Neetel Inside ニートノベル
表紙

テイルズ・オブ・オレガカク
08.悪夢の終わり

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「……ああ」

 俺は目を覚ました。そこは青い草がどこまで広がった平原で、俺はわずかに傾斜していたそこに横たわっていたのだった。軽く頭を振って立ち上がる。身体が驚くほど軽かった。いつもの俺じゃないみたいだ。

「ザンク」
「……アージィ?」

 見るとそこには、いつもの軽装姿のアージィが笑って立っていた。そばにはカルナもいる。絶縁手袋をしたまま魔導書を持って、ぺらぺらとめくっていた。

「ここは?」
「あんたの心の中よ。覚えてない? みんなであんたの精神の中に入ったこと……」

 覚えていなかった。しょーがないな、という感じでアージィが笑う。

「あんたはあたしたちに『助けて』って言ったの。だから、あたしたちは、ザンク、あなたを助ける」
「……アージィ」
「ほっといたら、ザンク死んじゃうもん」

 カルナがいつの間にか俺のそばに来て、こっちを見上げていた。

「死んじゃいやだよ、ザンク」
「……死ぬ? 俺が? いや……俺は死なないよカルナ。まだ……やるべきことがある」
「それは何?」

 静謐な空気が流れている。蔑ろにしてはいけない質問に思えた。
 俺はゆっくり考えながら、言った。

「……俺はまだ、自分が何をしたいとか、何者なのかわからない。眠り病で無理やり村を追い出されて、お前らと出会って、旅をして……
 本当は、俺なんか死んじゃった方がいいのかもしれないけど。
 まともに見張り番もできない俺なんて、どうしようもないのかもしれないけど。
 それでも……まだ俺は世界の全部を見てないから。
 だから……それまでは……」

 俺は剣の柄に手を当てた。

「これ一本で、駆け抜けてみようと思う」
「……ん」

 カルナは頷いた。これでよかったのだろうか。俺の返事は。
 俺の想いは。

「じゃ、まずはアレを倒さないとね」
「アレ……ってなんだ? アージィ」
「見えないの? ほら」

 そして俺の仲間は、ある一点を指差した。
 そこには、悪魔がいた。
 蛇だ。蛇の怪物だ。そいつは六つの首を持ち、それぞれに宝玉のような目を一つだけつけ、その首根っこが一つのまるたい胴体に繋がっていた。それがあらゆる害悪から守られた聖域のような、そんな平原の丘のふもとにどっしりと寝構えていた。ハイドラ。翼をもたない出来損ない。

「あれが……俺の心の中に?」
「あんなのがいたんじゃ、あんたの心もゆっくり休めないわけね」

 肩をすくめるアージィ。
 ぎゅっとカルナが魔導書を抱き締めた。

「……倒さなきゃ。あんなの、人の心の中にいちゃいけない」
「カルナ……」
「人の心は、本当は、とってもきれいなところなんだから」
「……そう、だな」

 俺は剣を抜いた。アージィがナイフを、カルナが魔導書を構える。
 最後の戦いだ。
 もし、死ぬなら。
 だが、勝てば。
 続いていくんだろう、俺の、物語が。
 冒険が。

「……いくぞ」
「うん」

 二人の返事に唇をほころばせ、
 俺は走った。


「ああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」


 土が抉れるほどの跳躍で悪魔の首に切りかかる。狙いは一点、逆鱗の隙間。俺はまだゆっくりと呼吸したまま、俺のことなど気にしてもいないハイドラの首へ刃を立てた。
 両断した。
 首が吹っ飛び、そこから鮮血が噴き出す。そこにアージィが精霊を放ち、噛みつかせ、動きを止め、そして……

「ああああああっ!」

 精いっぱいの声をあげ、カルナの魔導書から無数の雷撃が放たれる。その連続殺撃がハイドラの切断された首、その断面を焦がし尽くす。真っ黒になった首がのたうち回って、俺を弾き飛ばした。
 悪魔が鳴いている。
 痛い痛いと苦しんでいる。
 だが、それは俺も同じだ。
 ぶっ飛ばされた勢いのまま身体を回転させて姿勢を取り戻し、再び跳躍。絶叫するハイドラのもう一本目の首を切り落とした。残りの首から放たれる業火の球を剣で混ぜ弾き、かわし、伏せ、逃げる。間一髪のところでアージィの獣が俺の服を噛んで引っ張ってくれ、俺は丸焼きにならずに済んだ。ああ。そうだ。
 俺には仲間がいる。
 俺には仲間が…………
 だからこんなところでは負けてはいられない。
 故郷はもうない。帰れない。
 だから…………

「とっとと出てけ……ハイドラ!」

 俺は憎悪の眼差しを俺に向けて来る多頭の蛇を睨みつけた。

「俺の心の中から……」
「ォォォォォォォォ…………」
「俺は、お前も苦しかったんだなとか、お前も俺の一部だとか、そういう知ったような口は利かない。そんなことどうでもいい。お前が俺だろうとなんだろうと、魔物だろうとなんだろうと、関係ない。俺はお前を殺す。俺はお前の存在を認めない。お前は俺の……」
「ォォォォォォォォ…………」
「……敵だッ!!」

 そう自分に言い聞かせ、
 噛みついてきた頭の牙を剣の腹で背面渡しに凌ぎ切り、なぜか泣きたくなりながら、俺は三つめの首を切り飛ばした。雷撃が青空へいくつも刺さっていく。カルナの援護だ。俺はステップを踏んでアージィの獣たちとも連携を取りながら、さらにもう一本の首を切り落とした。首は苦痛と悲哀でのたうちまわっている。その眼が俺に問う。

(どうして殺すの?)

「わかるかよッ!! わかんねぇよッ!!」俺は叫んだ。
「畜生ッ!! そんな、そんな目で俺を見るな! 俺はお前を殺さなきゃならないんだ、お前は俺の心に巣食う寄生虫なんだ! いるだけで害悪なんだ、お前が苦しいんじゃない、お前が、お前が俺をずっと苦しめてきたんだ! お前はそれに対してなんとも思わないのか!? 俺から故郷を、家族を奪っておきながら、お前は俺に何も返してくれないのか!? 謝ってもくれないのか!?」

(どうして殺すの?)

「殺したくなんかない!!」俺は叫び続ける。
「本当は殺したくなんかねえ、お前がイイモンだろうがワルモンだろうが殺したくなんかない!! お前が俺の中から出て行ってくれれば、俺はお前なんかどうだっていいんだ! でもお前は、お前は俺の中から出て行かない! 出て行かないじゃないかよ!!」

(どうして殺すの?)

「なんで俺なんだよ!!」俺は泣いた。
「なんで、なんで俺に取り付いたりしたんだ!! 他の誰かじゃダメだったのかよ!? なんで、なんで俺なんだ!! なんで俺がこんなに苦しい思いをしなきゃならねえんだ! お前、お前が苦しいとかそんなの、お前の勝手だろ!! それに俺を巻き込むな、このバケモノ!!」

(どうして……)

「うるせぇんだよ!」

 五本目の首を切り飛ばす。血をまともに被った。
 むっとするような悪臭、相手が存在することへの憎悪を覚える。俺は地面をのたうつ蛇の首をその必要がないにも関わらずめった突きにした。その宝玉のような目を粉々に砕いた。笑い出す。

「なんで生まれてきたりしたんだ?」

 俺は剣の柄を握る。
 失って来たものを思い出す。
 俺が失って来たものを。
 故郷の村で浴びせられた、血よりも濃い迫害の言葉を。

「お前なんかいなければ……俺は……」

 冒険にも出なかった。
 アージィとカルナにも出会わなかった。
 けど。
 そうだけど。
 それでも。

「苦しかったよ……俺は……」
「ォォォォォォォォォ……」

 悪魔にしか聞こえない声で、俺はつぶやく。
 つぶやいてしまう。

「二人に出会ったことを帳消しにしてでも、この病から解放されたい……
 そう思いながら何度も夜を過ごした俺の気持ちが、なあ、ハイドラ。
 お前に分かるか?
 お前になんか絶対にわからない、お前がどれほど苦しもうと、ただ生きようとして俺の心に巣食っているだけなんだとしても、
 俺はやっぱりお前を許せない。
 だから……
 だから…………」

「シャアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!」

 最後の首が俺をめがけて突っ込んでくる。アージィの獣は噛み殺され、カルナの雷撃は全て弾かれた。あとはもう俺に突っ込んでくるだけ。
 俺は剣を鞘に納めた。
 涙が止まらない。畜生、こんな思いで振る剣に、意味なんかあってたまるか。
 畜生――
 殺してやる、せめて、
 一撃でラクにしてやる。


「――――――――ぅぁぁぁぁあああああああああああああ!!!!!!!」


 綺麗な宝玉の目に映った自分の歪んだ顔をめがけて、俺は最後の一撃を放った。人の身で辿り着ける最速の一振り、全てを込めた俺の剣。
 鋼の刀身が悪魔の骨も皮も脳も命も砕き喰らった。
 全てが緩慢に過ぎ去っていく。
 俺はゆっくりと、俺の心の平原に崩れ落ちていくハイドラが最後に囁くのを、確かに聞いた。





(……どうして殺すの?)





「一生言ってろ」俺は涙をぬぐった。
「お前なんか、大嫌いだ」

 悪魔はもう何も言わなかった。
 ただ死んだ。

 ○


「おめでとう、これで君は自由だよ」

 差し出されたミステルの手を、俺は素直に掴む気になれなかった。
 ミステルは少し寂しそうに微笑む。

「魔心は討ち手の心に毒を残す……たとえ倒しても。罪悪感という魔法で、君の心に傷を残した……あるいは、自分の心にとりついた害虫さえも『可哀想』だと思える優しい人にだけ、魔心は取り付くのかもしれない……ね」
「……もしそうなら、俺は、やさしさなんかいらなかった」
「優しい人は、みんなそう言うんだよ。その生き方は、過酷すぎるから」
 でもね、とミステルは机の上の御伽噺の本を手に取った。
「私は、そういう生き方する人、好きだよ」
「…………ふん」
「二人によろしく」

 それきり、ミステルには会っていないし、あの町にもいっていない。

 ○

 俺たち三人は、また旅暮らしに戻った。俺の眠り病は、まだちょっと残滓のような気だるさは時々思い出すが、ほぼ完治したし、あとは二人の冒険の目的が残っているだけだ。アージィの武者修行に付き合いながら、カルナの記憶を探す。ちょっと風変わりだが、いちおうは普通の冒険者と言えるだろう。世界を救ったりはしないけど、自分たちのことですら手一杯だけど、……俺たちは、今日もこの世界を生きている。
 あれからアージィは少しだけ俺に優しくなり、カルナは少しだけ絵本を書く時間が増えた。俺たちが倒したあの魔心の物語を書きたいのだという。優しい人の心に取り付き、絶望を与え、最後には殺される魔物の物語を。
 きっと、とカルナは言う。

「きっとあの蛇は、分かって欲しかったんだと思う。
 ぼくはこんなに苦しいんだよ、って。
 それを取り付いた人に味わわせることでしか、自分の辛さや苦しみを伝えることが出来ない、悪霊……」
「……そんなやつの話、書いて、楽しいか?」
「楽しくはないかもしれないけど」カルナは羽ペンをもじもじといじくる。
「でも、私なら、分かってあげられるかもしれないから。……伝えてあげられるかもしれないから」
「……そっか」

 なんとなく、カルナの記憶は戻らないんじゃないかと思う。
 いや、戻ってしまって欲しくないんだ、俺は。
 俺の冒険は終わったが、カルナの冒険は終わらないでほしい。
 それは素敵な夢だから。
 俺のとは違って。



 そうそう、最後になるけど。
 俺が書いた自伝小説のことだが、無事に行く先行く先の町でバカ売れしている。手書きの写本だけじゃ足りずに、印刷機のある街までいってそこの書物商と専属契約までして、定期的に俺には印税が入ってきている。これがまたすごい額で、まともに残していたら冒険なんてやめてどっか居心地のいい街に居座っちまいそうだから、俺はそれを行く先行く先の町にバラ撒いている。孤児院とか、潰れかけた教会とか。みんなありがとう、ありがとう、と言ってくれるが、それもこれも俺が書いた自伝小説を買って読んでくれたみんなのおかげだ。
 だから最後に言わせてくれ。誰にも見せるつもりがないこのノートで。

 ここまで付き合ってくれて、本当にありがとう。
 元気でな。

       

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Neetsha