セックスして女が子を孕み、産む、という自然の在り方から、ヒトは遠くになりすぎなのではないだろうか。
それでも、あえて自分の
などと、自分の足関節にある防塵シートを張り替えながら思う。はるか昔においては人体を精巧に再現した義肢が
義足のメンテを終えて一階に下りると、キッチンでかーさん、オレを産んだ
「おはよ、かーさん」
「おぅ、おはよう
長い栗色の髪をした御年三十六歳、まだ自前の化粧技術と日々のトレーニングだけで見た目上の若々しさを保っている、どー見ても女性にしか見えないこのヒト、
「ねぇかーさん、休みだからって手料理にしなくてもいいじゃん。毎度まいど上手くいってないしさァ」
「いいの! お父さんがしたいの!」
上手くいかない苛立ちからか、声を荒げてかーさんは言うが、その声もまた女性のようであるのだ。それでいて口調は男性のようであり、にも関わらず胸はふっくりと膨らんでおり(子どもいるのにプールでビキニ着るの止めてほしいっていうか第二次性徴期の息子をプールに誘わないでほしい)、だが前述のようにちんこは存在しているはずであり、しかしまたオレを敢えて自分の腹から産みたいと強く希望したのもこのヒトなのだ……いったい、何をどうしたいんだ。
かーさんに言わせると「やりたいようにやった」らしい。やりたいようにできてしまうあたり、我が父ながら恐ろしいヒトである。
そんなかーさんの唯一の弱点が料理で、曰く「俺の母さんはこうやってた!」とうろ覚えで聞きかじりのくっそテキトーな知識だけでメシを作ろうとして、大雑把にすぎる料理ができるのだった。
「僕はもう、哲太くんが産まれるまでに充分堪能したからね」
とはもう一人の父こと遠坂トオルの言で、ニコニコしながらもかーさんの料理に全く手を出さないので訊いてみたら、そんな答えが返ってきた。これでもマシになったのだ、とその後に続いたから、苦労したんだろう。
その質問の以前と以後どちらでも、仕事が休みの日の朝にかーさんが作る大雑把料理は、オレの胃の中にだけ収められ続けている。オヤコーコーというやつだ。
***
内臓の機能を置換する技術自体はあるし、代用以上の性能を発揮する人工臓器だってある。それでも大多数のヒトはそこで踏みとどまった。
結局、怖かったのだ。機械に命を預けることが。
いくら企業の広報が安全を謳おうが、生活の中でどれだけの部分を機械任せにしているか挙げ連ねられようが、もっとも原始的で根源的な意味の『命』を機械に置き換えることを、是ぜとしないヒトが大半だった。
もちろん中には「そこまでのことをしてしまえばヒトではなくなる」なんて自分勝手な基準で人非人を別わけるようなしょうもない輩もいたし、そんなアホや世論のことなんかブッちぎって全身義体にするやつもいた。おつむ含めて、だ。さすがに思い切りがよすぎると思わないでもないが、国はどの立場も容認している。誹謗することは認められないが。