塀沿いにはびっしりと雑草が生い茂っていて、ひと際陰の深い“そこ”が野良猫の定位置らしかった。“そこ”は目の前の道路からほど近く、花見の鳴らす足音には必ず顔を上げて「またお前か」という顔をした。野良猫が寝ている時は、小石をぶつけてでも目を覚まさせた。飛び起きる野良猫に対し花見は惚けたように無表情を貫きながら、少しずつ、ゆっくりと、右手の人差指を持ち上げる。チッ、チッ、チッ、と舌を鳴らす。野良猫は踵を返し、空き地の奥の方へと逃げてゆく。野良猫の姿が見えなくなっても、忙しく揺れる雑草がその位置を教えるには教えてくれる。それでも決して深追いしたりはせずに、その場に立ち止まって浅く溜息を
花見は決してしゃがんだりはしなかった。体を真っ直ぐ野良猫に向けることもしなかった。直立不動で足を止め、野良猫にだけ見えるように、こっそりと腹の陰で指を動かすだけである。
花見は道路の真ん中を歩いた。
どこでもというわけではない。いつもの野良猫がいる、いつもの道路を歩く時だけである。その時に限り、花見は必ず道路の中心を歩き、“定位置”の前で足を止め、指を踊らせながら舌を鳴らす。お世辞にも野良猫に懐かれているとは言い難いにも関わらず、だ。雨の日も風の日も雪の日も。一年中、ずっとだ。
――例えば、こういう話だ。
近所の子供たちに飴玉を配る男。男は常に懐に飴玉を潜ませ、小さな子供を見かける度に飴玉を配った。なにか見返りなど求めている訳ではない、無論、誘拐など目論んでいる訳でもないし、毒入りでもない。子供たちは嬉々として飴玉を口へと運ぶ。ただただ、子供に飴玉を配って笑顔でバイバイを言う。それだけだ。
ただし、男の配る飴玉は少し大きめのものだった。男は市販されている飴玉の中から大きめの商品を選んで、それを持ち運んでいたのだ。
それを子供に配り続ければ、一体、どうなる?
いつも食べる飴玉よりも一回り大きいそれを喉に詰まらせて、命を落とす子供が出てくるかもしれない。どこの誰かも知れない男から貰った飴玉で、たった一人で。無論、何も起きないかもしれない。一生、ただただ飴玉を配り続けるだけかもしれない。それでも、もしもいつか誰かが死んだ時。男はたしかに自覚していたのだ。自分の配る飴玉で、子供が命を落とすかもしれないと。落としてくれるかもしれない、と。
花見が道路の中心を歩くようになってから、一年と半年後。野良猫は少しずつ花見に対して心を開き始めていた。花見の踊る指先に恐る恐る駆け寄る日もあれば、相変わらず見向きもしない日だってある。その程度の付き合いだが、この日、野良猫は花見に釣られた。
「チッ、チッ、チッ」
花見の鳴らす舌に野良猫は素早く反応した。ぴょこんと体を起こし、雑草の森を抜けて花見の足元に向かって駆ける。
次の瞬間、花見の横を通過しようとしたトラックの車輪が野良猫の体を噛んだ。
女の叫び声のようなブレーキ音、骨が何本も重なって折れる音、野良猫の断末魔。鮮血が花見の顔を
花見はあくまで無表情のまま右手で血を拭ったが、どうやらそれだけでは拭いきれないと判断したので、背中に背負った鞄を体の前に回し、中からハンカチを取り出した。
『ごねんにくみ はなみりんぞう』
ふと、母が書いてくれたネームが目に入った。
念入りに顔を拭いた後、赤く