今回は砂糖先生の愛子を取り上げよう。
絵柄、雰囲気、そして、なにより砂糖先生の造形する女性がとても、とても魅力的なのでいつかは論評しようと思っていた。
砂糖先生の漫画は、とても魅力的だ。だが、いざ、論評しようとするとその魅力が何なのかなかなか言語化できないのだ。
砂糖先生の描く女性、そして雰囲気は、よくあるような漫画に見えて実はあまりないオリジナルなものである。そしてそのオリジナリティが何なのか分析しようと思ったのだが、言語化が極めつけに難しいのだ。
特徴としては、オタクより圧倒的にサブカルよりである。アニメより映画の影響を受けている。砂糖先生の好きな音楽は、洋楽やインディーズ系のポップソング、そしてヒロインは、一見、アンニョイに見えるのだが、実は、そうではない。ヒロインに共通しているのは、傷ついた心と諦めである。
砂糖先生の漫画の面白いところは、このような特徴があるにも関わらず、なぜかまったくエグさがないことである。
なぜだろうと、ずっと考えていたのだが、ある単語が頭に浮かんだ。
それは、リョナ。
リョナというと肉体破壊系の漫画を思い浮かべると思う。
そのような意味では、砂糖先生の漫画は、リョナではない。
だが、リョナという言葉を精神攻撃系にまで拡大した場合はどうだろうか?
精神攻撃系リョナというものを考えれば、なるほど、佐藤先生の作品は、ぴったり当てはまる。
砂糖先生の漫画のヒロインは、明らかに全員がマゾである。この辺は、たぶん、肉体破壊系のリョナ漫画に出てくる女性はマゾが圧倒的に多いのと共通している。
で、砂糖先生の漫画を読んでいると、ヒロインに対する感情移入とともに、不思議に読者のサディズムが刺激されるのである。砂糖先生のヒロインは、攻撃性が内に向かうタイプが多いので、読者は、このヒロインを心底、とても好きになれる。
そのような視点で見ると、砂糖先生の漫画のヒロイン以外の登場人物は、真綿で首をしめるようにやさしく、ヒロインを追いつめているのがわかる。
ここで、気付くのは、激しくサブカルに見える砂糖先生の漫画も、その本質は萌えなんじゃあないだろうかということである。
萌えの感情は、猫や子犬を見て、かわいいと思う感情と同じだというのがぼくの考えなのだが、それと同じ感情で、読者は砂糖漫画のヒロインに萌えている。
萌えの射程がヒロインの感情にまで、到達しているのが砂糖漫画の本質だと思う。
確かにこれは、オリジナルな表現だと思う。
そして、砂糖先生にはグロくないリョナを極めてほしいと思う。