●8
桃太郎はなかなか腕の立つ男でした。桃から生まれただけはあるといった具合です。よとぎの加護を授かった得物の切れは鋭く、鬼たちはバサバサと斬り倒されてゆきました。しかし、倒しても倒しても、鬼たちは湧いて現れるのでした。
「キリがないね」
桃太郎の体力も際限なし、というわけにはいきません。
「いちいち鬼の息の根が止まるまで付き合ってやるのも面倒だ」
桃太郎は一匹の鬼とチャンバラしながら考えていました。鬼の隙をついて袈裟懸けに斬り伏せると、血を流しすぎて戦闘不能に陥った鬼に背を向けます。
「おい、猿よ。お前はさっきからなにも働いてないから、仕事をくれてやる。ほら」
桃太郎は腰に佩いていた脇差を、猿にむかって放り投げました。これで鬼にとどめをさせと言うのです。
「そこに寝転がってるやつがいるだろう」
「……、は?」
「ここで取り逃がしたらまた悪さをする」
ここに至るまで鬼の屍を累々積み上げてきた桃太郎の妖刀が、鬼の青い血でぬらぬらときらめきます。
「いや、そりゃ、そうかもしれないですけど、……」
桃太郎は眼を血走らせて、さらには血濡れの刀を手にしていましたから、兎に角猿の浅知恵程度ではぜんぜん間が持たないのでした。猿はこれまでに何度も感じていた嫌な予感をまた思い出しました。
「言うとおりにやれよ」
鞘に納められたままの脇差を手に、先ほど桃太郎が斬り伏せた鬼が、虫の息で寝転がっています。深く傷を負い、夥しい量の血液にまみれています。素人目にも命が助からないのは明らかです。
猿は体調が悪くなってきました。喉の奥からこみあげてくるものを感じましたが、無理矢理に呑み込もうとしました。
「やっぱり必要ないんじゃ、――」
猿が振り返りしなにやんわり断ろうとした瞬間、猿の耳元にひやりとした風が吹きます。桃太郎の振り下ろした刃が猿のこめかみ辺りにぴたりとあてがわれていました。
「やれつったらやれよ」
遅れて、首筋を伝うものを感じました。鬼の血が刃を伝ったものかと思いましたが、だんだん耳の付け根が熱くなってくるのを覚えました。自分の耳からも血が流れているようです。
「うう、……」
猿は尚のこと気分が悪くなってきました。鬼ヶ島上陸してここに至るまで、猿は鬼との戦闘に進んで参加したことはありませんでした。いつも怯えて逃げ回るだけだったのです。
「わ、わかりましたよ、……」
「だったら手を動かせ」
そう答えても桃太郎は得物を降ろさないままだったので、猿はぎこちない動きで耳元の刃から逃れます。身を翻すと桃太郎に背中を強く蹴飛ばされ、つんのめって転がるのをなんとか持ちこたえると、目の前には、瀕死の鬼が巨体をあお向けに倒れていました。
猿は上陸のときのことを思い出していました。そこには鬼の集団が待ち構えており、大きな混乱になりました。鬼が振り回す金棒で犬は早々とのしにされ、雉はいつの間にか飛び去って逃げてしまいました。鬼の射る矢が海上の雉の影を追いましたが、その後どうなったか猿はよく知りません。桃太郎のお供で残っているのは、今では猿が一匹だけです。
猿は、鬼に大したうらみはありませんが、鬼の凶暴な性質はよく知っているつもりでした。このまま放っておけば何をするか、確かに桃太郎のいうとおりかもしれないと思います。ですが、もともと殺戮行為に加担したくなかったのも手伝って、どうしても脇差の鞘を抜く気にはならないのでした。
背後からは桃太郎の視線を感じます。その感覚は、振り向いただけで斬り殺されてしまいそうな殺気を伴っています。
●
●……
●
●1
むかしむかしのお話です。
あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
ある日の朝のことです。
いつものようにおじいさんは山へ芝刈りに、
同じくいつものようにおばあさんは川へ洗濯に行きました。
おばあさんが川で洗濯をしていると、
川の上流から大きな桃がどんぶらこ、
どんぶらこと流れてくるのを見つけました。
「大きな桃だ! おじいさんにも見せてあげることにしよう」
おばあさんは流れから桃を取りあげると、家に持ち帰りました。
「これは立派な桃だなあ」
家に帰ったおじいさんは桃を見ると、そう言ってため息をつきました。
「甘いといいが」
おばあさんはおじいさんに包丁を差し出しました。
「さっそく切って、食べてみましょうよ」
「そうしよう。トェェェェイ!」
おじいさんが桃をまっぷたつに切ってしまうと、桃は半分ずつに分かれて、両側にころんと転がりました。
「えっ」
「まぁ」
おじいさんとおばあさんは、同時に声を上げました。
二つに割った桃の中から、丸々とした元気な赤ん坊が転がり出てきたので、ふたりはとても驚いたのです。
「あらあら、可愛らしいこと」
おばあさんは赤ん坊に近寄って、赤ん坊を抱き上げました。
「名前は何にしましょうか、おじいさん」
おじいさんは数回、目をぱちぱちさせたのち、こう言いました。
「怪我はしてないかい、ようく見とくれ。なんせ包丁がその子のすぐそばを過ったんだから」
おばあさんはカカと笑って、言いました。
「大丈夫ですよ。怪我なんかどこにもありません」
おじいさんは安心しました。
「そうかい、じゃあ、その子の名前は桃太郎だ」
命名の由来は、桃から生まれた男の子だから、というわけです。
●2
その後、桃太郎はすくすくと育って、大きくなりました。
桃太郎はある日、人々を困らせている悪い鬼たちの話を耳にしました。
勇敢な桃太郎は、世のため人のために鬼退治の旅に出ようと思い立ちました。
桃太郎は家に帰るとおじいさんとおばあさんにそのことを話しました。
おじいさんは桃太郎の旅支度を手伝うことに決めました。
その間、おばあさんは押し黙って、寂しそうに背中を丸めていました。
やがて出発の日となりました。
おじいさんは晴れ晴れとした気分で、桃太郎の旅の武運を信じて疑いません。
おばあさんはその日いつもより早く起きて、桃太郎のためにお弁当を作っていました。
そしておばあさんは、お弁当と一緒にきびだんごを桃太郎に手渡しました。
「なにかのときには役に立てておくれ」
そう言って、おばあさんは念を押しました。
「無事に帰ってきておくれよ」
桃太郎は、今ではずいぶん背が大きくなっていて、育ての親のおじいさん、おばあさんのふたりを、すっかり追い抜いていました。
桃太郎はふたりに別れの挨拶をして、くるりと背を向け、歩き始めました。
桃太郎は一度も後ろを振り返りませんでした。
●3
桃太郎は鬼ヶ島へ向けて街道を行きました。
途上で三匹の動物に出会います。
犬、猿、雉の三匹は、人語を解し、それぞれ桃太郎が腰に提げたきびだんごに興味をもったようです。犬が訊きました。
「桃太郎さん、きびだんごとやら、ひとつ私にくださいませんか」
桃太郎はこう答えました。
「だめだ。ただし、どうしてもって言うんなら、一緒に鬼退治についてきてもらおう」
犬は、曖昧な表情で訊き返しました。
「鬼退治って、はっきり言うとなにをしたらいいんです」
桃太郎は犬にも分かるような言い方を心得ていました。
「鬼を襲って、殺すのだよ」
犬は答えました。
「お安いご用の気がしますな」
桃太郎は犬にきびだんごを放って寄越しました。犬は機敏に顎を動かして口に咥え、だんごを咀嚼しました。
●4
犬は桃太郎の傍に立ち、猿に言いました。
「おい、猿。そこをどけ。桃太郎さんが通るのに邪魔だ。それに、くさいんだよ、お前。早く向こうへ行け」
猿は卑屈に犬を睨んで、犬のことは無視して、桃太郎に訊きました。
「桃太郎さん、鬼退治の話はともかく、きびだんごをひとつ、私に恵んでもらえませんかね」
これを聞いた桃太郎は顔をしかめ、ぶっきらぼうに答えました。
「ただでという訳にはいかないな。それにきみは、なんだか狡くて嫌味なやつのようだから、別に私と一緒についてきてくれなくてもいい」
犬はこれを聞いて、げらげらと笑い転げました。
「猿よ! あわれなやつめ」
猿は顔では笑いながらも、腹のなかは煮えくり返らんばかりの心地でいました。なぜなら桃太郎と猿は、お互いに初対面だったのに、ひどい言われようだったからです。
「それは耳が痛い。ですがあなたも、いかにもお人好しで、それに世間知らずだ。鬼ヶ島へ鬼退治に行くなんて絵空事を、意気揚々と成し遂げる気でいらっしゃる。無惨に腕を引きちぎられて、痛がっているところを取り押さえられ、生きたまま喰われてしまうのが関の山でしょうよ。鬼に人間がつくった刀は通用しないと言いますからね。その腰の大小も、やつらの前ではたけみつに過ぎない」
桃太郎はこれを黙って聞いていましたが、犬が突然、大きな声で吠え、唸りました。
「それ以上桃太郎さんをこけにするつもりなら、鬼の前に一匹、お前を噛み殺してもいいんだぜ、猿よ。準備運動にもなりはしないだろうがな」
猿は大げさに身震いして、言いました。
「おそろしい事で。きびだんごも戴けないようなら、私はねぐらに帰ることにしますよ」
猿はきびすを返そうとしたところでしたが、そこを桃太郎が呼び止めました。
「待った、きみ」
猿は肩越しに顧みると、猿の視界を何かがさえぎり、直後、視界が真っ暗になりました。猿の目に涙がにじみます。猿はいったい、何が起きたかすぐには見当がつきませんでした。
桃太郎の声が耳に聞こえてきます。
「礼代わりさ。鬼には刀が通用しないなんて知らなかった。もうひとつ欲しかったら、じゃあどうやったら鬼を成敗できるのか、教えてくれないかい」
猿は自分の顔面に投げつけられたものを、地面の上に見つけました。
「もったいない」犬が言います。「せっかくのきびだんごが、すっかり泥にまみれてしまった」
猿は言葉を失って、ぼうぜんと、地面に落ちた泥団子をじっと見つめます。じっと見つめて、ものも言わないお地蔵様のようになってしまいました。
「おい、食わないんなら、おれが食ってやってもいいんだぜ。おれは食い物に泥がつこうが、関係なしに吞み込むからな」
猿は犬にからかわれても、眉のひとつも動かそうとしませんでした。
●5
桃太郎は猿から話を聞くのをあきらめて、今度は雉に声をかけました。
「雉さん。きみはなにか良い話を知らないか。鬼退治がこう、ずっと簡単になるようなさあ」
雉はもともと丸い目を用心深くすがめて、まず最初に釘をさしました。
「桃太郎さん、われわれの仲間たちはもともと、べとべとしたものにあまり良い印象を持っていないんですな。お腰に提げたきびだんごはそれは、人間のあなたたちには甘露な食べ物かわかりませんが、私にとってはそれほどでもありません。ようするに、私はきびだんごが欲しくもなければ、鬼退治なんかについて行くつもりもないんですよ。ましてや、猿くんのようにひどい仕打ちを受けるのもごめんです。当然、鬼に関するあれやこれやを知っているはずもないというわけです」
桃太郎は雉の話を聞くと、むっとして言い返しました。
「そんなことを言っていると、すぐにでもマタギを呼んできて、きみなんて鉄砲で撃ち殺してしまうぞ」
雉は恐ろしくなって、震えました。
「無体な」
桃太郎は調子にのって続けました。
「やかましい。そうなりたくなければ、言う通りにするか、それか鬼退治についてくるかの、どちらかひとつだ」
雉はうんざりしながらも、反論しました。
「ですから、私は鬼に関することなんか、ひとつも知らないと言っているじゃありませんか。鬼退治について行くつもりもありませんよ」
桃太郎はしたり顔で再度、訊ねました。
「では撃ち殺されるつもりか」
雉はうんざりして投げやりに言いました。
「わかりましたよ。私も鬼退治についていきますよ」
犬は雉を励ましました。
「なあに、鬼退治なんて、そう難しい話じゃないさ」
雉は犬の背に飛び乗って、足を折りたたんでうずくまりました。
「あなたはうまく乗せられているだけですよ」
桃太郎は雉にきびだんごを分けてあげました。鬼退治についてくるのなら、うけとる権利があるというのです。
雉はきびだんごを見つめながら独りごとを言いました。
「どちらにしろこれを食べる気にはならないのだ」
雉はいつまでもぼんやりしている猿に声をかけます。
「猿くんきみはいつまでも泥団子をみつめていないで、群れに帰りなさいよ。ついでにこれを持って行きなさい」
と言って桃太郎のきびだんごを右から左に猿に渡しました。
「私は隙を見て逃げ出すことにしよう」
雉はくびを羽のなかに埋めながら、ぼそぼそとつぶやきました。
●6
桃太郎はきびだんごの入った袋を覗きながら言います。
「そろそろ行こうか鬼ヶ島」
雉を背にのせた犬と、桃太郎たちが歩き始めました。
「鬼ヶ島ってここからどれくらいかかるんです?」
犬が訊きました。
「さあ、それは詳しいひとに訊ねてみないかぎりわからんな」
桃太郎たちはそんなことを話しながら街道を向こうに歩いていきます。
置いてけぼりの猿は雉からもらったきびだんごを片手に、長いあいだぼうっとしていましたが、やがて手の中のきびだんごを口に放り込み、ろくに噛みもせず呑み込んだあと地面の泥団子も手にとって食べてしまうと、犬や雉と一緒に桃太郎の鬼退治について行くことを決めました。
猿が桃太郎たちに追いついて、そして同行すると言い出したとき、犬はわんわんと吠え立てましたが、桃太郎はとくべつ何を言うこともありませんでした。
「よろしくたのむ」
と桃太郎は猿に言い、猿は、
「こちらこそ」
とにやにや笑いながら答えました。
じつを言うと猿はこのとき、すきあらば桃太郎の寝首をかこうと決意していたのですが、今は猿のほかに、このことに気付いているものは誰ひとりいないのでした。
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