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それ学級日誌に書く必要はないだろ?
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《それ学級日誌に書く必要はないだろ?》

作:笹塚とぅま

【1p:クラスガエ】

「よっ! とーりょー!」
 背中が叩かれる感触。
 4月。県立矢田和高校の二年生に進級した僕は、いつもより気持ち早めに学校に着いて自分のクラスを確認し、足りなかった睡眠時間を補っていた僕の耳に快濶な、大きいけどそれでいて聞いている方を清々しい気持ちにさせる声が飛び込んできた。
 ちなみに『とーりょー』とは僕こと東和良の漢字からとったあだ名だ。
「ん……あぁ」
 むくりと、僕は顔を上げるとその声の主を探して……見つけた。
「……あ……えっと……あぁ……」
「今、名前出そうとしてなんで途中で諦めたし!?」
「ぶぇ!?」
 その子は再び眠りの地へと向かう僕の頭をがっちりと掴み、自分の顔が嫌でも僕の視界に入るよう強引に僕の首の位置を動かす。
「いだい、いだいです。マジで、あの」
「今年も一緒だね」
 彼女、安積楓はそう言うとにっこりとほほ笑んだ。
「奇しくもな」
「なんだよー。もっと喜べよー」
「いや、あのね。人って嬉しくないと喜べないからな……いだいいだい!」
「よ・ろ・こ・べ・よー」
 ぎりぎりぎりと、がっちりつかまれた僕のヘッドは彼女の手により自分の望まぬ方向に回される。さすが陸上部のエース。まったく逃れられない……ってあの、首って180度は回らないの知ってる?
「いだいいだいいだいっ! わ、わー、すっごく嬉しい……っていたいいたいっ! え、なんでっ!?」
「……なんで嬉しいかわからないんだけど?」
 みしみしペきぺきと、回転し続ける僕の頭。あの、首って360度は回らないの知ってる?
「あ、安積さんと今年度も同じクラスになれて僕はなんて幸せ者なんだ! ああ、今僕はとってもハッピーな気分で満たされているよ!」
嗚呼、我生まれて十六年と十か月。初めて人たる者、嬉しかざる時ときでも喜べることを知りたし。
「…………」
「……うおっ!」
「うん! 今年もよろしくねっ!」
 どうやら彼女の合格ラインには達したらしい。解放される僕のヘッド。お帰りなさい。もうお前のことは誰にも渡したりしないからな。
 新クラスには僕と安積を含めてもまだ人は集まっていない。そりゃそうか。気持ち早くとは言ったものの結構早くついてしまったからな。現に、最低登校すべき時間である八時半にはまだ四十五分もある。
 自分の頭部との再会に感動のあまり涙する僕。するとごほんごほんと何やら咳払いが聞こえてくる。
ごほんごほん、んんっごほん。
探さずとも犯人は目の前の安積。ちらっちらっとこちらに意味ありな視線を送ってくる。
ここはジャパンなんすけど……っていうボケはこの際置いておいて、あまりにもしつこいので僕は尋ねる。
「……なに?」
「な、なにって!? とーりょーこそどうしたの?」
「はぁ? 僕は安積が何か言いたそうだったから聞いただけで」
「そ、そう。いやね、大したことじゃないんだけど。とーりょー考えてみ? 中学校一年からずっと同じクラスってもはやなんなんだよって思わない?」
なぜかこっちを見ずに言う安積。いけないなー、人と話すときはちゃんと人の目を見て話すって習わなかったのかなー。お父さん悲しいよ。
「なんなんだよって例えばなんだよ?」
「た、例えばだけど、例えばなんだけどね」
「ああ、例えば何さ」
「こう言うのって、う、運命とか言わない?」
「んー、言わないな。割とよくあるじゃん」
 たしか、数学の組み合わせで確率出してもそんな低くはなかったはず。
「そ、そう……」
 真っ向から否定してしまったからか、しゅんと静かになってしまう安積。そんな中、僕はふと感じた疑問を安積にたずねる。
「あれ? そいや朝練ないの?」
「いいの」
「いいの、ってあったのかよ。エースがさぼっちゃだめだろー」
「いいの」
「あ、わかった。クラス替えのことそんなに気になってたのか?」
ぎぐっと安積の肩が上がるのを確認する。どうやらそのようだ。
安積は人見知りが激しいほうなのは僕も知っている。確かに、朝練が終わってからだともうすでにクラス内で話すグループが出来ていて、その中に混ぜてもらうのは彼女にとっては難しい。だから、こうして早い段階に来ていることはいい作戦かもしれない。
「まあ、あまりよくはないけど、話し相手がいなかったら、そんときゃ僕が話し相手になりに安積のクラスに行ってやるからさ」
まあ、でも現実はこうしてまた同じクラスになったわけだが。
「……ちがうし」
「あ、ごめん。そうだよな。話し相手は別に僕じゃなくても――」
「違うし! とーりょーと同じクラスになったのを一緒に喜びたかっ――ってあほぉっ!!」
「ぐへっ!?」
 怒りのあまりか顔を真っ赤にしたまま安積はすたすたと自分の席へと行ってしまった。どうも今の会話に彼女のトリガーがあったようだ。うむむ、女の子とお話するって難しい。
彼女が最後に何か言ったのはわかるが、その言葉を思い出すよりも、僕は彼女の一撃で奇妙な音を奏でた自分の首の骨の心配を優先するのだった。(終)

     

《それ学級日誌に書く必要ないだろ?》
作:笹塚とぅま
【p2:シップ】
「あら、東和くん」
 安積から受けたダメージが若干だが回復して来た頃、突っ伏していた僕の頭に声がかけられる。
「お、泉崎」
 顔を上げた僕の目に飛び込んできたのは、呆れたように僕を見下ろす泉崎楽の姿。
もしかすると段ボール箱に収まりそうなほどの小柄な体躯、その腰まで伸びた髪はまるで漆を塗ったような艶があり一部は三つ編みにされていと飛び出たしっぽがとってもチャーミング。そして、何を考えているかわかりにくい表情の上には彼女のトレードマークと言うべき赤縁の眼鏡が存在感を放っている。まあ、簡単に言ってしまうとちっちゃな学級委員長って感じかな。
「泉崎もこのクラスなのか」
「そのようね。今年もよろし……はあ」
「うん、よろし……って、僕と同じクラスだったのがそんなにがっかりかよ」
「してないわ。ちょっと、失望しただけよ」
「がっかりしてんじゃん!」
「ははは、相変わらず東和くんは面白いことを言うわね。推理小説家にでもなったらどうかしら?」
「それただ言ってみたかっただけだよね」
 最近読んだのだろうか。てか完全に棒読みだし。なに、僕はこのあとに決定的な証拠を突きつけて、泉崎に自白させればいいの?
「そうね、推理してないから何にもなれないわ。残念でした」
「あなたが言ったんでしょうよ!?」
 朝っぱらからなにこのくだり。必要ないよね。まあ、毎回のことだから、すこし上から目線になるが、もう少しだけ付き合ってやろう。
 そういや出会った時と随分印象変わったよね。
「それはそうと、さっき安積さんと楽しそうにしゃべっていたわね」
「……まあ楽しかったかは肯定できないけど」
 僕は首を軽くさすりつつ答える。
「いいえ、楽しそうだった。だって鼻の下が伸びてたもの」
「は? んなわけねぇだろ」
「いいえ、ちゃんと私は見てたわ。そう、安積さんが東和くんを見る目なんかはまさに」
「そっち!?」
「ええ、それに、殺意も少し混じっていたわ。9割くらい」
「下心に殺意ってどんな感情……ってほとんど殺す気じゃねぇか!?」
 びっくりだ。まさかあいつが僕のことをそんな目で見ているなんて……あとで、お話が必要のようだ。警察と一緒に。
「……なぁ、泉崎。結局何が言いたいんだ?」
 そう、これは経験則だが、泉崎自身が無益な話を嫌うためか、彼女が僕に話しかける時は当たり前だけどなにかしら伝えたいことがあるとき。しかし、面倒なのことにこうして、『要は~』の所を僕から聞かない限り、はたから見れば先ほどまでの全く益にならない会話が一生続いてしまうのだ。
 どうも、このことは泉崎本人も自覚しているようで、
「ええ、そうね。東和くん、聞いたところによるとあなた安積さんとは中学から一緒のようね」
「まあな。って誰から聞いたんだ?僕、誰にも言ってないけど……」
 少なくともクラスの奴には言ってない。
「それは…………先生。先生が前に言ってたのよ」
 微量な空いた間が気にはなったが、でも合点はいった……いや、待て待て。
「なぁ、僕と安積の話が出る話題って、泉崎、先生と一体どんな話したんだよ」
 先生ってことは絶対あいつだ。あの先生のことだから場合によってはろくでもない誤解を引き起こしている可能性が否めない。
「大したことないことよ」
無表情だが、目がスッと左に逸れるのを僕は見逃さなかった。
「大したことないなら言ってくれよ。気になるじゃん」
その誤解次第では、僕は社会的死ななきゃならないことだってある。
 僕は席から立ち上がると机を回り込んで泉崎の前まで立ち止まる。んー、こうして向かい合うとなんでしょう。彼女の容姿はとても庇護欲をそそられますね。はい。
 僕はそっと、その小さな両肩に両手を置き、できるだけ真剣な顔をして、
「頼む。どんな小さなことでも僕は知りたいんだ」
 そう、僕はまだこの社会で生きていたいんだ。
「……ごめんなさい。嘘ついたわ」
 そして泉崎は伏し目がちに弱々しく言葉を吐き出した。……やっぱりか。
「東和くん……先生とはあなたの出生の秘密について話したわ」
「嘘だろ!?」
 え? ちょっと待って。僕は今のお母さんから生まれたんだよね? え?『それはお前の中ではな』ってこと? てかなんで本人の重大な秘密を第三者同士で話し合ってるんだよ!
「嘘よ。あなたがどこでどんなふうに拾われたなんてどうだっていいの」
「ごめん、僕にはどうだってよくない単語が混じってた!」
 え、橋の下? それとも上流からどんぶらこ? もしくは家の勝手口の前?
お母さんの機嫌が悪い時『あんたは拾われた子だから~』って言ってたけどあれマジだったのか? いや、悪いジョークだ。僕はちゃんと、家にいることはほとんどないけどあのお母さんのお腹から生まれたはずだ。アイビリーブイット……一応帰ったら電話してみよう。
「ねぇ、東和くん。私と東和くんってどうやって知り合ったか覚えてる?」
「ん、あ、あぁ。なんだよいきなり」
 急な話題転換だな。それで逸らしたつもりか? ……んーまぁ、聞かないでおこう。線引きこそ難しいが、本人が言いたくないことを無理矢理聞くのは僕のポリシーに反する。さっきのことは自分への宿題にしておこう。
「んー覚えてるよ。泉崎とは僕が小学校三年生のときに泉崎が転校して来て、でもすぐに転校しちゃったんだよね」
 そして高校で再開したわけだが。
「ありがと。ちゃんと覚えているのね」
 泉崎はふふっと笑うのだった。
「……どうかした?」
「い、いやなんでも?  ど、どうしたしまして?」
 余りに唐突なことだったので、しどろもどろな返しをしてしまう。
 毎回思うんだけど、笑顔可愛いな。いつもこうしていればいいのに。
 まあでも、たまーに見るからいいてのもあるな。うーんこの問題の続きは国会で議論してもらいましょう。
「でも、泉崎、なんでそんなこと聞くんだ?」
 この会話で彼女が聞きたいことはわかったものの、その理由がわからないでいた。
「なんでって……はあ」
 彼女は口元に指をあて少し考えた素振りをし……ため息をついた。
「推理小説家にでもなればわかるかもね」
 まだ引っ張ってるのか、それ。
「あ、そうそう。はい、これ」
 泉崎はポッケからすっと白く厚い布みたいなものを僕に差し出す。結局理由はわからずじまいだけど……もういいや。
「首痛いんでしょ?」
「あぁ湿布かどうも」
 お、ありがたい。どういうわけか痛みがぶり返してきてるんだよね。
「貼ってあげる。さあ、足を出して」
「足首じゃねぇ! 自分で首って言ったばっかじゃん!」
「あら、ごめんなさい」
 しれっと返す泉崎。絶対わざとやってる。
 しかも、当たっているかわからないけど、なんか嬉しそう。
 ……うん、わかったよ。
 僕は泉崎という人物がよくわからない。(終)

おまけ
「言っとくが手首でもないからな」
 先回りして釘を指しておく。
「そんなのわかってるわ。でもそうなると……どこに貼れば?」
「ここだよ!ここ!」
 僕は自分の頭部と胴体をつなぐジョイント部分、英語ではネック、ドイツ語の男性名詞ではハルス、ようするに首を指差す。ったく泉崎のせいで説明が長くなった。
「あぁ」
「なに、『そう言えばそうね』みたいな顔してるんだよ』。……もう、貼るならさっさと貼ってくれ」
「はいはい。でも、ほんとにいいの? これ……はんぺんなんだけど」
「なんで!?」

     

《それ学級日誌に書く必要ないだろ?》
作:笹塚とぅま

【p3:オトウサン】


「ふはは! 清々しい朝だな我が下僕!」
ホームルーム五分前。
ただ今教室を支配するのは、男子同士の春休み中の武勇伝大会や、女子同士の合えなかった春休みの三週間の空白を埋める感動の再会劇。あっちこっちで声が飛び交い、白と黒しかなかった三十分前とはうって変わり、教室の中はたくさんの色で満ちていた。
 僕はおもむろに席を立つ。別にこのカラフルな空気に一人ぼっちの僕が耐えられないからではない……ほんとだよ?
時間的にもいい感じだし、ホームルームが始まる前にトイレ行こうかな、と思ったわけで、
「んぎゃー! 無視すんなー!」
 それにしても騒がしいな? まあ、春は活動開始の季節と言うし、虫さんたちもフィーバーしているのかもしれないな。
「だーかーらー無視すんなってのー!」
 ん? 頭に何かぶつかったな? おいおい、窓はちゃんと閉めといてね。花粉もそうだけど、それにこんな風に虫が入ってくるからね。
「虫扱いだからって無視するのかっ! さすがだな我が下僕! ……って、んがーっ!! 」
 後頭部の痛覚が覚醒する。んーまただ。てかけっこう痛い。髪抜けたんじゃね?
僕は教室後ろの掃除用具入れを開ける。お邪魔な虫さんには悪いけど死んでもらいましょう。……っち、なんだ、蚊取り線香かよ。まあ、いけるか。
「……だれがモスキート、じゃい……」
てかさっきから心を読まれている気がしなくなくはない。
「……なー、なー良? 良ってばー、りょー……春休みで我のことを忘れてしまったのか?なぁ……」
 おーん? なんかすごく自分の名前が呼ばれてる気がするし。なんでしょう、心が痛いと言いますか、胸が痛くなると言いますか……はっ、もしかしてこれが恋かしらん?
「……ぐす」
 あーもー、はいはい。
「……なんだよ、只見」
 僕は先ほどから僕につきまとってくるその子の名前をため息交じりに口にした。
 只見華。
 クリーム色の髪は柔らかくウェーブがかけられており、僕をまっすぐ見る瞳は透き通るようなブルー。お人形のように白い肌はうっすらと赤みを帯びていて触れればどこか壊れてしまいそうな儚さをも感じさせる。
そして彼女、日本人の父にフランスじんの母を持つハーフで帰国子女らしく、フランス語はもちろんのことドイツ語にスペイン語、そしてポルトガル語といったヨーロッパ圏の言葉をマスターしていることに加え、何で勉強したかは知らないけどこのように日本語もペラペラというとんでもないスペックを兼ね備えている。まあその能力が今後どこで発揮されるかは知らぬが。
あと、先に断わっておくと、このお嬢様みたいな口調で勘違いしてはいけないのだが、彼女は貴族でもなんでもない。そして、いずれ説明する機会があればしたいのだが、僕はどういうわけか彼女からペットのポストを授かっているのだ。わんっ! 
「……ぐす、ひぐっ」
 んーちょっとやりすぎたかな。ご主人様の瑠璃色の瞳がぶわわと潤むのを見て、下僕の僕は少し反省する――
「なんだ。泣いてんのか?」
 ――ことはなかった。我ながら下衆だ。
「泣いてない、わ、わらわが泣くわけないじゃろ」
「じゃあ、只見の目から溢れ出そうなそれはなにかなぁ?」
「こ、これは……これは……」
 目の前にはぐぬぬと歯を食いしばり今にも泣きそうになるのをこらえる女の子。や、やだ、僕ちょっと楽しくなってきちゃったな? あぁ? 罵倒したければすればいい。底辺のメンタルをなめるなよ?
「こ、これは……液じゃ!」
「へ、へぇ液ね……」
汁と答えるのがベタだが、液でもなかなか引きますね。
「ph1じゃぞ」
「酸性かよ! こわっ! こわいよ!」
 只見、おまえの肌どうなってんだよ。
「にゃはは! どうじゃ! 恐れ入ったか!」
「ま、参りました!」
「にゃはは~っで!?」
「んなわけないだろ」
 チョップを受けた頭を抑えながら只見は恨むような涙目を僕に向けてくる……うん、とっても悪くないね。これはおそらくあれだ。好きな子ほどかまいたくなるっていうあれと同じもので、きっと只見の反応が可愛いのが悪いんだ。そう僕は悪くない! ……とまあ、理由をつけたところでさて質問を受け付けますがいかが?
「……で、只見は僕に何の用だ……ってあ。そういや今年も同じクラスだな。よろしくな」
「……そう! それじゃよ! それを言いに来たのじゃ!」
 ぱぁっと笑顔になり、ご機嫌大回復な只見さんはさながら動物。しっぽがあったら全力で振ってそう。
「そんなことでかよ? わざわざ言いに来るもんか?」
僕の疑問に忠美は腕を組み、只見はふっと鼻で笑うと、あるかないかと聞かれたら、男子なら『うーん……あ、あるんじゃない?』と答えるだろうささやかな胸を張る。
「ふふっ、わからんのか我が下僕。まぁ、恥じることはないぞ、下僕だから仕方が無いことじゃ。下僕の教育もご主人様の仕事だから、教えてやらなくもないぞ?」
「さーて、トイレトイレ」
「あー待って! 待ってくれ! 待ってください! 下僕様!」
 主従逆転。歴史上これほど簡単に下克上が行われた例はないだろう。戦国大名真っ青だ。てか、下僕様って。偉くなっても下僕なのね。
「もー……何?」
トイレに行きたいのはほんとなんだけど……
「率直に答えるがよい。 良は我と同じクラスで嬉しいか?」
「なんだよ改まったと思ったら……嬉しいに決まってるだろ」
 僕はにこりと答える。いじり甲斐があるやつはなるべく近くにいたにこしたことはないからね。
「にゃはは! いい返事じゃ!」
「只見、おまえはどうなんだ?」
「わらわか、もちろん嬉しいぞ」
 即答。
「そ、そうか……」
 僕は自分の口の端がひきつるのを感じる。ここまでされてまで……僕のご主人様は、少しMなのかなぁ? 少し心配。
 話題転換も兼ねて、僕は面白そうな反応が返ってきそうな質問をぶつけることにした。
「なんだい。只見は僕のこと好きなのか?」
「うぬ?」
「え?」
 只見は不思議そうに首を傾げた。おーん? 思っていた反応と違うぞ? これは『聞こえなかったぞ? もう一度言ってくれぬか?』のパターンか? いやいやまてまて。……もしかして僕は二年生になって早速黒歴史を作っちゃったのかしら?
「良は何を言っておるのじゃ。わらわは昔からお主のことを好いておるぞ?」
「……え?」
「言っておくがlikeでなくloveのほうじゃぞ」
 くだらないことを言ってしまったな、と照れたように笑う只見。少し離れたところで、誰かが椅子から落ちる音と何か分厚い本を落としたような音がした気がするが、僕はそれを気にする余裕がなかった。
「そ、そうか」
 なんとか平静を装う。
 ……リケじゃなくロヴェ。んーますます心配になってきたぞ? 僕の知能じゃなく只見が。僕がお父さんだったら僕みたいなやつは即猪苗代湖なんだけどな。
 てか、只見のお父さんって……はあ、そうだった。考えるのはやめよう。
 ひやりと背中を汗が伝うのを感じる。まさかいじっているつもりが、気付けばなぜか追い詰められている……。再度主従逆転。嗚呼、強者の栄光、風の前の芥のごとし。
「まあ、下僕である、お前にそこまで好意を向けられておるとな、飼い主としても少しは返してやらぬと可哀想だとおもってな」
ふふん、となぜかドヤ顔の只見。
……んんん?
あ、あれ? もしかしなくても、ずっと前からこの子は僕のからかいを何か別のものと勘違いしちゃっていたということなのかな? まぁ、愛のないからかいはいじめになるから僕が只見に対し何かしらの愛を持っているのはたしかだけど、それはどうも只見の言うそれとは区分が違う気がする。
 んー……僕の鈍色の脳細胞が経験をデータにはじき出した予測は、なんかとても取り返しのつかないことになりそうな未来。
 つまり、この誤解は早めに解決すべきものと言うわけで、
「な、なぁ、只見。そのことなんだけど――」
「おー、みんなおはよーさん! 元気にしとったかー?」
 ガランと扉が開けられ入ってきたのは熊、……だと思ってしまうほどの大男。彼は教室を見渡し一度満足そうな顔をした後、教室に入ろうとして――豪快にドア枠に頭をぶつけた。
……しかし残念。これ、生徒に自分に対する第一印象を良くしてもらおうと彼自身が考案したパフォーマンスだとわかっている僕は全く笑えない。というか、皆知っているのか教室の誰一人も笑っていない……一人を除いては。
「父上は全くどじっこじゃのう。なあ良よ」
そう、ただ一人、娘の只見華を除いては
「そ、そうだねーどじっこだねー」
いかん完全に棒読みだ。てか、誰がどじっこだって? 誰が見ようとありゃ、東北の雪山で何人かは殺ってるだろ。そもそも、去年僕が初めてあの人会った時、あの人校門前で他校の不良が乗ったナナハンが誤って暴走したの片腕で止めてたんだよな……
「ほらー席座れーホームルーム始めんぞ」
彼は黒板の前に立つと、教壇にファイルを無造作に置いて、もう一度見渡して――
――目が合った。
「……おい、東和」
「は、はい! なんでしょう!」
まさかの指名に、思わず声が裏返る。いや、そりゃそうだ。女の子を子供に持つ男にとって自分の愛娘の近くにいる男は殺すべきの敵。僕は先生がどんな目をしているのか直視するのが怖くて、即座に自分の身体をきれいに45度曲げる。
「そ、そう言えば仁之助先生。今年はこ、このクラスなんですね」
「ああ? なんだ、不満か?」
「い、いえいえ、滅相も。よ、よろしくお願いします」
 頭は下げたまま答える僕。しかし、なんと言うことでしょう。僕の耳はぺたぺたとサンダルが床を叩く音が近づいてくるのが聞こえてくるではありませんか。
 そして僕の両肩にごつごつと岩のように硬くずっしりとコンクリみたいに重い何かが置かれる。
 そう、それは幾多の命を天へと送った(推測です)拳。それは今、愛する娘を守るために僕に向けられている。
 本能は僕に告げた。
 死んだな――と。
「なるほど。お前が『あの』東和か……ふん」
 ……あれ? 自分の肩から伝わるのはぽんぽん叩かれている感触。
それは重く痛かったが、なぜか悪意や殺気めいたものは含まれていなかった。
「ちゃんと挨拶しに来い」
……ん? 僕は顔を上げる。ここで初めて先生の顔を見た。
「お義父さんはいつでもお前を出迎えるぞ」
満面の笑みだった。
「……え、は……はぁ!? えぇ!」
「そういう訳じゃ、良よ。また、後での」
「え!? ちょ、只見!? あ、あー」
 てこてこと只見は自分の席に返って行った。後ろ姿がどことなく嬉しそう。
「んじゃー出席取るぞーみんなの二年生最初だし、威勢のある声を先生は聞きたいなー」
 先生も何事もなかったかのように戻っていく。でもやだ、背中がとっても嬉しそう。
 学級内で起きた騒ぎは皆の想像にお任せする。
僕は自分の席に腰を落とし、開いている窓の外を見た。すがすがしいほどの晴れ、これが俗に言うスカイブルー。心地よいやわらかく新しい香りが春の陽気とともに教室内に入ってくる。
 なのに、なんでだろう。僕の口から洩れるのはため息。
 僕の推測は当たったようで大外れ。
 取り返しのつかないことには、すでになっていた。

 一限開始のチャイムが鳴る。
と言うわけで、東和良16歳。今年の四月 、高校二年生になりました。(終)

     

「帰れ」
 第一声がこれだった。
 ここは生徒会室。
 学園の生徒活動を取り締まる機関である生徒会。その拠点は授業を行う教室からもグラウンドからも離れた特別棟最上階4Fの一番奥。なんでこんなところに配置したかは不明だが、こんな辺鄙なところにあるがゆえ、まるで学校にいるとは思えないくらいに、はたまた世界から隔離されたかのようにこの部屋には一切周りからの音が入ってこない。
 僕は適当な椅子を引っ張り出して座ると、この部屋の主とも言える存在、生徒会長、須賀川堅太と向かい合う。
 185cmと僕よりも頭一つ高い身長に、いつも仏頂面だが悪くは決してない顔。短くさっぱりとした黒髪と着こなす制服は第一ボタンまでキッチリと留めていて、制服に関しては毎日手入れをしているのか汚れひとつ見当たらない。そしてなによりも、彼の左腕で圧倒的存在感を醸し出す白文字で大きく刺繍された『井谷田高校生徒会』は見る者よっては畏怖までも感じるかもしれない。
このように生徒手帳を地でいっているこの男。性格に関しては僕と正反対で価値観が全く合わなそうなのだが、一年生の時から僕は今のようにしょっちゅうこの部屋を出入りしている。まあ、控えめに言って良き親友ってところかなっ?
「もう一度言う。帰れ。部外者は原則立ち入り禁止だ」
 そう友達。
「ひどいなー。初日早々生徒のために汗を流されておられる生徒会長を労わりに参上したというのに」
「頼んでないことはするな」
「わーお、ザ・管理職。将来イヤな上司になるよ」
「はいはい、それはどうも」
 僕らは友達!
「なんで、泣いてるんだ?」
「いや、埃がちょっと」
 僕は涙を拭いつつ、自分のカバンから数学のワークとノートを取り出し解き始める。須賀川がうるさく何か言ってくると思ったら彼は自分のタスクに集中していた。結構ここで勉強するから、もう注意してこない辺り諦めたのかはたまた許可したのか。まあ、少なくとも僕に構っている時間が無駄ってことに気付いたのだろう。
ちらりと須賀川の方を見る。彼はなにやら書類に目を通しながら眉間にしわを寄せて『まったく、無茶な申請だな……』などとつぶやいていた。
「まだ慣れない?」
 少したって、1ページ分を解いたあたりで僕はなんとなく尋ねてみる。
「ん? べつにそうでもない」
 視線はそのまま、書類から顔を上げずに須賀川は答える。
 そもそもの話、この須賀川と言う男、会長が引退するまで本来なら今の時期はまだ副会長のままなのだが、会長の三年生が提携校との交換留学でアメリカの学校へ現在行っているため急きょ繰り上がりでこの会長というポストに就いたのだ。
「ふーん、そう。……ねぇ、その書類全部見るの?」
 僕は彼の机を占拠する紙の束たちを指差した。
「あぁそうだな。ほら、生徒が学校の備品を使うためには申請して生徒会の許可がいるってことはお前も知っているだろう? それでこの高校って意外に規模が大きいからな。この量になるのは仕方ないのだ」
「そうだけどさ。これを一人で全部やるの? 分担とかした方が」
「なんだ。手伝ってくれるのか?」
「いや、遠慮するけど」
「なんだ、しないのか」
 即答。そりゃあ一発目から帰れなんていう子のお手伝いなんかしたくありませんよ。 
「……でも、まあ? どうしてもって言うな――」
「いや、遠慮しよう」
「なるほどね」
 即答。僕は笑った。須賀川は眉を少し動かしただけ。
 僕は二人きりの教室を見回す。
「えーとつまりね、僕が何を言いたいかというと、他の奴らはどうしたの? ってこと。ほら副会長とか書記とか会計とかいるでしょ?」
「…………」
 須賀川の動きがピタリと止まり、手から書類が落ちた。
「?」
「あー……それなのだが」
 須賀川は書類を拾い直すと、ポリポリと恥ずかしそうに頬をかき、
「会長の留学が決まった際にみんな辞めてしまったのだ」
 ……え?
「ごめん。文面上の意味は分かったけど。どうゆうこと?」
「そもそも、うちの生徒会は会長ありきで成り立っていたからな。会長のカリスマ性が他の奴らを引っ張ってきたわけで逆を言うとそれが無ければ生徒会はなくなっていただろう。そして実際にそれが起きた。会長が去ることが決まった瞬間に『会長がいないならここにいても』とみんなここを去って行ったのだ」
 窓の外、遠くを眺める須賀川。ちょっぴり感傷に浸っているのだろう。でも、みんなって……まったくどんな生徒会長だよ。因みに僕は会ったことがない。何度もこの部屋には遊びに来ているはずだが、タイミングが悪いせいかなんなのか、今でも不思議でならない。
 それにしたって、みんな薄情だな。僕は少しでも親友を励まそうと少ないポキャブラリーから言葉を探して……
「結論、今の生徒会は俺だけだ……なんだその哀れむような目は」
「いや、人望無いなって」
 探すのを諦めた。キャパを越えた無理は良くない。
 つまるところ須賀川はぼっちってことだ。
「そんなことわかってる」
「人望無いな」
「なんで二度言う」
「大事なことだったので」
 重要なことは忘れないように何度も口に出していくスタイル。
「というより、東和。いるなら頼み事あるのだが」
 視線を紙に戻してそうのたまう須賀川。ねえ、それが人にモノを頼むときの態度かしらん?
「ごめん、今勉強で忙しいんだ」
「おい、そもそもここは自習室じゃない。勉強なら図書館でしろ」
「僕、図書館の雰囲気苦手なんだよね」
「だからってこの生徒会室でしていい理由にはならない」
 そりゃそうだ。正論。
「でも書類ならさっき言ったよね。『丁重にお断りさせていただきます』って」
「厳密にそうは言っていないが、そうだな。俺もこれはお前に触れて欲しくない」
 そう言って、須賀川は山の上にぽんと手を乗せる。
「じゃあなんだい。面倒なのは勘弁だよ」
「それはお前の捉え方次第だが……やってくれるのか?」
「あーここで生徒会長に借りを作っとくのも悪く無いな。のちの学校生活のどこかの場面で役に立つかもしれないし」
 もちろんさ。なんか見た感じ大変そうだし、それもあの須賀川からの頼みだ。ぜひ引き受けさせていただこう。
「……東和、口に出るの、本音と建前が逆になっているぞ」
「おっと、これは失礼」
「で、やってくれるか?」
「まあね、暇だし」
 と言ったもののカンマ1秒後にしまったと思う。
 内容を聞くのを忘れていた。なんたる不覚! ああ、『東和、お前が生徒会入れ』とかだったらどうしよう。確かにそれなら須賀川が言った『お前次第だから』に当てはまる。須賀川と仕事か……おっと? 僕、もしかしてまんざらでもない?
「おい、東和。お前鏡見た方がいいぞ。気持ち悪い顔している」
 失礼な。親父にだって言われたことないのに。ちなみの母には定期的に言われています。
「で、なに?」 
「お前にだけできること……生徒会に何人か引き込んでほしい」
 やっぱそうきたか。人望ないからなー。
  ここで思い出してほしい。
 須賀川は僕の友人。
 僕は自分の中でテンションが上がっていくのを感じる。
「副会長、書記、会計、庶務の四つが空席だけど、僕が入るってので一つは埋まったね」
「あ、すまぬ。東和はなしでたのむ」
「うん、わかった。断っていい?」
 やっぱそうくるか。
 ここで思い出してほしい。
 僕の友人は須賀川ってことは、須賀川の友人が僕であることを意味しないことを。
 僕は自分の中でテンションが急激に下がっていくのを感じる。
「おいおい、男に二言はないはずじゃないのか」
「えーだったらもう女でいいや」
「いいはずないだろ……」
 はあ~と須賀川は深いため息をつく。僕の方がつきたいよ。
「……東和。ここはミートショップホズミのギガメンチでどうだ」
「食べ物で僕をつるとはずいぶん僕も……なにホズミのギガメンチだと?」
 説明しよう! ホズミのギガメンチとは通常のメンチカツの3倍に相当する240gのメンチカツでその大きさは団扇ほど。20分じっくりと揚げられたそれ、外は特性の荒い衣にサクサクと歯が心地よく刺さり、中は噛めば噛むほど肉汁が溢れんわ溢れんわ。しかもこれ、驚くことに320円ととってもリーズナブルってこともあり、運動部の『おやつ』として大人気なのだ。
「……っふ、任せとけ」
 僕は親指を立てる。
「頼んだ」
 須賀川はほんの少しだが口の端を上げる。
「結局、なんだかんだいっても、友人の頼みだしね」
「あ、ああ……」
 最後、須賀川が僕のこの言葉に『友人?』と呟いたのは聞かなかったことにした。(終)

     

《それ学級日誌に書く必要ないだろ?》
作;笹塚とぅま

【p5:コウバイ】

 学校に来る楽しみの中に、昼食を上げる人がいる。僕の場合もそうで、みんなでなくても、学校で食べるご飯というものはいつもと違った感じで嫌いじゃ無い。むしろ大好きだ。なら最初からそう言え。
 4限終了のチャイムがなり、クラスメイトがぞろぞろと廊下に出るその群れの中にこそっと交じり、目指す先は購買。
 うちの購買はお店が出張販売の形式をとっており、売りはその種類の豊富さ。決まったのをさっと買って行く奴もいるが、僕は違う。毎日刺激に飢えている僕は常に新しいことに挑戦して行きたい。ゆえにこのお昼選びは僕にとっては、人生であり……まあ、大事なのだ。
 などと思ってる間に購買に着いた。生徒たちがわらわらとショーケースの中を見て思い思いに自分の欲しいのを売り子のおばちゃんに告げている。
 うむ。毎度ながら混んでいる。僕はショーケースをさっと流し見る。
定番のあんぱんジャムパンクリームパン。サンドイッチに焼きそばパン。チョココロネにフレンチトースト。ん?エッグベネディクト、ジャガ明太のパニーニ……君たちははじめましてかな。
 なるほど今日はパンの日か。
 あ、さっき言い忘れていたけど、購買にはおにぎりの日とパンの日があり、今日は後者だ。
 さて、どうしたものか。
 一個は確実に決まっているんだけど。様々なパンを前にして僕は思考に入る。
 2個という個数と463円という制約直線下で、僕の効用を最大化するパンのポートフォリオとは……
 そんなことを考えている間にもどんどん母集団は減っていく。
 僕は考える。パン次第でこの後に買う飲み物が決まる。つまり、パンは独立変数Xで飲み物は従属変数Yとなる関数が僕の頭の中にあるわけで、わお!さっきやった数学の復習までできるなんてまさに一石二鳥。みんなも試してみてね!
 ふむ、ふむふむ、ふむっ!
 ……よし、決めた。
 シミュレーションを重ねに重ねた僕の脳がはじき出した結論とは、
「お姉さーん、そばめしパンといちご大福パンください」
 はいよ、との声と引き換えに僕は代金の350円を渡す。ここで大事なのは、おばさんを『お姉さん』と呼び、お金を手渡す際に、なるべく丁寧に、そして、マック店員顔負けのスマイルを添えてあげることだ。
「いつも、ありがとね。ほら、特別だよ」
 とまあ、そうするとこんな風に何度目かわからない『特別』で、もれなくあんぱんがついてきます。ここテストに出るよ。
「ほう、東和。お前面白いものを頼むんだな」
「ん? ……げっ」
「げっ、てなんだよ。そんなに俺と会ったのが嫌かよ」
 日焼けした肌に、爽やかなマスク。柔らかそうな髪は風になびき、運動部で作られた無駄な脂肪のない引き締まった身体や、盛り上がる筋肉は彼を一目見た異性を虜にし、現に購買の『お姉さん』もうっとりと彼に見入ってしまっていた。
 会津一。僕の一個上つまりは三年生。彼をカテゴライズするならばスポーツ系イケメン。彼は安積と同じ陸上部の部長でプリンスオブスプリント、またの名を『矢田和のチーター』と呼ばれている。
 まあ、先輩がイケメンなことは置いておいて、大事なのは先輩が僕のパン購入を終始見ていたことだ。なんかあれですね。自分の個性を覗かれるみたいで恥ずかしいのもあり、逆に自分の個性を見せつけるって考えるとむしろ堂々としているべきじゃないか、などなど悩んでしまう。なんか、露出狂の発想に似てきたな。
「いや、プライベートでは。あとパブリックでもちょっと、ね」
「つまり、お前にはいつ会ってもそんな態度をとれるわけか」
 わあ、ほんとだ。なるほどね、僕はこいつが苦手なのか。新たな気付きをありがとう。
「それで、僕にいったい何のようでしょうか?」
 他人行儀を前面に押し出し僕はとっとと用事を済ませに走る。
「まあ、なに。この前はわさわざすまなかったな。感謝する」
「ああ、そのことですか」
 その話か。
 僕はつい最近ちょっとした工作をしたのだ。こ
「で、どうだったんですか?」
「なんでも、好きな人がいるそうで」
 なるほど。ふられたか。
「で、東和。またあんたにお願いしたいのだが」
「なんですか、面倒なのはお断りさせていただきますけど」
「あいつが惚れている奴というものを探して欲しい」
 聞いてないし。まあ、慣れているのでわざわざ口に出したりはしない。
んでなになに。今度は相手の素性調査ですか。
「はぁ、ですが先輩。そういうのは自分で探すのが筋なのでは?」
「それはわかっているし、俺もそうしたい。しかし部活で大会が近くてな」
「ああ、高体連の県予選ですもんね」
 安積からよく聞かされるから僕も日にちは知っている。いや日にちだけじゃない。全競技のタイムテーブルは諳んじれるはずだ。
「でも、部活を理由にするのはどうも違う気がします」
 そう言った直後僕の中に疑問が湧く。
「先輩。そもそも探してどうするおつもりですか?」
「ああ、それか。気になるか?」
「そりゃまあ」
 答え次第では情報にフィルターを掛けさせていただきます。
「……ははっ」
「いや、答えてくださいよ」
 爽やかな笑顔がとっても素敵、カッコいい、惚れちゃいそう! でもなんだろう、その笑顔とっても怖いです。
 でも、やだなー。断りたいなー。須賀川の案件なんか未着手だし。そもそも、僕そんなお人好しじゃあないんだよね。
「なんだ……ああ、心配するな。メリットはちゃんとだそう」
 いやそうじゃないんだけどな。先輩の『わかってるぜ。お前はそう言う奴だもんな』って顔がすげぇ腹立つ。
 でもいいや。見返りだけでも聞いておこう。……ふふ、自分言うのもなんだけど、僕を満足させるものを提示するのって相当ハードル高いことだからね。正直言っちゃうと会津先輩がそれを出来たとは到底思えな――
「そうだな、俺が受けてきたテストの過去問全教科を――」
「やらせていただきます」
 僕はサムズアップする。グッド、グレート、エクセレントですよ会津先輩。やはりあなたと言う方は僕のニーズをわかっていらっしゃる。数行前のこと? ああ、あれはうそじゃ。
「んじゃ、たのんだぞ」
「へいへい」
 完全に下っ端になっている感が否めないがこれは進級のため。そう仕方ないことなのさっ!
 これで話は終わりだと思っていたが、会津先輩は去らずに、なぜか僕の顔をじーっと見てくる。……あの、言っておきますけど、先輩はそういうのもいけるクチですか? 残念ですが僕はそういう趣味は持ち合わせてないというか、一生女の子だけ好きでいたいなーなんて。
「一応聞くが、東和」
「な、なんでしょう……」
「お前何かこころ辺りはないか?」
「……ははっ、まさか」
 先輩らしくない、じめっと粘着質な声だった。
 僕は笑ってごまかした。
 それしか方法が無かったからで、この言葉で返すことしかできなかった。……あ、そうそう。笑って許されるのは小学生までだそうですね!
「そうか。んじゃ、また」
 別れ際、にかっと笑顔で右手を上げ爽やかに去ってゆく先輩は実に彼らしく、さっきのは全くの嘘のように思えてしまう。
……なんだかなー。
僕は自分の頭を掻きむしった。
「おーい、とーりょー!」
 どん、と背中が叩かれる。振り返ると体操着の安積が立っていた。
「ここで、何してるん……げっ」
どうやら彼女、廊下のずっと遠くで今まさに角を曲がろうとする会津先輩を見つけたらしい。目いいな。
「 何、アレと話したの?」
「アレって……まあ、雑談かな?」
 部長を、陸上部のプリンスをアレ呼ばわりする副部長の将来を恐ろしいと思いつつも、僕はあえて先輩との会話についてははぐらかした。
「ふーん、そう……ってあ! そばめしパンじゃん!センスいいねーもーらいっ!」
 ガサゴソと僕の袋から無理やりお目当てのものをサルベージする安積さん。ちょ、あ、ああ、だめ、強引なのはだめったら、ら、らめーっ!!
「ちょ、ちょっと待って僕取るから……ほれ」
 これ以上袋の中を蹂躙されるのに耐えられなかった僕は大人しく献上する。
「無抵抗かよ。つまんないなー」
むーっと不機嫌になる安積。言っておくが僕にノリの良さを求めるな。
「抵抗も何も、だってもともとそれ、安積にあげる予定だったし」
「え……」
 安積の表情が固まった。
「あ、あれ? 好きじゃなかったっけ、これ」
「……う、うん」
 こくこくと首を振る安積。よかった、間違ってはなかったみたい。
「昼練だったんでしょ? お腹空かせて教室に戻ってくると思ってさ」
「ど、どうも……」
 そう言って両手で大事そうにパンを抱える安積。まあ、金銭的には痛いけど、そんなの昼練が終って、『お腹減った~、あ、これ好きー、もーらいっ』って自分が食べる予定のパンを安積に理不尽に取られるよりはメンタル的にましなんだよね。
「あ、あのさ……」
 視線があっちこっちに泳ぎつつ足元が落ち着かない安積。これは言いにくいことを言いだそうとするときの彼女の癖だ。
「ん?」
「本当は何を喋ってたの?」
 じーっと僕の目をのぞき込む安積。その目に宿る漢字は『疑』……おじさん悲しい。
 でも、嘘が専売特許の僕。そんなことでボロを出しはしない。
「なに~、部長との会話、そんなに知りたいの? あ、なるほどね~」
「ば、バカじゃん? んな訳無いし!」
「もー照れちゃって。『副部長』だから気になるのはわかるけど本当に大したことじゃないよ。ほら、『これ案外いけるから東和もどう?』って話」
 そう言って僕は袋から先ほど買ったいちご大福パンを取り出す。
「あーもう。お昼食べる時間なくなっちゃうじゃんか」
 時計を確認し、教室に向かおうとする僕。しかし、それは制服の袖を引っ張られることで阻止された。
「ねえ、とーりょー……なんで聞かないの?」
「聞くって何をだい?」
「あれのお膳たてしてやったのとーりょーでしょ。わかってるよ」
 とーりょーのやることは全部知ってるんだから、そうつぶやく声は普段の安積からは想像がつかないほど不安が滲んでいた。
「…………」
「ねえ……もうやめてよね。ああゆうことさ。割と傷つくからさ」
 僕は何も言わない。頭の中で先ほどの安積の言葉を反芻していた。
 全部知ってるんだから、か。
 結局のところ、僕はあの日から何か変われたつりでいたのに結局何一つ変われてないんだな――いでっ。
「なんだよ」
「ん」
 明後日の方を見ている安積。その指は僕の後ろに鎮座する自動販売機に向けられていた。
「ジュース、おごり」
 口をとがらせてそう言う彼女に僕は諦めとばかりに大げさに肩を落としてみせる。
「はいはい、何にする?」
 そんな僕の反応に、安積の顔には満足とばかりの笑顔がぱあっと戻る。
「とーりょーが選んで」
「んー、あ、そうそうこれ。五つ星サイダーきな粉棒味とかどう――」
「あぁん?」
「……冗談です」
 怖いよー、乙女の顔じゃないよー……もうなに、僕に選択肢は名目ってことかよ。
「あ、このカルピリおでん味とか、前飲んだ時――」
「死ね」
 ……とまあ、安積となんやかんや言い合いながら、たった一本のジュースを選ぶ。
 五限開始のチャイムはとっくに鳴り終わっていた。(終)

       

表紙

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