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新都社 漫画評論集
脳筋ちゃん(リョナ作家はなぜ既婚者が多いのか)

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さて、今回は、前々から取り上げようと思っていた、えろき先生の「腹筋ちゃん」を取り上げよう。

最初にまず、気になっている部分から、指摘しておこう。

1 えろき先生の漫画に対する2つの疑問

えろき先生は、絵が上手な方である。プロの絵が描ける人である。
で、かつ、絵を描くのが大好きな方のようである。

そのせいか、漫画で描かれる女の子は決めのポーズが多い。決めのポーズのあるコマと決めのポーズのあるコマの間を、かなり多くの量のセリフでつないでいる。

この手法は、石川雅之の「もやしもん」によく似てる。もやしもんが、あの手法でも奇跡的に成功しているのは、もやしもんがうんちく漫画だからだと思う。うんちく漫画の場合は、登場人物に動きがなくても、漫画としては成立する。
そして、石川雅之は絵を描くのが、本当に好きそうである。

比較して、腹筋ちゃんのアクションシーンについて考察してみよう。ほとんどのシーンが決め(つまり読者から見て時間が止まってる)なので、時間がスムーズに流れていないようだ。

まず、ここで、疑問①である。

えろき先生は、なぜ、時間の流れに逆らってまで、決めのシーンをこれほど、描きたがるのか?

次に、女の子キャラについてである。

実はえろき先生の漫画は、キャラがあまりたってないように感じられる。

キャラが立っている漫画として、すぐに思いつくものに、あずまんが大王がある。あずまんがの場合は、外見的な差異以上に、キャラ同士の関係性によって、キャラが立つように表現されている。

対して、えろき先生の場合は、キャラを立てることより、女の子を身体的な相違に関心があるようだ。この方法だとキャラ同時の感情が動かなくなるので、ストーリーが途中で止まってしまうはずだ。

疑問 ② はここである。

なぜ、あえて、物語の稼働を犠牲にする表現を取るのか?

2 えろき先生におけるリョナの位置づけ

疑問①、②の答えは、作者が描きたいのは、まさにリョナだからだと思う。
リョナ表現が目的なら、確かに、動きの表現など、邪魔だろうし、各キャラの関係性などむしろ細かく書き込まない方が、すんなりと萌えることができると思う。

えろき先生は、まずなにより、リョナを描きたい人であり、漫画はリョナのための一つの手段なのだと思う。

ぼくは、子供の頃、暴力の空想で頭がいっぱいだった時期があり、その空想があったからこそ、生き延びられたという確信があるのだが、たぶん、えろき先生にとって、リョナとは、そのような位置づけなのだと思う。

つまり、リョナを空想したり、描いたりできないことは、エロ気先生には、とてもつらい、いやもしかしたら、おかしくなってしまう状態を意味するのではないか。

3 何故、リョナ系作者は既婚者が多いか?

そして、本題である。個人的な印象なのだが、リョナの作者って既婚者が多い気がするのだ。リョナとは、物心ついたころから、リョナであると思う。
つまり、リョナ属性のある男が、現実のパートナーと付き合おうとした場合、その男はすでにリョナなんである。

リョナ系作者が現実の女性に対して、ひどいことをするというのは、まずないと思うが、それでもリョナであるというのは、明らかに恋愛には、不利な属性である。

付き合った男がリョナであったというのは、控えめに言って女性を引かせる事実だろう。

それほど不利な属性を持っているにも関わらず、多くのリョナ系作家は、既婚である。
これは、なぜか?

4 過剰なサディズムが現実のパートナー獲得に有利に働いているのかもしれない。

こちらは、もう副題通りである。自然のままだと、女性へのサディズムへと向かう感情が、リョナ系作者の場合は、能動性等の行動面へと転化して、パートナー獲得等には有利に働いている可能性があると思う。

5 最後に

ぼくもリョナなのだが、顔面崩壊系とかは苦手である。このイデオロギーの相違も含めて、えろき先生の動向には注目したい。




       

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