滅神時代に生まれました
あとがき
遅れましたが、あとがきです。
いやー、なんか賞に応募してるって言ったら急にお通夜モードになっちゃって、「そんなにだめかなあ・・・」などとこっそり凹んでいる顎です。
まァ確かに「スゴいぜ! 大賞だぜ! もうガンガン売れちゃうぜ!」って感じの雰囲気の作品じゃないよね。
でも、俺はこれを書いてよかったと思ってます。融合症候群の時も同じこと言ってた気がするけども。
賞に落ちたからもう世も人もない、自分の作品は駄目なんだ、とか俺は思わないタイプだしね。
頑張って駄目なら仕方ない、負けて死ぬならそれでいーじゃん、という気持ちがするのです。
まァ賞のことはいいのです。
やっぱ賞の話になると「この顎とかいうやつ、結構やるのに受からないな…」みたいなことを思い出してみんなブルーなんですかね。
大丈夫! 受賞しなければいつまでも俺の話はタダです。
そんなことより、俺はこの『滅神時代』の話がしたいのです。
完結させたところ、やっぱり唐突じゃ~という意見が結構コメント欄以外の場所でもかなり寄せられました。
俺もちょっと話の運びが早いかな~とは思ったんだけどね。終わらせちゃった。
着地点は決まってたから、そこへ辿り着ける最低限のシーンが埋まったら、ついついそこへ飛んじゃうんだよね。
まァ読んでる方からしたら「お前は分かってても、俺らはまだ分かってねぇよ!」というのは至極ごもっともなので、そこはちょっと反省。
次からはもうちょい長めにスパン取ろう……
でも俺は結構、せっかちだから、あっさり読めてあっさり終わる話って好きなんだよね。
短くまとまってて、「だいたいこんな感じだった」って軽くあらすじを諳んじられるくらいがちょうどいい。
映画でいうと90分映画で、ぼーっとしてるとあっという間だけど、ちょっと腰据えてればまあまあ疲れない程度に終わるのがいい。
ゴトケン先生にレビューで起承転結の時間配分してるのバレたのは驚いた。あと天条も面堂を意識したのバレてた。
この滅神も、そんな感じでサクサク書けて、本人としては満足なのです。
これで75000字くらいだから、それでも結構本にすると分量はありそうなんだけども。
やっぱりページ枚数が見えないとみんな結構がっつり読んでくれるみたいですね。電子書籍やりたい。
最近、俺は明るい話をよく書くんですけど、この滅神も明るい話として書いたつもりです。
「なんだこりゃ、バッドエンドじゃないか!」と結構言われたこのエンディング。
俺はハッピーエンドだと思ってます。これが言いたくてこのあらすじ書いたのだ。
確かに燈七郎は絶対神に見捨てられ、恋咲と逃避行に出ました。
お金とか仕事とかないです。まだ高校生です。見つかったら「たたたたん」かもしれません。
でも、これでいいと思うんだよね。
これがバッドエンドだって言われた時、俺が思ったのは「え?」だった。これのどこがバッドエンドなんだろう、ってのが素直な気持ちだった。今でもそう思ってる。
俺は自分の作品で大事だと思うのは、『しあわせになること』ではなく、『自分の意見を最後まで貫けること』だと思うんだよね。
この滅神も、べつにみんなを最後に不快にさせたいからわざと最初のほうに明るくしてたんじゃなくて、本当に明るい話だと思って書いてたのね俺。
だってこの話、ずっと「何も考えなければ、見捨てればしあわせになれる」っていうゴールを燈七郎に与え続けてるから。
恋咲を拾わなければ、反逆者にはならない。
恋咲を見捨てれば、反逆者にはならない。
忘れ神が「たたたたん」されてても、上沢さん可愛いなとさえ思ってれば何事もなくデートできる。
この作品は、ずっと、「何も考えなくていいんだよ、無視すればいいんだよ」と燈七郎に言い続けてた話運びをしてた。
そして、みんな心のどっかで「そりゃそうだけど、何か違うな……」って思ってたんじゃねぇかな。
それは、たぶん燈七郎も同じことを感じてたと思うんだよね。
「なんか違う、理屈はわかるけど、これってやっぱりおかしい」……それは燈七郎が感じた素直な気持ちで、この150kbのシナリオの中でずっと彼の心の片隅にあることだった。
だから、『唐突だ』と言われたエンディングも、彼のそれが爆発する機会がいきなり来ただけで、たぶんどのタイミングでも、包囲されたら燈七郎は恋咲と逃げたと思う。
だから、確かに作品としての『品の良さ』としては、唐突なエンディングで雑なんだけれども、『シナリオのテーマ』としては、俺はそれほどズレたことはしてないと思ってる。
で、燈七郎は逃げた。
『自分の中にあった確かな気持ち』を自分の生命とか未来よりも優先した。
『しあわせになること=しあわせにはなれないこと』だと断定して切り捨ててしまった。
これって、すっげー俺の主人公らしい行動だと思うんだよね。
俺、ギャンブル小説って書かなくなったけど、こういうところって変わってないと思うんだ。
たとえば、滅神時代とは逆に「ハッピーエンドでガッカリした」と言われた、『あの世横丁ぎゃんぶる稀譚』という作品があるんだけれども、この作品の中で幽霊の主人公は最後にヒロインの飛縁魔と結ばれる。
俺、『あの世横丁』ってバッドエンドな作品だと思ってるんだよね。
主人公張ってた門倉いづるは、『消えたい』と思って最後の勝負に挑んだんだけれども、作者の俺にもよー分かってない複雑怪奇なデウスエクスマキナが発動した結果、あの世の世界に残って可愛い女の子の妖怪と一緒になった。
でもそれは、『しあわせにはなれた』けど、『自分の中にある素直な気持ちを優先しなかった』ことだと思うんだよね。
だから、『消える』ことが出来なかったいづるは、どんなに幸せになっても、そう見えても、バッドエンドの主人公。
まァバッドエンドだから作品全体が否定される、というわけではなくって、いづるの中にモヤモヤした気持ちが残ったんだろーなってことだけなんだけれど。
でも、そういう見方をしていくと、やっぱり燈七郎はハッピーエンドの主人公だと思うんだよね。少なくとも逃げた時、燈七郎の中にあった『モヤモヤ』はなかったと思う。
それはいづるには出来なかったことなのだ。
俺は最近、こういう話の進め方をよくしてると思う。
たとえば『レギュレスの都』で出てきた蜜柑ちゃんも、燈七郎とポジションがよく似てる。
何も出来ないけど、でも最後に強い意見を持ってお話が終わるという位置。
べつにギャンブルが強いとか、魔法が使えるとか、そういうことはないんだけれども、それでもどこかに『強さ』があるキャラクターたち。
そういうのが書きたくて、最近こういうのよく作るんだよね。物足りなく見えるのかもしれないけど。
いづるの話が出てきたから捕捉すると、上沢さんは俺はとてもいづるによく似てるキャラだと思ってる。というかいま思った。
上沢さんは絶対神だから『なんでもできる』。
つまり、最初から幸せな人なのね。それ以上に得るものって、あんまりない。
天使とかにチヤホヤしてもらえるし、愛情も自由も権力も暴力も持ってる。
それ以上ってなると、それこそ燈七郎みたいなオモチャをゲットするくらいしかない。
なのに、最後に上沢さんは燈七郎に見限られちゃう。『自分の中にあった素直な気持ち』を挫折させて、燈七郎を追放する。
だから彼女も、『本当にやりたかったこと』を出来なかったキャラクターなんだよね。
だから『滅神時代』にバッドエンドがあるなら、それは上沢さんにとってのエンディングだと思う。
こういうところも、俺は明るい話で誤魔化してるけど、昔から似たようなこと書いてる。
『シマウマ』の頃だって、シマは誰にも負けない強さがあったけど、本当に欲しいものを手に入れられずに終わった(と思う)。
天馬は最初は弱かったけど、頑張っていろいろなんとかした。
これってやっぱり、俺の普遍的なテーマだと思うんだ。
この六年間、俺はこの軸を動かしてない。
そう考えると、この『滅神時代』も、とても『顎が書いた顎らしい作品』に見えてきませんか。
俺は俺らしい作品がとても好きで、だからこの『滅神時代』もとても気に入っているのです。
それは賞に落選したとか、ちょっとデキが悪いとか、そういうことではひっくり返らないくらい『俺の素直な気持ち』なのです。
そんな感じです。