Neetel Inside ニートノベル
表紙

滅神時代に生まれました
16.神母さま

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 僕らの番になった。お堂の前に立つ暗視ゴーグルを着けた神官服の少女(ふもとにいた子とは別人のようだ)が「どうぞ」と手招きをした。僕と森崎さんは頭を下げて、中に恋咲を運び込む。
 ……うわ。
 お堂の中は、どうして外へ聞こえなかったのか不思議なくらいに、呪文の囁きの渦になっていた。壁際には段が組まれ、フードをかぶった神官たちが一心不乱に何かを唱えている。それが一瞬で僕の三半規管をカオスへと引きずり込み、思わず倒れ込みそうになった。森崎さんに支えてもらって、なんとか立てた。
「これは……」
「しっかり。大丈夫、すぐ慣れるよ」
 暗視ゴーグルを外した森崎さんが言った。僕もそれに倣う。
「奥に……」
 神官に促され、僕たちは先へと進んだ。
 仏像……ではなさそうだ。狐だろうか、狼だろうか。なにかの獣頭人身の巨大な神像が鎮座させられている前に、布団が敷いてあった。なんとなくミスマッチ、サイドテーブルにお水と市販薬なんかが置いてあって、そこだけ生活空間バリバリだ。そこに、おばあさんが一人横たわっていた。
「神母様だよ」
「神母様……」
 おばあさんは、少しふっくらとしていて、銀髪だった。べつに不健康そうでもなく、ただ横になっている。その眼が少しだけ開いていた。が、光が宿っていない。
「男の子かえ?」とおばあさんが言った。僕は「はい」と答えた。
「すまねぇなぁ、目明きじゃねっから、このままで堪忍してくんろぉ。……ヤオヨロズ様、こっちゃへちかあよっちゃくれまっかあ?」
「恋咲、こっち来い的なことをこのおばあさんが仰せだ」
「う、うん……」
 恋咲はこの場で一番偉いはずなのだが、ガチガチに緊張していた。無理やり舞台に引きずり出された大根役者のように、右、左、とよちよち膝で神母様にずりよっていった。確信があるが、りんごちゃんさんのバイトの面接を受けた時もこれほどまではガチガチになっていなかっただろう。
「あ、あの……」
「…………」
「えっと……誰?」
「神母を務めさせて頂いておりますぇ……本当の名ばあ、忘れましたけん、神母でご勘弁してくれらっしゃろ……?」
「え、ええ。それはいいのだけれど……」
 どうも恋咲が引っかかっているのは、そういう決まりのことではないらしい。が、神母様はそんな恋咲を知ってか知らずか、にゅっと手を伸ばして祭事を始めてしまう。
「よかですか、お手……」
「あ、う、うん」
「では……」
 神母様が恋咲の手を握る。恋咲は照れくさそうに身じろぎしたが、どうもおばあさんの手は思った以上に力強く、恋咲を捉えているらしかった。そのまま神母様は薄く目を閉じて、
「我岩似女、我捧青血、故我求力、以空起地、真心願君……」
 また、あの例の呪文を囁き始めた。少し、森崎さんのとは違うようだった。そしてその呪文が加速していくうちに、周囲に奇妙な気配が漂い始めた。草のにおいがする、風の流れが起こる。見上げると、お堂の中に緑色の毛のようなものが旋回し始めていた。それは周囲の段にいる神官たちから、あるいは布団に横たわっている神母様から少しずつ漏出しているように見えた。緑色の毛、いや光は、ぐんぐんぐんぐん渦を巻いて僕らを取り巻き始めた。
 夜空を早回ししているようだった。
「森崎さん、これ……」
「しっ。黙ってて」
 腰をつねられた。おとなしくする。
 僕らが見ている前で、
「あっ……んっ……」
 緑色の光が恋咲に、ひゅおんっ、と吸い込まれていった。そのたびに恋咲は「あんっ」とか「にゃっ」とか淫らに喘ぐので僕は唇の中を少し噛み千切って理性を保たねばならなかった。鎮まれ、僕の青春……!
 と、
「こわいの?」
「!!」
 僕は背後を振り返った。が、そこにはただお堂の扉と、それを守る神官が一人立っているだけだった。ほかには誰もいない。だが、今、確かに僕に呼びかけた奴がいる……いるはずだ。
 こわいかって?
 いやいやこわいでしょ。そんなもんこわいに決まってる。なんだかよくわかんないばーさんが呪文を唱え始めたら緑色の風魔法が発動したんだぞ! 僕はいったいどうすればいいんだ。ビビったフリして森崎さんに抱き着こうとしたら肘鉄を喰らうし、恋咲はいよいよ「あふぁぁぁぁぁぁ!」と絶頂へ辿り着こうとしているし、ビビればいいのか笑えばいいのかもわかんないし! なんだこれは! 責任者出てこい! うおおおお!
 ……なんだかえもしれぬ何者かに呆れられているような気配を感じながら、僕はその儀式が終わるのを待った。
 終わる時は、静かに終わった。
 ゆっくりと風が止み、呪文の囁きが低くなり、消える。あとには髪がボッサボサになった恋咲と、柔らかい微笑を浮かべた神母様が残された。
「……おしまい」
 ちょっといたずらっぽく、神母様が言った。
「気分は、どうでっしゃな?」
「え、ああ、うん……」
 恋咲は両手をニギニギして、尻尾をフリフリ、耳をピコピコ。
 毛艶がよくなっている。
「大丈夫、だと思う」
「そうでっしゃか……よかよかなあ」
 老婆は安心したように吐息をついた。
「…………」
 そんな老婆の顔を、じっと恋咲は見つめている。何かを思い出そうとしているかのように。
「では、恋咲様。後がつかえていますので……」
 と森崎さんが手を伸ばすと、珍しく恋咲は「ぱしっ」とそれを無碍にした。そしてばっと老婆に飛びかかる。恋咲が狂った、と僕は大慌てで彼女を羽交い絞めにしたのだが、
「サヨ!」
「は?」
「サヨなの!?」
 恋咲は神母様のことを「サヨ」と呼んだ。
 サヨって……確か恋咲の……
「サヨ!!」
「……恋咲様」
 と神母様は言った。
 恋咲はすがるように、迷子の子供のような笑いを浮かべて、老婆の身体を揺さぶった。
「サヨ? サヨなんでしょ?」
「さあ……むかしの名前ば、忘れよっちまったからにぃ。ごめんなさいなあ」
「……サヨ……」
 神母様はお堂の天井を見上げている。高く、暗く、そこには何もない。
「わたいに言えることは……もうなにもありゃせんでな……」
「そんな……」
「覚えているのは……」
 震える枯れた手を伸ばし、
「あンの頃は、光があったんだっしゃあ」
「……光?」
「あぁ……そんこら中になあ……そいはとてもとてもきれいで……いい気持ちで……貧しかったけんどぉ、天国っちゅうんは、ああいうごちのことば言うってぇ、にーちゃんと語ったあ……」
 神母様が、恋咲を曇った目で見た。
「どうか、長生きしてくだせぇ……それが我らの願いだっしゃあ……少しでも……生きちゃあて……」
「サヨ……」
 それきり、老婆は目を閉じた。
「……次の神さん、呼んでくだっしゃあ……」

 ○

 僕らはお堂を後にした。恋咲は意気消沈している。が、もうすっかり力は復活したようで、自分の足で歩けるようだ。暗視ゴーグルなしに、僕らの先をトントントトン、と歩いていっている。このままだとハグレそうだが、たぶん下のコンビニかどこかで待つ気なのだろう。それならそれでいい。
 僕は隣を歩く森崎さんに尋ねてみた。
「……どうしてなんだろうね」
「平和のためだよ。決まってるじゃん?」
 森崎さんは間髪を入れずに答えた。僕はチラッと彼女に暗視ゴーグルを向ける。
「……平和?」
「そうだよ。私も一応、家が秘事師の家系だからこんなことしてるけど、でも本当は分かってるし。正しいのは絶対神カルドで、彼女がいないとこの世界は上手く回らないんだって。だからどんなに忘れ神が可哀想でも、……助けることなんて出来ない。いずれ、絶滅する」
「……どうにもならないのかな、本当に」
「どうにかしたいと思える? 明日がどんなに苦しいものになるかわからないのに、そんなものに自分の未来や生活を委ねられる? どれほど光り輝いていたって、いつ消えるかわかりもしない幻に……人はそれほど愚かじゃないし、そういうふうにもなれないよ」
「愚か?」
「そう、愚かだよ。違う? 綺麗なもののために全てを犠牲にするなんて……」
「そうかな」
 僕は夜空を見上げた。暗緑色の、どこまでも曖昧な空だった。
「僕はそうは思わない。いろんな神様のいることの、どこがそんなに悪いんだ?」
 森崎さんは何も言わなかった。
 たぶん、全部察していたんだと思う。
 そういう人だ。

 こうして僕は、ちょっと不思議なお祭りに参加した。
 射的も焼きそばも無かったけれど。
 それは忘れられない、お祭りだった。

       

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Neetsha