生贄の旅
プロットナンバー03.『黒騎士』 筆者:顎男
「ディリシアは……?」
「いま眠ったところだ」
「そう」
ベッドに座ったミレイは、不安げな視線をジャスバルが出てきたばかりの隣室に送っている。いま、そこでは疲れ果てたディリシアが眠っている。二人は宿屋の親父に無理を言って、繋ぎの部屋をあてがってもらったのだ。元々病気やけがをした仲間のための部屋なのだが、こういう個室を用意してある宿屋というのは少ない。さすがは大聖堂の街・クリアスといったところか。
もう陽が暮れかけている。赤い光がわずかに汚れた窓から差し込んでいた。
「……疲れたでしょうね。なにせ……初めてだったんだから」
そう。
三人は聖獣を倒して、ようやくの思いで宿に帰還してきたばかりだった。大聖堂に守護されている聖獣を倒し、祈りを捧げる……それは三人が思っていたよりも遥かに困難で、危険で、そして恐ろしいものだった。獣は二足獣で、まるで人狼のようだった。ジャスバルの手の中に、獣を斬った感触が残っている。
聖獣は魔法を使ってきたが、ミレイの魔弾によるアシストもあり、最後のとどめはジャスバルが刺した。ディリシアの祈りで強化された腕力が無ければ、あの皮膚に刃を突き立てられたかどうかは分からない。
「あんなのが、あと二匹もいるのかよ……」
「二柱と言いなさい。聖なる生き物よ」
「ああ、悪い。神様みたいなもんなんだっけな……つっても、あいつらのせいでディリシアが巫女にされたかと思うと……好きにはなれねえよ」
「…………」
ミレイは何か物思いに沈んでいる。ジャスバルの言葉も半分以上は耳に入っていないらしい。ひょっとしたら、とジャスバルは思った。この戦いで一番、衝撃を受けているのは、ミレイなのかもしれない。ディリシアは倒れたが、それは過労から来るもので、精神的なダメージは受けているようには見えなかった(眠りに落ちる寸前、ディリシアはジャスバルに「明日は卵料理が食べたいから朝市で卵もらってきて」とおつかいを頼んできた。ジャスバル、今夜は寝不足である)。心の苦しさを押し殺すことを、巫女は魔法よりも先に覚える。
だが、ミレイは違う。ミレイはこの旅で死ぬことはきっとない。騎士であり、拳銃使いであり、そしてまだ大人になりきれていないこの少女は、聖獣と闘うという使命を帯びた戦闘の重責に、打ちひしがれているように見えた。猟師暮らしのジャスバルなんかは、山ごもりで何度か死にかけたことがある。けれど都会で育ったミレイには、死はまだまだ御伽噺の中のことだったのかもしれない。自分には絶対に降りかからないものだと。
ミレイの腕に、包帯が巻かれている。それは聖獣の牙に裂かれた時のものだった。
「……」
「ミレイ、何か飲むか?」
「え?」
「お前、疲れてるだろ」
「バカじゃないの?」無表情に言った。さらに続けた。
「ホント、バカみたい」
「バカバカ言うな」
「…………」
ミレイは黙っている。ジャスバルはもたれていた壁から背中を離した。
「ちょっと風に当たってくる。お前も早めに休めよ」
「…………」
無反応の騎士にため息を残して、ジャスバルは部屋を出た。
才気溢れる者ほど折れると脆い、とか言っていたのは誰だったか。
○
「……ん?」
その影は、舗道の先、もう店仕舞いをしてしまった道具屋通りの果てにいた。沈みかけた夕陽を浴びて、その黒鎧は呼吸するように輝き、装着者を覆っていた。顔面は鉄仮面に隠されていて見えない。だが、ジャスバルには分かった。殺意があると。
エアルドの柄に手をかける。
『……ジャスバル、あれは危険なモノだ』
「わかってる」
様子と気配を窺うが、黒騎士はその場から動かず、何も言わない。
ジャスバルは言った。
「何者だ? 俺に何か言いたいことでもあるのか?」
『……今日、大聖堂にいったな? 巫女と共に』
「それがどうした?」
黒騎士は剣を抜いた。ジャスバルは身構える。
『聖獣殺しは中止しろ。いますぐ旅をやめてニノヴァンへ帰れ』
「勝手なこと言いやがって……巫女はな、世界のために旅してるんだぞ? それを分かって言っているのか?」
『このまま旅を続けるというのなら……お前を殺す』
「今度は殺害予告か……っ!」
キィン、と剣先が激突した。ジャスバルはエアルドで相手の剣を受けた。
踏み込まれて振り抜かれた黒い剣、それは……
「ま、魔物!?」
刀身に獣毛と赤眼、そして舌なめずりする口が埋め込まれていた。それはもはや剣ではない。
『ジャスバル、よけろっ!』
「っ!?」
魔剣の目からチッ……と細い光の粒子が走った。あやうくかわしたジャスバルだったが、背後を見ると宿屋の看板が綺麗に刳りぬかれて夕焼け空を映していた。ぞっとする。まともに当たったら命が無い。
「お前……本気なんだな」
『…………』
「なんとか言えよ……この野郎ぉっ!」
突進からの切り上げと見せた水平蹴り、ジャスバルお得意のフェイントに黒騎士は面白いように引っかかった。故郷の村でも分かっていながらかわさせない、ということで名人芸と評されたこともあるジャスバルの蹴りで黒騎士は体勢を崩した。その脇腹へジャスバルは容赦をしない。
「くたばれっ!」
エアルドをハンマーのようにぶち当てて、黒騎士を吹っ飛ばした。民家の壁に突っ込み、ガラガラと砂塵が舞い上がる。
「安心しろ、峰打ちだ」
『ジャスバル、いまのは剣の腹だ』
「安心しろ、腹打ちだ」
『語感が悪いぞ』
「どうしろってんだよ!」
剣と漫才をしている間に、黒騎士が立ち上がり、パンパンとほこりを鎧から払った。無傷のようだ。
『なるほど……体技はいい。だが、それだけだ』
「なんだと?」
『お前の剣には死がまとわりついてない……口先ではどうこう言っても、お前はしょせんは偽物だ。肝心要の土壇場で逃げ出す追随者……巫女も守れず、世界も救えん。革命の世に不必要な賑やかしよ』
「……言ってくれるじゃねーか。どうやら腕一本くらいは切り落とされないとわっかんねーみてえだな」
『世界には革命が必要なのだ』
黒騎士は透明な盃でも見えているかのように、両手を持ち上げた。
『わからないか? この世は間違っている。巫女の命を犠牲にして、愚物がのうのうと生きている。誰もがそれを仕方ないと諦めるのかもしれないが、私は違う。そんな世界は変えて見せるし、もし変われないのであれば、そんな惰弱な世界は要らぬ。巫女を救って、世界を滅ぼす』
「世界がなくなっちまったら……巫女も死ぬだろうが! それに……俺は聖獣を殺してみせるぜ。残りの二体もな!」
『言っただろう……お前は言葉だけの男だ。最後には逃げ出す。仲間も背負えん。クリアスの聖獣は三体の中でも最弱。本当の地獄はこれからだ……』
「……お前は、何者なんだ?」
『私は黒騎士。名前などない。救世の巫女を救うもの……』
黒騎士は背を見せた。そして、
「っ!?」
砂塵まじりの黒い風が吹き、顔を腕で庇ったジャスバルが視界を取り戻した時にはもう、そこには誰もいなかった。
ジャスバルはエアルドを鞘に戻した。
『……大丈夫か? ジャスバル』
「ああ、怪我とかはない。何者なんだ、あいつ……」
『いや、そうではない』
「ん?」
『気にするなよ、ジャスバル。あの男の言葉を』
「……わかってるさ」
ジャスバルは安心させるようにエアルドの柄を叩いた。そう、気にしてはいない。
気にしてはいけない。
それは、黒騎士の言葉が、
ジャスバルの本心と、それほど違っていないから。
気にしてはいけない、いや、
気づいてはいけない…………
己の心に蓋をして、ジャスバルは仲間が待つ宿へと戻った。
(あとがき)
プロットナンバー3は聖獣と黒騎士が両方出て来るという軽く書くには重すぎる内容なので、ちょっと省略も含めて軽くまとめてみました。
こんな感じで書きにくいなあ、とか思ったらガンガン変えちゃっていいです。書くこと優先って感じで。
それでは引き続き、よろしくお願いします。