Neetel Inside ニートノベル
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力を持ってる彼の場合は
第三十一話 自覚する本気

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鬼性種きしょうしゅが三体、思ったより少なかったな。その内の一体は平安時代に暴れ回った逸話のある、日本史上最大最強と謳われる大鬼)
日暮れの街を見下ろす青年が、ビルの屋上から現在の状況を感じ取れる気配のみで大方予測する。
(酒呑童子は神門守羽へ、他配下二体はもう一人の方へ行ったか。どちらも単身では相手取るのは厳しいだろう。勝ちの目は限りなく薄い…か)
尖った耳を黒髪で隠した妖精の青年レイスは、ただひたすらに状況を観測していることに徹していた。
神門守羽との接触・交戦後に本来であればすぐさま戻って組織内に持ち得た情報を伝えなければならなかったのだが、餓鬼の発生による鬼の襲来が予期されていた今の時点では刻一刻と状況が変化していきかねない。ある程度落ち着くまではこの場に留まり情報収集に徹するべきであると判断した故の街への残留だった。
そして予想通り、状況は動いた。レイスの予想ではもう数日は猶予があると思っていたが、鬼達の動きは餓鬼の発生時点から見ても早い。それほど神門守羽に執着していたのだろうか。どうにも何か確執なり因縁なりがありそうだが、レイスには知る由もない。
そして、レイスはこの一件に関わるつもりも毛頭なかった。ただ神門守羽を中心に動く状況を観測する為だけにここにいるのだから。
しかし、同行してきた少女はそうではなかったらしい。
「ん~……」
頭頂部に生えた二つの猫耳をぴくぴくと動かしながら、猫娘シェリアは落ち着きなくレイスの周囲をぐるぐると動き回っている。
レイスは軽く息を吐いて、意識の集中を景色の向こうから手近な少女へ変更する。
「どうした、何か聞こえるのか?」
しきりに動く耳を両手で押さえて、白いワンピースの裾から覗く尻尾をせわしなく動かして、ぺたんと屋上の地面に座り込んだシェリアはこくんと頷く。
「うん。壊れる音と、こわい声。このままだとミカド、鬼にやられちゃうよ」
「だろうな」
「いーの?」
「……さて、良いか悪いかで言えば」
そう訊ねられてしまえば、答えを即座に判断できないレイスではある。
シェリアの方もレイスの回答にはさして興味がないようで、
「…あと、シノ。とってもこわい声と、おかしにゃ感じ。どうしたんだろ…」
「神門守羽と共にいた少年か。今は鬼二体と交戦中だ」
「勝てるかにゃ?大丈夫?」
「人間では鬼には勝てない」
もちろん、それはただの人間であった場合の話だが。それでも生半可な異能を有しているだけの人間でもそれは同じことだろう。
「うーん、うーん……」
レイスの素っ気ない言葉に耳と尻尾をぱたぱた動かして、シェリアはしばし黙考する。
「んー、よしっ!」
何を考えているのやらと思っていたレイスに、考えが纏まったらしきシェリアが勢いよく立ち上がり声高に、
「ね、レイス。あたしちょっとシノんとこ行ってくるねっ」
「…なんだと?」
またいつも通りおかしなことを言うのだとわかっていたレイスにとっても、その発言は意外なものだった。思わず聞き返してしまうのも織り込み済みのようにシェリアはにぱっと笑ってこう続ける。
「だってシノ、すっごく苦しそうだし、助けてあげたい!」
「助ける、とは。相手は人間だが」
「関係にゃいよー。だってシノおもしろいし!いいニンゲンだよ」
黙考して出した末の言葉だとしても何も考えていないようにしか聞こえない。レイスも思わず目を細めて自身の耳をぽりと掻く。
「シェリア。俺は、お前は人間をあまり好ましく思っていないと認識していたよ」
「石投げてきたりするニンゲンはきらいだよ?でもシノはあたしのこと人外だって知っててもふつーだったから、だからいいニンゲンにゃの!」
「そ、そうか…うむ」
あまりにも単純な考えに、レイスもどうやって言い聞かせたらいいものやらと悩んでしまう。
「ねーねーいいでしょー?あっちの鬼にゃらあたしでも大丈夫だからぁ」
まだ心身共に幼いシェリアとて、人外として自分と相手の比較くらいは出来る。確かにシェリアの言う通り、酒呑童子には歯が立たなくとも、今現在神門守羽と共にいた少年が交戦している鬼であればまだまともに相手できるだけの強さはシェリアにもある。
問題はその二体に同時に襲われた場合は流石に無事では済まなそうなことだ。正々堂々真正面からの一対一であればさして問題はなさそうだが。
「危険なんだぞ」
「知ってるよ」
「痛い目に遭うことになる」
「レイスとかラバーとよくやってるじゃん、くみて?とかいうの。痛いのも知ってるよ」
「あの比ではないと思うが……」
「もーいいから行かせてよー!シノが死んじゃうじゃんっ」
最終的には駄々をこね始めたシェリアに、レイスも結局は大きな溜息一つで諦めてしまう。分かっているからだ、こうなると駄目だと言っても勝手に行ってしまうことを。
強引に取り押さえてしまうことも出来る。出来るが、それは極力やりたくはない。仲間だし、なにより大切な同胞で、そしてレイスにとっては妹のような存在だ。手荒な真似などもっての外。
だから結局、
「…わかった。許可する。痛くて泣きそうになったら戻って来い。死ぬかもと思ったら逃げて俺を呼べ。絶対に無理はするな。これを守れるなら」
「守る守るっ!ぜったい守るから行ってくるねーっ」
「あっ、おい!」
両手を上げて適当な返事をしたシェリアは、言うが早いかビルの屋上から飛び降りて姿を消してしまう。首根っこを掴んでやろうと思ったレイスの手などとうに届かず。
「はぁ。…俺が甘いからこうなるのだな」
我儘を言わないという約束で連れて来たというのに。それを強く言えないのも自分の不甲斐なさのせいなのだと、レイスは猫娘の少女に非を押し付けることもなく自己解決させてしまう。
シェリアがいなくなったことで、再び風の音以外は何も無くなった静かな空間で、レイスは意識を廃ビルが乱立する方角へ向け直す。
(神門守羽。奴の力が本当にこの程度なら、もうじき奴は死ぬ。それを、俺は黙して見届けるべきか、あるいは……)
『神門』の血筋を引いているという理由で一時は冷静な思考を放棄したが、奴とてもう半分は自分達と同じ性質を継いでいる。
見殺しにしてもいいものなのか。
(俺も、シェリアのような短絡楽観的な思考を持てればいいのだが)
こういう時は、あの少女の自由奔放な考え方が羨ましくなる。
それは自分には決してできない、好悪で損得を無視した行動ができる無邪気で純粋な考え方だから。

     


『君も彼の『あの状態』を知っているようだから言うが。最初、私は彼がああなる切っ掛けとなるものは、自身の生命の危機だと思っていた。自分の生死に関わる場面に陥れば、嫌でも自覚するのではないかとな』

頭に浮かぶのは、いつもあの言葉。

『だが違った。彼は自分の死に際になっても自覚しようとはしなかった。ただ、君の命の危機となれば、彼は自ら嫌がる自覚を意識しようとした。結果がこれだ』

それはあの柴犬の姿形をした、老齢の言葉。都市伝説の古参に数えられる、あの人面犬が聞かせてくれた言葉。

『神門守羽は自分の為ではなく、他者の為に力を発揮できる者だ。逆に言えば、君のように身近な親しい者がいなければ彼は呆気なく死んでしまうだろう。だから君はそれでいい』

老犬が予想する、神門守羽という人間の本質。そしてそれに関連する『引き金』としての要素。その一つが久遠静音であると判断したその理屈、その在り方。

『安心しなさい。君がそこに居ることが、ただ在ることが、彼にとっての力になる』

彼の為になれることがあるのなら、彼女は迷わずそれを選択する。例え自身の命が危険に晒されることになろうとも。
だから静音は逃げない。
彼の為に、彼の生存の為に。
彼女はただ逃げずに其処そこに在り続ける、彼の傍に居続けることを選ぶ。
これが、闘う力を持たない久遠静音が唯一取れる彼女なりの闘い方だった。



どうして。どうしてそこに。
逃げ切っているだろうと安心していたのに、静音さんはそこに立っていた。
「ごぁ、がふッ!!……し、静音さ……逃、げ……」
吐血が止まらない口から出そうとする声が、血液に邪魔されてうまく出ない。呼吸すら怪しくなって、意識が朦朧とする。
「コイツが心配になって戻ってきたか?女」
「……守羽」
大鬼が軽い調子で静音さんに話し掛けるのを、彼女は一切無視して俺を見る。
酒呑童子は、そんな静音さんに対して不機嫌になるどころかクカカと楽しそうに笑う。
「女のクセに鬼を前にそんな毅然としてられんのは大したモンだ、やっぱいい女だなテメェは。殺すのは惜しい。惜しいが」
ザッ、と一歩踏み込んだ鬼の姿がほんの一瞬ブレたかと思うと、次にはもう静音さんの目の前にまで移動していた。
その右手首を掴み、巨漢の大鬼が静音さんを真上に引き上げる。
「ぅあっ!」
強引に手を握られ両足が地面から離れた静音さんが、苦悶の表情を見せる。
体外に流れ出るものも含め、全ての血液が沸騰したかのように熱くなったように感じる。
「テメェに『鬼殺し』を本気にさせる『引き金』たる要素があるんだとしたら、仕方ねェ。この場で八つ裂きにして鬼を殺した力を引き出させる。…いいツラしてんじゃねェか『鬼殺し』。オラよく見とけ、大事なモンがぶっ壊れる瞬間だ」
「ふ、ざけッ…!!テメ、やめろ。ごはっ…ぐ、ぶ……ッ」
叫んだ分だけ吐血量が増える。痛みが痺れに変わり、全身を倦怠感と脱力感が包み込む。意識がどんどん遠ざかり、五感が鈍く錆びついていく。
ーーーただしその代わり、違う感覚が冴えていく。
直感的に人間の持つ感覚ではないと確信できる、何か。
それが冴え渡り、俺に打開策を導いてくれる。
方法は至って簡単だ。
大鬼の言う通り、従えばいい。
認めればいい。
諦めればいい。
引き出せばいいだけのことだ。
やり方も知ってる。

俺を助けろ、力を貸せ、鬼を殺した力を俺に渡せ。

俺は俺自身にそう命じる。俺には鬼を殺せるだけの力は無い。前回だって今のままで殺せたわけではない。
思えば、状況はあの時とほとんど同じだ。静音さんが危機に晒され、俺は動けない。
だから俺は、俺自身に宿る俺とは違う俺の力を頼り、結果として俺ではない俺のような何かに助けられた。
『俺』ではない『何か』に。

(その言い回し、どうにかできないのかよ『俺』。わかってるくせに気付こうとしないまま遠回りに答えに行き着こうとするのは面倒だぞ)

繋がった、応えた。
なら『俺』は必要ない。もう俺が出しゃばる必要はない。

(いや、『おまえ』も『僕』も同じなんだけどな。そこら辺、まだ理解が足りないのな。まあいいや)

『俺』ではない『何か』は、諦めたような口振りでそれ以上続けようとはしなかった。
ただ、俺からのバトンタッチに対し、やたらその『何か』は友好的にそれを受け入れた。

(ああ、僕は『ぼく』を助けるよ。力は元々『おまえ』のもんだし、渡すというよりは返すって方が正しいが、それもまあいい)

なにやら小難しいことを並べ立てて、満足したのかそいつは俺の絶命に近づく肉体の主導権を掌握して表層に出現する。

(さあ行くぞ。僕が出てる間は前みたいに拒絶すんのはやめろよ。今回は相手がヤバい。『俺』と『僕』とでフルに力を使えないと静音さんが死ぬと考えろ。頼むから邪魔すんなよ?)




左手で静音の手を掴み上げていた酒呑童子は、右手で手刀を作りながらも視線はずっと『鬼殺し』に向いていた。どんな反応が出るのか、それによって同胞の茨木童子を殺した強大な力が現出するのかと予想していたからだ。
ただ殺すだけなら容易いものだった。だが、酒呑童子はどうしても見極める必要があった。あの人間が本当に大鬼を殺す力を持った人間だったのか。
鬼を殺せる力を秘めた人間を、その真価を見ぬままに殺すのはあまりにも不気味だった。だから酒呑童子は『鬼殺し』の本気を完膚なきまでに叩き潰す必要があった。そうすることで、ようやく鬼を殺せる力を殺したという事実が彼に安心を与えるからだ。
言ってしまえば彼は不安だったのだ。矮小で貧弱な人間種が、よもや我ら鬼性種を殺せるほどの力を保有していたことが。
だからそれを見過ごせなかった。その力を同胞を殺めたことを許すわけにはいかなかった。
その為に、わざわざここまで回りくどいことをしてまで『鬼殺し』に本気を出させようとした。
ひとまずは女を殺してみてから。それから様子を見て、まだ駄目なようなら別の手を考えて実行するまでだ。
そうして酒呑童子は流れ作業のように見もせずに手刀で女の首を撥ねようとした、その時。
視界に入っていた、横倒しになっていた『鬼殺し』の姿が土煙と共に消えた。
「おっ」
「……」
いきなりの急加速移動で追い切れなかったが、すぐに相手が自分の正面に回り込んできたのだと理解した。
振るわれた手刀を折れていた左手で押さえ、女を掴み上げていた腕をぐしゃぐしゃに潰れたもののギリギリ原型を保っている右手が握っている。
「出たか」
「呼ばれて飛び出てなんとやらだ。『俺』とテメエのお呼びに応じて出てきてやったぜ」
それまでとは纏う気配そのものが変化している『鬼殺し』は、その両腕に淡い光を宿していた。その光は腕全体を包み、その形を本来のものへと癒し戻していく。
治癒の力。
「珍しいモン持ってんな、『鬼殺し』」
「余裕だな?なら少し焦れよ大鬼」
酒呑童子の手刀を押さえ付けたまま、半分以上治り掛けていた右手の五指に力を込めて念じ唱える。
「百八十倍」
メキャァ!!
「ってェな!」
五本の指が酒呑童子の腕に食い込み、骨肉を圧迫して不快な音を立てる。強引に緩ませた手から人間の女が離される。
「二百五十倍、はあっ!!」
叫び至近距離で突き出された爪先が腹に沈み、初めて酒呑童子は身を貫く衝撃に目を見開いた。
くの字に折れて直線状にあった廃ビルの一階をダルマ落としのように吹き飛ばし、ビルが一段低くなる。



「静音さん。逃げなくていいから離れてて、僕の目の届く範囲で」
「…また、違うね。君は」
ぺっと口に残る血を吐き出して、いつもの静音の知っている守羽ではなくなった彼はやりづらそうに頭を掻く。
「ま、そんなとこ。じきにわかるから詳しくは聞かないでおくれよ。とりあえず離れて、僕とアイツがぶつかったらこの辺かなり危ないから」
横目で微笑む彼と目が合い、静音はただ頷いて後方に下がる。
これでいいはずだ、と。静音は自身に言い聞かせる。
『引き金』たる役割は果たせた。これで守羽は本気で闘える。これで守羽は死なずに済む。
今の彼が一体なんなのかわからないまま、静音は守羽に生きていてほしい一心で彼の健闘をただ祈る。



「“生滅盛衰。万物はいつにて流転し、相生により循環。陽にてこれを不変不滅。原初の元素は手中に掌握”」
呟きながら、守羽は崩壊したビルへゆっくり歩を進める。
ボゴンッ!!
瓦礫の一部が爆発したように真上に噴き上がり、砂まみれになった酒呑童子が粉塵に紛れて地面に降り立った。
「ペッ。いきなりいいのもらっちまったぜ、口ん中砂で気持ちわりィ」
「“赤熱の光輝、厄災払い焼き糺せ”」
据わった瞳で鬼を見る守羽が片手をちょいと振るうと、酒呑童子の周囲を一瞬で炎が覆った。
「んだと!?」
振るった片手を握れば、連動して覆った炎が一気に内側の領域を灼熱で満たし、圧縮されて爆発を引き起こした。
「ーーークッカカ、カカッ!!」
燃え上がる炎の中から、笑みを浮かべて酒呑童子が飛び出て来る。着流しこそ焼け焦げてはいるが、その内の皮膚にはまるでダメージが通っていない。
「“土塊の鉄槌、業を見定め打ち据えろ”」
守羽へと疾駆する鬼の足元から、盛り上がった地面が杭の形状を成して鬼を貫かんと迫る。
「猪口才が!」
それを頑強な手足を使って粉砕する酒呑童子へ、今度は守羽が飛び込む。
「二百倍」
「オォ!」
人間を遥かに超えた身体性能で、守羽は鬼と素手で打ち合う。
「それが本気ってか『鬼殺し』!ようやく合点がいきそうだぜ!」
「流石に硬いなこの鬼。昔の人はよくこんなヤツの首を撥ねられたもんだ」
二打、三打と互いに叩きつけ合い、同時に後方へ下がり構え直す。
「ハッ、舐めんじゃねェぞ。こちとら歴史にだって首だけになろうが噛り付くだけの根性見せてんだ」
「そのわりには毒の酒で簡単に身動き封じられたみてえだけどな」
じりじりと互いに間合いを測りながらも、守羽は自分の後方にいくらか意識を割いていた。
それに気付いた酒呑童子は、構えを解いて片手を振りながら、
「ああ、テメェと闘ってる間は手は出さねェよ。『鬼殺し』を本気にさせる為に使っただけだからな。もう必要ねェ」
「鬼の言い分なんざ信じられるか」
「そうかい」
再び構え直して、鬼はさらに続ける。
「だがな、鬼ってのは大体頭を使うことは苦手なモンだ。真っ向からやんのが一番簡単で手っ取り早いからな、テメェら人間と違って姑息な手は使わんのよ」
「鬼って馬鹿っぽいからな。姑息な手すら思い浮かばねえんだろどうせ」
「おうよ、鬼神に横道なきものを、ってな」
守羽の挑発にも乗る様子はなく、減らず口を叩きながらもその気配は常に相手の気の緩みを狙っているのがよくわかるほどに鋭敏に澄まされているのがわかる。
こちらも、目の前の事以外に気を取られていてはいつやられてもおかしくはない。
(静音さんには少しおとなしくしていてもらうしかないな。僕が出て来た以上、もうあんな真似をする必要もないと思うが、あの人は『俺』の為なら平然と命を賭けてくるからなあ……)
出来れば意識の何割かは静音さんの安全に回したいところだが、そんな状態では大鬼・酒呑童子を相手取っての勝利など夢のまた夢。不安は残るが今は敵に集中するしかない。
身に宿る“倍加”以外の能力も高めつつ、守羽は赤い髪の巨体の動きを注視しながら次の一手を繰り出すべく四肢に力を込めた。

     

「オラァ!」
「ふっ!」
「ーーー!」
牛頭と馬頭がそれぞれ振るう刺叉と金棒を捌きつつ、由音は攻勢に転ずる隙を見つける。
回避した馬頭の金棒に手を乗せ跳び上がり両足で相手の首を締め挟む。そのまま息を吐きだしながら力を入れて半回転、馬頭の首を挟んだ両足でぐるんと投げ回す。
地面に叩きつけられる瞬間に受け身を取った馬頭だが、倒れた体勢を立て直す前に身軽に起き上がった由音の片足が脇腹を狙って蹴りを放つ。
「くっ」
その蹴りが馬頭を捉える直前でゴルフショットのように振るった牛頭の刺叉が由音の足首と衝突して威力が相殺され馬頭の脇腹手前で止まる。
爪先で刺叉を真上に蹴り上げながら裏拳を牛頭に叩き込む由音の足元で、ブレイクダンスのように両手を支えにして下半身を地面と水平に揃えて回した馬頭の両足が由音の足を地面から払い浮かせる。
顔面を殴られて仰け反った牛頭はそのまま上体を後方に倒しながらバック転し、ついでのように右足で体勢を崩した由音の側頭部を蹴飛ばす。
「かっ飛べ!」
さらに起き上がり様に金棒を握り締めた馬頭が、鬼の脚力で蹴られて首が捻じ切れる寸前まで捩れた由音の胴体を思い切り打つ。
トゲが突き刺さり千切れ破裂する音を内部で響かせながら、振り抜いた金棒が由音の体を真っ直ぐ先まで血の軌跡を描いて吹き飛ばした。
そのまま壁に激突するかと思いきや、身体を回転させて両足を壁に押し当て吹っ飛んだのと同じ速度で戻って来る。
「コイツ本当に人間かよクソッ」
「文句はあとにしろ、馬頭!」
刺叉と金棒を構えて迎撃体勢を取った二体の鬼は、正面の人間にばかり気を向けていたせいで気がつくのが遅れた。
背後で、静かに地に足を着けた者の存在を。
「…なっ」
いち早く気付いたのは牛頭。だがもう遅い。
「成敗っ!」
普段と変わらぬ調子で言い放ったその者の一撃が、すんでのところで刺叉を防御に回した牛頭の体を思い切り弾いた。
驚いたのは馬頭だ。
いきなり敵と見定めていた相手と真逆の方向から攻撃を受けて相方が弾き飛ばされたのを横目で見つつ、背後へ向けて当たるかどうかもわからない適当な一撃を牽制で振るう。
対して由音は至って冷静だった。いや、思考するだけの余裕が与えられていなかったというのが正確かもしれない。
今現在の意識の何割かを悪霊に喰わせている由音は、事前に設定してあった項目になぞって行動を決定している。
不測の事態に対する反応は、意識や自我の前にその設定された項目から選択される。

新たな要素の介入。
人間なら半殺し。
人外なら殺す。
“憑依”の強化は保留。新手の出方次第では引き上げも止む無し。

いくつもの状況を想定して用意された設定項目から分別をつけて判断を組み上げる。
組み上げながら、由音は背後から襲われてこちら側へ弾かれた牛頭をカウンター気味のアッパーカットで打ち上げる。
「なんだコイツっ!?」
牛頭に続いて気付いた馬頭が金棒を使って新手の攻撃を防ぎ反撃に転ずるが、やたら身軽なその相手には中々金棒の一撃は当たらない。
そしてその攻撃が当たらない新手にムキになっていたせいか、由音の攻撃は易々と馬頭の背後を取って直撃した。
「どあぁ!」
どつかれるように背後から受けた攻撃で前方に躓いた馬頭が、さらに目の前で片手を構えていた新手の掬い上げを受けてギュルギュルと回転しながら十数メートル先の地面に背中から落ちた。
鬼二体の前に、この新手の力の程を確かめる。それによって深度の上昇を実行…、
「ふふんっ、どんにゃもんか!」
「ーーー!」
その声、その顔を見た瞬間に由音は実行し掛けていた挙動を急停止させ、新手……猫耳猫尻尾を生やした少女に向けていた拳を強引に空振らせた。

敵と誤認した人外への攻撃を強制停止。
損失回帰リバース、消失した意識を急速に“再生”。
工程解除リリース、拮抗不可で維持されていた深度・強化を停止し解除。
全パラメータを初期化の後、再強化による意識完全確立下での戦闘続行を開始。
以後は東雲由音個人の自我に再帰。

「と、っとわぁ!」
「えっ、にゃんすか!?」
無理に拳を空振りさせた結果ぐらりと傾いた体が猫の少女シェリアに向かって覆い被さるように倒れ込む。
「あいたた……」
「わっりぃシェリア!ってかなんでこんなとこにいんだよお前!」
小柄な少女を押し倒しても平然と一言謝って済ませてしまう由音に、シェリアも大して気にした様子もなく手を引かれ起き上がる。
「助けに来たよー!にゃんかシノ、すっごいこわい感じがしたから。…今は、そうでもにゃいね?」
シェリアが感じ取っていた恐ろしい気配を、今の由音からはまるで感じなかった。
真っ黒に染まっていたその両眼も機械的に状況を判断していたその表情も、今はいつも通りの由音に戻っている。
「マジか!どんだけいいヤツなんだよお前!」
「えへへ、でしょー?」
ぽんぽんと頭に乗せられた手に、じゃれつく猫のように擦り寄るシェリアが嬉しそうに頷く。
「痛って、なんか変なのが来やがった…牛頭!」
「人型の猫、化身…?猫又か?いや違う、この気配は……妖精か」
それぞれがダメージから回復して人間と妖精を挟んで声を飛ばし合う。
「物知りなテメエなら知ってんだろ!なんだこの猫耳女はッ」
馬面が猫耳を指差して牛面に怒鳴り散らす。その光景に由音はちょっとツボってそんな状況じゃないのにと思いつつ一人で笑っていた。
至って真剣な(牛の)表情で、牛頭は辿り着いた答えを口にする。
「妖精で猫の因子持ちとなれば、思い当る節は一つしかない。…ケット・シー、アイルランドの産物が何故こんな極東の地にいるのやら」
「チッ、道理で見てるだけでイラつくと思ってたら、コイツ妖精か…!」
「にゃはは、動物園みたい。牛に馬に、猫でしょ?そして猿!」
「誰が猿だ!」
仲睦まじく人間ときゃっきゃ騒いでいる猫娘を挟む牛頭と馬頭が忌々しい視線をぶつける中、遠方で起きたある変化にその場の全員が気付いた。
「あ?」
「なんだ、この気配は……また妖精、か?」
「守羽か。なんだ、結局やりゃ使えるんじゃねえか!」
「これミカドにゃの?あー、やっぱりあたしたちと同じにゃんだねぇ」
大鬼と対峙していた人間の根源的な性質が解放されたのを感じ取り、それぞれが四者四様の反応を示した。
一番戸惑ったのは牛と馬の人外だった。
「嫌な感じだ、頭領がられるわけねえとは思うが、さっさとここ片付けて行った方がよさそうだぜ、牛頭!」
「…ああ、俺もそれには同意だ。行くぞ」
金棒と刺叉を構えて、鬼が前方と後方とで敵意を挟み込む。
「来るよー、シノ!」
「おう!んじゃあ悪いけどちょっと手伝ってくれシェリア!」
互いに背中を合わせて前後の鬼と向き合い、騒がしい人間と人外とが共闘を開始する。

       

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Neetsha