前回、書ききれなかった絶夢について追記しておこう。
今回のテーマは、絶夢の主人公の精神分析である。主にフロイトの理論をもとにして精神分析を行ってみたい。
1 ちん太とは何か
超自我と言う概念がある。人間の良心や理想が無意識化した概念である。フロイトの理論によると、人間は、イドと呼ばれるどろどろした欲動と超自我の間で、葛藤する存在だそうである。現実に適応するために、イドと超自我の間で調整するのが自我である。
男性の場合、超自我は、父が理想化し、無意識化したものだと言われている。この場合の父というのは、現実の父親ではなく、象徴的な、例えば神などの概念と同じものである。これを父性隠喩と言う。
絶夢の場合、父性の隠喩的な象徴を、しゅべるペニスで表している。
ちん太は、もちろん、主人公の超自我である。
2 ちん太は主人公にどんな命令をしているのか
超自我は、無意識化した法である。命令をする存在である。では、主人公の超自我は主人公にどんな命令をしているのだろうか。
ちん太は主人公にこのように命令をしているのだ。
「おまえは、社会的に成功して、結婚をして、子供をつくれ。」
3 何故、主人公は、漫画家を目指しているのか?
これは、超自我の命令通りのことを実行しているのである。つまり、主人公は、
「社会的に成功して、結婚して、子供をつくる。」ために漫画家を目指しているのである。決して、漫画を描きたいわけではない。動機が違っているので、当然、漫画は描けない。
4 主人公は、なぜ、現実に直面できないのか?
絶夢の主人公は、超自我の命令を達成するための、執行機能が未熟である。
「社会的に成功して、結婚して、子供を作る。」ためにまず必要なのは、安定した職に就くことなのだが、そのことから、徹底的に逃げ続ける。執行機能の未熟さを隠ぺいするための方法が、漫画家になるという夢なのである。
執行機能の未熟さは、実は、就学中の対人関係の未熟さが原因であることが、漫画内で示唆されている。対人関係の未熟さが、就業を困難にし、主人公を漫画家になるという夢に逃避させているのがよくわかる。
漫画内で主人公がよく使う防衛機制は合理化である。
5 主人公ななぜ、こんなに心が弱いのか。
一応、この部分は、フィクションでだと思う。ここまで、簡単にメンタルがぶっ壊れる人間は、そうはいない。
漫画内で、主人公は、以下のように精神を破壊される。
「社会的に成功して」 ➡ 編集者に漫画を否定されて、へし折られる。
「結婚して、子供つくる」 ➡ 抑圧していた欲望だが、隣のカップルの存在により主人公のはこの欲望を持っていたことに気付かされる。(嫉妬、羨望の感情から)
6 最後は、主人公は、鏡像段階に陥る。
精神をへし折られた主人公は、精神が鏡像段階にまで、退行してしまう。ここはは、暴力が賦活される段階である。
7 結論
ということで、絶夢の主人公は、そのまま精神分析ができるほど、リアリティが
ある。この心理過程がリアルだから、読者の心をとらえたのだと思う。
このような作品が作れる作者を称賛させていただきたい。