ヒッチハイカーズ
まとめて読む
七月も下旬に差し掛かり、いよいよ夏本番というこの時期。公園には家族連れやカップル、立ち入り禁止の芝生でサッカーをしている大学生と思わしき集団を横目に、僕はベンチに座り、噴水とその奥に植林されている広葉樹の木々をじっと睨み付け大き目のスケッチブックに色鉛筆を走らせる。
ときおり遊具で遊んでいる子供たちが僕を奇異な目線を向けてくるが、これはスケッチをしているのが珍しい訳ではないだろう。今時。いや、昔から公園でスケッチをする人間なんてたくさん居ただろうし、僕も二十五歳なのでひょっとしたら美大生にでも思われているのかもしれない。
彼らの興味を引いているのは『西へ』という文字が大きく書かれたキャンバスを乗せた灰色のキャリーバックだろう。知り合いの書道家に一筆振るってもらったインパクトのある文字だけでも目を向けるのに、その文字が『西へ』としか書いていないのだから子供たちは意味が理解できない。
しかしキャリーバックに方角を示したキャンバスが乗っているのを見て、ある程度の年齢であれば察しがつくらしく、子供たちの両親やサッカーをしている彼らは僕に視線を向けることは無い。
そう、僕はいわゆるヒッチハイカーだ。
東京から約一週間かけて、絵を描きながらこの公園にたどり着いた。
いや、たどり着いたなんて言うとまるでこの公園が目的地に聞こえてしまうので素直に昨日乗せて頂いた方がここを紹介してくれたと白状しよう。
そもそも僕の目的地は東京から一週間程度で着ける場所ではなく、鹿児島だ。まだここは愛知県である。
色鉛筆画を専門にしている僕はピックアップしてくれた人に対して「あなたの好きな風景を教えてください」と訊き、可能な限りその場所で降ろしてもらっている。当然、見ず知らずの他人に乗せてもらったくせにそんな注文は失礼だと承知しているのでそれとなく、何気なく尋ねる程度で長距離ドライバーやビジネスマンには質問自体も投げ掛けない。
昨晩、僕を乗せてくれた夫婦はとても親切にしてくれて割と気軽に尋ねれたが、懇切丁寧にこの公園に対する想いと思い出を語られた時には少し困ってしまった。
誤解を恐れずに言うが、僕は人が好きになる風景だけを求めているわけでその場所へのこだわり、エピソードは必要としていない。僕の中で好きになる場所はイコールで素晴らしい景色になっているので、あの夫婦には悪いが、正直この公園はハズレだ。
それでもこの公園の風景を描いているのは、今回の旅におけるマイルールの『紹介された風景は本気で描く』というのがあり、それが紹介してくれたことへの礼のつもりでいるので例え連れられた先が犬小屋だったとしても僕は手を抜かず本気で描くことにしているのだ。
特に今回の夫婦はこの公園の風景画が描けたら画像データでもいいので送ってほしいとメールアドレスと住所まで僕に告げているからな。
「ふう……完成っと」
五時間以上ぶっ続けで描き続け、午後二時過ぎに絵は完成した。
この辺りの自治体が放送している「熱中症には注意して下さい」というアナウンスを無視し、水分補給もそこそこに描き続けたので思った以上に早く仕上がった。
淡いタッチの、色鉛筆だけで書かれた絵。いつも通りの僕の絵だ。
……一応、完成したことだけでもメールしておいたほうがいいかな。
そう思いスケッチブックをベンチの脇に置き、ベンチに放置していたスマートフォンのメーラーを起動する。すると新着メールを知らせるアイコンに『1』と表示されていた。
「あー……」
そのままメーラーを閉じてしまおうかと思ったが、どうせいつかは確認しなければいけないので、意を決して新着メールを確認する。
そこには『色鉛筆コンクール選考の件』と予測していた通りの文字が表示されていた。
少しぎこちないフリックで本文を確認するとありきたりな定型文で僕の作品が落選したという旨が記されており、僕は短くため息を吐いてメーラーを閉じる。
またか。
思わず声に漏れそうになったが、ぐっと飲み込み、かわりに大きく肩を落とす。
「別にプロになろうって訳じゃないんだけどなぁ」
そうやって自分に言い聞かせるが、どうしても落胆は隠せない。これで何度目の落選になったかは途中で数えるのをやめてしまったので分からないが、少なくとも十や二十ではない。学生の頃はそれなりに賞を頂いたことはあるが、一般部門になりプロやキャリアの長い人たちと比べられるようになってからは一度も入賞したことがない。
正直、なんで僕の絵が評価されないのかが分からない。入賞した作品と比べてみてもそこまで大きな差は無いはずだし、題材もかなり良いスポットを紹介して貰っているというのに。
自己贔屓だろうが、腑には落ちてこない。
「別にバリバリの写実的でもないのに」
僕の絵に対する審査員の評価は、ほぼ『無機質』や『鋭すぎる』で埋め尽くされる。
それは別の角度から見れば好評、つまりは僕の長所なのだろうが送っている賞はそういったものを求めていない。そもそも好評がニュアンスすぎて改善のしようがなく、送れども落選を繰り返しているのだ。
今回の旅で、入賞できる絵が描ければいいのだけれどなぁ。
僕はベンチから立ち上がり、スマートフォンをポケットに入れ両腕を天に向け、軽くストレッチをする。
ギラギラと身を焦がすような太陽の光に、うるさい蝉時雨。僕のどんよりとしたブルーな気持ちとは違い、入道雨が浮かぶ青空はうんざりするくらいに爽やかな青色だった。
僕は例のキャンバスの乗ったキャリーケースにスケッチブックをしまい、ヒッチハイクをするために公園を出ようと歩を進める。
夕方になると停車してくれる率がガクッと下がってしまうので、急いで国道付近まで出なければ。ヒッチハイクの旅では車が捕まらず野宿は当たり前だが、できるだけ移動はしたい。
別に先を急ぐ旅ではないというのに僕は一体、何に対して焦っているのだろうか。どこに進みたいのだろうか。
しかし、逸る気持ちとは裏腹に僕はその足を止めることになる。
公園から出て直ぐの道路。そこにファミリーサイズのキャンピングカーが、まるで僕を通せんぼするように、停車していた。
邪魔だな、と思いながらぐるっと車を避けて再び歩き出した時、車の反対側から大きな笑い声が沸いた。
キャンピングカーの所有者達だろう。ゴトゴトとなにやら物を降ろす音が聞こえ数人が喋り合っている声もする。
まあ何も気にすることはないだろう。
僕は足取りを止めず、キャンピングカーの後方を回り、さあ国道へ向かおうと一歩踏み出したところで―――
「は?」
足が止まってしまった。
いや、これは仕方が無いだろう。誰だってこの連中を見てしまえば驚く。
ドライバーと思しきデニムパンツに無地の白Tシャツの二十歳位の女性と、彼女の顔立ちが似ている小学生位の少女はまだいい。歳の離れた姉妹や若い主婦でも通用する。公園で遊んでいても何の違和感も無い。
しかし、キャンピングカーにもたれ掛かるようにしている女はなんだ?真っ黒な髪の毛が腰まで伸びて、なおかつそれは顔面を覆い隠すように前方にも垂れている。昔見たホラー映画を髣髴とさせる。その白いワンピースもまるで死装束みたいだ。
「お前、いい加減に髪切れよ。暑苦しいし公園ってより墓地にでも出没しそうな感じになってんぞ」
「…………」
「なんなら俺が切ってやろうか?」
「…………」
そんなホラー女に対して正論を言っている五十代位の中年。いや、言ってることは正しいけれどもお前の格好も公園に現れる人間としては間違っているだろ。
ピッチピチのケミカルウォッシュのジーパンに、上半身は素肌にノースリーブのデニムジャケットって。
ティアドロップのサングラスって!
「ほーら、イモ。公園だぞー!」
「こうえんー!」
突っ込みどころしかない二人を放置して、ドライバーと少女は元気よく公園へと駆けていく。僕のことなど気にも留めずあっという間にさっきまで僕が座っていたベンチ辺りまで走っていた。
残されたホラー女とケミカルウォッシュはそんな彼女たちを見つめた後に、レジャーシートやビニールボール、そしてなぜかギターを背負って彼女たちに続いて公園に向かおうとする。
この連中と関わり合ってはいけないと、すでに複数上がっている突っ込みと抗議の気持ちを押し殺してゆっくりと脇をすり抜けよう。
僕は一瞥もくれずにキャリーバックを引いたその時「おい」と肩を捉まれた。振り向きたくなかったがこのまま去り行く勇気も無い僕はまるで錆付いたロボットのように首を回す。
僕を引き止めたのは、ケミカルウォッシュだった。
「もしかして、お前もヒッチハイカー?」