Neetel Inside ニートノベル
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生贄の旅
プロットナンバー03.『黒騎士』 筆者:伊東ライフライナー

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 (最弱? 『これ』が?)
 ジャスバルの全身の毛が逆立ち、汗がぶわりと噴き出る。
 巨大な狒々の身体を依代とした聖獣の一、アガニエルの雄叫びが神殿内を揺らした。
 あの日誓った決意も、信念も、同時に揺れてしまいそうになるほどの、咆哮。
 その紅一色の双眸に射すくめられるだけで自分が生きているのか既に死んでいるのかわからなくなる、異常な威圧感。
 一度その大木のような腕を軽く振るえば、人間など原型を留めず爆散するのは確実だ。
 どんな重装備で挑もうと、口から生やした鋭い四つの牙の前ではチーズの塊と大差はない。ぐちゃり、と簡単に噛み千切られるだろう。
 確かにアガニエルは最弱の聖獣である。故にどの巫女も、遠回りしてでも最初に訪れるのはクリアスの街だ。
 そして、実に八割強がここでその旅を終えることになる。
 つまり、アガニエルは最弱の聖獣であると同時に――
  
   ・・・・・・・・・・・・・・
 ――もっとも巫女の血肉を喰らった聖獣である。


 (どうすればいいんだ、こんなの――!)
 『ジャスバル、来るぞ!!』
 その言葉にハッとして横に大きく跳び退く。さっきまで自分がいた場所が、大きく抉れた。
 エアルドが喋りさえしなければ、この大部屋に点在する多数の『赤色』の仲間入りをしていただろう。
 いくら暴れようと、壁や床を破壊しようと、聖獣はこの広間から出ることはできない。
 壊れた箇所は聖獣が顕現していない時に、その有り余る力で修復される。
 そういうシステムであるが故に、アガニエルは好きなだけ暴れることができる。
 例えば。
 「ゴォォォォォォッ!!」
 地面に爪を突き立てて思いっきり振り上げ、瓦礫の砲弾を散らす事も。
 「ぐっ……」
 「ガァァァァァァァァァッ!!!」
 直径がジャスバルの身長程もある石柱を力任せにぶん殴り、質量弾として飛ばす事も。
 「ふざっ……」
 「キシャァァァァァァァァァァァッ!!!!」
 抉れた床に手を差し込んで、広間の三分の一程のスペースを丸々ひっくり返す事も。
 容易い。
 
 「冗談じゃ……!」
 二秒前まで地面だった壁が、今まさに落ちてくる天井と化そうとしている。
 これまでは手足に被弾しながらもどうにか直撃を回避できたが、これは避けるとか受けるとかの問題ではない。
 「ジャス……バル……!」
 ミレイは瓦礫からディリシアを庇い、左足が砕けて動けず。
 「嫌、逃げて、ジャスバ……」
 ディリシアは既に、戦意を挫かれて震えている。
 両者共に動くことすらままならない。
 ジャスバルが圧死すれば、残りの二人は碌な抵抗もできず、生きたままその身を喰らわれることになる。
 (こんな所で終わるのか……!? ディリシアを守ることもできずに……情けなく、惨めったらしく、死ぬのか、俺は――)
 善戦はした。
 ミレイとディリシアのサポートがあったおかげだが、一太刀と言わずに有効打はそれなりに入ったはずだ。
 攻撃は読めていた。いけると思った。ジャスバルの顔には笑みがあった。
 アガニエルの眼の色が真っ赤に変わり、動きが不規則になるまでは。
 (死ぬ…………死……)
 迫り来る巨大な石の、面。
 絶望の中にほんの少しだけ残った意地なのか。
 今まさに潰されようとする瞬間にも、ジャスバルは目を閉じようとはしなかった。
 だから彼は見ることができた。
 後ろから悠々と歩いてきて、自分の前で片手を上げ岩盤を受け止める『それ』の存在を。
 「………………は…………?」
 自分が生きている。目の前の存在によって生かされた。それは理解できた。
 だが、目の前の存在が理解できなかった。
 装飾と呼ぶには荒々し過ぎる黒の甲冑を纏った人物。
 剣も、槍も、弓も、銃も、杖も、何も持っていない。鎧を纏っただけの徒手で、自分の何十倍、何百倍もの質量を持った石壁をやすやすと支えている。
 「ジャスバル」
 低いが、軽い声だった。
 一瞬考えて、ジャスバルは目の前の人物が喋ったのだと理解する。
 「な、何で俺の名を……」
 その問いには答えず、軽く振り返って男は続けた。
 顔は、見えない。
 「折角良さげな剣持ってんのにそのヘナチョコっぷりは何だ。目は中々良い感じだが、身体が全っ然ついていってねぇ。2点だ。カスめ」
 呆れたようにそう言った後、彼は石壁をふわりと押し上げて回し蹴りで粉砕した。
 「…………ッ!?」
 視界が砂塵によって曇る直前、ジャスバルは見た。
 彼の蹴り足に、魔獣の顔を模った斧が生えてくるのを。
 砂煙が晴れると同時に、彼はミレイに指を指す。
 「そこのおっぱい」
 「おっぱ……!?」
 「お前は銃弾に頼りすぎだ。大方そこらの魔獣なんざ適当にバンバカ撃ってれば大概片付いたんだろうが、その銃弾……精霊の効果を過信しすぎて狙いが適当だ。あと乳が下品。本当なら3点だが、ディリシアを庇った事は評価しよう。43点だ」
 「な、なんですか貴方はいきなり……!」
 微妙にコンプレックスだった胸をダイレクトにディスられて顔を真っ赤にするミレイ。
 今すぐ飛びかかりたくなる衝動に駆られるが、動くことは不可能だった。
 「んでディリシア」
 「は、はいっ!」
 不審人物に名前を呼ばれてびくんと反応するディリシアだが、なぜだかそこまで恐怖は感じなかった。
 「もうちょっと勇気が欲しいなー。お前はそこのボンクラやバカおっぱいと違って優秀なんだから、もっと自信を持て。自分が無能二人を守るんだってくらいの勢いでな。マイナス3点で97点だ」
 「わ、わかりました……」
 「おかしいだろ……!?」
 明らかに贔屓で得点を付けている、ノリの軽い男。
 ディリシアは彼の声、彼の態度にひどく懐かしいものを感じる。
 「まさか……あ、危ない!」
 まるで戦闘が終わった後のように余裕で評価を下していた彼に、アガニエルが背後から飛びかかってきた。
 背中の後ろまで振りかぶり、着地と同時に挟み込むようにその両の碗を振るう。
 「よっと」
 ちらと後ろを見て攻撃を確認した男は、右足の裏にバネ状の部品を『精製』する。
 ぐっと踏み込んで大きく跳躍し回避、宙返りしてアガニエルの背中に飛び乗った。
 「『魔獣剣・二十七式』」
 振り上げた右腕が、びきびきと歪な音を伴ってみるみる変化していく。
 「『呪竜の爪』《アジ・ダハーカ》」
 それは既に人間のものでは無かった。自分の身体より遥かに大きい、黒色の大鎌。
 幾多の魑魅魍魎を宿し、それらの身体の一部が浮き出ている禍々しいそれを、眼下の聖獣へとたたき落とす。
 一薙ぎ振るっただけで、毛むくじゃらの肉は大きく抉り取られていった。
 これまで威嚇によってのみ大声を上げていたアガニエルが、ようやく痛みによる悲鳴を轟かせる。
 「すげぇ……」
 ミレイを担いでディリシアの手を引き、巻き込まれないように遠ざけながら、ジャスバルは彼の戦いを見ていた。
 とても人間業とは思えない。いや、彼は人間なのだろうか?
 あんな力があれば、自分だってディリシアを――
 そう思った時、ディリシアが叫んだ。
 「止めて……止めて、お兄ちゃん!!」
 既に虫の息になっていたアガニエルに止めを刺そうとした男の腕が、ぴたりと止まった。
 「お兄ちゃん……!? あれが、ビットールだって……!? そんな、まさか……」
 
 ビットールの事は当然、ディリシアの幼馴染であるジャスバルは知っている。
 将来妹とくっつきそうだと勝手に邪推されてぞんざいな扱いを受けていたが、自分にとっては兄のような存在だった。
 行方知れずになる前に彼は言った。
 『もし、もしもだ。俺になにかあってディリシアのそばにいてやれなくなったら……お前が守れ、ジャスバル。お前はどうなってもいい。命に代えても守れ……いや、守る奴がいなくなったら困るな。俺が戻るまで死ぬな。戻ってから死ね。いいか、お前がディリシアの近くにいていいのは俺がいない間だけだぞ。妹に手を出したらブチ殺す。死なせでもしたらブチ殺してあの世でもう一回ブチ殺す。わかったな。それができたら――』
 当時は、何を大袈裟なと思っていた。
 まさか、巫女に選ばれるなんて……思っても見なかったから。
 
 巡礼の掟として、聖獣は絶対に殺してはならない。
 戦って無力化し、巫女によって封印する。もしくは、巫女が聖獣に喰らわれる。そのどちらかによってのみ、平穏は訪れるのだ。
 再生能力が全く追いつかないほどに滅殺してしまったら最後、世界中で天変地異が始まり、人間が積み上げてきた全てが崩れ去る。
 「……お兄ちゃん、ビットール。知らないな。俺はただの魔獣剣士。クソったれ聖獣をブチ殺し腐ったシステムを根こそぎぶっ壊すだけの――黒騎士だ」
 そう言って黒騎士は荒い呼吸を繰り返すアガニエルの目の前で、腕を変化させる。
 「死に腐れ畜生が。『魔獣剣・三式』……」
 「待てよ、ビットール」
 今度は、ジャスバルが制止した。
 「……何度も言わせるなカスバル。俺は黒騎士だ」
 「俺はジャスバルだ。正体を隠すのが下手すぎるんだよビットール。そいつを殺したら、世界がどうなるか……」
 「世界? そんなのどうなってもいいだろう。何が巡礼の旅だ、ふざけやがって。年端も行かない少女を犠牲にして得た平穏……そんなもんに、お前は価値を感じるのか?」
 「それは……だが、巡礼が成功すれば……!」
 「巡礼が、成功?」
 黒騎士の口調が変わる。
 「俺が来なければ最弱の聖獣に殺されて女の子一人守れなかったカス野郎が、巡礼が成功すれば、だと?」
 明らかに怒気を孕んだ口ぶりで、彼はジャスバルの台詞を鸚鵡返しする。
 「口だけは達者だなぁジャスバル。テメェじゃ何十回死んでも無理だしテメェより百倍強い奴がいても絶対に無理なんだよ。そもそもこの儀式は始めから……」
 「……?」
 意味深な台詞を吐くが、黒騎士はその先は言おうとしなかった。
 「……いや、とにかく今はお前にむかっ腹が立って仕方ねぇ。殺すぞ……糞餓鬼が」
 ドス黒く濁ったような殺気を放つ黒騎士。
 アガニエルのように鋭くはないものの、その深さは段違いだ。
 手先が震える。闇に飲み込まれそうになるジャスバルの脳裏に、一つの記憶が浮かんだ。

 『それができたら――お前を一人前の男として認めてやるよ』

 胸に当てられた拳。その感触が、ジャスバルの折れかけていた精神に芯を突き刺した。
 「世界に災いが起きたら、関係ない人が大勢死ぬ。ディリシアだって、そんな事望んじゃいない。それに…………約束、したんだ」
 「あ?」
 ジャスバルが一足に飛び込んだ。
 その動きは先程までとは明らかに違う。何故だか知らないが、身体がとても軽い。
 抜刀し黒騎士にエアルドを振り下ろして、はじめて魔剣の輝きに気付いた。
 「……!」
 鎧の右腕で軽く受け止めたつもりが、予想以上の重みに黒騎士がたじろぐ。
 「守るって……! ディリシアを守るって、あいつの兄貴と約束したんだ!!」
 「……そうかい。てめぇみたいなカスと約束するとは……相当の馬鹿野郎だなッ!!」
 力任せに腕をぶん回し、ぎぃんと双剣が弾けた。
 吹き飛ばされ、柱に叩きつけそうになるのを足でクッションする。
 そして、反動をつけて再び跳ぶ。
 弾丸のような速度で迫る魔剣の戦士を待ち構える、黒騎士。
 「『魔獣剣・十七式』……『殺人蜂の針』《キラー・ビー》」
 その右手そのものが伸びて毒針へと変わり、突撃するジャスバルをも上回る速度で彼を捉えた。
 だが、ジャスバルの目はしっかりと見開かれ、それの軌跡をも捉えている。
 (見える……)
 世界がスローになる。同時に、体全体が鉛のように重くなる感覚。
 (付いて……来い……身体……ッ!)
 一直線に心臓へと伸びる毒針の先に、ぎりぎりとエアルドを押し込む。空に向かって動かすだけで普段の何倍もの力を必要とするそれを、歯を食いしばって堪える。
 解放。
 「!」
 一瞬の内に毒針を見切り、剣で軌道を逸らしたジャスバル。その蹴りが黒騎士の鳩尾へと突き刺さった。
 「入っ……」
 「60点だ」
 瞬間、世界が高速で回転した。
 何が何だかわからない内に、背中から壁に叩きつけられる。
 「がっ……!」
 蹴り足を掴んで、ぶん投げられたのだ。
 エアルドの強化が無ければ、吐血と骨折では済まない勢いである。
 常人なら液体だ。
 「500点満点で、な。ったく、最初からその力出しとけ……カスが」
 そう言い放つ黒騎士にダメージは無い。尚も動けない聖獣を一瞥し、出口へと歩いて行く。
 「三人合わせて200点か。ほとんどディリシアの得点だが、まあ赤点回避と言うことにしといてやる。次会う時もカスだったらブチ殺すぞ。せいぜい足掻け、ジャスバル」
 「ジャスバル!」
 「……」
 ディリシアの方を見て何か言いたそうにするが、彼女がジャスバルに駆け寄る姿を見て、黒騎士は黙る事に決めた。
 (お前達は真実を知っても、まだ世界を肯定できるか……?)
 そうして、彼は闇へと消える。
 溶けるように。

       

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