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社説
英語教育

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小学校に英語の授業を導入しようという動きが活発になってきています。


早期に英語に慣れ親しむことで、英語をよりしっかり学習しやすく、定着しやすくしようということです。



現在英語(ここでは米語のことです)は、国際的影響力の強いアメリカを母体としているだけあって、
非常に多くの地域で使われるようになっていて、国際的な言葉として広く学習されるようになってきています。
先進国の主要な都市ではその国の言語に加えて英語表記を使うところも多く見られます。


英語が国際的共通語として通用するようになれば、
たとえばあなたが海外へ旅行した時に、その国の言葉をあまり知らなくても、
看板や標識に英語による表記があればある程度ですが自力でも何とかなる部分はありますし、
その国の言語を全てしっかりわからなくてもある程度のコミニュケーションは可能になるでしょう。

貿易や仕事などの場でもスムーズな活動が可能になり、特に国際的な会議などでは力を発揮します。

言語の翻訳というものは、微妙なニュアンスの違いを吸収したり、
翻訳者によって解釈の食い違いが起きたりする可能性もあるため、
国際語として英語を定めておけば、互いにかなり”近い”意思伝達も可能になるのです。




しかし、実際、そのような動きで恩恵を受けるのは先進国だけなのです。




実は現在、「文化的多元主義」や「文化間のコミシュケーション」「他文化の尊重」のように、
無理に統一された国際的な流れに全ての地域・文化を組み込むのではなく、
それぞれの文化を維持し、そのままの形で維持・継承していくべきだ、という議論が盛んになってきています。


言語における国際化による弊害は、少数言語の消滅、
ひいては貴重な人数的少数文化の消滅を招いてしまうという結果につながりかねないのです。
つまり割りを食らうのは未発達な地域の文化ということです。

こういった先進国中心主義、強いて言うと米国中心主義は、
国連、ユネスコで提唱されている他文化の尊重と多文化主義を真っ向から否定することになります。
簡潔に言えばマイノリティの否定です。



少数、あるいは勢力の弱い文化・言語は長い歴史の上の小さな流れの中で出来たもので、
いまだ解明されない歴史の空白を語る貴重な存在であるし、言語を大切にすることは過去の先人達に対する敬意と尊重を意味します。





今、絶滅しそうだと言われる言語は100以上にのぼり、

既に話す人がたった一人しか居ないという言語も少なくないそうです。





小学校に英語教育を導入し、子供達を英語中心忠義にやみくもに取り込む前に、
小学校では文化の多様性を理解させる教育をすべきなのです。


そして他の文化を尊重し、「国際社会」「世界」とは如何なるものかを理解させたうえで英語を教育させる必要があります。

英語の国際化は先に述べたとおりのメリットがありますから、悪いとは言い切れません。
しかし可能な限り「押し付け」をせず、他の言語・文化にも柔軟に対応しながら英語を国際語として使うようにする、という程度がいいでしょう。


現在、日本の英語教育に必要なのは小学校への英語導入ではなく、中学高校での英語の教育の改革です。

現在の中高での筆記中心の英語では習得度が低くなるのは明らかなことであり、
事実、このような英語の教育を行っているのは日本ぐらいだと聞きます。



小学校では世界を教え、その上で中学校で”本当の”英語の学習をさせる。




国際的な言語の存在を否定はしませんが、それよりも大切なことがあるはずです。


他を無理に国際化の流れに組み込むのと、それぞれの文化を尊重し共存しあう。

国際社会とはどちらのことを言うのでしょうか。




(3/4著 3/30掲載)

       

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