今回は、「アサシーノス」 バーボンハイム先生の漫画を批評しよう。
この漫画は、自分の意志で選んだというより、コメント欄で何回か批評してくれと書かれていたので読んでみることにした。
まず、ぼくの目から見た気づいた点を書いておこう。
1 この漫画の特徴はシリアスな笑いである。
アクションシーンなどで、顕著なのだが、誰が、どこに配置されていて、どのくらいの距離にいるのか等を頭の中でシミュレートしないで描いているので、その分、リアリティが下がっている。
空間や時間表現が必要ではない漫画なら、問題ないのだが、この漫画は、空間、時間表現が絶対に必要な漫画だ。それを表現しないとこの漫画はギャグになってしまう。
実際に、この空間時間表現ができないという特徴が、「シリアスな笑い」に転化して、後半の復讐シーンなどは、進撃の巨人のような笑えるアクション漫画になっている。
これは、作者が果たして、笑いとして表現しようとしたものなのかは、不明である。
ただ、言えるのは、バーボンハイム先生はのりのりであったはずだということだ。
2 作者の感情の動きとキャラクタの感情の動きがたぶん一致していない。
これは、欠点と言っていいのか微妙なのだが、たぶん、これがこの漫画の最大の特徴だ。主人公が苦悩してるシーンを描いている作者は実に楽しそうだ。
3 作者が楽しそうに描いている。
これは、たぶん、2と重なる部分だが、この漫画を描いている作者は実に楽しそうだ。キャラクターへの感情移入は難しかったのだが、これを描いている作者の
のりのりな楽しさは実によく伝わってくる。そのような意味でものすごく気持ちのいい漫画である。
4 キャラの感情とバーボンハイム先生の感情が一致していないのは魅力かもしれない。
これは、本質的である。
この漫画は、読者に離人感をもたらす。
バーボンハイム先生は、この漫画をゲームをベースにして描かれいるのかもしれないが、ゲームをやらない僕には、よくわからない。
僕が、この漫画から一番連想したのは、無声映画である。
バーボンハイム先生が、どのくらい狙っているのかわからないのだが、無声映画のような漫画を目指しているのだとしたら、確かに、新しい試みだ。
この中二病っぽいお話も無声映画として見れば、気にならない。
つまり、この漫画は「シリアスな笑い」を誘発する無声映画だ。
ただし、これは、計算されたものなのか天然なのかは、ぼくにはわからない。
5 とにかく漫画を描くのが楽しくて仕方ないバーボンハイム先生の姿勢は好き。
最初、もうちょっと、けなそうと思って、この批評を書き始めたのだが、この漫画が醸し出す雰囲気が「シリアスな笑い」だと気づいて、好きになってしまった。
バーボンハイム先生は、このノリノリの姿勢を失わずに、創作活動を続けていただきたい。