序論
この世界では古来より魔法 magicē, magica が用いられ、またその研究がひろく行われてきた。ソクラテス以前 Vorsokratiker と呼ばれる人々、とりわけミレトス学派は、彼らの自然科学的な好奇心を満たすとともに、魔法に関する知識の探求を行い、その成果を示してきた。ところがエレア派に人々は魔法に関する関心を失い、哲学的な探求に専念するようになった。ここが古代ギリシアにおいて、魔法と哲学・自然学とが分離したところであった。これらの再統合はアリストテレスで一度行われはしたものの、12 世紀ころに彼が西洋中世に受け入れられた時には再び厳しく区別され、魔法は宗教的異端として受け入れられることになる。魔法と哲学・自然学との区別はそのまましばらく続いたが、宗教勢力が増大するにつれ、魔法使いの人々は、たとえ信仰心を抱いた人々であっても、異端として迫害を受けることになる。その最大の事件が近世初期前後の「魔女狩り」として現れるのである。「魔女狩り」によって西洋における魔法使いの人口は半減したとも言われている。
中世末期以降の魔法は、自然科学との結びつきを強めた。その初期の形態が錬金術と呼ばれている。魔法と自然科学との結びつきは、自然科学の成果として現代科学技術をイメージしているものにとっては受け入れがたいものであろうが、両者は根を同じくするものであるのは明らかである。魔法は魔力 vis magica, mana に基づくものであるが、その発現はかならず自然的な理法 ratio naturalis に適っていなければならない。その自然理法についての探求がミレトス学派であり、アリストテレスであり、近世以降の自然科学であったのである。もちろんそれ以外の人々や思想にあっても、例えば宗教と魔法、哲学的思想と魔法といった表面上の対立こそあれ、それらの根本からなされる対立ではない。
現代において、魔法はその力を潜めているように見える。こうした傾向はとりわけ産業革命以降顕著である。中世から近世にかけて、魔法が異端扱いされた原因の一端には、おそらく魔法の威力があげられよう。魔法は自然理法に則りつつも、理性の範疇を超越する部分が少なからずある。たとえば、その目的のすべてを完遂することができなかった錬金術にあっても、幾つかの卑金属を貴金属へと高めることは可能であったし、火や水の召喚など、もはや神の業のように思われるところがあった。中世の人々には超越的なことがらも、しかし、現代の科学技術のもとでは魔力を有さない人々にとってもこうした業のいくつかは再現可能となっている。こうして魔法の地位は相対的に下降することになる。それだけではなく、魔法には一定の学習が必要であり、そのうえ勤勉な学習がかならずしも強大な魔法を生み出すことを可能にするとは限らない。こうした事情は、魔法の戦争利用にとっては不都合であり、そのために科学兵器の開発がなされたという点も大きい。現代においては、もちろん魔法使いの資質に個人差はあれど、「拳銃を持った人間に対抗するには三人の魔法使いが必要である」と言われるほどである。
このような事情のため、魔法が注目される機会は失われつつあり、魔法に関する研究も少なくなりつつ在る。魔法の学習は古典語や魔法語が必須であり、現代においては非常に高度な知識が要求されるため、専門とする人間は数少なくなっている。この小著は、そうした流れに逆らい、魔法に再び焦点をあわせることで、豊かな魔法文化を後世へと残してゆくことを目的とする。アリストテレスは『形而上学』において、哲学的な探求のもとに魔法学を復興させた。この小著が現代の『形而上学』たらんと望むことはやや高望みが過ぎるであろう。しかし、この小さな一歩は、後になされるであろう大きな一歩のための大切な準備であろう。