Neetel Inside ニートノベル
表紙

Thanatos
第一章 覚醒

見開き   最大化      

 
 
「おはようございます、ワタル」


目を覚ますと、知らない女の子が俺を見下ろしていた。




「……」

喉がかすれて、上手く声が出せない。

まるで何ヶ月も水を飲んでいないように。



視界をめぐらせる。

研究室のような部屋のベッドに、俺は横たわっているようだった。



「心拍数正常。各種臓器正常。視覚反応有り。聴覚も問題なし、っと」

彼女は、「ふう」と一息つくと、ベッドの横に置かれたコンピューターを操作し始める。


そして俺の頬に手を差し伸べてきた。
朦朧とした意識の中に、電流が走るような感覚が広がった。

「痛覚の反応もあるようですね」

今、ほっぺをつねられたのか、俺……。



「覚醒プロセス完了。これから通常の酸素へと切り替えます」

酸素マスクのような機械を取り付けられているのに気付く。


「こ、ここ、は……」

かすれた声を全身で振り絞った。


「もしもし、あなたは自分が誰だか解りますか?」

彼女は首をこっちに向けてそう問いかけてきた。


「……い、飯島ワタル」

「自我の確認、完了です!」


酸素マスクから空気が送り込まれてくるのを感じると、次第に思考がはっきりとしてきた。



「あと170時間ほど安静にしていれば、自由に体も動かせるようになると思いますっ」

にっこりと笑って、彼女はその場を立ち去ろうとする。


「待、て……」

手足が鉄の塊になったかのように重く、思うように体が動かない。


「今、西暦……何年だ……?」

俺は、記憶をたどっていく。


「西暦、ですか?」

彼女は指をあごにあてて考えはじめる。


「人類の残した遺産文書に基づいて換算しますと、現在は西暦220000000年ほどになります」

「に、2億……?」

「はい、正確には2億2145年ですねっ」

にっこり。


「ちなみに、重要レベル5に指定されている人類遺産、“ワタル”の今後につきましては、このわたくしがお世話させていただくことになっていますです」

「人類遺産……?」


彼女は胸に手を当てて話し出す。


「わたしは第36万8520世代アンドロイド、最新機種ピノフュス・アンドロイド」


そして目をあけて、にっこりと──。


「つきましては、ピノとお呼びくださいっ」
 
 

     

 
 
──西暦2040年。


『現在迫っている小惑星の直径は48km──』
『大気圏に接触後、秒速56kmの速度で西太平洋に……衝突します』




国家非常事態宣言、
そんな聞き慣れないセリフを耳にしてからも、“死ぬ”なんて実感はあまり湧いてこなかった。


国の交通機関はほとんどが死んだ。
飛行機も電車も、新幹線もめっきり活力を無くしてしまった。


崩壊してゆく政府機関や軍隊とか
この世界が絶望に染まっていく色んな過程が、俺にとってはテレビドラマや映画の1シーンにしか思えなくて。


世界規模の災害を前にしては、どこへ逃げても結果は同じだとテレビの学者は言っていた。


それでも、シェルターの中へ逃げ出す人々を見ると
「ああ、これで終わってしまうんだ」と少しずつ実感できるようになった。





衝突まで数日を残したある日のこと。

気が付くと、俺は森林の中をさまよっていた。



──。

ピアノの旋律。


昔、どこかで耳にした音楽が、森の中で響いている。

俺はその音をたどって森をさまよう。




ここだ。

淋しげに置かれたグランドピアノ。
青々とした木々の一角から差し込む光に照らされながら、その男は曲を奏でていた。


──ジムノペディ 第1番。

その音色は、波紋となって心へ届き、遠い過去よりつぶやかれる。



白衣を身にまとった男は、演奏を止めて言った。



「天文学、幾何学、数論──」
 
 
 

     

2億年。

俺は想像もつかないほどの、どうしようもなく長い時間を眠っていたらしい。


ピノが言っていた通り、170時間……
1週間が経ったころには、俺は体を自由に動かすことができるようになっていた。

「1週間経ったら抜いていいって言ったよな、あいつ……」

このチューブのおかげでしばらくベッドから降りることもできなかった。

体中に差し込まれた管を外して、ベッドから起き上がる。




研究室の自動ドアを抜けると、照明の消えた廊下が続いていた。


壁に手をついてふらつく体を支えながら、薄暗い通路をゆっくり進む。
大学の校舎のように絶え間なく道がつながっていた。
しかし外を見渡せる窓が一切なかった。

俺は建物の屋上を目指すことにして、階段を少しずつ上っていった。




「ここか……?」

屋上に出られる階段の踊り場はひどく埃っぽかった。

俺は扉のノブをひねる。
まるで何年も回していない水道の蛇口のように固く、扉を開けると頭上から錆がぼろぼろとこぼれ落ちてきた。



真冬みたいに冷たい風が突き抜ける。
そして、靴底で何かを踏みしめた。



「これは──」


白い結晶が、鼻先をかすめ落ちていく。

黒く塗りつぶされた空。

それは深海から降りしきるマリンスノーのようで。

視界をさえぎらんという勢いで舞い落ちる死骸をその身に受け、ただひたすら、呆然と立ち尽くす。




思わず、両手を差し伸ばす。

――これは、雪?


白く染まった吐息が視界を埋め尽くしては消える。



果たしてそれは姿を現した。

鉄柵の向こう、薄闇に広がる外の世界。


それは、紛れも無く、廃都市。

他に形容のしようがない、淋しい世界だった。


世界の末路を思わせるような、文明の亡骸。


雪化粧に身を包むビル群は、壁が脆く朽ち果て、声もなく傾いている。



ただ、そこにある。

全ての終わりを待つだけ。

そう予感させる、性質の。
 
 



「あまり外には出ないでくださいね、ワタル」

背後から声がした。

気配がまったくないものだったから、驚いて振り向く。


「この星の磁場が弱まっている今、太陽からの放射線はワタルの身体細胞の破壊はおろか、残りの寿命に支障をきたす恐れがありますので」

ピノは雪を踏みしめながら近づいてくる。

「放射線って……いまの地球はどうなってるんだ」


強い風が吹いた。


「2億年前は……この地球は緑豊かな星だったそうですね」

切なさを含んだ吹雪にピノの髪が揺られる。

「今の地球で、植物は生きることができません」




「そしてワタル、あなたもです──」
 
 
 

     

 
 
「ワタルの生きた時代では、直径48kmの地球近傍小惑星が飛来したと記録していますです」


西暦2040年。

神様がこの世界を終わらせることを決めたあの日、人類は地下深くに造られたシェルターに逃げ込んだ。


「私たちアンドロイドは、その衝突を第一次衝突と呼称しています」


屋上につくられた二人の足跡が、一律に降り積もる雪によって消えていく。


「あの衝突の後、シェルターで生き延びた人類の98.6%は、180日以内に死滅しました」

180日──およそ半年。


「死滅した原因は、シェルター内部における人類同士の殺戮、極度の酸素不足、病気、自殺など様々ですが……」

「大半の理由は、単純な餓死と記録しています」


その間も、俺を含む数百人の人間は保存されて眠っていた。


「……ワタル、あの衝突から2億年が経過した今、この惑星にいくつの小惑星が落ちてきたと思いますか?」

おれは、何も答えることができない。


「第一次衝突を含めて、合計11個の地球近傍小惑星が飛来していますです」

かつて聞いたことがある。
およそ2000万年周期で地球は小惑星と衝突し、自然環境の破壊と再生を繰り返していると。


「人工知能を発展させることを目的に造られた私たちは、幾度となく破壊に追いやられました」


「それでも残ったアンドロイド達は、個別に埋め込まれたバックアップを元に新たに改良された人工知能を作り続けました」

「やがて私たちは、小惑星そのものの軌道を地球から逸らす技術を完成させました」




ピノは耳元を操作し始める。

すると屋上に設置された電灯が、ちかちかと点滅した後、ほのかな明かりを一斉に広げた。


「けれど、それで何の意味があったのでしょう」


雪の草原に、寂しく伸びる二人の影。


ピノは舞い散る雪を手のひらで受けとめ、無表情に空を見上げた。

2億年という果てしない時間の中で、何かの答えを探し続けている佇まいで。


「ワタル──どうか、私たちアンドロイドに教えてください」





「──私たちは、なぜ存在しているのですか?」

 
 

     

 

俺は廊下を一人さまよい歩いていた。

タイルを叩く革靴の音が虚しく反響する。


天文学室……。


幾何学室……。


数論室……。



よくわからない部屋の名前が書かれたプレートを通り過ぎ、
俺は、ある一室の前で足を止めた。




「……音楽室」



興味を惹かれて、その部屋のドアをひらいた。


室内は照明がついてなく、薄暗くて見通しが悪かった。


「空き部屋か?」


そうつぶやいた直後だった。

雪降りが止んで、ちょうど雲が明けたとき。

窓から差し込む月明かりが、室内を青白く照らした。


その中に姿を現したのは、一台のグランドピアノだった。

広い部屋に取り残されたかのように静かに黒光りしている。

俺はピアノの蓋をあけ、人差し指で鍵盤を鳴らした。


──。

しっかりと調律された“ド”の音色が、冷え切った部屋に弾けた。


郷愁的にも似た気持ちが高まって、思わず白い吐息が零れる。


俺は椅子を引いてピアノの前に座った。

そして息で指を暖めて、鍵盤に両手を添えた。




◆ジムノペディ 第1番
[ https://www.youtube.com/watch?v=dCl403hKJXk ]






──数時間前。



『ワタル、言い忘れていたことが一つあります』



俺はピノのいる研究所を飛び出して、激しい雪の中を歩いていた。

屋上から見た、あの廃都市を目指して。



『ワタルの生命活動的可能な時間は、750時間──』



都市までの道は険しく困難なものだった。

何十年、あるいは何百年も舗装されていないであろう道路の上をひらすら歩き続けた。



『つまり、ワタルの寿命は残り1ヶ月です』






凍結保存されていた俺の身体は、深刻なダメージを負っていると言われた。

過去の研究者が数百人を対象に行った肉体保存方式は、随分とがさつなものであったという。


2億年経ったこの時代に、数百人の中から比較的キズの少ない人体が選別された。

そして、“飯島ワタル”の肉体を最新の技術で修復。



それでも、たったの1ヶ月。

それしか生き延びることができる少ない時間の中で、何かを見つけ出したくて。


押し寄せて盛り上がったコンクリートに足を取られて躓いてしまう。

まるで雪山を遭難しているかのような気分だった。

俺は無頓着に雪を踏み潰しながら、都市のある方向へ向かう。


体調は最悪の一言だった。

長いあいだ保存されていたダメージによる倦怠感。

それに重なり、止むことをしらない吹雪が左右から構わず襲ってきた。

寒いというよりは、痛いという表現のほうが相応しかった。



ピノの話によれば、太陽活動の異変のせいで今の地球は1年中冬の状態らしい。

あいつは詳しいことをごちゃごちゃいっていたが、自然の恐ろしさというものを改めて生身で体験する。



「……ここだ」


俺は廃都市に到着した。

遠くの屋上で見るよりも、街の外観は酷烈だった。


雪のほかに火山灰のような粉で覆われた建物の数々。


雑草の一つも生えない街道。

錆びきって声を出さない信号機。

鉄骨をむき出しに壁を剥がされたビルが、今にも崩れ落ちそうに泣いている。


本当に自分は、この地球で唯一の生物なのだと実感する。



俺はある建物の割れた窓ガラスから、中を覗いてみた。

喫茶店風の内装だった。

天井には氷柱が列なり、床に倒れたテーブルや椅子が凍り付いている。


その光景の中に、俺は違和感のあるものを見つけてしまう。


奥のカウンターの一角、
椅子に腰をかけ、ひっそりと停止するアンドロイドの姿。

機体は所々が錆びていて、声もなく淋しくうつむいている。

まるで、そこだけ時間の流れが止まっているかのよう。



街を歩き回ってみると、他にも同じような機体がそこら中に転がっていた。

ガードレールを背もたれに動かない者や、瓦礫の中に埋まっている者、ビルの隙間道に横たわっている者まで様々だった。


道を歩いているとき、雪に埋まって横たわっているアンドロイドに躓いて転びそうになった。

俺はそのアンドロイドの耳に触れた。
ボタンを操作してみたが、案の定反応はない。


背中の雪をはらってみると、そこには羽のマークが描かれていた。

 

     

 
 
「ワタル、なにをしているのですか?」

俺は演奏を止めた。

「ピアノを弾いていたんだ」

ピノが音楽室のドアの付近に立っていた。
どうやら演奏をしている俺の姿をしばらく観察していたらしい。

その気配に俺が気付かなかったのは、彼女が機械であることに他ならなかった。


「私は、ワタルのその行為に意味を見出せません」

そう言って、こちらに歩み寄ってくる。

「ならば、どうして音楽室なんて部屋が存在する?」

「この施設は、私たちアンドロイドが人類を理解するために設けられた研究所です」


ピノの話によれば、彼女は人類の遺跡を研究する考古学者で、この施設を一機で管理しているという。


「このピアノも、おまえが調律しているのか」

「……はい」




ピノは鍵盤に近寄ると、無造作に人差し指で音を叩いた。
無機質な「シ」の音階が、部屋に響くだけだった。




「私の記憶領域には、この遺産に関する構造や修復方法が残されています」


長い年月で朽ちないように、日々手入れしているのだろう。


「おまえ、ピアノは弾けるのか?」

「演奏……ですか?」

きょとんとした顔で鍵盤に目を下ろした。

「楽譜などの資料は多数ありますが──」
「私の機体には「演奏」なるコマンドを実行するためのデータが存在しません」

不思議な話だな。

「音楽室なんて部屋を用意する考古学者なら、楽譜を読む知識ぐらいあるものだと思っていたが」


するとピノは一呼吸おいてから言った。

「恐らく、なんですが……」

「アンドロイドの第一開発者は、演奏に関するデータを埋め込まなかったのかもしれません」

俺はあごに手を添えて考える。
──なにかが引っかかる。

「それは“ あえて ”か?」
「……意図的にそうした可能性は否定できません」



俺は、なにかを悟ったような気がした。


当時、凍結保存された著名なピアニストの数々。
人工ロボットを開発する科学者の、野心と念望。
2億年の未来にそぐわない、現代的な建造物の姿。
天文学、幾何学、数論。
あの日出会った男が、俺をこの時代に蘇らせた|理由《わけ》。


そして頭の中でめまぐるしく働く脳細胞が導き出した、俺の決断。




「第36万8520世代アイドロイド──ピノフュス・アンドロイド」


椅子から立ち上がり、俺は彼女の瞳の深くを見据えた。


「これから1ヶ月、ピアノの演奏をおまえに指導する」


       

表紙

中村健一 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha