さいごのチャンスだ
ああ、でも、いやだな。
もう少し、もう少しだから・・
何としてでも。
白の部屋 第九話
「白の部屋」
扉は、小さく音を立てながら
大きく開いていきました。
ふわりと入ってきた空気は、
小さくユリの香りを含んでどことなくしっとりしたように感じます。
リコは、ゆっくりと、まぶたを開きます。
目に飛び込んできたのは、
色鮮やかな、ステンドグラス。
複雑な模様に、やわらかな太陽の光が差し込んで、
床に美しい色をうつしています。
リコたちから、ステンドグラスまで、
50メートルほどはあるでしょうか。
広い教会のようでした。
3人は、祭壇のほうへゆっくりと歩きます。
左右の壁にも、素敵なステンドグラスがはめられていて、
そのステンドグラスが意味している物語を、
思い出しながら歩くのでした。
・・・すると、ロゼが小さく悲鳴を上げて立ち止まります。
ばっちーとリコは驚いてロゼを見つめると、
その視線の先を追いかけます。
「・・・エンサー。」
祭壇でうつむきながら、ステンドグラスを背にしている、
髪の長い、真黒な姿、真っ白な肌。
長いまつげが、静かに持ち上がって、
光を持たない瞳が、3人を見つめます。
「リコ、会いたかったよ。」
薄い唇には笑みが含まれています。
リコは、大きく目を見開いたまま、動きません。
ばっちーは、ぐい、とリコを背中に隠して、
エンサーをにらみつけます。
「なんだよ、何しに来たんだよ。」
「何しにって・・・ぼく、リコに本当のことを伝えようと思って。」
「ほんとうのこと?」
すう、と空気が冷たくなって、ユリの香りを打ち消してしまったようです。
ロゼはしっかりと、リコと手をつないで、離れないようにしています。
エンサーは冷たい笑みで、こちらにゆっくりと歩いてきますが、
少し距離をおいて立ち止まりました。
「リコ、ロゼとばっちーはね、生きていないんだよ?」
リコはびくりとします。
妖精二人は、鋭くエンサーを見つめたまま動きません。
「いきものじゃないんだ、この二人。
僕は一応、生きているんだけど。」
「・・・どういうこと?」
エンサーの口が、さらに笑みを持たせます。
「彼らは、お人形なんだ。君を”白の部屋”に導く。
ねえ、リコ、君は白の部屋って、どんなとこだかわかるかい?」
「リコ、あんまりエンサーの話を聞かないで。
あたいたち・・・」
ロゼは小さくふるえています。
ばっちーは、すこし、泣きそうな顔をしていますが、
目の鋭さは失いませんでした。
「し、白の部屋は・・・」
「どうして、こんな変な姿のやつらを信じるの・・・?
リコ、ぼくは白の部屋が、どんなところか知ってるよ。」
「うるさい!リコ、大丈夫。おれたち、ずっとリコと一緒にいたから、
それで信じてくれてるんだよ!」
す、
とエンサーが少しこちらに近づきました。
ロゼは顔を真っ青にしています。
「リコ、あのね、あたいたちね・・・」
「ぼくもずっとずっと、そばにいたよ。長いこと一緒だったじゃないか。
おじいちゃんおばあちゃんの家、一緒に行った。
入学式だって、あの満開の桜の中、ぼくたちは学校に向かった・・・」
恍惚とした表情で、エンサーはまた少し、こちらに近づきます。
ばっちーは、すっかり泣きそうな表情です。
リコは困ってしまって、2・3歩後ずさります。
思わず、ロゼの手も振り払います。
「ねえ、おねがいリコ、あたいたちのこと、信じてほしいの」
「白の部屋は、これから何十年も生きていく君に、
苦しい思いも、痛い思いも、つらいことも、いやなことも
しなきゃならない世界なんだよ。」
「白の部屋にいっても、幸せにはなれないの?」
少女と青年と妖精が、かぶさるように話し始めます。
リコがつぶやいた言葉を聞いて、
ロゼの大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれます。
頭を何度も大きく振って、ちがうちがうと地団駄を踏みます。
ばっちーまで、ぼろぼろと泣きながら悔しそうにエンサーをにらみます。
「・・・リコ、どうして、二人は本当のこと言わないんだろうね。
リコは、どう思う?リコは本当に、この二人のこと、知ってるの?」
ひどくひどく、冷たい笑顔です。
真っ白な長い指が、リコの頭を優しくなでます。
うつむいていたリコは、小さく唇を動かしました。
「・・・わからない」
とたんに、ロゼもばっちーも、ひきつったように目を見開いて、
苦しそうに膝から倒れます。
まるで、二人だけ重力が何倍にもなったようでした。
リコはとっても驚いて、後ずさるとしりもちをついてしまいました。
ばっちーなんか、ぎりぎりと歯ぎしりをしながら、口から泡を吐いています。
ロゼは、ぽろぽろと涙を流して、苦しさに耐えています。
エンサーは、さも愉快、という風に二人を見下ろしていました。
二人に、声をかけたくっても、
声が出ません。
いいえ、さっきまで覚えていたのに、二人の名前が思い出せません。
二人に駆け寄ってあげたいのに、体が重くていうことを聞きません。
涙を流して叫びたいのに、
自分の出したい感情でさえ、出てこなくなってしまいました。
苦しみに悶えている中で、
赤い髪の妖精が、弱弱しい笑顔をしてこっちを見ました。
「おはなしできて、うれしかった」
小さな声が、頭の中に聞こえました。
黄色と黒の蜂の妖精は、こちらに顔を向けることはありませんでした。
「またな」
頭の中で、また小さな声が聞こえました。
そうして、まるでテレビの電源を切ったときのように、
周りは真っ暗になりました。
その、真っ暗になる瞬間、
リコは非情なほど冷たい笑顔のエンサーを見ました。
そして、なにかが一瞬だけ、真っ黒な何かが、
自分の額にキスをしたのを感じました。