Neetel Inside ニートノベル
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稲妻の嘘
第四話  『微温い男、微温い女』

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 静かに局が進んでいく。先手は、エンプティ。
 だが――いまさら何が出来るはずもない。
 張り詰めた空気の中で、奴隷人形は躊躇いながら、牌を並べていく。今しがた、ザルザロスにかけられた言葉を気にしながら。震える柔い目が、光に渇いて揺れている。探し続ければ自分を導く輝く線がどこかに浮かび上がるとでもいうかのように。
(馬鹿野郎――)
 そんなもの、あるわけがない。だから奴隷だというのだ。だから人形だというのだ。まるで啓示でも喰らったように痺れあがって、狭山の言葉に幻惑されているそのざまこそもっとも奴隷人形らしい立ち振る舞いだ。なにもかも他者へ委ねなければ何も出来ない者のやり口だ。
 相手が正しかったからなんだというんだ?
 そんなもの、勝負には関係ない。
 喧嘩のさなかに考え事をしている余裕があるか? 勝負の最初に見せていたあるかなしかの気概はどうした? もうすぐに打ち止めか? ずいぶん底の浅い信念の蔵もあったものだ。もし仮に、狭山の言葉ごときで揺らぐものを信念と呼べるのなら、だが。
 ――この奴隷人形は、間違っている。
 勝負の結果に理由があると思っている。そんなものはない。あったとしても、そんなものは吹き飛ばすしかない。でなければ、喰われるのは自分だ。
 喰い殺されたくなければ、誰かの牙の檻から最後の景色を遠く眺めたくないのなら、たとえ正論の網にがんじがらめにされていようと、その格子をぶち破って外へ出るしかないのだ。
 間違いながら、でも。
 この奴隷人形には、それができない。
 そうなるように、〈フーファイター〉は言葉を絞る。
 彼女は永遠に答えを探し続ける。
 あるはずがない正解を。
 どうすればよかったのか、という無意味な疑問を。
 ――どうだろうと構いはしないのだ。
(この俺を前にして、目を瞑り耳を塞がなかったことが、敗因といえば敗因だ。ガラクタごときが心なんていう贅沢品に惹かれたのが機運の尽き……心だと?)
 そんなもの、土塊にだってあるに決まっている。
 あると思えば。あると信じれば。
 シャムレイも、エンプティも、そんなじぶんに気づかない。いったい何が己を炙っているのか、気づこうとしていない。
 やつらにないのは感情でもなければ気概でもなく、
 ただ純粋な、己に賭け得る信念。
 それだけ――――――――
 ――――六順目。
 お互いの河には、すでに五枚の牌が並んでいる。
 そして、エンプティの手には、六枚目の牌が握られていた。
 それを置くか、使うか。
 敵を喰うか、様子を見るか。
 いつだって選択肢だらけだ。そんな疑念の森の中で、
 大切な目が曇っていたら、どうしようもない。
 唇を甘く噛み、頬を不安で引き攣れさせながら、エンプティが河を睨んでいる。真嶋慶を欺いてまで座った席で、何もできずに終わろうとしている。
 それでも、
(エンプティは、リーチをかける……)
 狭山には、それがよく分かっている。
 それが勝負の終わりになることも。
 ――その指先にあるものが信念だと思うのなら、掴みかかってくればいい。
 何も変わりはしないから。
 先制有利という都合のよさに身を任せることが、狭山に答えを欲して甘えることとなんら変わらないことに気づけないなら――来ればいい。
「…………リ、」
 人形の指が持ち上がる。河へ向かって牌を振り落とそうとする。
 どうしようもない失望のため息を吐きかけた時、
 人形の腕を、彼が掴んだ。
「なにしてんの?」

 ○

 さすがに酷、というものだ。



 奴隷人形は権利を持たない。
 破壊せよ、と命じられればその場で自壊し、スペアと交換される。そして最初から何も無かったかのように、蒸気船は闇の海を突き進み、バラストグールは次の勝負へと赴いていく。
 その運命を、エンプティは拒絶してはいない。
 仕方の無いことだと思うし、そういうふうに造られた以上は、甘んじて受け入れなければならない宿命だとも思う。
 けれど。
 ――誘惑が、強すぎた。
 だってあまりにも多すぎるのだ。この蒸気船にはあらゆる娯楽、あらゆる勝負、あらゆる危険が満ちている。手を伸ばせばすぐにでも掴める火の誘惑に、バラストグールならばいともたやすく乗っかることができる。その勝敗が破滅を呼ぼうが、少なくとも挑戦した瞬間までは最高の夢の中にいられる。
 でも、奴隷人形は?
 後ろでただ、見ているだけ。己が主の一挙手一投足を、与えられた脂貨を齧りながら、時々ポーク・バーガーを差し入れしながら主を宥め励まし奮起させ、勝つか負けるか、見守るのみ……
 棚橋真弘とエンプティは、似ている。
 なにもするな。
 そう命じられ、その通りに顔を伏せてきた。なにか思うことがあっても、さえずることしかできない。
 すぐそばにある、伏せられた牌。
 それに手を出し、めくってみせる。
 そんな些細なことさえ、彼女には許されていない。
 いつも、真嶋慶の背中を見ながら、エンプティはにこにこ微笑み、思ってみたりする。


 ――わたしなら、どうするかな。


 彼のような立場に置かれた時、自分ならどうするか。どう動くか。
 どう、賭けるのか。
 それを知るための脂貨は無く、それを為すための肉体も無かった。
 許されざる願望――だからこそ、それは強烈に、エンプティの器に響いた。
 やりたい。
 知りたい。
 自分が、どういう存在なのか。
 いったいなにを、どこまで、やれるのか。
 それが、知りたい。
 どうしても――

「どうした、エンプティ?」
「いえ? べつに、なんでも」
 にこにこと微笑みながら。
 エンプティは一歩、爪先を引いた。
 後ろ手に、慶から預かった脂貨が入った紙袋を提げながら。
 その感触を指先で何度も確かめながら。
 棚橋真弘は言った。
 俺はお前じゃない。
 だから、知りたいなら、自分でやれ、と。
 その通りだ。
 ぐうの音も出ない。
 まさに、それだけが、この気持ちに決着をつける唯一無二の方法。
 ほかにない。
 ――そう、手の中には脂貨があり、そして真嶋慶は、エンプティが敬愛する主は無垢な背中を向けていて、
 裏切りなど、少しも考えていなくて。
 願えばすぐに、手が届く。
 そして、エンプティはそれを選んだ。
 だから――

「…………慶、さま」

 当然の報いを、受ける時が来たのだ。
 破壊されてもいい。そう思って、駆け出したのだ。
 いまさら、それを拒んだところでなんの意味もない。
 六枚目の牌を、エンプティはゆっくりとテーブルの端に置いた。コトリ、と乾いた音がして、それがやけに指に響いた。ああ、そうだ。わたしはいま、怯えてる――
 腕を掴まれたまま、慶を振り返ることが、できない。
 だが、ザルザロスには見えていた。
 読書室に堂々と入室し、相変わらず真っ赤なシャツを身に着けて、エンプティの腕を掴み、そしてこちらを見ている真嶋慶の姿が。その顔が。その青い眼が。懐かしく、そして――
 ――何度見ても、反吐が出る目つきだ。
「なにしに来た? 邪魔するな。とっとと失せろ、真嶋慶」
「そうはいかねぇ。こいつは俺の、身内だからな」
「身内? ……そんな甘い顔しない方がいいんじゃないか? この泥棒猫はお前の脂貨を盗んで来た。俺とくだらん勝負がしたいがために、安っぽい自分自身まで賭けて挑戦してきた。その挙句――これから俺に、負けるところだ」
 慶は氷のように笑った。
 熱が何かを溶かしていくような、そんな微笑み。
「それはどうだか、わかんないぜ。なあ、エンプ」
「それならどうして、その手を掴んでるんだ?」せせら笑い、
「安心しろよ、お前の脂貨は賭けさせてない。感謝しろよ? 温情深く騎士道精神溢れるこの俺に。
 ――さあ、その手を離せよ。
 その玩具にリーチをかけさせてやれ。
 勝てるかもしれないぜ? なんていってもこの〈シャットアイズ〉は先手必勝――お前の読みなんざ、アテになりゃしないんだから。
 勝てば大金星、この俺を吹っ飛ばせる。
 くだらん人形に、夢ぐらい見させてやれよ」
「……かもな」
「え?」
 慶が、エンプティの腕から手を離した。エンプティが信じられない、と慶を見上げる。
「ど、どうして……? 慶様、だって、わたし……わたしは……」
「実を言うと、全然気づかなかった」
 慶は言った。腕を組み、そっぽを向いて、自分自身に語りかけるように。
「お前が俺の脂貨を持っていなくなった時、唖然としたよ。そんなこと、されるだなんて思ってなかった。……なんだかんだ言って、俺も身勝手なバラストグール。お前をただの人形扱いしてたんだな。いや、否定しなくていい。事実だよ。俺は、お前を人形だと思ってた。なにもできないガラクタだってな」
 けど、と慶は続ける。
「お前は俺の元からいなくなった。自分の意志で、勝手にな。焦ったよ、脂貨がないから勝負もできない。お前の居場所を探し回って、船中を走り回った」
「す、すみません……慶様、足、遅いのに……」
「……お前、さては俺に喧嘩を売ってるな? まァいい、許してやる。
 俺は今、機嫌がいいんだ。
 なあ、エンプ。俺は、お前を人形だと思ってた。でも、お前は自分の意志でここまで来た。狭山に勝負を仕掛けて、いまだにぶっ壊されずにここにいる。
 なのになんで、そんな寂しそうな顔をしてる?」
「……だって」
「自信を持てよ。お前は、ただの人形にできないことをやった。俺はな、エンプ。本物が好きだ。まがいものは、好きじゃない。
 お前は、〈まがいもの〉なんかじゃ、ない」








 許しを乞うなど、おこがましい。
 そう思っていたのに。
 乞う前に許されてしまっては、どうしていいか、分からない。
 ――おかしな人だ、とエンプティは思う。
 いつも冷たいことばかり言っているくせに、最後はいつも、微温ぬるくなる。
 死体のくせに。
 でも、
 微温い死体がいるのなら、微温い人形も、いていいのかもしれない。
 血の通いを夢見ても、いいのかもしれない。
 ――そんな叶わぬ夢を、この人は見させてくれる。
 いつも、いつも。
 きっとそれは、セルディムが、ランキリフが、ノスヴァイスが、そしてまさひろが――真嶋慶と勝負してきた多くの賭博師たちが、彼の中に見出してきたもの。
 この人なら、と。
 思わせてくれる何かが、ある。
 だから――

「慶様」

 まだまだ〈答え〉と呼ぶには拙いけれど。
 この選択肢を、迷うことはない。

「この席を、お譲り致します」

 そう言って、エンプティは席を立った。自分が伏せた、五枚の牌。
 最初で最後の真剣勝負の残り香を振り切って、笑顔で言う。
「代打はここまでです、慶様。
 ここからは――真打登場、でございます」
「……いいのか? お前がやってた勝負だろ」
「腕を掴んで止めておきながら、何をおっしゃるのやら。……最初から、そのつもりだったんでしょう? エンプティには全部、丸見えです。だってわたしは……この、エンプティは……」
 トン、と一歩、踏み出す。
 後ろに向かって、
 けれど、
 それは確かに、前進だった。


「――あなたの一等従者ですから!」

       

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