Neetel Inside ニートノベル
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白い石
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 砂漠の国から帰ってきた兄貴は今も部屋に引き篭もっている。
 俺は母に頼まれて兄貴の部屋の前に飯を持って行ってやる。帰宅部なれど俺も中学生なのでヒマではない。将来の受験のために少しずつ勉強しなくてはならないし、目先の問題として明日提出の宿題があるし、PS4を起動して人生を謳歌しなくてはならない。勉強をして青春を謳歌するのは学生の義務のはずだ。
 つまりなにもしてないクソニートの兄貴のメシの世話などかなり人生の無駄に感じられて、ムカつく。いつもそう言うと母は、兄は国のためにイラクに行ってたとか、PTSDがどうとか言っていたけど、しったことか。
 俺はわざとがしゃんと大きな音を立てて兄貴一人ぶんの夕飯が載せられたお盆を兄貴の部屋ドアの前に置いた。数分数秒といえど貴重な青春の時間を奪われた、せめてもの憂さ晴らしだ。
 それで俺は自分の部屋に戻った。

 PS4が待っている俺の部屋の前に異物があった。白い石と、紙だ。小さなメモ用紙が、白い石が重しになって、俺の部屋の目の前の床に固定されている。大きさは親指と人差指で輪っかをつくったくらいの大きさだ。当然俺はそれを拾い上げた。遠目には白い石に見えたが、拾い上げてよく見ると、それは白い粘土で人為的につくられたような人工さが感じられるものだった。そして指で触ると、湿り気がある。
 そこで俺はようやく白い石の下にあったちいさなメモ紙に書かれた文面に気づいた。それには兄貴の字で「俺の部屋に」と書いてあった。

 兄貴の部屋に入るのは何ヶ月、いや何年ぶりだろう。
 俺はおそるおそる兄貴の部屋の前に来た。この部屋は家族のふだん居るリビングから遠い。だから周囲はしんと鎮まりかえっている。いや、外が草むらだから、ふだんは虫の鳴き声がしているはずだったろうか・・・。
 俺はおそるおそる兄貴の部屋のドアをノックした。俺の右手が木のドアを叩く音だけが2回して、それから俺の体感で10秒くらい世界に何の音もしなかった。
 「入れよ」
 小さな声がドアの向こうから浮かび上がって、ドアが開いた。

 部屋の中は薄暗かった。何ヶ月か何年か経っているはずなのに、内装は前に入ったときとあまり変わっていないように感じた。
 兄貴は部屋の奥、ベッドの上にいる。布団にくるまっていて、表情や姿はよく見えない。
 「座れよ」
 「うん」
 薄暗くてよく見えないので、どこに座っていいのかなやんだが、俺はたまたま足元にあったクッションみたいなものの上に座った。
 「達也、俺は最後の戦いを挑もうと思う」
 兄貴に話かけられるのも久々だが、名前を呼ばれるのは本当に久々に思えた。
 ただ兄貴が何を言っているのかは分からなかった。
 「戦いって・・・なんだよ・・・」
 兄貴はひどく気の触れたようなことを言っているのではないかと思ったが、久しぶりの会話だし、兄貴の表情は影に隠れて分からないし、なんだか茶化す気にはならなかった。 「そうか・・・そう、それだよ」
 兄貴は俺が握っていた手を指さした。兄貴の指はやせこけていた。俺が手を開くと、そこにはさっき拾った白い粘土の石があった。
 「そいつが俺を狂わせた元凶だよ」
 兄貴は何がおかしいのか少し笑っていた。
 「俺はそいつを拾ったんだ・・・。10年前、あのサマワの・・・任務の途中だった・・・これは自衛隊の機密で本当は言っちゃいけないんだが・・・もう俺は辞めた身だし、しったことじゃない・・・これから最後の戦いに臨むんだからな・・・」
 兄貴の語り口は虚ろになっていくようだった。
 「サマワの・・・俺はあの戦争の・・・あのイラク戦争の治安維持部隊としてイラクに行ったんだ・・・お前は小さかったから知らないかもしれないとおもって説明するんだ・・・知っていたか?俺達が・・・俺達の部隊が送り込まれたのはサマワ・・・政治家が決めたイラク復興支援特措法に基づいてな・・・。紀元前3500年・・・今から5500年前だよ・・・そのころのサマワはウルクと呼ばれていて、シュメール文明が栄えていた・・・そう、5500年前のサマワには高度に発達した人間の文明が栄えていたんだ。それが今ではああなんだからな。チグリス・ユーフラテスの恵みから生まれたシュメール文明・・・それが今はアメリカ軍の新型兵器の実験場だ・・・国土は・・・文化は破壊され・・・人心は荒廃し・・・。」
 そこで兄貴はまた10秒くらい黙り込んだ。
 「バンカーバスター・・・知っているか?知らないだろうな・・・当時はニュースにもなったのだが・・・。こう、爆弾を上から落とすだろ?それが貫通力のある爆弾で、その中にも爆弾が入っていて、その中にも爆弾が入っていて・・・それで高層ビルとか・・・二重三重の・・・階層を突き抜けて・・・破壊するんだ、そこの中にいる人間の命を。いや違う、それを使ったのはイラク軍じゃない・・・イラク軍は大量破壊兵器も持っていなかった・・・大量破壊兵器を持っていてバンカーバスターも使ったのはアメリカ軍だ・・・いや、政治の話はいい・・・俺が戦っている相手は・・・人間の行う政治とか・・・そういうレベルは超えている次元の相手なんだから」
 「そのバンカーバスターが・・・いやただの爆弾だったのかもしれないが、とにかく破壊力のある爆弾でめちゃくちゃにされたサマワの廃墟のもっと地下深くから、遺跡が発見されたんだ。・・・サマワは激戦地ではない・・・たまたま誤爆したのかもしれない、アメリカ軍からの情報はなかった・・・俺は・・・俺とあと数人の・・・何人だったろうか・・・たしか俺とあと3人だ・・・。」
 「・・・とにかく俺達の小隊はその掘り起こされた遺跡の調査に同行することになった。爆弾がめちゃくちゃに地面をえぐったクレーターの奥に、遺跡に通じる穴が開いていた。暑いイラクでもとくに暑い日だった。現地のイラク人が数人と、アサルトライフルで重武装した俺達の部隊4人は、その穴をくぐって遺跡に入っていった。石造りの通路には、引っ掻いたような文字のような呪文のようなものが刻み込まれていた。俺達は安全を確かめつつ、その暗い通路を奥へと進んでいった・・・そして遺跡の最後の角を曲がった・・・その奥には・・・それがあったんだ・・・」
 影になった兄貴の顔から、爛々と血走った目だけがゆらりと見えた。
 「その石だ・・・なにかの神棚のような祭壇の真ん中に・・・その白い石が据え付けられていた・・・」
 「そして俺は、それに、触れた」

 木々は高く広がっている。木の枝にしがみついて、上を見上げているのだ。
 ここは楽園だ。
 おれはずっとこの森で父と母とともにくらしてきた。
 父は何人もの男を殺し、何人もの女と交わり、この群れを形成した。
 そしてそろそろおれたちはこの群れから離れて、新しい群れをつくらなければならない。 負けた男は、殺される。
 あるいは、この楽園の森から追い出されて、地の果てへと追いやられるだけだ。

 この楽園には珍しい、冷たく激しい雨が降った。
 その夜、敵の群れがおれと、おれの群れを襲った。
 子供や年齢の高すぎるものはすでにみんな殺された。
 やっと逃げ延びた洞窟のなかにも、とても冷たい雨風が吹き抜けてきた。
 寒さと死への恐怖から震えが止まらない。
 おれも死ぬのかもしれない。
 一番愛していたメスもこごえているようだ。
 おれが死ぬまえにそいつに覆いかぶさり俺の身体で温めて、すこしでも長く生きさせてやろうとおもった。

 おれは生きていた。
 おれが覆いかぶさっていたのに、メスは死んでいた。群れの仲間はみんな死んでいた。
 敵に襲われたときの傷と、体力の消耗と、雨の夜の寒さに耐え切れなかった。
 おれは悲しかった。
 悲しみが引いたころ、目の前に白い石が落ちているのに気がついた。
「おれを拾えば生き延びられる」
 と、その石は言った。
おれはその白い石を拾った。

 「そこで俺は目が覚めた・・・駐屯地の病院のベッドの上だった・・・他の3人と・・・イラク人たちはみんな死んでいた・・・遺跡は崩落して祭壇はめちゃくちゃに破壊されていた・・・いや、彼らの死は崩落が原因じゃなく・・・なにかのショック死らしかった・・・実際おれは他のみんなと同じように意識がない状態で、遺跡の瓦礫のなかから引き上げられたらしい・・・」
 「俺がなんで生き残ったのかはわからない・・・殉職した3人は事故と自殺扱いにされた・・・自衛隊と・・・政治家にとって・・・騒ぎは面倒だからな・・・俺が生き延びた意味は今もってわからない・・・きっと人間には理解できない原理が働いたのだろう・・・いや、そんな大仰なものではなく、ただまったくの偶然かもしれない」
 「それでも俺にはあの夢が・・・あのビジョンが見えて・・・直感したことがある・・・つまり・・・その白い石が・・・俺達を・・・俺達っていうのは人類のことだ・・・人類を楽園から誘いだしたんだ・・・俺はそう考える・・・その白い石が人間を誘惑して楽園から引き離したんだ・・・」
「楽園っていうのはつまり・・・アフリカのどこかにあったエデンだ・・・そしてその石は再び俺達を誘惑しようとしている・・・だから戦って破壊しなくてはならない・・・俺はなんどもこの白い石を破壊しようとして・・・そうこのハンマーやらで砕いて粉々にしてやろうとして・・・その直前でどうしても思いとどまらされてしまう・・・それがこの白い石の魔力なんだ・・・。」
 「俺は今度こそこの白い石を破壊する・・・!そうしなければ人類はまた誘惑されて・・・どんどん楽園から遠ざかっていく・・・違う、俺が言っているのは、現実の今現在の物理的なアフリカの森に帰ることじゃない・・・精神的な意味だ・・・つまりエデン・・・楽園というのは・・・俺達の脳に刻み込まれた楽園の原型・・・そこから・・・そこへ還りたいんだよ俺は・・・。俺はまだサマワにいる・・・。俺はまだ帰ってきていないんだ・・・」
 「いや話が逸れた・・・これは俺個人の問題でなく世界的な問題だ・・・すまないな達也・・・明日も学校があるだろうに・・・もう寝ろ・・・ただ伝えておきたかったんだ・・・最後の戦いを挑む前にな・・・」

 次の日、俺が学校から帰って兄貴の部屋に入ると、兄貴は首を吊って死んでいた。
 葬式が終わってから兄貴の部屋を探しまわったが、白い石は、どこにも、見つからなかった。

       

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