Neetel Inside 文芸新都
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昨日の世界
前書き

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『前書き』

 人間は日々退化している。
私がこの作品を書き綴る前に、読者の皆様には先の提言を聞いて頂きたく思う。
技術・文明的に進化を続ける現代に於いて、私達の何が退化しているというのか。
皆様はそのように考えられることだろう。

 しかしその疑問を考える前に、私達が歩んできた進化について振り返りたい。
数千年にも迄ぶ人類の歴史の中で、
私はその転換期を十九世紀末から二十世紀初頭掛けての時代に見る。
その時代とは、産業革命を通じて激動するヨーロッパと、
ラジオの登場に於けるメディアの革新、
そして、第一次大戦による王政の崩壊と民主主義の台頭、
という側面を持った時代である。

 産業革命による工業の発達、ラジオに於けるメディアの発達、
王政の崩壊による絶対的権力の崩壊、それ等の要素が、
現代の基盤を形成しているものだと私は考える。

 特に、メディアはラジオの登場から映像に姿を換え、
現代に於いてはインターネットを介して誰もが個人・組織の区別なく、
ありとあらゆる情報を引き出し、発信出来る時代となった。
また、その発言を妨げる絶対的権力の存在しない社会に於いて、
私達はありとあらゆる権利を有するに至る。

 その権利とは、知る権利であり、発言する権利であり、行動する権利である。
しかし、私は此処に一つの疑問を投じたい。

 それらの自由と権利を有した私達は、真の意味でその価値と力を理解し、
行使し得ているのであろうか、と。

 一九三〇年代、ドイツ共和国成立により発言権を得た市民の中に、
アドルフ・ヒトラーなる人物が居た事は、皆様もご存知のことだろう。
彼は民主主義の中で発言する力を持ち、
ラジオ・新聞・映画というメディアを通じて主張を訴え、
ドイツ国民をアーリア人至上主義の下、戦争に駆り立てるまでに至った。

 私はその事実の中に、民主主義という国家の形に於ける、一つの暴走を見る。
文明的・技術的なありとあらゆる進化に於いて私達が手にした物は、
そのような危険性を伴う、一個人にはあまりにも強大すぎる権力と、
あまりにも広大すぎる情報の塊なのである。

 急速な進化を遂げる現代に対して、私達の進化はあまりにも鈍重であり、
人間はその進化に振り回されているに過ぎない。
それ故に私達は社会文明の進化を追う事に囚われ、自ら考える機会を奪われ、
進むべき道を見失いつつあるのではないだろうか。

 そうして考える機会を奪われつつある私達は、
思想という側面に於いて退化しているのではないだろうか。

 私はこの持論を中心として、此処に一つのフィクションを書き綴るものである。

       

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