燃えた右手で、千夏を名乗った少女は、自らの前髪を掻き上げた。その髪は焦げさえしておらず、異様な光景だった。
「……は、ハルくん。あの子、千夏ちゃん……?」
後ろで、春久の手を引くあずさ。彼女を見ずに、「そんなはずねえ……」と呟く。
「千夏は……、千夏だけじゃねえ。俺の家族は、あの日、俺の目の前で殺されたんだ……」
その事は一切覚えていないけれど、それでも、父親と母親、そして千夏の死体を、春久は覚えている。今だって、島津家の墓に骨が入っている。
じゃあ、目の前の少女は、何者だ?
いや、そんな事はどうでもいい。
春久は頭を切り替える。いま優先すべきことは、あずさを守ること。
「美緒。悪いんだが、あずさを連れて逃げろ」
「えっ、でも、先輩、あいつ間違いなくディア――」
「美緒っ!」突然、怒鳴った春久に、美緒とあずさは、怯えた様に肩を跳ねさせた。
春久は、あずさの前で、ディアボロなんて汚れた言葉を口にしてほしくなかったのだ。そんな、彼の思いを理解したかはともかく、美緒はあずさの手を取って「逃げますよっ! あずさ先輩!!」と、走りだした。
「えっ、ちょ、なに、なに!?」
状況を理解していないが、しかし、ディアボロの美緒の腕力を振りほどけないらしいあずさは、そのまま連れられてその場から離れていった。
「テメエ……。千夏、だと……? 俺の前で、千夏の名前を口にするっつーのがどういう意味か、わかってて口にしたんだろうなぁ……!」
春久の腕が、震える。
いまにも勝手に変身してしまいそうなほど、わけのわからない感情に支配されていた。ただの怒りじゃない、怒りと言っていいかすらわからない。
「……よくわかんない」千夏は、不機嫌そうに唇を尖らせ、春久を睨む。「いいから、いこうよ? お父さんがまってるよ?」
お父さん、と聞いて、春久は、ずいぶん記憶の彼方にいる、雄二とは正反対の、頼りない男を思い出した。
だが、おそらく、いや、絶対に違う。
「……お前の言う、親父ってなぁ、御使天のことか」
「そうだよ!」
手を挙げて、飛び跳ねる千夏。無邪気な姿を見せられ、春久は近くにあったブランコの柵を蹴りあげた。爪先で蹴りあげたのだが、まるで水飴みたいにぐにゃりと歪んでいた。
「お前……。その姿ではしゃぐんじゃねえ! ぶっ殺すぞッ!!」
「お、お兄ちゃん、怖い……」
まるで、脳漿が沸騰するような感覚。体が熱くなって、汗が吹き出す。大事なモノをバカにされているような感覚と、もっとも弱い部分を撫でられているような感覚が、春久を支配する。
あいつの骨を粉々になるまで砕けば、この気持ちは収まるだろうか――。
妹の顔をした女を、殴るのか――?
変身して、エネルギー全開でぶん殴れば、それで済むはずなのに、春久にはそれができない。
「なんだ、戦わないのかい?」
背後からの声に、春久は振り返る。
そこにいたのは、御使天だった。頭のネジが外れそうで、彼の姿に――敵だというのに、とっさに反応できなかった。
「なんの、様だ――」
「張り合いがないなぁ。彼女はディアボロだ。僕が作ったんだ。名前はフラム。人間としての名前は、島津千夏ってことになるかな?」
「わたし、フラム!」
天の言葉に反応して、名乗る
「どうだい、フラムは? キミの妹にそっくりかな? 僕は一度しかキミの妹を見たことがないから、そっくりかどうかは自信ないけど」
「……あぁ?」春久の腕が、強張る。
――いま、こいつ、なんて言った?
妹を一度、見たことがある?
「島津春久。家族構成は父、母、妹の三人。小学校時代は、妹の陰に隠れるような陰気な性格をしていたが、謎の殺人犯に家族を殺されて以降、同級生をぶん殴って入院させるほど、荒れた性格になる。それからは、パティスリーを営む桃井家で居候。中学時代はより荒れた生活になり、自分の家族の事を口にした相手を誰彼かまわず殴り飛ばし、カウンセリングにかかる」
小学校の頃、春久が殴り飛ばした生徒が、中学に上がっていやがらせと言わんばかりに、彼の噂を流した。興味本位の人間が、彼の傷に軽々しく触れる。
彼らが先に攻撃してきたのだから、殴るくらい許されるはずだ。
もう二度としないように、攻撃してきても、許されるだろう。
彼の容赦ない暴力行為は、校内でも問題になり、カウンセリングを回された。
白衣を着た男が、知った風な口で、自分を枠にハメたがって、挙句『家族を亡くしたのはキミだけじゃない』なんて言い出し、春久は病室で暴れた。
家族を亡くしたのは俺だけじゃないかもしれない。でも、俺の家族はもう居ない。
もしかしたら、新しいトラウマをカウンセラーに植えつけたかもしれなかったけれど関係なかった。
そうなっても、桃井家の人たちは春久を見捨てなかった。まるで本当の家族みたいに。
だから、高校に上がって、春久はできるだけおとなしくした。もう桃井家に迷惑をかけるわけにはいかないから。
まともに生きて、そして桃井家にいつか恩返しをする。当面の生きる目的は、それだったのに。
ディアボロが彼を、元の春久に戻したのだ。
「――島津春久くん。キミのことは、調べたよ。理由は、キミの高すぎるディアボロ耐性だ。そして、二つの仮説を立てた。精神的な理由、あるいは遺伝子的な理由。だから、僕は二つを戦わせる事にした」
春久の心臓が、跳ねる。
言うな、何も、言わないでくれ。俺の勘違いだったと思わせてくれ。
そう思ったのに、天は無慈悲に口を開いた。
「フラムはね、キミの墓から暴いてきた、妹の骨から作ったクローンだよ。そして――」
その一言だけでも、春久の心を引き裂くのに充分だったのに、
「――どうやら、キミの家族を殺したの、僕みたいだ」
揺れる、目の前が、地面が。
自分がしっかり立てているかどうかもわからない様になってきて、春久の皮膚が、ひび割れる。
「そ、その言葉は――冗談で言ってるわけじゃ、ねえのか……?」
「ああ。間違いないよ。調べて思い出した。当時の僕は、ディアボロを発明したばかりだった。だから、テストとしていくつかの家を襲った。テストケースはいくつあってもいい。だから思い出すのに苦労したが、間違いない。キミの事も、思い出した。倒れていたから死んだと思っていたんだけど、気絶していただけみたいだね」
春久の皮膚が、剥がれ落ちた。
裏に隠れていたフェイクマンの姿が、露出した。
「御使天ぃぃぃぃッ!!」
変身し、人間を捨て去った春久は、全てのエネルギーを右拳に込めて、走り出した。心など残らなくってもいい。あいつを道連れにして、地獄に叩き込めれば、それでいい。
そんな思いを込めたパンチだった。
しかし、御使天に当たる前に、そのエネルギーは消える事になった。
フェイクマンと天の間に、フラムが立ちふさがった。
「――なっ!」
急ブレーキをして、フラムの鼻先で拳を止める。いつもなら、もしも他のディアボロが目の前に立ちふさがっていたら、容赦なく顔面を撃ち抜いていた。
妹という、厄介な壁が、彼にそうさせなかった。
「なぜ撃ち抜かない、フェイクマン。彼女は敵だ、キミの敵だ。敵は殺す、それがキミの理念であり生き方だろう?」
どうして理念から外れた行為をしているのか、天はまったく理解していなかった。それも当然で、彼がもし春久と同じ立場だったなら、邪魔をするモノはたとえどんなモノでも、家族と同じ顔をしていても、それを叩き潰す。
自分の理念以上に大事なモノなど存在しないから。
「お兄ちゃん、お父さんなぐっちゃだめ!」
「さあ、フラム。キミの力をお兄ちゃんに見せてあげなさい」
「はいっ、お父さん!」
フラムの両腕が燃え上がり、まるでフェイクマンを思わせる右ストレートで、彼の顔面を撃ちぬいた。
「ぐお――ッ!?」
あの細腕から出たとは思えないパワーで、フェイクマンの体が一〇メートルほど吹っ飛ぶ。
「へっ、変身もしないで――あそこまでのパワーを、どうして……!?」
揺れる視界をなんとかまっすぐと正し、フラムを睨む。
「フラムは、変身体を持たない。せっかくの機会だからね、前々から考えていた、遺伝子強化をした、変身しないまま、ディアボロの力を扱える、究極のディアボロ」
直接ディアボロ化させた遺伝子を培養させ、そのまま最も身体能力が高まった年代で固定化させる。つまり、人間だったことがないディアボロである為、変身する必要がないのだ。
だから、人間の姿のまま、ディアボロの力が使える。
しかし、それを春久に説明する義理はない。
何も言わないまま、天は二人の戦いを見守ることにした。
「やぁあぁぁぁぁっ!!」
燃え盛る両腕を、乱暴に振り回すフラム。いくつも拳を叩き込めるタイミングはあったけれど、拳が出ない。
妹じゃないんだ、敵だ。だから、ただまっすぐに拳を打ち出せばいい。両腕で、フラムの拳を反らしながら、彼女の実力を測る。
パワーはともかく、テクニックはない。
もう何人もディアボロを倒しているフェイクマンなら、倒せる。むしろ、今後を考えれば今のうちに倒しておきたい。
フェイクマン以上のパワーを、子供みたいになんの考えもなく振り回してくるのだ。もし今後、テクニックをつけたら、フェイクマンが勝てる確率は如実に減ってくる。
決めるなら、今だ。わかっているのに、拳を打ち出す事ができない。
「テメエ……ッ! 変身しろ!!」
拳の代わりに、言葉を出した。しかし、フラムはニコニコ笑ったまま、「わたし、変身できないもん」と言いながら、フェイクマンのガードを通りぬけ、彼の首を掴んだ。
「ぐぅ……ッ!?」
「あはっ!」
片腕だというのに、持ち上がるフェイクマンの体。ギリギリと絞まり、酸素を体に取り込むことができない。
「ご、の……やろぁ……!!」
目の前が赤くなってきた。視界と共に、自らの命も薄らいでいくのがわかるようで、とっさにフェイクマンは、右足の爪先にエネルギーを集中させ、思い切り蹴り上げてフラムの右腕を切断した。
「きゃあッ!!」
存外軽く入った。経験不足で、フラムはフェイクマンの反撃に注意していなかったのかもしれない。
当然、フラムは驚いて、バックステップでフェイクマンから離れる。
だが、フェイクマンも彼女の姿を見て、固まった。
妹の姿をした女の腕が千切れ、地面に転がり、彼女の傷口からは、血がびちゃびちゃと流れ落ちている。
妹の姿をした女を、妹を、俺が傷つけた?
家族も守れなかったくせに、傷つけた?
「う、あ、ああ……うぁああぁあああああッ!!」
すべてが思い出される。目の前で、白いディアボロに体を千切られる両親、最後まで助けを求めていた千夏。
白いディアボロが、彼女の体を持ち上げる。
涙で顔をボロボロにしながら、春久を見て、「助けて……お兄ちゃん……」と手を伸ばし、白いディアボロに胸を貫かれた千夏。
それらすべてが、一瞬にして思い出された。
この場にいたくない。この場にいたら、俺は死ぬしかなくなる。
フェイクマンは、右腕にエネルギーを溜め、それを地面に向かって勢いよく放出。煙幕を張って、その場から逃げ出した。