力を持ってる彼の場合は
第三十三話 一時凌ぎの決着
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全力の一撃を放って、立っているのも限界の守羽は思わず片膝を着いた。
魔を断つ光の太刀。
魔性の者に対しては特効があり、当たればまず間違いなく滅却されるはずの、浄化と破邪の一刀。
大鬼はそれを防ぎ切れなかった。
拳は斬り裂かれ弾かれ、狙い違わずその屈強な胴体を斜め一線に斬り払った。
胴体は斜めに分断されるか、あるいは形も残らず破邪に当てられ消滅するか。
あるとすればそのどちらかでしかなかった。
そうであって欲しいと願っていた。
「………いッ、てェな……!」
(…、化物、か……)
脇腹から肩へ掛けて斬撃を受けた体からはようやくダメージらしきものを受けて血を流し、魔性特効の影響か傷口から白煙すら上らせながら。
その鬼は未だ地に伏すこともなく、痛みに顔を顰めて両足で其処に立っていた。
「あァ、その力…斬魔の。ったく、あんな大昔のモンだからとっくに廃れてるモノだと思ってたぜ。成程、人間が人外に抗う術は脈々と継がれてたってわけかい」
着流しは上半分が吹き飛び。鋼の肉体が露わになっている。斬撃のダメージは少なくなさそうだが、それでも酒呑童子は平然とした様子で赤髪が逆立つ頭をぼりぼりと掻く。
「やっぱ山奥なんぞに引っ込んどくもんじゃねェな。退魔だの祓魔だのはいくら殺してもすぐ立て直して増えやがる。『鬼殺し』、テメェもそのクチだろ?」
「…っ」
余力は、もう無い。
自らの内にある力、その性質。
幾重にも重なった、自分で言うのもなんだが特殊過ぎるこの身には、まだ出していない手立てはある。
妖精としての属性の掌握、人間としての退魔の術法。それと。
だが、
(出せ、ねぇ…僕だの『俺』だのと、自分自身でくだらねぇいざこざを続けてる今の状態じゃ…出せて限界が、これだ)
だから余力はもう無い。
本当にこれで打ち止め。
普段の守羽はもちろん、『僕』として現出しているこの神門守羽にとっても、ここまで。
だけど、ここで終わりには出来ない。
(確実にダメージは通ってる、ヤツも万全じゃない。山奥に長いこと居付いてたせいか、僕を…『鬼殺し』を侮り過ぎてた。そもそも初っ端からコイツは舐めてた。『酒瓶』の一つも持たずに来やがって)
殺すならここしかない。
刺し違えてでもこの場で始末する。
「ぐ、ごほぉっ!か、ぁ……ああぁぁあ!」
ゴゥッ、と片膝を着く守羽を中心に周囲で熱風が吹き荒れる。致命傷の中で振り絞った力をさらに絞り尽くして、鬼を道連れにする気概で顔を上げキッと赤髪の化物を睨む。
「クッカカ、まだ闘るか。いいぜ、折角楽しくなってきたとこだ。もう少し……ん?」
闘いの最中に守羽が生み出した火炎が周囲に燃え移って宵闇の中でもある程度の視界が確保できている廃ビル群の只中で、楽し気に口の端を吊り上げた酒呑童子が不意にあらぬ方向に顔を向ける。
半分以上壊れた建物の陰から出て来た人物が、酷い傷で立ち上がろうとする守羽の前に立って鬼と交差していた視界を遮る。
「し、…ず、ねさ…」
「うん」
名前すら満足に呼べなかったが、その先輩はこくりと頷いた。
「女ァ、出しゃばんな。テメェの出番はもう終わってんだ」
「知っているよ、そんなことは」
最強の鬼を前にしても臆さない静音は、守羽を庇うようにその場から一歩も動かない。
「『鬼殺し』を治すつもりなら、させねェぞ?」
「……」
久遠静音の持つ“復元”の異能を若干勘違いしているようだが、どの道静音の考えは読まれている。既に鬼の前で何度か使ってしまった能力だ、当然敵とてそれをみすみす見過ごすような真似はしないだろう。
守羽に手を伸ばして触れるより早く、酒呑童子が静音を仕留める方が先だ。
「静音、さん……下がって」
どうにか立ち上がった守羽が、静音の肩を押し退けようとしてその自分の手が血に濡れていることに気付き引っ込める。
「俺は、あんたの為に闘ってんだ…汲んでくれよ」
「私は、守羽に生きてほしくて、貴方に賭けたの」
守羽は静音を生かす為にここで鬼と刺し違えるつもりだった。
それを分かっているから、静音は守羽を生かす為に身を張る。
互いが互いに譲らない想いを抱えているからこそ、膠着は解けない。
「……あー、なんだ」
それを見ていた酒呑童子は、面倒臭そうに再び頭を掻いて、
「んじゃ、二人一緒に死ねばいいだけだろ?」
言って、凶悪な笑みで右腕を振りかざす。
(ッ、くそ!!)
なんとか静音だけは守り通そうと前に出ようとした時、背後から二人の頭上を越えて何かが放物線を描きながら飛んできた。
それは今まさに拳をもって走り出そうとしていた酒呑童子に直撃する。
「あぁっ!?」
一瞬蹴り上げようとした大鬼がそれをしなかったのは、飛んできたそれが見覚えのある同胞の姿だったからだ。
「いってて……うぉぉ頭領!?こ、こりゃあ申し訳ねえ!」
「謝る前にさっさと退けこのクソ馬ァ!」
金棒片手に吹っ飛んできた配下の馬頭を薙ぎ払って立ち上がる。
「ったく、何やってんだテメェは!」
「いやそれが……っとぉ!?」
馬頭が弁明をしようとした直後に慌てた様子で駆け出すと、数度金属を叩き合うような音と共にヒュンヒュンと棒状の何かが飛んでくる。それを空中で掴んで同じ軌道で投げ返す。
投げ返したそれは馬頭の相方である人外が使っていた刺叉だった。
それからさらに数度の打ち合う音が響き、刺叉の持ち主が着地と同時に馬頭のもとまで後退してきた。
「すまん馬頭、助かった」
「おうよ!」
弾かれた獲物を再度振り回して、続けて着地した二人の人影と牛頭馬頭が対立する。
「さすがにしぶといなくっそ!」
「にゃはは、シノもかなりしぶといと思うよー?」
牛と馬の人外に真っ向から対立する二人は、砂場で遊ぶ子供のような気軽さで仲良く会話していた。
「っていうかシェリアさあ!あんまそんな恰好で跳び回るなって!パンツ見えんだろうが!」
「え?だいじょーぶ、風の加護でちゃあんと見えないように押さえてあるから!」
「マジで?すげえシルフかお前!?」
一人は全身ボロボロのわりにはそれほど重傷が見当たらない少年と、白いワンピースと対極のウェーブがかった黒髪を肩の辺りで揃えた少女が守羽と静音の前で呑気に話す。
「由音………と、シェリア…だったか?」
弱った声で呼ぶと、二人は同時に振り返って、
「おう!ってお前大丈夫かよ死にそうじゃん!!静音さん、早くコイツに“復元”かけてやって!」
「う、うん」
「やっほーミカド!大変そうだねっ」
「それなりにな……」
鬼達との距離を見て、すぐさま静音が振り返りすぐ背後にいた守羽の腕に触れる。“復元”の能力が即座に浸透して守羽は万全の状態へ“戻る”はずだった。
「…!」
「「ん?」」
何かに勘付いた静音を見て、由音とシェリアは同じような挙動で首を傾げた。
怪我が戻らない。
「静音さん、無駄だ。あんたの能力は…“復元”は、対象の『大元の状態』を認識してなきゃ…意味を成さない」
分かっていたと言わんばかりに守羽は首を振るってこう続ける。
「あんたは、『僕』の万全を知らない」
「…そんな、ことが…」
久遠静音の能力は、自身の認識している状態へ、対象の状態を戻すことにある。
逆に言えば、静音が認識出来ていないことは“復元”の対象にはならない。
それは例えば、初対面の時点で隻眼だった人物の怪我をいくら“復元”したとしても出会った時点で失われていた眼までは戻せないことと同じ。
今の状況はそういうことだった。
静音は、常日頃から学校で会う守羽の状態を逐一確認していた。それは、守羽がよくよく厄介事に巻き込まれて大きな怪我をしやすいことを知っていたから。だからいつどんな怪我を負っても戻せるように、常に守羽の『万全な状態』を把握していた。
だというのに今は“復元”が発動しない。
それはつまり。
「貴方は……本当に守羽なの?」
自分自身の能力が通じないことは、すなわちそんな疑問が浮上するのも当然の事態であるということでもあった。
だが当の『僕』は動じた様子もなく、
「いや、僕は間違いなく神門守羽だよ。ただ…あんたの知ってる守羽とは、少し性質が違う。だから、あんたの力は今この状態の僕には通用しない。磁石のS極とN極みたいなもんだよ」
痛みと出血で顔色の悪い守羽がする説明も、他三人には些か納得し難いものではあったが、本人はそれで説明を終えたつもりらしくおぼつかない足取りで前を見据える。
そこには大鬼を含む三体の敵がいた。
「…ありゃ、牛頭馬頭か」
酒呑童子に付き従う牛面と馬面を見て、守羽が確認の為呟くと由音が隣に並びながら首肯する。
「らしいな!知ってんのか?」
「鬼で、牛と馬でセットになってるって、なりゃあな……」
答えつつ、由音の隣で状況の緊迫さを微塵も感じさせない様子で黒い尻尾を振っている少女を一瞥してから由音に問う。
「そっちの猫娘は、今はこっち側ってことで…いいんだな」
「おう!」
となれば戦力的な数では同数。ただし…、
「牛頭馬頭、戦ってみてどうだった」
「かなり強いな!シェリア来なかったらやばかった」
「なるほど…ね」
やはり大鬼の側近だけあってかなりの実力を持っているらしい。同じ三対三でも、そこには大きな差があるようだ。
特に、傷を負っていてもまるで堪えた様子のないあの大鬼が鬼門か。
だからといって退ける状況でないのも確か。
「テメェらはよォ、あんなガキ二人すら足止められねェのかよ!それでもオレの側近か!」
「へぇ、なんとも申し訳ねえですぜ……」
「存外、あの人間と妖精が戦い慣れていたようなので、どうにも…」
「言い訳なんざ聞きたかねェんだよこの雑魚共がッ!!」
「いやしかしですね頭領。そういう頭領こそ、その傷はどうしたんでさあ」
「…『鬼殺し』に、やられたのですか」
「おう、そういうこった。なんとなく掴めたぜ、ヤツが大鬼を殺せた理由がな」
「頭目に、傷を負わせたとなれば……半信半疑でしたが、そうなると中々『鬼殺し』にも説得力が出てきますね」
「ハッ。…タネは見た、もうヤツにも用はねェよ」
向こうで側近と話をしていた大鬼も、再度こちらへ視線を向ける。
「来るっぽいな!」
「だねー」
「…構えろ。やるぞお前ら」
味方と敵がそれぞれ増えて、状況が悪化したのかどうかもよくわからない中、それでも守羽の目的は変わらない。
悪霊憑きの少年と猫耳猫尻尾少女と並び、瀕死状態の守羽が静音を背に鬼達を見据えて再び戦意を滾らせる。
▲
▼
状況は極めて劣勢と言えた。
深度を引き上げた由音は、昏い双眸のまま牛頭と打ち合う。互角と呼ぶにはやや由音が力不足に見えたが、その分は余力の“再生”を用いて持ち堪えている。
馬頭の振り回す金棒を風のように俊敏な動きで回避し反撃しているシェリアは、これといって苦戦している様子はない。ただ先の一撃で学習したのか馬頭はシェリアに爪撃を使わせまいとして距離を詰めてくる。未だ決定打には程遠い。
一見して五分に見えるそれは、こちらの戦力が相手側よりも高いからでは決してない。
むしろ、牛頭馬頭は相手を足止めする為だけに必要な最低限の力しか使っていないのだと、由音とシェリアは感じ取っていた。
それは自らの大将が望む場を用意する為に邪魔者を寄せ付けまいとする行動。
つまるところ、『鬼殺し』の処刑を完遂させる。その邪魔立てをさせない為に二体の鬼は動いていた。
そのことに気付いていた二人も、また思考を巡らせて自分の取るべき行動を決める。
満身創痍の体を引き摺るようにして背後に静音を庇う守羽が酒呑童子へと火球や水刃を撃って牽制しようと試みているが、鬼はそんなもの攻撃とすら見なしていないように無視して堂々と歩み寄ってくる。
(やべえ、守羽はもう動ける体じゃねえ!あの赤い髪の鬼をどうにかしねえと…!)
血だらけになりながら横目でそれを確認していた由音も、焦りを生じさせながらさらに視線を移して少し離れた位置で闘っていたシェリアと一瞬だけ視線を交わす。
そこに苦戦の様子はなく、また切迫した感情も見えない。
守羽のことは気に掛かっているが、手を出すタイミングを計りかねているといった具合を感じ取った由音は、即座に状況を打開するべく動いた。
牛頭の放った刺叉の突きをあえて受ける。
「ぬ…!」
「ふがっ!この野郎め……!!」
深々と腹に突き刺さった刺叉を片手で押さえ、さらにもう片方の手で牛頭の首を掴む。
へし折るつもりはない。そもそも規格外の身体強度を持つ鬼に対し、いくら“憑依”の深度を深めたとはいえ今の由音では締め上げることすら至難の業だ。
だからこれに攻撃の意図はない。
「シェリアぁ!」
「んにゃ?」
吐血しながら猫の少女を呼ぶ。
「オレごとコイツ吹っ飛ばせ!死なねえから全力で頼む!!」
「りょーかいっ!」
由音の死にづらい体質を知っているからか、シェリアの返事と行動は速かった。
馬頭に距離を詰められてはいるが、さほど余裕がないわけでもないシェリアの細腕が眼前の敵とは違う方向へ振るわれる。
爪の先から撃ち飛ばされた斬撃が由音と牛頭を襲う。
「貴様!」
「へへっ!」
しがみつく由音が重石となって牛頭はその爪撃を避けられない。
夜気を引き裂いて、爪の一撃が人間と鬼を諸共吹き飛ばす。
数百メートル後方にあった廃ビルを倒壊させ、由音と牛頭の姿が一時的に戦場から消える。
「牛頭!やってくれやがったな妖精!」
「おりゃっ!」
空気を圧迫する金棒の轟音を耳のすぐ近くで感じながらも、シェリアはそれらを難なく紙一重のところで回避する。
「チョロチョロとッ!」
(…どーしよ、ここから爪でやっちゃうとミカドと後ろの女の子にもあたっちゃうし…)
馬頭の攻撃を避け続けながら、シェリアは狭まってきた赤髪の大鬼と守羽との距離を見て考えていた。
今は攻撃を避けられてはいるが、別に馬頭が弱いわけではないこともシェリアは理解している。だからここで馬頭から目を逸らして酒呑童子に手を出すわけにはいかない。
どうしたものかと考えていたその時、横合いの彼方から大声量と共に何かが接近してきた。
「たっだいまぁぁぁぁあああああああああ!!!」
「なんっ!?」
“再生”によって牛頭よりもいち早く復帰した由音が、倒壊したビルから砲弾の如き速度で舞い戻ってくる。
ほとんど頭突きに近い形で突っ込んできた由音が馬頭の横腹を思い切り打つ。シェリアに気を取られていて高速でやってきた由音に対処できなかった馬頭はそのまま衝撃を流すことも出来ずに両足が地面から引き剥がされる。
「お・か・えっ!」
実に嬉しそうな表情で、シェリアは僅かに宙に浮いた馬頭へ向けワンピースの裾を翻して晒した左脚を振り被る。
同様に頭突きから体勢を戻した由音も、右脚を持ち上げて遠心力を持たせて振り回す。
「りぃ!!」
打ち合わせたかのようにぴったりとインパクトを重ね、馬頭の胴体へ左右対称に打ち込まれた右と左の脚撃が莫大なエネルギーとなって牛頭が吹き飛んだのとは真逆の方向へ馬頭を蹴り飛ばして行く。
(…ざっけんな、くそ……!!)
頭痛が酷くなる。
『僕』を押し退けて、神門守羽が否定と拒絶を重ねてきた結果の症状。
力が出せない。神門守羽が本来持っている力を引き出せなくなってきている。
(自分が死ぬのはいいんだろうが……このままじゃ静音さんまで、巻き添えだぞ。…いつまで強情張ってんだ『俺』はっ!)
明らかに出力の低下した火球をぶつけても、やはり鬼には通じない。とうとう悠々と歩み寄る大鬼が眼前にまで迫る。
「…仕舞いだな、『鬼殺し』」
酒呑童子は静かに言った。
見るものは見た、既にこれ以上引き延ばして闘う理由も無い。
結果として、やはり『鬼殺し』は見過ごせない存在であるということは分かった。始末して、それでこの件は終わり。
「させるかぁ!」
片膝を着いて背後に静音を庇う守羽へ手を伸ばした大鬼の両隣から、回り込んだ由音とシェリアが挟撃を仕掛ける。由音は下段から、シェリアは跳び上がり上段から。
「やめとけ」
由音とシェリアの同時攻撃を容易く跳ねのけ、まず大鬼は由音に軽く小突くように持ち上げた爪先で一撃をくれる。
ベキボキと骨が砕ける音を立て、由音が目を見開く。
「あぅ!」
そのまま由音には目もくれず、片手で払い除けたシェリアの頭を掴み、力を込める。
「人間はもとより…妖精程度が、鬼に太刀打ち出来るわけねェだろが」
「やめろテメエ!」
「ッッ!!」
叫ぶ守羽が死に体の身を動かす前に、由音が見開いた両眼を一気に漆黒に染める。
深く沈み込んだ大鬼の足を押さえ込み、腕の力のみでぐんと伸び上がりシェリアを掴む腕を蹴る。
「っと!」
「はァあ!」
予期せぬ反撃に腕を弾かれた酒呑童子の腹へ守羽が渾身の肘撃を叩き込む。が、やはり手応えはほぼ無い。
(やっぱ単純な物理攻撃でコイツにダメージは通らねえか!)
「がはっ!」
強引に反撃に転じた由音は、大鬼の裏拳を喰らって頬骨を粉砕しながら守羽の真横を通過して地面を擦りながら何度も跳ね転がっていった。
「なるほど、あのガキもそういう性質か」
蹴られた腕をぷらぷらと振って、再度握り拳を作る。
「まァ、オレにとっちゃ関係ねェが、な!」
そう言って、手放して地に落としたシェリアへ拳を振るう。
「ちっ!」
大鬼への攻撃を諦めた守羽は、その身をシェリアと鬼との間に割り込ませて両腕を防御に回す。
防げるとは思わない、そもそも左手は既に使い物になっていない。おそらく両腕はひしゃげて衝撃は身を貫く。
それを理解していながらも、守羽は自分の行動を自嘲するように笑う。
ーーーここが、『俺』と『僕』との違いかもな。
普段の守羽であればこんなことはしなかったはずだ。シェリアを狙うこの隙を見計らって反撃するなり静音を連れて逃げるなりしていただろう。
そう、『俺』に固執している守羽ならば。
だがこれでいい。これが本来のあるべき神門守羽の姿だ。
一番大事なものを優先的に考えようとしても、やはり伸ばせるものには手を伸ばしてしまう。守れる範囲ならば守ってしまう。
それが自らの同胞であれば尚更だ。
「ミカっ…」
背後から聞こえるシェリアの声に反応を示さず、守羽は次の瞬間に来るであろう激痛と衝撃に備えて歯を食いしばる。
▲
▼
手を出すつもりはなかった。
ただ黙って事が終わるのを静観しているつもりだった。
だがそうもいかなくなった。
理由は二つ。
一つは、あの少女が加担してしまったから。
鬼との戦いに混じり、その上命の危機にまで晒されてしまったら、もはや自分が出て行かないわけにはいかない。
もう一つは、理由と呼ぶに足るのかどうかは少し怪しかった。
同胞たる性質を半分だけ宿し、もう半分に怨敵たる性質を宿した少年。
しかし、その少年があの子を庇ってしまったから。
そこにどういった思惑があったのかはわからない。
だからひとまずは事実だけを受け入れ、それを許容する。
今にも死んでしまいそうなあの少年が、自分が妹のように大切にしている仲間のことを護ろうとしていたから。
それではやはり、手を貸さないわけにはいかない。
「ーーー…」
だから刻む、唱える。
北欧より端を発する秘奥の術式を。
さらにそれを重ね、鬼の一撃に耐え得るだけの強度を編み込む。
護りの術が、最後のワードと共に展開される。
「“護法双重・堅陣”」
「!?」
驚きに目を瞠ったのは、自らの拳を防御された酒呑童子だけではなかった。
唐突に力場を発生させて背後のシェリアや静音ごと自分を囲ったドーム状の結界のようなものに大鬼の一撃が防がれて、守羽はこの場にいない第三者の可能性を真っ先に考えた。
だがわからない。自分を庇って割り込んできてくれる者、さらにこんな強固な結界を敷ける者ともなれば守羽の知り合いには一人もいないはずだった。
だから、誰もが何者かの介入に対し警戒する中で、その少女の一言が皆の疑問に答える形で開示された。
「…レイスっ」
嬉しそうに呟いたその名に応じるようにして、上空から斜め下へ急降下してきた土の槍が大鬼の巨体ど真ん中に突き刺さった。
「あァ?」
酒呑童子にダメージなどは当たり前のように無い。ただ、かなりの速度を乗せた槍は、砕けながらも大鬼の体を半ば強引に押しやるようにして後方へと弾き飛ばした。
それと同時に展開されていたドーム状の結界が割れるようにして解除され、土槍の衝撃で後方に飛んだ大鬼の肉体へと地面から生えた無数の金属の棘が飛来し、追い打ちのように直上の空から隕石のように巨大な火球が十も二十も落ちて爆炎で大鬼の姿を隠してしまう。
そうして、尖った耳を持つ一人の青年は無言で守羽達の前にトンと降り立った。
シェリアが呼んだ相手であるレイスが、黒髪の隙間から瀕死の守羽を一瞥する。それから視線をシェリアへと移し軽い溜息を漏らす。
「……だから言ったんだ。痛い目に遭うと。だから無理をするなと、そう言ったんだ、俺は」
「えへへ~…ごめんにゃさい」
猫耳ごと頭を垂れて、シェリアが申し訳なさそげな面持ちで答える。
「まったく…」
もう一度溜息を吐いてから、レイスはゆっくりと視線を戻して守羽を見る。
今にも崩れ落ちそうな両足を踏ん張って、守羽もレイスと視線を交わす。
守羽は一瞬だけふっと笑んで、
「よう。悪いな、助けてもらっちまったか」
そんな言葉に対してレイスがほんの少しだけ驚きの表情を見せてから、取り繕うようにして真顔になる。
「…いや。こちらこそ仲間が手間を掛けさせたようだ。庇ってくれたことには、…感謝する」
「は、いいってことよ…」
弱々しくも軽口を叩く守羽に、レイスはやはり怪訝な表情を浮かべざるを得なかった。
「お前、神門守羽で間違いない…のだな?」
「今の僕が、やたら友好的でおかしいかい?ま、お前が知ってる守羽だけじゃねえってことさ」
初対面で人外に対する敵対心がありありと見て取れた態度で接していた神門守羽しか知らないレイスにとっては、今の守羽の対応の仕方が依然として謎なままだったが、今はそれよりも優先して対処しなければならないことがあるので保留にする。
「シェリア、お前はお前が成すべきと思ったことを成せ。中途半端はよくないからな。東雲由音と助けるという目的は達したのか?」
「え?うーん…どうだろ」
かくんと小首を傾げるシェリアに肩を竦めながら、レイスは爆炎が広がる方向へ片手を向ける。
すると瞬時にその爆心地を中心に周囲の大地が盛り上がり正方形を形成して大鬼をその内側へと閉じ込める。箱が完全に密閉される寸前に、またしても巨大な爆炎が発生して直後に閉じた箱の内側へと回避不可能な爆発を浴びせる。
「すっげえ」
殴り飛ばされていた由音もいつの間にか傷を治してそこに立っていた。
その由音へと顔を向けながら、シェリアが問い掛ける。
「ねぇねシノ。あたしどーしたらいいかにゃ?」
「え?…わからん!好きにしてくれ!」
「にゃにそれー。んじゃさシノ、このあとどうするの?あのオニすっごい強いよ?」
「ありゃ勝てねえかもな!とりあえず守羽と静音を安全なとこまで逃がしてえけど」
「うんよし!そうしようそーしよー!」
即決で、シェリアは自分の行動方針を固める。
「というわけで逃げよっか!えっとー…あたしシェリア!あなたは?」
「え、と…静音。久遠静音」
「クオンシズネかー、じゃあ短くしてクオ、オン……うーんと、シズでいっか!」
ぱぱっと行動開始するシェリアに戸惑う静音をそのままに、静音の体を抱えてシェリアは迷わず逃走の為に背中を見せる。
「シズはあたしが運ぶから、シノはミカドをおねがいねー!」
「おっけ……って」
勢いよく返事しかけた由音が、巨大な石の箱を見る。正しくはその内に閉じ込めた大鬼の存在を。
「逃げるなら早くしろ。身内を護ってくれた礼に足止めくらいなら俺が請け負う」
「マジか、大丈夫か!?」
「時間稼ぎだけならばな」
それを聞いて、何故か不安そうな顔になった由音がおそるおそると言った感じで、
「た、頼むからそのあとに『別にアレを倒してしまっても~』的な発言はしないでくれよ!?」
「…よくはわからんが、それは俗に言う死亡フラグというやつなのではないのか?」
「おいっ、ちょっと待て!僕は残るぞ!」
悪ふざけのような会話を展開しながら肩を支えた守羽が声を荒げて僅かな抵抗を示す。
「アイツは僕狙いで遠路はるばる来てやがるんだ!ここで逃げたって何も変わらねえ、せめてお前ら全員は逃げて僕だけここに置いて行け!」
「馬鹿か!なんでオレがお前置いて逃げなきゃなんねんだ!意味わからんわ!」
即座に否定した由音に同調するようにシェリアに抱え上げられた静音も口を開く。
「駄目だよ守羽。そんなこと言ったって、私も由音君も納得しない」
「静音さん…!」
言い争いを始めそうな雰囲気に、レイスが尖った耳を掻きながら声を割り込ませる。
「もういい、時間が惜しい。東雲由音、神門を連れて行け」
「おう!」
「待てっつって…く、そっ!」
「シェリア、落ち着いたらあとで合流しよう」
「うん。レイスも無理しにゃいでね!」
言うことを聞かない瀕死の体での抵抗も空しく由音に連行される守羽と静音を抱えたシェリアを見届けてから、レイスは体を正面に向き直した。
既に石の箱は破壊され、密閉された内側から噴き出た黒煙の中からだるそうに大鬼が出て来る。その両側には復帰した牛頭馬頭もいる。
「頭領、ご無事ですかい」
「テメェらは本当に使えねえなァ!」
「申し訳ありません、頭目…」
由音とシェリアにうまいこと一撃を喰らわされた牛頭馬頭も、あれだけ攻撃を浴びせた大鬼にもこれといったダメージは見当たらない。
酒呑童子はコキコキと首の骨を鳴らしながら、
「しかしまァ、オレもあんま言えた立場じゃねェか。思ったより破邪が効いて金剛力が低下してやがった。酒も抜けてるせいか力が出ねェな」
「だから持っていきますぜって言いやしたのに…」
「うるっせ」
言い合いながら、視界から目的の相手が消えていることに気付く。
「んあ?『鬼殺し』がいねェぞ、逃げたか」
「追いましょう」
「夜が明けるとまた面倒ですぜ頭領、早いとこ見つけて殺して帰りやしょう」
「だな。…が、それをテメェは看過しねェってか」
無言で立ち塞がるレイスを見て、心底面倒臭そうに赤髪の頭を掻く。
「新手で妖精、いい加減ウゼェな。牛頭、馬頭」
「「はっ」」
呼ばれる前からわかっていたかのようにそれぞれ武器を構えレイスへ向ける。
(稼げて数分といったところか。やれやれ、何故こんなことをする羽目に)
自分のおかしな役回りに、レイスは内心でも溜息を溢す。
正直なところ、ここまで面倒を見るつもりはなかった。結界で攻撃を防ぎ、状況を仕切り直させてからシェリアを連れて撤退しようと考えていたのだ。
だがシェリアはかなりあの人間のことを気に入ったらしい。となればただ帰るぞと言ったところでこの状況ではシェリアも聞き分けないだろう。だからこういうことになった。
それに、レイス個人としても神門守羽は未だ対応に惑う相手であることに変わりは無かった。
ひとまず、殺さずに今後の経過を観察する方向性が無難と判断。
故にこの場で死なせるわけにもいかなかった。
とりあえずの構えを取って、ある程度時間を稼いだら無理なく逃げられるように算段を頭の中で組んでいく。
その最中のことだった。
「いやあ、間に合って良かった」
「あ?」
「…、!?」
気配も無く後方からレイスの横を素通りしたその男を見た時に、今度こそレイスは驚愕を目一杯表情に現して声すら失った。
驚愕の理由には、もちろん自身が気付けないほどの隠密で接近を許してしまったこともそうだが、なにより闇夜に浮かぶその男の顔に嫌というほど見覚えがあったからだ。
無精髭を生やしたその男は、なんの気負いも無く散歩するような足取りで鬼達の方へ歩を進める。
「今度はなんだ、また『鬼殺し』のお仲間か」
「まあそうだね。ところで質問だけど、わかるかな」
適当に流すように鬼の言葉に受け応えて、男は足を止めてさっと右手に持っていたモノを目の前に掲げて見せる。
「これ」
数秒見せて、すぐにそれの端に左手を添えて、
「なーんだ?」
そして、抜いた。
一振りの日本刀を。
その一太刀で、空気と景色が両断されたかのような錯覚をレイスは覚えた。
真っ先に反応を示したのは大鬼・酒呑童子。掲げて見せた瞬間に酒呑童子は前に出ていた二人の臣下の襟首を引っ掴んで跳び上がっていた。そのおかげで距離も間合いも無視した非常識な斬撃は回避できたものの、その額にはこれまで一度として見ることのなかった冷や汗が滲んでいたのを臣下二人は確かに見た。
少し遅れて、その二人も振るわれた脅威の重大さに気付く。
「あの刀…!」
「まさか、ありゃ安綱じゃ!?」
「なんつゥモン持ち出してきてやがんだあの人間!退くぞ退くぞあんなん酒抜きで相手にしてられっか!」
「しかし頭領、『鬼殺し』は!」
「あんな雑魚いつでも殺せる!状況を読み違えんな、今はオレらが殺られる可能性の方が高ェんだからな!」
両手で牛頭馬頭を掴んだまま、着地と同時に大鬼が渾身の力で踵落としを地面に叩き込む。
ズゴヴァァッ!!!
地面を砕き大量の土砂と瓦礫を噴き上げて、周囲数百メートル規模で衝撃波を撒き散らしながら視界が粉塵で覆い尽くされる。
「…うむ、よしよし。逃げてくれたか」
土煙が晴れて鬼の姿がいなくなっているのを確認するや、一人でうんと頷いて抜いた刀を鞘に戻して肩に担ぐ。
レイスはそんな男の姿を視界から外さずに、視線に鋭い敵意を満たして睨む。
視線を感じたのか、男は微笑み混じりでレイスを振り返る。
「やあ、久しぶりだね。レイス」
「ああ、そうだな……、神門旭」
言葉の内に込もる怨嗟の念すら隠そうともせず、詰みに思えたこの状況をたった一太刀で終局に至らせた男の名を、レイスは忌々しそうに呟いた。
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