Neetel Inside ニートノベル
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『口は災いの』

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「――ぴぅ――」

 頓狂な音が、おれの耳に届く。
 人の声のようであって、人の声ではない。では物音であるかと言えば、そうではない、と言い切れる。
 聞いた瞬間はたしかに異音だと思うのに、すぐに印象の薄れてしまう、まるで夢のような。
 そんな、音。
 おれは聞いたことのある噂に従って、自分の口元に手をやる。ナルシストめいた仕草に感じて嫌になったが、唇に指を這わせて、その形を確かめる。
 いつの間に開いたのだか、おれの口はぼんやりと開いていた。たぶん、さっき聞いた音を出すのに、適切な形になって。



 そのころ、おれの周りで広まっていた噂というのは、こうだ。
 幻聴が聞こえたのなら、自分の口を触ってみろ。
 口が開いてなければ幸い、もし開いていたのなら――そして幻聴に聞こえた音を出すのに相応しい唇と、舌の形であったならば。
 ご愁傷さま、あなたは霊にとり憑かれました。
 そんな、他愛のない話。
 「ないだろ」って、一蹴してしまえた話。

 おれは地下鉄に乗り座席に腰かけた状態で固まってしまった。
 いや、ないだろ。ない。ないはずだ。
 全身の汗腺から出る汗を感じると同時に、腹の底を冷やしてくる悪寒もあった。
 じんわりと、背中側に回った悪寒が、脊髄を通って頭まで上ってくる。
 ないだろって必死に言ってるおれの脳みそを、悪寒の持つ冷たさがぶさぶさと突き刺してくる。

 世の中には、直観的に分かってしまうこと、というのが存在するのだ。
 根拠も理屈もスッとばして、道理もヘチマも蹴っ飛ばして、いきなりにストンと腑に落ちてしまうことが。
 認めろよ、と悪寒が言う。

 



 反射的に、おれは両手で口を押さえた。
 ゲロでも吐くのかと思ったんだろう、対面にいたサラリーマンらしい男が露骨に顔をしかめた。
 同じ車両内にいる、おれの動きに気付いた何人かが、同じように嫌な顔をしている。
 誰でもいいから助けてくれと、そんな思いで周りを見たが、誰も本当には気付かないし、まして助けようなんて思いもしない。
 そうか、そうだよな。
 気付くわけもないし、助ける義理なんてもっとない。
 当たり前だよ。当たり前なんだ。
 しょうがない、仕様がないんだ。
 腹の底の、悪寒のあるあたりから、何か塊が、吐くときの気持ちにも似た何かがせりあがってくる。

「――こだすぶりはつな」

 漏れ出した言葉に、意味はない。意味があるかを判別するだけの正気が、いまおれにあるかは分からないけど。
 問題は言葉と一緒に漏れたモノで、薄いうすい白色をした、透明度の高い何か――形だけならミミズのような、よく分からないモノがおれの足元にぼたっと落ちた。
 これは、どこから出てきたんだろう。
 分かっていて、分かってないフリをしてみる。
 サラリーマンは見えているのか、ぎょっとしていた。はは、ざまぁ。
 わずかのあいだ、ミミズのようなそれはのたうって、やがて完全に白色化して、崩れた。あとには白い粉だけが残った。
 ――いや、分かってるんだ。どこから出てきたのかなんて、よっく分かってる。
 気休めにもならなかった。

「うだはたかのもろじはてにくすまなえほうくそうてばなりこうてもしぼつぬしくくらおいきすごのちは――」

 もう、押さえられもしなかった。
 おれの口はおれの意思と無関係に動いて、言葉をただ紡ぎ続けている。
 言葉が、声が、音がおれの口からあふれるたびに、それは白いミミズになって、そこら中にのったくってる。

「ぶいかずりあぬほいろむべくふひぎにぬなすづらでみおろくつさてちじぢしいえめすか――」

 電車の走る音も、周りで人が叫ぶ悲鳴も、きっと大きいはずなのに、もうおれには聞こえない。
 おれの口から出る声だけが、耳元で叫んでいるように聴覚を占有している。

 おれは積もった白ミミズどもに埋もれていく。
 それらが崩れた粉にまみれて、それを押し流し続ける白ミミズに埋もれて。
 視界がすべて半濁した透白に包まれ、頭頂までがすっぽり覆われてしまうと、おれに感じられるのはもう、口からあふれ続ける音だけになった。

 口はもう、人には出せないような音を出し始めている。どんな舌で、どんな喉なら出せるのだか、分からない。
 幾つものいくつもの音が重なりだして、出した音と聞いた音が殺し合いを始めて、

 あぁ、静かになってきた。

       

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