Neetel Inside 文芸新都
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Arkяound 城塞都市の冒険者
23 零れたミルク

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   23 零れたミルク

 市場坂の近く、崩落した〈銀の女神〉の神殿の裏に、汚職衛兵マリオットがいて、石階段に腰掛け、ただなにもせず佇んでいる。彼は俺に気づくと「へっへっへ」といつもの卑しい笑いを浮かべた。同じ笑顔でもデイヴィス司祭のそれとは違って嘲笑じみた。両者とも腹黒く手癖が悪いって点は同じだろうけど。
「ヴァーレイン。仕事の帰りか? 今行くのか? どっちにしたって『急がば回れ』」
「あんたはそうしてるようだけどね」俺は言った。「あるいはただサボってるだけかい?」
「一仕事終えた後だぜ。へっへっ」
 と、黒い拳銃を見せる。銃剣つきのやつだ。教団の〈タリスマン〉と同じくらいの大口径、公社の魔女の正式装備である〈アセイミー〉だ。彼女達の心臓に突き刺さってる悪魔のダガーを模倣した象徴的な銃。到底俺達生身の人間が所持すべきものじゃない。
「どこでそれを?」
「へへへ……さっきろくでもない物乞いがぶらついてて挙動不審なもんでな。身体検査するとすぐこれがでてきた『論より証拠』……生憎やつにゃ逃げられたが、こいつを奪うことには成功した。あとはそうだな……厳重に詰め所の金庫で保存しないとな……」
 なんとも胡散臭い話だ。俺には、物乞いを介して、あるいは物乞いに変装した密売人を介して、どこかのごろつきと武器の違法売買が行われているように思えた。
「あんたはザザの人間?」
「へっへっへ。オレの顔を見りゃ分かるはずだぜ……」黒眼鏡をずらしてマリオットは緑色の両目を見せた。褐色の肌や銀の髪と同じく東の人間の特徴だ。「だが正確にゃ……覚えてないな」
「どういうこと?」
「オレには過去の記憶が無い……恐らくクソつまらん人生でうっかり忘れちまったんだろうがな、へっへっへ。気づいたときにはここの東の海岸に立ってたんだ。〈黎明海峡〉の向こうから海軍と海賊の戦う、砲撃が聞こえたのがはじめの記憶だな……どうやら自分に刃物で他人を切る技能があるってことを思い出してから、腰掛けのつもりでこの職について今だな……」
 砂の詰まったようなざらざらした声で、他人事のように彼は語った。
「自分の過去をそう積極的に取り戻したいって感じじゃないね?」
「まあな……辛い思い出ってのがあるかもしんないし、このままのほうがいいだろ? 『零れたミルクは戻らない』『過ぎたこと気にしてもしかたない』ってもんだ……へっへっへ、この言葉にゃ『失ったものは取り戻せない』って解釈もあるがな」
「かもね」
 そう言って俺は立ち去ろうとするが、マリオットが次の話を始めた。
「記憶がないと言ったが覚えてることがほかにもあった……ザザの法則だ……俺が〈女主人〉に仕えてたかは知らんが」
 〈女主人〉――〈女看守〉〈親方様〉とも呼ばれる、東の神、醜い犬の頭を持つ女神で、鞭と短剣を手にした姿で描かれることが多い――ほんとうの姿は美しいが、その人頭を描くことは冒涜的とされている。
 その教義を一言で表すと、〈契約〉の完全なる履行だ。ザザの商人、傭兵、そして暗殺者たちは、裏切ることなく、金さえ払えば必ず勤めを果たすとして信頼は厚い。
「一度信頼を失うことは向こうじゃ死ぬのと同じくらいのもんでな……信頼は大事だ……ヴァーレイン、お前にちょいとした仕事を頼みたいんだ……難しいことじゃない、施術局のラモン局長に、こいつを届けてくれりゃいいだけ、へっへっへ」
 と、彼は封筒を俺に見せた。
「中はカネ。借金あってな……今日までに返済しなきゃいけないんだが、俺は用がある、へっへっ。代わりに行ってくれるなら、ちょいとした報酬がある」
 俺はその日、簡単な使い走りの用しかなかったので、引き受けた。
「なんでお前に頼んだか分かるな……『信頼』だ。オレやシムノン軍曹、フッカー、アニーなんかにはカネを任せらんないだろ? 持ち逃げするだろうって考えてな。だがお前はそうしないだろうって信頼がある。へっへっへ……そのミルクは零れてねえ……まだ、な」

       

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