば途中で力尽きる程の距離まで伸びている。

数キロ歩いた所で、ヒトデは暗闇の中で何かが蠢くのを見た。


ヒトデ「……」

立ち止まり、様子を見る。


様子を見るとはいっても、この後の展開は大体分かっているつもりだった。
いつものお約束…言うなればゲーム感覚のスリルだ。

暗闇の中で蠢く正体不明の影はしばらく蠢いた後、突如パッ!と光を放った。


女「はっろー? 五番目ぇ!!」

ヒトデ「ちょぉぉおおお!!? おまっ、やばびぶべぇへひゅ!!!!???」


暗闇を照らしたのは松明なのだが、その炎を見るよりも早くメコォォォオオオオ!!!! という壮絶な音と共にヒトデが吹っ飛ぶ。

そして数メートル離れた位置で空中から落下しようとしている松明を、ヒトデに凄まじい速度で飛び蹴りを喰らわした『女』は瞬時にキャッチする。

『女』は松明の炎に照らされながら、その茶髪を掻き上げた。


女「なんやだらしないやっちゃな、男の子なら今のくらい避けてみぃや」

ヒトデ「無茶苦茶じゃねえかコンニャロー、見ろよこの通路の狭さ、猫もビックリだよてめー」

女「ウチなら避けられるわ」

ヒトデ「お前は蹴る側な時点で避ける必要がないだろうが!」


ケラケラと笑い、松明の炎を指先で拭き取るように擦って消した『女』が暗闇の中で近づいてくる。

近づくと大抵の男は分かるのだが、この『女』の背は思ったよりもずっと高い。
ヒトデの背丈もそれなりにあるのだが、そのヒトデより低いとはいえその差は数cmもない。

恐らく体の全体的なラインが細いのだろう。

だからと言って女性らしい細さとは限らないのがこの『女』なのだが。


女「それで? 例の事は終わったんか」

ヒトデ「ああ、連れてきた…元気そうだぜ? さすがはあの女王の娘だよ」

女「温室育ちやと思ってたんやけどなぁ……元気なん?」

ヒトデ「眠っていた姫さんを監視してたギア持ちの団員が四人蹴散らされたってよ、ランクだと300以下の団員だったらしいが」

女「ちょ……そこらのチンピラとちゃうねんで? ギア持ちとか精鋭やないか…」


暗闇の中で『女』が不意打ちの張り手をヒトデの背中に降り下ろすが、それを地味に避けながらヒトデは溜め息を吐いた。

互いの姿はまるで陽の下のようにはっきりと見えているのだろう、二人の動きには迷いがない。

しばらく無駄な攻防を繰り広げつつ、ふと思い出したようにヒトデが呟いた。


ヒトデ「そういや…お前にまた新しい仕事だってよ? 」

女「えぇー……ここんとこ地味に難易度高い仕事ばっかで嫌やウチー…!」

ヒトデ「我が儘言うんじゃありません!」

女「ウチの親父みたいな口調やめぃ」

ヒトデ「え、普通お母さんじゃね」

女「ウチの親父やな」

ヒトデ「……仲が良さそうなことで」


「ハァ…」と一息吐いた所で、微量の空気が入れ替わる。

つまり、ヒトデと『女』個人の会話が終わりを告げたという意味だった。

明るい場所で見れば艶のあるブラウンの髪を再び掻き上げ、怠そうに腕を上げた。
それまでの軽口混じりの訛った話し方は消え、暗闇の中で淡々と話を続ける。


女「『シュナイダー』を手にかけた奴の正体が分かった、女王派の騎士やったで」

ヒトデ「……は?」


間の抜けた声を出したと同時に、ヒトデの眼前でギッ…と拳が握られた。
微かな、だがしかし力のある風が彼の前髪に触れる。


女「名前や詳細は分からん、言うてもウチら幹部を殺るようなのがそう多いとも思えへん」

ヒトデ「…時間の問題、か?」

女「………」


暗闇の中、互いの呼吸が封じられる。

異常なまでの緊張感と互いの放つ『気』が周囲の空気を埋め尽くしているのだ。

しかしその張り詰めた空気に柔らかな気流が流れ込む、つまり……第3者の存在だ。


男児「よう、こんな暗い中で立ち話なんてしてんなよ」

ヒトデ「チビ太…!」

男児「チビ太言うな!!」

女「チビ太は今日も元気やなー」

男児「チビ太言うんじゃねぇえ!!」


彼等の腰ほどまでしかない背丈の少年が銀髪を逆立てながら「うがー!」と唸るが、先のヒトデ達はそんな声にただ笑うだけだ。

その辺の小さな男児と変わらない……というより、恐らく先程ヒトデが会ってきた少女と同じ程度の背丈だろう。

それだけ小さいのならばと、とある少女に対して呼びたかったアダ名を彼にだけ付けたのが現在の『チビ太』だ。
愛称として思いのほか組織内で広まり、女性団員では凄まじい人気を誇る彼なのだが、不満の念はやはり消えないようだった。


男児「んで? かるーく聞いた感じ辛気臭い話じゃねえか、せめて明るいとこでやろうや」

女「そうしたいんやけどなー」


チラリ、と、『女』が隣のヒトデを見る。

何か言いたげな表情にも見えたので、ヒトデが手を軽くヒラヒラとさせながら「なんだ?」と促してみた。

すると『女』はいや、と。


女「丁度『話』を聞いてきたんやろ? そんなら戻るのはあれやと思うてな」

男児「あー? って、もう行ってきたばっかか」

ヒトデ「ああ、まぁな」

男児「ならまた今度にしろよ、組織内の身内を殺られて心中穏やかじゃないのは分かる」

男児「だとしても、俺達はそれ一つに左右されるような烏合の衆だったか? 俺達は」

女「……」


僅かに視線を落とし、口を閉ざす。

『女』が何を思っていたのか、それを想像する事は出来ても知る事は出来ない。
そもそも、それすらさせないのが『彼等』なのだ。

異見が無いのを確認すると、銀髪をサラサラと揺らして『チビ太』は暗い通路を進む。


歩きながら、背後にいる『女』に向けて一言、彼は呟くように言った。



男児「……『ソラ』がシュナイダーと仲が良かったのは知ってる…だが忘れてくれるなよ」

ソラ「……」


ピクン、と『チビ太』の声に反応をする。


男児「アイツの願いを代わりに叶えてやれ、それが死んでいった戦友への手向けになる」

男児「シュナイダーを手に掛けた人間に関しては調べあげる、それまでは、お前はお前のやるべき事をやれ」

ソラ「それまで、ウチはウチの仕事をこなせ…そう言いたいんか」

男児「それ以外に何があんだよ、ほら、行くぞ」


『ソラ』と呼ばれたブラウン髪の女がそれを最後まで聞き終わると、隣にいたヒトデを見る。

ヒトデはそれを首を横に振って「もういいさ」と唇だけで言った。


ソラ「……んじゃ、そっちはそっちでな?」

ヒトデ「おう、俺は俺で面倒な仕事貰っちまったしな」


ヒラヒラと手を振り、ソラや『チビ太』が来た方向へとヒトデは歩き出す。


ヒトデ「『ボス』に宜しくな」


しかし、その歩き出した足音は微かな反響を残して消える。

跡に続く声は何処か不自然にその場に残り続け、ソラと『チビ太 』の耳に響いた。

それは、明らかに異能による人並外れた現象だった。

ヒトデが居なくなり、いよいよ「んー」と背中を伸ばし、首を鳴らす。
とくに彼女は体がこっている訳ではないのだが、どうやら癖らしかった。

一息吐くと、彼女もまたそれまでの自分として再び歩き出る。


ソラ「ほな、行こか」


次の瞬間、突風が暗闇に満ちた通路内を駆け巡り……その場にいた『ソラ』も『チビ太』も姿を消した。


なんて事はない、これが彼等の日常だった。


     



━━━━━ 耳元で聴こえてくるその音に、黒髪の若い男は目を覚ました。


一体どれほどの間眠っていたのか、外は夜闇に包まれており詳しい時間を特定するには難しく感じられた。

しかし先程から聴こえてくるこの…何かを磨り潰すような音は何なのか、と僅かに首を回す。

すると、どうやら寝室らしい自分の寝るベッドより少し離れた床で、ゴリ…ゴリ…と『少女』が一人何かをしていた。

一見すると何かを調合、或いは煎じている様にも見えるそれをじっと彼は見続ける。


「………」


思った以上に集中している。

そう彼はまず感じた、目の前で何かを磨り潰す『少女』は歳で考えるならば恐らく十歳を過ぎたばかり程の歳だろう。

それが、延々と単調な作業を続ける姿に彼は加えて「将来は薬師になれそうだ」と無意識の内に呟いてしまった。

声を出したのに彼自身が気づくよりも圧倒的に早く、『少女』が驚いた。


少女「ひぁ…!!?」ガタンッ

「?……」


暗くて見えないが、恐らく表情ならば間違いなく『驚愕』のカテゴリーに入るものになっているに違いない。

一体なぜ……と思ったが、そこでふと気づく。

ここは何処なのか、と。

今更ながら彼は……『真 切也』は起き上がり、少しずつ混乱してくる。


キリヤ「すまない落ち着いてくれ……」

少女「……っ」コクンコクン

キリヤ(……)


多少の躊躇いや戸惑いは見受けられたが、直ぐにキリヤの声音が『悪意』が無いことを知ると大人しく頷く。

ちょこんと座り直す『少女』を見て、突然キリヤの頭が痛みを訴える。

他者の感情に最も反応し、怯えやすく、とてもか弱い一面を持つ者を……キリヤは知っている。

否、知っていたのだ。
何者かによって自身は瀕死の重傷を負い、そしてそれによって彼は自身が何者だったのか……これまでの出来事を思い出せない。


キリヤ「……そうだ、『エリア』は?」

少女「お姉ちゃん…?」


頼り無げに返答する『少女』は、その小柄な体ごと顔を部屋の外に向ける。

どうやら、キリヤを瀕死の重傷から救った張本人……『エリア・シルフィード』と名乗った女性はこの部屋の外らしい。

よくよく見れば、寝室を閉じる扉の隙間からかなり細く、光の筋が揺らいでいる。


と、そこまで考えてからキリヤは気づいた。


キリヤ「姉、ということは君は彼女の妹なのか…?」

少女「え?」

キリヤ「違うのか?」

少女「?……そうだよ、私のお姉ちゃんだよ」


何か引っ掛かる、といった様子で『少女』はキリヤの質問に応えたが…この『少女』は一体何が気になるのだろうか?

そう思う彼だったが、いずれにせよこのままベッドで休んでいる訳にもいかなかった。
何となく、彼は急がなければいけなかったような気がするのだ。

それが何なのかまでは具体的には分からない、恐らくキリヤの記憶が在りし日に常に意識していた事なのかも知れない。


ベッドから降り、僅かに痛む頭に手を当てながら扉に近づいていく。


少女「義賊のお兄さん、もう大丈夫なの?」

キリヤ「…このまま寝ている訳にもいかないからな」

少女「でもお兄さん、頭が痛そうだよ? 痛み止めに効く薬を調合してみたから飲んでみて?」

キリヤ「あ、ああ……」


やはり調合薬……と、驚き混じりに手渡された小皿を手にする。

中にある粉末に『少女』が腰元のベルトに刺さっていた水筒から水を注ぎ、それを軽く混ぜて飲み干す。

微かな苦味と喉に張り付くような感覚を堪えて、仄かに鼻腔に入り込むハーブの様な香りを味わいながらホッと息を吐く。

思ったよりもこの『少女』は調合に長けているらしい、恐らく苦味や悪臭を消す作用のある薬草や種を煎じているのだろう。


……少しばかり一息つくと、『少女』がキリヤを気遣ってか、扉を代わりに開けてみせた。

扉を開けて最初に見えたのは、暖炉の前で椅子に座りながら眠る…『エリア』だった。


キリヤ(……定期的に暖炉の火が内側から風によって勢いを保っている)

キリヤ(エリアの魔法、なのか?)


瞼を閉じて静かに眠る彼女の周囲は緩やかではあるが不自然な風が吹いている。
キリヤの頭痛に蝕まれている頭の記憶が確かならば、エリアは風の魔法を自在に操る…つまり彼女は……。

と、そこまで考えると頭の後ろとこめかみの辺りが急に痛むので、キリヤは深く考えるのは止そうと頷く。

背後で一体どうするのか見守っている『少女』に、「話かけてもいいのか?」と唇だけを動かして言う。


少女「……多分大丈夫、お姉ちゃんが起きる時が近づくとその風が出てくるから…」

キリヤ「風…か」

キリヤ「………」そっ


手を近づけると強まる不自然な風が、徐々にエリアを中心に回転しているのが分かる。

いや、もしかすると中心部であるエリアの体表面は触れることすら出来ないほどの風が吹き荒れているのか……。


キリヤ(……起きるまでそう時間はかからないか、それまで…)

キリヤ「その、彼女が起きるまで…何か手伝えないか?」

少女「え? ……お兄さんが?」

キリヤ「手当や薬を貰ったお礼がしたいんだ」

少女「うんと……なら、調合を手伝って欲しいな」


『少女』はそう言うと、結晶のようにも宝石のようにも見える紫や赤の石を取り出した。

どうやらそれを砕いて何かと混ぜるらしい、『少女』は何やら呟きながら戸棚を探っている。

……が、しかし。


少女「…お姉ちゃんの薬、切れちゃった」

キリヤ「なに?」

少女「お姉ちゃんの薬を調合するのに必要な、『霊薬』が無くなっちゃったの……!」

     



━━━━━ いまいち掴めないその全体像に、ヒトデは悩んでいた。


数千の団員を誇る『義賊』という組織は、幾つかの派閥と二つのグループに別れている。

一方のグループが『義賊』の誇る訓練された精鋭であり、不殺を前提とした近接格闘を得意とする団員達である。

その数は約二千。
自分達の住む『大陸』全土に存在する組織の中でも、最大級と言わているのはこの為だからだ。


そんな組織の一団員の情報を探し出すのは中々に骨の折れる問題だろう。

しかし、ヒトデが悩んでいたのはそこではない。


ヒトデ(……東洋読みで名前は『真 切也』、年齢は21、身長は約175前後)

ヒトデ(出身は不明……まぁそれは俺も似たようなもんだ)


ペラッと指先で紙を弾き、メモされた手帳を捲る。


ヒトデ(……掴めない )

ヒトデ(面白いな、コイツ……『ギア』持ちなのは聞いてたけど)

ヒトデ(その『ギア』を……一度も人前で発動させた事がない)

ヒトデ(その癖、集団による連携からの任務遂行に適したチームワークと身体能力が売り)


ヒトデ(凄いな……コイツ、生身の状態で『ギア』持ちの下位階級を訓練時に組伏せてる)


『義賊』の結成から数年経って入団し、それからの活躍が記された資料を読みながら彼は唸る。

集団戦を得意としておきながら、切也という男はこれまでまるで他の団員とコミュニケーションをとっていない。

何か、裏があると錯覚せずにはいられない内容ばかりだった。


ヒトデ(『ギア』所有者としての階級も高すぎる)

ヒトデ(殆どの単独任務を『ギア』で解決した、と報告を受けている可能性もあるかねぇ?)


首を振り、溜めていた息を吐きながら彼は手元の手帳を放り捨てる。
が、放り投げられた手帳は落ちる事なく虚空へ消える。

唸りながらヒトデは歩きだし、暗闇の中で螺旋階段を上がっていく。

足音すら響かせない無音の歩みを進めながら、彼の中では大体の方針は決まっていた。

組織内部には最早、切也に関する情報は無いに違いなかった。

個人の情報ならば幾らでもあるのだろうが、『捜索』という任務を考えると、得られる情報から切也を探し出せる事は皆無に近い。


故に、ヒトデは螺旋階段の最上部の扉から漏れる光を見ながら呟く。


ヒトデ(捜索対象の団員に関してはこんなモンか、後はこいつの調べていた事の痕跡を辿っていけば見つかるだろ)

ヒトデ(調べ物は『忍』にお任せってね)


扉のノブに手をかけ、開こうとする素振りを見せた瞬間。
彼の姿は無数の漆黒の『羽』が覆い隠し、直後に消えていく。



彼は、忍者である。

     



━━━━━ それは、空が未だ白んでいる時間に鳴った。


この大陸に『国』は1つしか存在せず、城もまた『王城』しか存在しない。
ゴツゴツとした円状の大陸に存在する唯一の王城の下部、『城下町』。

東の海岸に面した崖上から大陸の中部にまで続くこの都市は、その四分の三が半無法地帯となっている。

『城下町』とは全く別に区分けされ、門を潜るのは自由である代わりに告げられる「命の保証はできない」と言われる都。


その無法地帯は『賊都』と呼ばれていた。



「きゃぁあああぁあ!!」

そんな賊都の西南に位置する都境の路地裏で鳴ったのは、少女の喉から出された助けを乞う悲鳴。


南郊外の森林に近いが故に、一部の闇医者や売人を除いて、人の気配は少ない。

そんな地域に似合わぬ細身で長めの茶髪、それもそれなりに良い素材の服を纏った少女が一人、立ち尽くしていた。

……そう、今まさにその少女は野盗の輩に腰元のベルトに掛けている袋の中身…否、それ以外の金目の物を出せと脅されていた。

弱々しく、明らかに怯えきった様子で少女が男に問いかけた。


少女「…っ、な……なんで…こんなことするの…?」

「ゲヘヘヘ、そりゃあ嬢ちゃんを困らせたいからさ…」

「ほら……体で払うか、持ってるもん全部出しなぁ! ヒャッハー!」


早朝から奇声を一人で挙げながら刃物をチラつかせる大男に、少女が怯える。

無理も無かった。
彼女にはこんな変態に付き合えるだけの余裕は無かったのだから。

しかし、それを察してくれる程の知能を持っているとは思えない男は、道を塞ぎ自身を追い詰めに来ていた。

少女は小柄な体を震わせながら、首を振る。


少女「やだ……だめ!」

「なにぃ…?」

「この『山田 賊太郎』こと山賊様に、金目の物の1つも寄越さねえっての??」


厳つい事この上ない形相で詰め寄りながら、聞かれもしていない名をいきなり自己紹介する。

そんな彼は山田 賊太郎 三十五歳、独身だった。


山賊「……何か今、ぞんざいな扱いを受けた気がする」

少女「?」

山賊「こうなったら体で落とし前つけて貰うぜぇええええぇ!!」

少女「いやああああああ!?」


最早、様式美と言わんばかりの飛びかかりっぷりで襲い掛かる山田 賊太郎 三十五歳。

そんな彼は独身である。


ヒトデ「そぉいッ!!」

山賊「へぶふぅッッ!!?」


見事な死亡フラグを回収した山田賊太郎 三十五歳は、頭上斜角45°からの飛び蹴りに吹き飛ばされる事となる。

ドゴォッ!! と聞こえて来そうな勢いで厳つい顔面に蹴りが突き刺さると、二回、三回と地面に叩きつけられてから漸くその体は止まった。

常人ならば今ので即死していそうな光景だったが、地面に顔を伏せたまま唸り声が上がる。
……正直もう関わりたくないと思っていた少女にとってはかなりの悪夢である。

が、そんな少女を横目で見た白いコートに身を包んだ男……『ヒトデ』がそっと頭を撫でた。


ヒトデ「悪いオッサンはもう大丈夫だから、安心しな」

少女「ぁ……」


柔らかく撫でるその手に、思わず不意を突かれて何も出来なくなる少女。
一連の流れと出来事に足が震えていたのが、いつの間にか消えていた。

それに気づいた事に、フードで顔を僅かに隠している彼も気づいたのだろう。

不敵に笑いかけてから彼は足を振り上げた。


山賊「こ、の……『また』お前かてめぇ…!」

ヒトデ「しつこいんだよロリコン!」


様式美テイク・ツー。

再び飛び掛かって来た山田賊太郎 こと山賊をその脇腹目掛けて側面から回蹴で薙ぎ倒す。

めり込むどころか突き刺さってそうにすら少女には見えたが、山賊は死にそうな勢いで呻きながら転がっている。


ヒトデ「……ふぅ」

少女「……えと、あのっ」

ヒトデ「ん?」

少女「……」

少女「助けてくれて、ありがとうございました……」


未だ緊張が解けずに頭を下げると、少女は精一杯の声を出してヒトデを見た。

フードで上手く髪を見ることは出来なかったが、ほんの一瞬。

彼の蒼色の瞳が見えた気がした、と少女は不思議と喜んだ。


       

表紙

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