Neetel Inside 文芸新都
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エントリーシートの正しい書き方
総括〜そして面接へ〜

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 さて、ここまでのろのろと「名前」「ふりがな」「志望動機」「学歴」の各項目で、私がエントリーシートを書く時に心がけるべきだと考えたエッセンスを凝縮して述べてきた訳であるが、私が言いたいのはただ一言に尽きる。
 ……いや、やっぱひとことじゃアレだからもうちょい書いとくか。

 すなわち、私が就職活動生達に言いたいのは、ただ三語に尽きる。すなわち「働け、もっと働け、あくまで……ああ、違う。私はビスマルクでは無いのだった。今気づいた(なんだ、オレ、ビスマルクじゃないのか……)。

 すなわち、私が言いたいのは、YouTubeで「思い出の渚 有働由美子」って書いてあるから「うそっ、有働アナ歌ったのかよ」とある種の期待に胸を高鳴らせつつページを開いたらそのままの原曲にただ有働アナのフォトムービーをくっつけたような動画になっているじゃないか! あれは何なんだ! 一種の釣りか? やめたまえ。愚の骨頂である。ふざけるな! ……あ、これは別に今言わなくても良かった。

 ……疲れたからこの辺にしておくが、すなわち私が言いたいのは次のひとことである。結局ひとことか。まあ良い、大事なことは、いつも単純だ。
「就職の 常識なんか 糞喰らえ」
 わざわざ五・七・五で韻文調にまでする必要も無かった訳だが、つまりはそういうことだ。さすがに名前を変えたら履歴書の受理すら拒まれかねないから甘んじて自分の名前を書いて送る訳だが、同じ名前を記入した書面であっても、簡単に「名前」とある所にスラスラ記入していくのと、「名前」について――ひいては就職活動という不条理極まりない現代の社会機構について――常に疑問符を浮かべながらもその機構に屈して苦し紛れに本名を名乗るのとでは、大きな差が生じる。
 いわばそれは、「たましい」の差である。

 私は「昔は良かった」などと殊更に言うのは好きではない。かと言って、現代がいい時代であるとは死んでも思わない。とはいえ死ぬ訳には行かない(私は一応卒業即自殺も念頭に入れつつ就活及び終活を行った立場ではあるのだが)のだから、それならば現代への抵抗を常に行わなければならないと思うのだ。
 現代を生きつつ、現代の社会機構に捕われつつ、それでいて現代に抵抗するというのは如何にして為すべきか。今回の『エントリーシートの正しい書き方』と題して書き連ねた駄文兼提言は、諸賢にひとつのモデルを提示し得たのでは無かろうか。

 諸賢が遠からず近からず直面すると思われるその時に、人事担当者が鼻をほじりながら作成したであろうエントリーシートや、面接官が諸賢の話を聴く際に尻の下に敷いて使うであろう履歴書に、ただ真面目に正対するのであれば、それはある種損なことであるし、何しろ人生が面白くならない。それに、機構にただ従うだけでは、諸賢の信念や個性は十二分に発揮されることが無い。
 そんなことになるくらいならば、いっそ飛びきりに諸賢の信念を貫いたエントリーシートを書いてやるべきである。心配無い。その時点で「倫理的に」諸賢の勝ちである。

面接官・人事担当者<読者諸賢

という構図は完成している。

 迷わずに面接に向かい給え。それが路頭に迷う結果になろうとも(但し、諸賢が路頭に迷うことになっても責任は負いかねる。悪しからず)。
 何も心配は要らない。

私は(=私とは)私の世界である。――ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、命題5.63(一部著者が補った)

       

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