(きみに会うために)
男は幾多の山河を越え、幾多の魔物を切り殺してきた。
見事な象牙色だった鎧とマントは、返り血を浴び続け、すっかりどす黒くなってしまった。
かつてはローランド伯家の聖騎士として勇名を馳せたものだが、今は流浪の不吉な黒騎士である。
「返り血は何も魔物だけとは限らないが」
黒騎士は抜き身の白刃を振るう。
刃にべっとりついていた血が飛沫となって地面に滴る。
足元には交易商人の一団の死体が幾つも転がっていた。
▽
「黒騎士が?」
「そう。このあたりで目撃されたっていうわ」
少女騎士・ミレイは表情を引き締めて言った。
この巡礼の旅は困難を極めている。
ただでさえ強大な聖獣を倒さなければならないのに、幾多の魔物達も行く手を阻む。
その上、正体不明・目的不明の黒騎士が、ジャスバル達を妨害してきていた。
「俺の前に現れたあの黒騎士は…手ごわい相手だった。今でも勝てるかどうか…」
ジャスバルは険しい表情で言う。
あれは一柱目の聖獣を倒した直後だった。
それなりに剣の腕も上げたと過信していた。
だが、その黒騎士の振るう魔獣剣の前に、まったく歯が立たなかったのだ。
『私は黒騎士。名前などない。救世の巫女を救うもの……』
救うと言いつつ、ジャスバル達の聖獣を倒す巡礼の旅そのものは否定していた。
やつの目的は一体何なのだろうか?
兜の面頬に隠されたその正体は分からない。
透き通った迷いの無い声が、ジャスバルの記憶の海をサルベージしようとする。
だが、思い出の宝箱は引き上げられない。
幸せな記憶の海にはないということは、嫌な記憶の海に沈んでいるのかもしれない。
「ふん。そんなに強かったの? あんたが弱かっただけじゃない?」
ミレイがからかう。
ジャスバルは回想から引き戻され、くわっとミレイに渋面を向ける。
「おまえはいつも一言多いんだよ!」
少しの間、ミレイとは別々に行動していた。
そして、二柱目の聖獣は彼女抜きで倒したのだ。
旅を始めた当初に比べれば腕を上げたと、ジャスバルは更に自信を深めていた。
だが、再度合流したミレイは、相変わらずの憎まれ口だった。
「確かに強いかもしれないわ。沢山の傭兵を雇っていた交易商人の一団を、たった一人で皆殺しにしたっていうわ」
「は? そんな追い剥ぎみたいな事していたっていうのか」
「そうね。何が目的なのか知らないけど、ますます警戒すべき相手のようだわ」
「ううむ、そんな事するようなやつには見えなかったけどなぁ…」
「今更だけど」
ミレイはジャスバルの耳元で囁く。
竜車の幌の中ですやすやと寝息を立てているディリシアには聞こえないように…。
ディリシアは、ここ最近眠る事が増えている。
巫女として覚醒しつつある彼女は、大きな魔力を消費する度に疲れ果て、睡眠で少しでも魔力を回復しようとしていた。
ジャスバルもミレイも、ディリシアを起こさないように小声で話していた。
「この旅は王国の庇護は殆ど望めないわ。巫女が生きて聖獣を全て倒そうが、途中で死のうが、世界を守るという目的は果たされるのだから。黒騎士に殺されたって世界が救われるのは同じよ」
「……分かってるさ」
「ならいいわ。緊張感を持ってもらわないと。ディリシアは『旅の途中では』絶対に死なせないわ」
その言い方に、ジャスバルは引っかかるものを感じる。
だが、ミレイがディリシアを守ろうとしているのは確かなので、そこまで気にしないようにした。
王国がディリシアを本気で守る気がないというのは本当なのだろう。
世界を救済する旅に派遣されてきた騎士がミレイただ一人というところからして、それは明らかだ。
「だから俺は、もっと強くならなきゃいけねぇんだ」
ジャスバルは決意を新たにするのだった。
▽
霊峰・バルバンギィの麓には、鬱蒼と木々が生い茂る『魔の森』がある。
ジャスバル達は、噂の『黒騎士』が街道に現れるというので、それを回避しようと魔の森へと足を踏み入れていた。
魔の森という異名は、何も危険な魔物がいるからではない。
霊峰から流れる水脈が、森の奥地に魔力を帯びた泉を作り出した。
泉にはユニコーンという角の生えた馬が棲むという。
そのユニコーンは死者の国へと誘う『魔獣』と呼ばれているのだ。
「黒騎士より魔獣の方がマシってか?」
ジャスバルは尋ねる。
魔の森を進むことを提案したのはミレイだった。
「魔獣といっても襲ってくるとは限らないそうよ」
「死の国へと誘うらしいじゃねぇか」
「泉に近づかなければいいでしょ」
「まぁ、それはそうなんだが…」
ジャスバルは表情を引き締めた。
「おい。その魔獣よりおっかねぇやつがいるぜ」
ジャスバル達の視界ぎりぎり届くあたりに、黒騎士らしき後姿があった。
長剣を腰にさし、どす黒い全身鎧とマントで身を固めている。
黒騎士はジャスバル達に気づく事は無く、そのまま森の奥へと向かっていた。
「このままやり過ごす事もできるが?」
「そうね。幸い、こちらは見つかっていないし…馬鹿ね、あの先は魔獣が棲むという泉よ」
「ねぇ! あの人を助けてあげなくていいの!?」
突然、声を上げたのはディリシアだった。
先程まで『う~ん、食べ切れないよ~』と、幸せそうな寝言を言いながらすやすやと竜車の中で寝ていた筈なのに。
「可哀想だよ! 命は大切にだよ!」
「しーっ!しーっ!」
そういえばディリシアには黒騎士の事は何一つ伝えていなかった。
彼女の目には黒騎士が自殺願望者のように見えたのだ。
大騒ぎしてディリシアの口を塞ぐが、時既に遅く、黒騎士は背後を振り返り、がちゃんがちゃんと鎧を鳴らしてこちらに近づいてくるのだった。
「何者だ、お前達」
「声が違う…?」
その黒騎士は、ジャスバルの知る魔獣剣の使い手ではなかった。
▽
「私の名はアレス。かつてローランド伯家の聖騎士と呼ばれていた」
「冗談きついな」
思っていた相手とは違ったが、ジャスバルとミレイは警戒をあらわにしたままだった。
アレスと名乗る黒騎士。
その鎧とマントは、魔物と人間の夥しい返り血によって、猛烈な死臭を漂わせているのだ。
面頬に隠されたその中身が、既に半ば死人であっても不思議ではない。
そんな風体で聖騎士とは。
「本当だ」
アレスは面頬を開け、顔を晒した。
金髪碧眼、青白い顔をした美青年だった。
「あら意外」
ミレイの好みのタイプだったらしく、口笛を吹いている。
「……だが、交易商人の一団を皆殺しにしたそうじゃねぇか」
「む…その件で私を追ってきた討伐隊か? ならばそれは誤解だ」
「どういう事だ?」
「魔獣ユニコーンについては知っているだろう?」
「ああ、この先の泉に出るというが」
「ユニコーンの棲むという泉の水を飲めば、死の国へ行けるという。だが、生きたまま行く事はできない…。生きたまま行き、そして戻ってくる。その為には特別な聖なるオーブが必要という噂があったのだ」
「そういえば、確かにそういう噂があったような…」
「その噂をばら撒いていたのが、私が殺した交易商人どもだ。やつらは追い剥ぎのような連中で、死者を連れ戻したいと願う者達を噂でおびき寄せ、大金と引き換えに、何の変哲も無いオーブを売るという詐欺的な事をしていた。死者を惜しむ人々の悲しみにつけこむ薄汚いやつらだったのだ」
「……」
「私はやつらが嘘をついている事に気づいて、皆殺しにした。ただそれだけの事だ」
「それは…ちょっとやりすぎじゃねぇか?」
「そんな事はない」
アレスの目の光は力強く、病的に血走っていた。
「やつらは私の愛するリーンの死を利用し、リーンを生き返らせたいという私の思いを踏みにじったのだ。到底、許す事はできない! 死んで当然の連中だ」
「お前、やっぱちょっとおかしいぜ」
ジャスバルは賛同しかねるという風に、腕組みをする。
「ふん…ならばどうする?」
アレスが腰の長剣の柄に手をかけようとする。
「どうもしない」
アレスの問いに、ミレイが答えた。
「我々は先を急ぐ身だ。お前がどうしようと知ったこっちゃない。死の国へ行きたいなら行けばいい。リーンとやらを生き返らせたいんだろう?」
「そうだ…。私はリーンを生き返らせて見せる。オーブなどなくとも必ず! ……私の邪魔をしないなら、それで良い。さらばだ」
そう言って、アレスは踵を返し、森の奥へと消えていった。
「残念なイケメンだわ」
アレスが完全に見えなくなってから、ミレイは肩をすくめた。
▽
「ねぇ! ねぇったらー!!」
竜車の中で、ずっとディリシアが五月蝿く騒いでいた。
アレスを行かせてしまった事で、ジャスバルとミレイを批難しているのだ。
「やっぱりあの騎士様、可哀想だよ! 亡くなった恋人の為にジサツしようとしてるんだよ! 助けてあげようよ!」
「はいはい、情け深い巫女様は言う事が違うわね」
嫌味っぽく…ではなく、嫌味を言うミレイ。
「いい、巫女様? 私達は先を急がなきゃいけないのよ? 余計な事に関わっている暇はないの! それ以上に、余計な事に関わって貴女を危険な目に遭わせたくないの! 分かるでしょ?」
「分かんないよ」
普段は泣き虫で寝ぼすけでおっとりしている癖に、言い出したら強情なディリシア。
「ジャスバルもミレイも薄情だよ! 私達、世界を救う前に、目の前の一人の人間も助けられないなんて、そんなのおかしいよ!!」
「ふぅ…どうする? ジャスバル」
「俺に聞いちゃう?」
ジャスバルはにやりと笑う。
答えを察して、ミレイは大きな溜息をつく。
「幼馴染だぜ? 泣く子とディリシアにはかなわない」
『…ジャスバル』
「ん、どうした」
それまで無言を貫いていた喋る剣・エアルドが呟く。
『邪悪な気配がする』
▽
エアルドの不吉な予感は当たっていた。
ジャスバル達が森の奥へと進み、ユニコーンがいるという泉へ辿りついた時。
そこにはアレスだったものが、先程出会った時よりも遥かに強烈な死臭を漂わせ、異様な変貌を遂げていた。
「あれは…魔獣剣!?」
馬面の柄に、
ユニコーンの魔獣剣を手にし、禍々しい気配を何倍にも膨らませた黒騎士アレスだった。
突然、アレスはめちゃくちゃに魔獣剣を突いた。
すると、側にあった木々が大砲で吹き飛ばされたように薙ぎ倒されていく。
「……!!」
とんでもない破壊力に、ジャスバル達は息を呑む。
まともに刀身が触れていなくても、その突風だけで体がバラバラに引きちぎられてしまう威力だ。
『ジャスバル。あれはもう人間ではない。魔人だ』
「魔人…」
『今、ここで倒さねば、人々に大きな災いとなるだろう』
「やるしかないってのか…」
『大丈夫だ。私がついている…』
エアルドがいつになく燃えていた。
魔獣剣という物への対抗意識があるのだろうか。
「やるぞ、ミレイ」
「仕方ないわね」
ミレイも銃を構える。
▽
結果から言えば、激闘の末、ジャスバル達はアレスを倒す事に成功する。
後味の良い戦いなど一度もないが、これまでで最も後味の悪い戦いだった。
理性を失って暴走するアレス。
そのアレスの首をエアルドで撥ねるジャスバル。
だが、アレスは首を失っても動きを止めない。
体を膨張させ、黒い鎧を弾き飛ばし、醜い肉の塊となってしまう。
とても人間だった物とは思えない姿。
溢れ出る膨大な魔力は、人間の体では制御できなかったのだ。
アレスの体からは絶え間なく黒々とした煙が立ち上っていた。
その黒い煙には一つ一つ人間の顔があり、まるで意志を持っているかのように泣き声を挙げていた。
アレスは、頭部を失っても尚、恋人リーンを求めて泣き叫んでいたのだ。
エアルドでずたずたにアレスの体を切り裂く。
それでも肉塊の一つ一つが動き回る。
ミレイが肉塊を結晶弾の銃で撃つが、それも有効ではなかった。
泉の水を飲んだアレスの体は生きながら死んでおり、どんなに切り刻んでも撃っても動きを止めない。
死の国へ行く事ができるとは、生死を超越した存在になる事だったのだ。
最後の最後は、泣き叫ぶディリシアが魔力を暴発させ、アレスの体を跡形も無く消し去る。
巫女の力だけが、暴走する『魔獣』への唯一の対抗策だった。
▽
竜車に揺られながら、ジャスバルも、ミレイも無言だった。
ディリシアは全魔力を放出したため、すっかり疲れ果てて眠っている。
だが、疲れているのはジャスバルとミレイも同じである。
「聖獣と魔物の違いって分かる?」
突然、虚ろな目をしたミレイがそんな話を振ってきた。
「……聖獣ってのは神様の仲間だろ? んで、魔物は動物の強いやつ?」
ジャスバルは自信無げに答える。
「実は、どちらも本質的には変わらないものなの」
ミレイは語る。
「元はただの動物だったものが、魔力を帯びた結果、高い知能を得て人語を解したり、凶暴な姿になったりしているのよ。さっき見た『魔獣』は、今迄倒してきた『聖獣』と同じぐらい強力で…だから、ちっぽけな人間の器では魔力を制御できず、魔物のようにただ暴れ回るだけの存在になった」
「じゃあ、『聖獣』って…」
「何を器としているのかは分からないわ。魔力を制御できており、高い知能と人語を解するゆえに、敬われる存在となった」
「話が見えねぇんだが…」
「聖獣が何故、強大な魔力を制御し、高い知能と人語を解する事ができると思う?」
ジャスバルは竜車を制御する手綱を止める。
竜車が動きを止める中、ミレイは静かに語る。
「巫女の血と肉を食らったから、聖獣は聖獣としていられるのよ」
「そんな事だと思ってたぜ…」
「あら、驚かないのね」
「少し考えたら分かる事だ」
「そうね。あとついでに言えば、だから『旅の途中で』死なれては困るのよ。世界を救うには、必ずいずれかの聖獣に、巫女の血と肉を捧げなければならない。でなければ、聖獣は次の生贄が捧げられるまで、無秩序に暴れだしてしまう」
「くそったれ!」
「そうね、くそったれだわ。だから、これは巫女の力を覚醒させつつ、より上等な生贄を捧げるための旅」
「だが…聖獣を全て殺せば、そんな馬鹿げた制度はなくなるんだろう? 世界は救済される!」
「そうね。今迄、誰一人として成し遂げられなかった事だけどね」
竜車は進む。
次の大聖堂の町を目指し…。
【あとがき】
割とシリアスな話になってすみません。
あと、「カサシン」とノンストップ先生のプロットに出てきた「ガレット」は扱いに困ったので未登場にしてます。ぶっちゃけいなくても大して支障なかったので。